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【70カ月目の飯舘村はいま】村外最後のふれあい集会で「国は一生懸命」「東京電力さん」。加害者に寄り添う菅野村長、怒る村民。「どっちを向いてるんだ」

福島県飯舘村の「いいたて村民ふれあい集会」が15日、福島市の「パルセいいざか」で開かれた。10センチを超える積雪の中、多くの村民が久しぶりの再会を喜び、ものまねタレント・コロッケのショーなどを楽しんだが、笑顔の裏にある苦悩も多く聞かれた。3月31日に避難指示が解除されても解消されない被曝リスク。しかし菅野典雄村長は村民の想いをよそに、あいさつの中で「東京電力さん」、「国も一生懸命に考えてくれている」などと発言した。長期避難を強いられている住民のリーダーが加害者側を「さん付け」で呼んでは、村民が「どっちを向いているんだ」と怒るのも無理は無い。


【「俺たちの意見に耳貸さぬ」】
 耳を疑う言葉が、次々と菅野典雄村長から発せられた。
 「全村避難をさせられた我々は被害者。しかし(加害者側にも)出来ない事はいっぱいある。加害者と被害者という立場だけでは物事は進まない」
 「道路整備にお金を充てようとするなど、一生懸命に国は考えてくれた」
 「東京電力さんは今日も駐車場の整理をしてくれている」
 国や東電と対立してばかりでは、彼らを責めてばかりでは何も進まないというのは一見、正論だ。しかし、なぜ6年もの長きにわたって村外避難を強いられているのか。なぜ狭い仮設住宅で暮らさなければならないのか。村民は住み慣れたわが家での暮らしだけでなく、山の幸もコミュニティも孫との平穏な日々も全て奪われたのだ。中には80歳を過ぎての避難生活のために自ら命を絶った村民もいる。再来月には帰還困難区域以外の避難指示が解除されるとはいえ、子育て世代を中心に帰還を望まない村民も多い。村では2016年7月1日から、自宅の清掃や事業再開準備などのために「長期宿泊」が始まっているが、今月11日現在の登録世帯数は169世帯にとどまっている。これは対象世帯数の1割に満たない。
 菅野村長は事あるごとに「村民のために」と口にする。一方で汚染や避難の原因者を「さん付け」。あいさつを聴いた村民からは「どっちを向いて仕事をしているんだ」、「今からこんな姿勢では、水俣病のように何十年経っても裁判で争わなくてはならなくなってしまう」などと怒りの声があがった。
 5人の子どもと集会に参加した30代の父親は言う。「自宅のあった比曽行政区は、長泥行政区(帰還困難区域)に隣接していて依然として放射線量が高く、環境省から宅地除染やり直しの連絡があった。そもそも山を除染しなければいくら宅地除染しても雨などでまた放射線量が上がってしまう。そんな状態で住民を村に戻そうとするなんて理解出来ません。俺たちの意見になんか耳を貸さないから(昨年10月の)村長選挙に期待したけど、村長派が強かったね」。






(上)ふれあい集会のあいさつで、原発事故の加害者である東電を「東京電力さん」と呼び村民の怒りを買った菅野典雄村長
(中)東電副社長で福島復興本社の石崎芳行代表は飛び入りでステージに上がり、改めて飯舘村民に頭を下げた
(下)「パルセいいざか」駐車場では、東電関係者が警備員に交じって交通整理をした

【自宅は今も1μSv/h超】
 もちろん、避難指示解除を心待ちにする村民もいる。70代の夫婦は福島市内の賃貸住宅で暮らしているが、4月以降は村内の自宅に戻る事を決めている。「生まれも育ちも飯舘村。借金して苦労して建てた家だから未練があるんだ。地震や津波でやられたわけでは無いし、雨漏りもネズミ被害も無い。病院や買い物など不安もあるけど、やっぱりわが家で暮らしたいよ」と声を揃えた。
 しかし、子育て世代を中心に帰還に否定的な声は根強い。伊達市内の仮設住宅に避難中の50代男性は、自宅のある小宮行政区で葉たばこの生産に従事していた。2011年の時点で、福島県は岩手、青森に次ぐ葉たばこ生産農家がいた。「自宅周辺の空間線量は今も1~2μSv/hもある。そんな場所に娘を連れて帰れと言われても…」と表情を曇らせた。「葉たばこの試験栽培で放射性セシウムが検出されたケースもあった。かといって今から別の業種に転職する事も出来ないし、農業をやるなら畑の近くに住んでいないと不便だし」と苦悩は尽きない。「伊達市も線量は高いんだけど他に行くとこもねえっぺ」。
 別の50代女性は、孫の乗ったベビーカーを押しながら「村民の話にちっとも耳を傾けないで避難指示解除を決めてしまった。決める段階にやらないで今ごろ意向調査なんてやってもね。いかにも素晴らしい村長のように言われているけど、挙げ句に『東京電力さん』とは酷いね。私の友達も怒っているよ」と怒りをあらわにした。上飯樋行政区にある自宅周辺の空間線量は依然として0.5μSv/hを下らないという。「山を除染しなければ結局、放射性物質が雨などで拡散される事なんか良く分かってるはずなのに帰そうとするのはおかしい」と語った。
 30代の母親は福島市から飯舘村に嫁いだ。「やっぱり被曝リスクが心配だから、今のところ村に戻る気持ちはありません」と話す。40代の男性は福島市内に新居を構えた。「放射線は気にならないけど周りが戻らないのにうちだけ戻ってもね」。行政区長を務める50代の男性は「我々の世代が何とかしないと地域が廃れてしまう」と家族と共に村に戻る事を決めているが、そのような声は少数だった。






(上)仮設住宅で暮らすお年寄りのために村は方面別のバスを用意して送迎した
(中)「村の10大ニュース」で2016年10月の村長選挙は3位。1位は「村制60周年」だった
(下)90分間のショーで村民を笑わせたものまねタレント・コロッケ=福島市・パルセいいざか

【村長こそ「心のシェア」を】
 閉会間際、一人の男性が急きょ、ステージに上がった。菅野村長が「さん付け」で呼ぶ東京電力ホールディングス株式会社副社長で、福島復興本社代表を務める石崎芳行氏だ。「雪の中、わざわざふれあい集会に駆け付けた」石崎代表には、観客席の男性村民から「帰還困難区域も忘れるなよ」と言葉が飛んだ。深々と頭を下げ、改めて謝罪した石崎代表。村民の言葉は「よく聞き取れなかった」と話した石崎代表に『「帰還困難区域も忘れるなよ』でした」と伝えると、「もちろんです。我々は最後まで責任を果たすために生かされていると思っている。全力でやらなければ」と答えた。
 避難指示解除まで2カ月余。しかし、最も汚染が酷いとされる「帰還困難区域」は蚊帳の外だ。除染の見通しすら立っていない。今なおバリケードで立ち入りが厳しく規制されている飯舘村・長泥行政区に生まれ育った60代の男性は「そりゃ生まれ故郷だから帰りたいよ。帰りたい。でも帰れない。避難指示が解除されるって盛り上がってるが、なんだか別世界の話のようだなあ。元気なうちに帰れるようになれば良いけど…」と涙をこらえながら話した。
 駐車場では、仮設住宅に帰る村民を乗せたバスを「東京電力さん」が警備員に交じって誘導していた。雪はしんしんと降り続いた。「帰還困難区域も忘れるなよ」という言葉は、村民の苦悩から目を逸らすように避難指示解除に舞い上がる菅野村長に向けられていたのかもしれない。「心のシェア」を掲げ「相手に想いをかける、そんな復興を進めていきたい」と話す菅野村長こそ、村民の想いをシェアする必要がある。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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