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【71カ月目の福島市はいま】「不安はあるが…」「住んでいる以上は…」。信夫山に奉納された大わらじ。伝統行事の陰にある被曝リスクへの葛藤~暁まいり

福島県福島市の伝統行事「信夫三山暁まいり」が10日、行われ、今年も長さ12メートルの大わらじが信夫山の羽黒神社に奉納された。夜には、460人の老若男女が福男福女を目指して駆け上がった。依然として汚染が続く信夫山。福島県庁の職員は「もはや中通りでは多くの人々が普通に暮らしているから戻って来い」と〝自主避難者〟に言い放つ。しかし一見、普通に暮らしている人々の胸の内には、秘められた様々な葛藤があった。未曽有の大地震から今日で71カ月。残念ながら原発事故は終わっていない。


【「割り切るしか無い」】
 雪舞う福島市内を、2トンもの大わらじを担いだ白装束姿の男女が練り歩く。江戸時代から続く伝統行事。警察が交通規制をしながら幹線道路をゆっくりと担いで行く。目指すのは信夫山の羽黒神社。その後を、小さなわらじを担いだ小学生たちが続く。「わっしょい。わっしょい」。小学校3年生は社会科の授業で地域の伝統行事について学ぶ。その一環で、市内の7小学校の児童たちがリレー形式でわらじを担ぐ。子どもの晴れ姿を撮影しようと、保護者らがスマホやビデオカメラを構える。「でも、信夫山には子どもを連れて行きません」。母親らは異口同音に語った。
 「以前は信夫山の公園をよく利用していたけど、原発事故が起きてからは行かなくなりました。花見の時期なんか最高なんですけどね。放射線量なんか気にしなくなった?そんな事はありませんよ」と30代の母親。別の40代母親も「モニタリングポストの値はこまめに確認するようにしている」と話す。一方で「バランスと言うのかな…。ここに住んでいるので仕方ない部分もありますよね。信夫山に行くとしても土を触ったり林の中に入って行くわけでは無いとか、短時間しか滞在しないなどと割り切るしか無いですよね」とも。2人の幼子を連れて沿道から大わらじを見守った20代の母親も「放射線が気になるから信夫山には行きません。でも、私はここで生まれ育った。親も住んでいる。福島県外に避難すると言っても難しいですよね。気にしながら生活していくしかありません」と言葉少なに語った。
 ある小学校の男性教諭は「ふもとの噴水公園辺りなら完全に造り変えたので良いですが、上までは子どもたちを連れては行かれないですね。信夫山は僕らの遊び場だったんですけどね」と残念そうに語る。PTA会長を務める男性は「個人的には今の信夫山に子どもを連れて行っても大丈夫だと思うけど、学校行事では使っていませんね。いろいろな考え方があるので保護者全員の承諾を得るのが難しい。ふもとに大きな仮置き場があるでしょ。あれを見てしまうとね。かつては春の遠足に利用していたんですが…」と話した。






福島市内を練り歩いた後、信夫山の羽黒神社に奉納された大わらじ。担ぎ手たちの万歳三唱が雪舞う境内に響く中、神社付近で手元の線量計は0.3μSv/hを超えた=福島県福島市

【言えば風評、言わねば風化】
 日中からさらにグッと気温が下がった夜。460人の老若男女が信夫山を走った。今年で5回目の「暁まいり福男福女競走」。主催する福島青年会議所(JCI)の担当者は「除染も行われているし、部活で中高生が普段から走っています。そもそも、過去最高の460人もの方が参加しているという事は、それだけ放射線を気にしていない人が多いという事の証ではないでしょうか。気になる人は参加しなければ良いわけです。強制では無いですから。放射線量といっても、果たしてどの程度の数値で人体に影響が出るのかよく分かっていませんからね」と語った。
 念入りに準備運動をしていた福島市在住の会社員女性(20代)も「子どもには影響があるかもしれないけど、大人には害が無いと周りも言っていますからね。放射線を意識した事はありません」と話した。桑折町から参加した男性グループも、口々に「もはや放射線に関する質問なんて愚問ですよ」と苦笑いした。しかし、こんな40代の父親もいた。
 「難しい質問だなあ。正直言うとね、放射線を気にしていますよ。存在している事も分かっています。僕は果樹農家ですから。農地の除染が遅々として進まない事も、除染によって土が傷んでしまう事も分かっています。でもね、息子がこうして笑顔で楽しんでるのを見るとね…」
 福島第一原発から60km離れた福島市にも放射性物質が降り注いだ事など、今さら言われなくても分かっている。避難を考えなかったわけでも無い。しかし、福島市から動く事はしなかった。いや、出来なかった。
 「農業もあるし、東電がどれだけ補償してくれるのか分からない中で2人の子どもを食わせなきゃいけないしね…。県外に出る事は出来なかったなあ。被曝リスクの話って難しいよね。口にすれば風評被害につながってしまうし、何も言わなければ忘れられてしまう。難しいよ」
 福島成蹊高校3年の男子は、4月から関東の大学で陸上競技にさらに打ち込む。「箱根駅伝で走りたいんです」と目を輝かせる彼は、ややあきらめたように話した。
 「当時は小学校6年生でした。原発事故のおかげで卒業式が出来なかった。部活は制限され、親も心配して屋外で走るなと言っていた。でも今は誰も気にせずスポーツをしています。僕は今でも被曝リスクが心配だけど親ですら気にしていません。そうすると僕だけ気にするわけにはいかないんですよね」
 これが「大勢の人が普通に暮らしている」中通りの現実なのだ。






汚染が続く信夫山の柚子はいまだに出荷が禁止されている。そこに460人の老若男女が集い、凍てつく寒さの中を走った。開閉会式会場の向こう側には巨大な仮置き場が見える

【「大切な山を汚された」】
 除染作業の進む信夫山は山肌が削り取られ、数多く実る柚子は今も出荷停止措置が続いている。
 大わらじの練り歩きに同行し、福島駅前などで舞を披露した「御山太々神楽保存会」の1人は言う。「柚子もまだ駄目だけど、東電を恨んでもしょうがない…」。別の70代男性は「信夫山と言えば、富士山のようなシンボル的な存在。まだ新幹線が走っていなかった頃、在来線の特急列車から信夫山が見えると『あゝ福島に帰って来たんだなあ』と実感したものだよ。その大切な山を放射性物質に汚された。悔しいよ」。
 クタクタになりながら大わらじを羽黒神社まで担いだ「御山敬神会」の30代男性は「今でも信夫山の放射線量は高いと思いますよ。でも除染をやっていますし、そんな事を気にしていたら、そもそもここには住めませんよ」と笑った。ふもとの大鳥居から羽黒神社までの約1.3kmを駆け抜け「福女」となった福島県立田村高校の3年生、折笠有彩さん(18)は、2013年に行われた第1回競走の福女でもある。「中学生の頃は信夫山の奥までは行かないようにしていたけれど、今は全然気にしていないですね。やっぱり時間が経ったからかな」と話した。春からは実業団で陸上競技を続けるという。
 原発の爆発から間もなく丸6年。3年後の東京五輪では浜通りの国道6号での聖火リレーが計画されている。福島市など中通りでも「復興」の2文字が飛び交う。「福男福女競走」の会場では、福島市生まれの作曲家・古関裕而を主人公にした「NHK朝の連続テレビ小説」制作を目指す署名集めも行われた。もはや被曝リスクも保養プロジェクトも大々的には語られない。被曝リスクの存在を意識する人は不安を胸の奥に秘めながら時にはフタをして日常生活を送る。そんな現実が垣間見えた1日だった。



(了)
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鈴木博喜

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