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【70カ月目の浪江町はいま】解除ありきの住民懇談会。「だったら、あなたは今の浪江に引っ越せるのか?」。国の強弁に町民の怒り爆発するも、時間切れ

今年3月31日での避難指示解除(帰還困難区域を除く)の是非を問う福島県浪江町の住民懇談会は28日午後、二本松市内で開かれた。町民から「時期尚早」との意見が相次いだが、国は「生活環境は整いつつある」との姿勢を崩さない。出席した町民に与えられた発言時間も1時間では到底足りず、わずかに延長したのみ。これで「忌憚の無いご意見」を国はどうやって受け止めるのか。業を煮やした町民から怒りの質問がぶつけられた。「だったら、今の浪江町に引っ越して来たいと思いますか」。住民懇談会はあと7カ所で開催されるが、ますます〝ガス抜き〟の色合いが濃くなってきた。


【「まず〝安全宣言〟出せ」】
 「そもそも、原発事故は収束しているのか。避難指示を解除するには、まず原発の〝安全宣言〟が必要なのではないか」
 意見交換が始まると、上野原行政区の男性は単刀直入に尋ねた。
 内閣府「廃炉・汚染水対策現地事務所」の木野正登参事官が答える。
 「まだ収束しておりません。収束していない以上、〝安全宣言〟は出せません。収束には30年40年とかかります。住民の安全を第一に廃炉作業に取り組んでいきます」
 男性は納得出来ない。「結局、原発事故直後と状況は同じではないか。そういう場所になぜ帰らせるのか。ちっとも町民に寄り添っていないじゃないか」
 別の女性(権現堂四区)は「待ちに待った避難指示の解除。しかし、自宅を見に行ったら、とても住める状況では無かった。何を基準に『生活環境は概ね整った』などと言っているのか。そもそも、原発事故さえ無ければ私たちなりの復興を進めていたんです。全ての原因を作ったのは原発事故なのに、誰も責任を取っていない。お金やモノでは再生しないものもある。私たちの気持ちをどうして分かっていただけないのか。怒りを静める方法を教えて欲しい」と強い口調で怒りをぶつけた。しかし、原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長は、避難指示解除の〝意義〟を強調するばかりだった。
 「原発事故さえ無ければ、という指摘はおっしゃる通り。申し訳ない。痛恨の極みだ。我々の責任の取り方は歯を食いしばって仕事をする事。復興して、皆さんに一歩一歩前に進んでいただく事が責任を取る事。今からやらないと浪江町はなくなってしまいます。バラバラになってしまう。私もやりますから」
 町民と官僚のやり取りは平行線のまま。すれ違いの最たるものが、後藤副本部長の次の発言だった。
 「私の父親も転勤族でしたから、友達と別れるのはつらかった」
 原発事故でコミュニティが破壊されるのと転勤による転校とは同じだろうか。これには町民から「意味合いが全く違うだろ」と怒りの声があがった。一事が万事。全てがこの調子なのだから、町民が納得できるはずが無い。




(上)「避難指示解除は時期尚早」との意見が目立った住民懇談会=福島県二本松市・安達文化ホール
(下)「意見交換」では多くの町民から手が挙がった。終了予定時刻になったとの理由で司会の町職員が打ち切ろうとしたところ、町民から「延長しろ、延長」とのブーイングが起こったが、わずかな延長で閉会された

【国「生活環境は整って来た」】
 北幾世橋行政区の男性は「時期尚早ではないか」と3月31日の避難指示解除に明確に反対した。「確かに帰りたい。アンケートでもずっとそう書いてきた。しかし、医療や治安を見ても町に戻れるような状況になっていない。しかも10km先には、いつ取り出せるかさえ分からない燃料デブリ(溶け落ちた核燃料)がある。これでは、憲法の保障する『健康で文化的な最低限度の生活』以下ではないか。ぜひ〝町民ファースト〟でお願いします」。
 これに対し、内閣府「原子力被災者生活支援チーム」の松井拓郎支援調整官が「そんな事は無いと思います。生活環境は整ってきています」と言い切り、町民が思わずどよめいた。男性は続けて、壇上にずらりと並んだ官僚たちにこう問い質した。
 「だったら、今の浪江町に引っ越して来たいと思いますか」
 松井支援調整官が答える。
 「私は当事者では無いので答えにくいが、普通に生活出来る環境になりつつあると思います」
 だが現実には、官僚が家族とともに浪江町に転居する事は無い。言葉ばかりが上滑りしている。
 「ハウスキーピングでは室内の汚染が心配だという事であれば、家屋解体という選択肢もある」、「生命、身体に危険を及ぼすような危機は去った」(松井支援調整官)、「ただちに避難をしなければならないという状況ではない」(後藤副本部長)、「帰れる方には、町の復興の先駆者として帰っていただきたい」(復興庁・福島復興局の紺野貴史次長)などの〝強気〟の発言に、町民たちが反発した。しかし、出席した町民たちに与えられた発言時間はわずか1時間。司会の町職員が打ち切ろうとすると「延長しろ、延長」とブーイングが起きたが、わずかに延長しただけで終了した。「忌憚の無いご意見を受け止めて判断の一助にさせていただきたい」(後藤副本部長)という言葉とは真逆の対応に、ある女性は終了後、不満をぶちまけるように語った。
 「町民の意見を聴いて半年でも1年でも延ばすものだと思って来たけれど、これでは単なる〝ガス抜き〟だわ。結論が出ているんだもの。参加するだけ無駄だった」
 女性はアンケート用紙に想いをびっしりと書き込んだ。しかし、「判断の一助」に使われる事は無さそうだ。




(上)内閣府の松井拓郎支援調整官。この日も「生活環境は整ってきている」、「安全は確保されている」と繰り返した
(下)「今から復興への取り組みをやらないと、浪江町は無くなってしまう。バラバラになってしまう」と避難指示解除の〝意義〟を力説した原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長。時折、居眠りしているように見える場面も

【帰る家ない津波被災者】
 請戸地区の男性は、津波で自宅を失った。しかし、大平山の高台への防災集団移転促進事業が当初計画より遅れており、3月末で避難指示が解除されても住まいが確保出来ない。「家がある人は帰れる。我々は無いんです。帰れる所だけ帰れれば良いというスタンスで良いのか。町民あっての浪江町ではないか。町民全員が同じスタートラインに立ってから解除するのが筋だろう。多少の遅れはしょうがない。しかし、2019年というのはあり得ない。寝ずに突貫工事をするべきだ」と激しい口調で語った。
 これに対しても、松井支援調整官は「申し訳ないが、(完成するまでの間)民間賃貸住宅を借りていただくという選択肢もある」と答え、男性の怒りを買った。男性は町の復興に協力したい一心で所有していた土地の買い上げに応じた。だが、避難指示解除の議論ばかりが先行し、新たな住まいは遅々として完成しない。それでも国は「生活環境は整いつつある」との姿勢を崩さない。
 「町民に寄り添う」とはほど遠い国の姿勢に、津島地区から避難中の男性がマイクを握った。
 「避難先で、周囲に『浪江町民』と言えないんですよ。言った途端に差別を受ける。でも月10万円の賠償金では生活出来ないから働かなければならない。その際に住民票などを提出すれば浪江町からの避難者だと分かってしまう。すると『金あんのに何で仕事すんの?』とか『中通りに住めて良かったね。何で仕事してんの?趣味でしてんの?』などと言われるんですよ。私も兄弟もそうだった。子どももつらい想いをした。そういう事を国はどう思っているのか。決まり文句しかしゃべっていないじゃないか。だいたい、いつになったら〝元の浪江町〟に戻せるのか」
 これには国側からの回答は無かった。別の質問で「残念ながら原発事故前と同じ状態に戻す事は出来ない」(松井支援調整官)と答えたのが共通認識なのだろう。代わって馬場有(たもつ)町長が想いを語った。
 「浪江町民には学校給食費を助成しているので、(給食費を納める)給食袋を学校に持って来ない。そうすると周りから『避難者だ』と白い眼で見られるという話もある。〝いじめ〟の報道を見聞きするとガッカリする」
 全くかみ合わないまま、3日目の住民懇談会は終わった。29日以降、仙台市、郡山市、福島市などで2月10日まで続くが、同じような意見が続出しても3月末での避難指示解除が強行される見通しだ。「民意」は国には届かない。



(了)
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プロフィール

Author:鈴木博喜
大手メディアが無視する「汚染」、「被曝」、「避難」を追い続けています。

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