【71カ月目の飯舘村はいま】帰らない人は村民にあらず?菅野村長がシフトチェンジ宣言。「帰って来る人の支援に重き置く」~取材陣締め出して住民懇談会
- 2017/02/13
- 07:52
原発事故による避難指示解除(帰還困難区域を除く)を来月末に控えた飯舘村で12日午後、長期宿泊の登録者を対象にした住民懇談会が開かれた。国と村の共催で、会場の交流センター「ふれ愛館」には43人の村民が参加。取材陣を締め出しての〝密室〟懇談会に、村民から不満の声も出た。被曝リスクだけでなく、防犯や介護、買い物や営農再開など多くの不安があがったが、あと50日足らずで避難指示は解除される。果たして生活環境は整ったと言えるのか。菅野典雄村長は「村に戻って来る人の支援にシフトチェンジする」と〝宣言〟した。
【転居費用20万円支給へ】
菅野村長らしい言い回しが何度も口をついて出た。
「村は必死にやっている」、「国の方々もせっかく来てくださっている」、「村も真剣に考えている」
そして、こんな〝宣言〟まで飛び出した。
「まるっきりというわけにはいかないが、これからは村に戻って来た人たちの支援に(行政の)比重を切り替える。避難を継続する人たちからは『俺達も村民だ』と言われるけれど、少しずつシフトを変えて行く。そのコンセンサスづくりが大切だ」
これには、参加した村民も「とにかく帰らせようという事なのだろう。あれではまるで、村に戻らない人は村民で無いかのような言い方だ」と驚いた。「町に戻っても戻らなくても、全国どこで暮らしていても町民である事に変わりない」と言い続けている浪江町の馬場有(たもつ)町長とは対照的な姿勢。菅野村長は手始めに、3月議会に「飯舘村おかえりなさい支援条例案」を提案。避難先から村に戻って来る村民に、転居費用として最大20万円を支給する。福島県外への〝自主避難者〟が福島に戻る際の転居費用を県が補助するのと同じ構図だ。
「戻って来ていただいた方を、村として必死に応援しようということ。財源は一般会計」(菅野村長)。実行するには村議会の承認が必要だが、飯舘村議会は菅野村長と一蓮托生であるから反対される事は考えにくい。村に戻った人が家庭菜園などを始める際、ビニールハウスの設置や耕運機の購入などを支援するため、50万円を上限として補助金を支給する「生きがい農業事業」も始める計画。まさに新年度から、村への帰還者に軸足を置いた施策が次々と展開される事になる。菅野村長は「本当は記者会見できちんと発表したかった」と苦笑いした。
閉会後の囲み取材でも「村に戻って来られる方に、もっと重きを置かなければならないと改めて感じた」と語った菅野村長。「戻って来ない方々とのバランスをどうとるか」とも付け加えたが、どの程度の割合になるかについて尋ねると「ものによって違うので、6:4とか7:3などといちいち言うものではない」と一蹴。しかし、心は完全に「村に戻って来てくれる人々への支援」に傾いている様子だった。


(上)「これからは、村に帰って来る人の支援に重きを置くようシフトチェンジする」と語った飯舘村の菅野典雄村長
(下)長期宿泊者を対象に開かれた住民懇談会。参加者は43人にとどまった=交流センター「ふれ愛館」
【「裏山は除染されていない」】
住民懇談会には、自宅の清掃、営農や事業再開の準備などのために昨年7月から始まった「長期宿泊」(「ふるさとへの帰還に先だつ長期の宿泊」)に登録している村民43人が出席。菅野村長のほか、原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長、内閣府「原子力被災者生活支援チーム」の松井拓郎支援調整官、内閣府「廃炉・汚染水対策現地事務所」の木野正登参事官らに質問や意見をぶつけた。
参加した村民は村に戻る意欲のある人々のため、質問や意見は防犯や医療介護、買い物や家庭ごみ収集などが多く、放射線に対する不安の声はあまり出なかった。それでも、「自宅の裏が牧草畑。そこに伐った木の枝が放置されている。除染が終わった後の土地に置いていて大丈夫なのか」(小宮行政区の男性)、「村に戻って長く生活したいが、まだ気持ちとしては半々。子どもたちが水道水を口にしても安全なのか。自宅周辺はきれいに除染してもらった。すっかりきれいになったが裏山は除染されていない。雨や雪などと一緒に放射性物質が流れてきて自宅周辺の放射線量が上がらないか不安だ」(草野行政区の男性)との声もあった。
環境省の担当者は「除染の効果は維持されていると考えている。今後、放射線量が上がるような事があれば追加除染も考えたい」と回答。これには、男性も思わず「自宅の放射線量が上がるたびに除染するのか」と詰め寄ったが、環境省の担当者は「必要に応じて検討する」と答えるばかり。放置されている枝についても「現場を見なければ分からない」。水道水の安全性については、村幹部が「週3回、福島県が検査をしているが、放射性物質は検出されていない。今のところ水道水は安全だ」と強調した。菅野村長も「全く心配無い。ぜひ検査をしていただいて納得して飲んで欲しい。村も真剣に考えている」。そして、放射線に対する村民の考え方については、こうも語った。
「飯舘村は三宅島の事例を参考に、どの自治体よりも率先してリスクコミュニケーションに取り組んできた。しかし6年経ち、いくら言っても理解してもらえない。その人にとっては『危ない』も正しいし『大丈夫』も正しい。考えを変えるのは容易で無いという所に行き着いたのかなという気がする」


(上)モニタリングポストの向こう側に、住民懇談会で「あれを見ると精神的におかしくなる」と指摘されたフレコンバッグの山が見える。国は「何年後に村から全て搬出できるかは言えない」と答えるしかなかった
(下)水量でその年の米の豊凶が分かると言われる「作見の井戸」。手元の線量計は0.8μSv/hを超えた。これでも、国は「除染の効果は維持されている」と繰り返す
【「全国放送してもらいたい」】
「防犯カメラを各戸に設置して欲しい」、「村内で医療や介護サービスが利用できるようにして欲しい」、「家庭ごみの収集が避難先の福島市より少ない。特に生ごみの収集を増やして欲しい」など、避難指示解除後の村内生活に関する意見が相次いだ懇談会。実は取材陣は冒頭のあいさつが終わった段階で会場からの退出を命じられた。「メディアが入ると村民が率直な意見を言えない懸念がある」と原子力災害現地対策本部。村民からも「なぜシャットアウトするのか。この様子を全国放送してもらいたい」との意見が出たが、国は「個人情報にかかわる話も出るだろう」と譲らなかった。そのため、取材陣はホール外でスピーカーから漏れてくる声をメモした。記者クラブ加盟社が団結して抗議する場面は無かった。
〝密室〟で行われた懇談会。長期宿泊の登録者は381人で、対象住民の約6.5%。春からは少ない高齢者が点在して暮らす事になる。村に戻る人の方が圧倒的に少ないが、戻る村民でさえ「フレコンバッグを見ながら生活しなければならない。精神的におかしくなる」、「先日、村民の孤独死が見つかった。村でも同じような事が起きたらどうするんだ」などと厳しい声をあげた。
「村としては、戻って来ていただけるように一生懸命取り組んでいるが、まだまだ課題がいっぱいある。戻って来る人数はあまり気にしない。良い環境を作っていく努力が、いずれ数字となって現れれば良い」と語った菅野村長。「国の人たちが懇談会を開いてくれた事は評価したい」とも。今年も国と共同歩調を進める姿勢に変わり無さそうだ。
後藤収副本部長は閉会後の囲み取材で「避難指示を解除しても円卓会議などでお話は伺っていきたい。介護人材が不足しているという点に関しては、東京の有資格者によるバスツアーを繰り返しながら、福島で働いても良いよという人を開拓していきたい」と語った。避難指示解除まで50日足らず。果たして本当に「生活環境が整った」と言えるのか。大いに疑問が残る懇談会だった。
(了)
【転居費用20万円支給へ】
菅野村長らしい言い回しが何度も口をついて出た。
「村は必死にやっている」、「国の方々もせっかく来てくださっている」、「村も真剣に考えている」
そして、こんな〝宣言〟まで飛び出した。
「まるっきりというわけにはいかないが、これからは村に戻って来た人たちの支援に(行政の)比重を切り替える。避難を継続する人たちからは『俺達も村民だ』と言われるけれど、少しずつシフトを変えて行く。そのコンセンサスづくりが大切だ」
これには、参加した村民も「とにかく帰らせようという事なのだろう。あれではまるで、村に戻らない人は村民で無いかのような言い方だ」と驚いた。「町に戻っても戻らなくても、全国どこで暮らしていても町民である事に変わりない」と言い続けている浪江町の馬場有(たもつ)町長とは対照的な姿勢。菅野村長は手始めに、3月議会に「飯舘村おかえりなさい支援条例案」を提案。避難先から村に戻って来る村民に、転居費用として最大20万円を支給する。福島県外への〝自主避難者〟が福島に戻る際の転居費用を県が補助するのと同じ構図だ。
「戻って来ていただいた方を、村として必死に応援しようということ。財源は一般会計」(菅野村長)。実行するには村議会の承認が必要だが、飯舘村議会は菅野村長と一蓮托生であるから反対される事は考えにくい。村に戻った人が家庭菜園などを始める際、ビニールハウスの設置や耕運機の購入などを支援するため、50万円を上限として補助金を支給する「生きがい農業事業」も始める計画。まさに新年度から、村への帰還者に軸足を置いた施策が次々と展開される事になる。菅野村長は「本当は記者会見できちんと発表したかった」と苦笑いした。
閉会後の囲み取材でも「村に戻って来られる方に、もっと重きを置かなければならないと改めて感じた」と語った菅野村長。「戻って来ない方々とのバランスをどうとるか」とも付け加えたが、どの程度の割合になるかについて尋ねると「ものによって違うので、6:4とか7:3などといちいち言うものではない」と一蹴。しかし、心は完全に「村に戻って来てくれる人々への支援」に傾いている様子だった。


(上)「これからは、村に帰って来る人の支援に重きを置くようシフトチェンジする」と語った飯舘村の菅野典雄村長
(下)長期宿泊者を対象に開かれた住民懇談会。参加者は43人にとどまった=交流センター「ふれ愛館」
【「裏山は除染されていない」】
住民懇談会には、自宅の清掃、営農や事業再開の準備などのために昨年7月から始まった「長期宿泊」(「ふるさとへの帰還に先だつ長期の宿泊」)に登録している村民43人が出席。菅野村長のほか、原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長、内閣府「原子力被災者生活支援チーム」の松井拓郎支援調整官、内閣府「廃炉・汚染水対策現地事務所」の木野正登参事官らに質問や意見をぶつけた。
参加した村民は村に戻る意欲のある人々のため、質問や意見は防犯や医療介護、買い物や家庭ごみ収集などが多く、放射線に対する不安の声はあまり出なかった。それでも、「自宅の裏が牧草畑。そこに伐った木の枝が放置されている。除染が終わった後の土地に置いていて大丈夫なのか」(小宮行政区の男性)、「村に戻って長く生活したいが、まだ気持ちとしては半々。子どもたちが水道水を口にしても安全なのか。自宅周辺はきれいに除染してもらった。すっかりきれいになったが裏山は除染されていない。雨や雪などと一緒に放射性物質が流れてきて自宅周辺の放射線量が上がらないか不安だ」(草野行政区の男性)との声もあった。
環境省の担当者は「除染の効果は維持されていると考えている。今後、放射線量が上がるような事があれば追加除染も考えたい」と回答。これには、男性も思わず「自宅の放射線量が上がるたびに除染するのか」と詰め寄ったが、環境省の担当者は「必要に応じて検討する」と答えるばかり。放置されている枝についても「現場を見なければ分からない」。水道水の安全性については、村幹部が「週3回、福島県が検査をしているが、放射性物質は検出されていない。今のところ水道水は安全だ」と強調した。菅野村長も「全く心配無い。ぜひ検査をしていただいて納得して飲んで欲しい。村も真剣に考えている」。そして、放射線に対する村民の考え方については、こうも語った。
「飯舘村は三宅島の事例を参考に、どの自治体よりも率先してリスクコミュニケーションに取り組んできた。しかし6年経ち、いくら言っても理解してもらえない。その人にとっては『危ない』も正しいし『大丈夫』も正しい。考えを変えるのは容易で無いという所に行き着いたのかなという気がする」


(上)モニタリングポストの向こう側に、住民懇談会で「あれを見ると精神的におかしくなる」と指摘されたフレコンバッグの山が見える。国は「何年後に村から全て搬出できるかは言えない」と答えるしかなかった
(下)水量でその年の米の豊凶が分かると言われる「作見の井戸」。手元の線量計は0.8μSv/hを超えた。これでも、国は「除染の効果は維持されている」と繰り返す
【「全国放送してもらいたい」】
「防犯カメラを各戸に設置して欲しい」、「村内で医療や介護サービスが利用できるようにして欲しい」、「家庭ごみの収集が避難先の福島市より少ない。特に生ごみの収集を増やして欲しい」など、避難指示解除後の村内生活に関する意見が相次いだ懇談会。実は取材陣は冒頭のあいさつが終わった段階で会場からの退出を命じられた。「メディアが入ると村民が率直な意見を言えない懸念がある」と原子力災害現地対策本部。村民からも「なぜシャットアウトするのか。この様子を全国放送してもらいたい」との意見が出たが、国は「個人情報にかかわる話も出るだろう」と譲らなかった。そのため、取材陣はホール外でスピーカーから漏れてくる声をメモした。記者クラブ加盟社が団結して抗議する場面は無かった。
〝密室〟で行われた懇談会。長期宿泊の登録者は381人で、対象住民の約6.5%。春からは少ない高齢者が点在して暮らす事になる。村に戻る人の方が圧倒的に少ないが、戻る村民でさえ「フレコンバッグを見ながら生活しなければならない。精神的におかしくなる」、「先日、村民の孤独死が見つかった。村でも同じような事が起きたらどうするんだ」などと厳しい声をあげた。
「村としては、戻って来ていただけるように一生懸命取り組んでいるが、まだまだ課題がいっぱいある。戻って来る人数はあまり気にしない。良い環境を作っていく努力が、いずれ数字となって現れれば良い」と語った菅野村長。「国の人たちが懇談会を開いてくれた事は評価したい」とも。今年も国と共同歩調を進める姿勢に変わり無さそうだ。
後藤収副本部長は閉会後の囲み取材で「避難指示を解除しても円卓会議などでお話は伺っていきたい。介護人材が不足しているという点に関しては、東京の有資格者によるバスツアーを繰り返しながら、福島で働いても良いよという人を開拓していきたい」と語った。避難指示解除まで50日足らず。果たして本当に「生活環境が整った」と言えるのか。大いに疑問が残る懇談会だった。
(了)
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