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【子ども脱被ばく裁判】「山下講演」の衝撃と怒り、年20mSvで〝安全〟とされた学校。中手さんが意見陳述「子どもを守れるのは親だけ」~第9回口頭弁論

福島県内の子どもたちが安全な地域で教育を受ける権利の確認を求め、原発の爆発事故後、国や福島県などの無策によって無用な被曝を強いられたことへの損害賠償を求める「子ども脱被ばく裁判」の第9回口頭弁論が15日午後、福島県福島市の福島地裁203号法廷(金澤秀樹裁判長)で開かれた。福島市から札幌市に避難した中手聖一さん(55)が意見陳述。山下俊一氏を起用した「安全宣伝キャンペーン」や文科省による「子ども20mSv通知」に関して「行政は被曝回避の責任を怠った」と批判した。次回期日は5月24日14時半。


【県民誤らせた「山下講演」】
 「私は避難して良かったと思っています。確かに苦労はあります。でも何より、子どもたちが普通の生活を送れている。彼らの姿を見て、避難した事は間違いでは無かったなと思わせてくれます」
 福島県いわき市出身の中手さんは福島第一原発が爆発した当時、妻と小学校、保育園に通う2人の息子の4人で福島市で生活していた。20代の頃、チェルノブイリ原発事故に関する講演会を福島市内で聴いたのを機に原発や放射能の危険性を知り、脱原発運動を続けてきた。「若いうちに少しでも心の準備が出来ていたのが幸いしました。全交流電源を喪失したと耳にした時、まず子どもたちを逃がそうと決心出来ましたから」。2011年3月下旬には西日本の親戚宅に妻と2人の息子を避難させた。栃木県の那須塩原駅まで車で送り、新幹線に乗せた。再び家族4人で暮らせるようになったのは2012年6月のことだった。
 30年近く、障害者福祉の仕事をしてきた。どこかで国や行政への淡い期待もあったという。「被曝をもっともっと回避する事は出来た。国も行政も放置するどころか、被曝リスクを増すような事をしている状態だった。どうしても納得出来ません」
 福島市では2011年3月21日午後、当時、長崎大学大学院教授だった山下俊一教授と高村昇教授の講演会「福島原発事故の放射能健康リスクについて」が開かれた。「大丈夫」、「子どもを屋外で遊ばせても問題ない」という言葉が繰り返された。山下氏は福島県内を巡って同様の講演を行い、その様子は地元ラジオ局で連日のように放送された。穏やかな口調で「健康への影響は無い」と繰り返され、福島県民は〝洗脳〟されていった。
 「あの講演は、わが子の被曝回避のために少しでも出来得る事をしようと努力していた親たちを〝安心〟させ、誤った行動をさせました。決して許されません。講演を行わせた市町村にももちろん、責任はあります」。中手さんは被告代理人弁護士を見ながら言葉を強めた。口頭弁論前に開かれた集会では「山下講演は、頭を金づちで叩かれたような衝撃だった。国や自治体が何かしてくれるだろうという期待が大間違いだったと気付かせてくれた」と振り返った。


意見陳述を行った中手聖一さん。事前集会でも講演を行い「決してあきらめず、しっかりと信念を持って行動する姿を子どもたちに見せる事が、原発事故を防げなかったわれわれ世代の責務なのではないか」と語った=福島市市民会館

【追い打ちかけた文科省通知】
 さらに追い打ちをかけるように文科省が2011年4月19日、福島県知事や県教委などに「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」と題した通知を出した。
 「非常事態収束後の参考レベルの1-20mSv/年を学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安と(する)」
 「文部科学省による再調査により校庭・園庭で3.8μSv/時間未満の空間線量率が測定された学校については、校舎・校庭等を平常どおり利用して差し支えない」
 一般公衆の追加被曝線量は年1mSvのはずだった。それを住民の県外流出を防ぐという思惑で20倍に引き上げられた。子どもだけは守ってくれるだろうという期待は完全に裏切られた。「どこかで国を信じ、期待していた自分が甘かった。たとえ批判を受けても黙ってはいけない、自分の子どもを守れるのは自分しかいないと気づかされました」。
 何とか年20mSv基準を撤回させようと奔走したが叶わなかった。子どもたちは学校に通い、砂塵舞う校庭で体育の授業や部活動を行った。この日の期日までに被告・郡山市が提出した準備書面では、学校再開当時「薫小学校、第一中学校、第二中学校、第三中学校」の市立4校が3.8μSv/hを上回っていた事が明らかになった。郡山市は再測定で3.8μSv/hを下回った上に校庭の表土除去も行ったと安全性を主張しているが、いかに子どもたちが危険な環境下での教育を強いられ、公的避難をさせてもらえなかったかが分かる。そして、自力でわが子を守ろうと動いた保護者は〝自主避難者〟と分類され、間もなく住まいを奪われる。
 事前集会で「誰一人、好き好んで避難したわけでは無い。避難せざるを得なかったんです。しかし、住宅の無償提供打ち切りは『避難者に権利なんか無いんだ』と言われているのと同じです。放射能汚染が解消するまで住まいを保障するべきです」と強調した中手さん。原発事故直後は「子どもたちに申し訳ないという懺悔」と「原発を一基も止められなかった後悔」で頭がいっぱいだったという。だからこそ真実を口にし、国や東電、自治体の責任と賠償を求める。次の世代のために。


定員に満たなかったため抽選にはならなかったが、この日も福島地裁の傍聴席は多くの支援者で埋まった。開廷前には裁判所前でそれぞれの想いを語った

【「年1mSv以下でも無用な被曝」】
 福島では今、被曝リスクや健康被害に対する不安を口にしくくなったと言われる。中手さんも保養で北海道を訪れる母親たちから「あなたまだ、そんな事を言っているの?と周囲から批判されてしまう」と耳にするという。「もちろん、爆発直後のように心配ばかりして暮らすような事は少なくなったでしょう。でもそれは不安が無くなった事とイコールでは無い。封じ込めているだけだと僕は思う」と語った。1人でも多くの大人が勇気を振り絞って健康不安を口にして欲しいと願う。
 原告側弁護団は、福島県が情報を隠匿し安定ヨウ素剤を県民に適切に服用させなかった事、年1mSvという追加被曝線量も、ベンゼンなど有害物質の土壌汚染に比べて決して安心出来る基準では無い事などを主張した。井戸謙一弁護士は「ベンゼンが含まれた地下水を生涯を通じて1日に2リットル飲用した場合に10万人に1人の割合で健康リスクが増える量、という前提で基準(1リットルあたり0.01ミリグラム)が設けられているが、それを年1mSvに当てはめると10万人に350人が過剰にガン死する計算になる。土壌汚染の基準と比べると甘い。年1mSv以下なら被曝させても構わないという事にはならない」と強調した。
 福島市からは、2011年11月以降、学校給食の食材に関して500Bq/kg以下のものを使うよう規制してきた(現在は10Bq/kg以下)との書面を提出したが、井戸弁護士は「国の暫定基準値に従ったということなのだろうが、500Bq/kgという基準は非常に恐ろしい。しかも11月以前はどうしていたのか。さらに追及したい」と語る。福島市の代理人弁護士は法廷で「11月以前の取組に関しては、必要であれば書面で提出する」と答えるにとどまった。
 法廷ではさらに、原子力緊急事態宣言について、いつ官報に掲載されたのか、当時の枝野幸男官房長官の記者会見をもって「公示」とみなすのかなど基本的な事に関して「一番の基礎になる事」と原告側弁護団が質したが、国の代理人弁護士は答えにならない回答に終始。全くかみ合わなかった。
 次回期日は5月24日。その後は8月、10月の期日が予定されている。


(了)
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鈴木博喜

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