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【71カ月目の飯舘村はいま】今中助教「帰村すれば被曝は避けられぬ」、選択迫られる村民。「どこに住んでいても村民だ」~避難指示解除控えシンポジウム

避難指示解除(帰還困難区域を除く)を来月末に控えた18日午後、「飯舘村エコロジー研究会」が福島県福島市内でシンポジウムを開き、研究会の協同世話人であり、原発事故直後から放射線量の計測などを行ってきた今中哲二氏(京都大学原子炉実験所助教)や兵庫医科大学の振津かつみ医師(内科医)らがこれまでの取り組みを発表。村民たちは、帰りたくても帰れない葛藤、農地やコミュニティーの維持への苦悩を語った。菅野典雄村長は「帰村者重視」の方向性を鮮明に打ち出すが、村民は口を揃える。「俺たちはどこに住んでいても飯舘村民だ」。


【「帰村できる状況で無い」】
 数字を見つめ続けてきた村民の結論は明解だった。「子どもたちは絶対に村に戻してはならない」。
 伊藤延由さん(小宮行政区)は怒りを込めて振り返る。「ごまかしの連続だった。除染の説明会で環境省はこう言った。『線源から10メートル離れれば放射線量は100分の1になる』。しかし村全体が線源ではないか。10メートル離れたって被曝は避けられない」。国も村も除染による空間線量の低減を強調するが「それでも単純平均で0.49μSv/hもある。原発事故前の10倍以上だ。営農再開すれば被曝量はもっと増える。そんな場所に村民を帰して良いのか」。
 村の中でも空間線量が低い大倉行政区で採取されたイノハナ(キノコの一種)から2014年、村の測定で放射性セシウムが5万4200Bq/kg検出された。これは、イノハナの数値としては長泥行政区の7万2100Bq/kgに次ぐ高い値。伊藤さんは「空間線量だけを問題にすれば良いわけでは無い事が分かる」と話す。自身がこれまでに測った中では、コシアブラから27万Bq/kgもの放射性セシウムが検出されたのが最も高い値という。
 上飯樋行政区長の赤石澤正信さんは、昨年12月に実施した住民アンケートの結果を報告。回答した136人(60歳以上が68%)のうち、避難指示が解除された後に「即帰村する」と答えたのは8%、「5年以内に帰村する」と答えたのは7%だった。40歳以下では半数が「村には戻らない」と答えたという。「村民は好んで避難しているわけでも、好んで帰村するわけでも無い。行政から自己責任での判断を迫られている中で、帰村できる状況ではないという判断と農地を維持したいという想いとで苦しんでいる」と赤石澤さん。菅野典雄村長は今月12日の住民懇談会で「これからは村に戻って来た人たちの支援に(行政の)比重を切り替える」と、切り捨てとも受け取れる〝宣言〟をしたが、「村に帰らない人は村民ではない」という体制には抵抗していきたいと語った。
 壇上で涙を流したのが、酪農・花き農家の鴫原清三さん。住み慣れたわが家のある長泥行政区は帰還困難区域に指定され、避難指示解除の対象外。原発事故で放射性物質が降り注いだ事も知らされず浜通りからの避難者のために炊き出しを続け、白い防護服姿の人から「95μSv/hある」と聞かされても数字の意味が分からなかった。福島市に避難出来たのは2011年6月末。あれから6年になろうとしているが帰還の目途すら立たず、「帰るにも帰れない」、「帰っても何も出来ない」。そして、次の言葉では涙をこらえる事が出来なかった。
 「土地や自宅、財産を全て投げ出して避難したのに『賠償金もらって良いよね』などと憎まれ口を言われて悔しくて残念です」






(上)住み慣れたわが家のある長泥行政区は帰還困難区域に指定され、避難指示の対象外。福島市に避難中の鴫原さんは「帰りたいけど帰れない」「悔しくて残念」と涙ながらに語った
(中)福島県青少年会館で開かれたシンポジウムには多くの参加者が集まり、200席はほぼ埋め尽くされた
(下)「どこに住んでいても飯舘村の住民であることを認めて欲しい」と語った菅野哲さん。菅野典雄村長の発言には「哀しい。為政者の言葉かと耳を疑う。本当にそんな事を言ったのか、直接確認したい」。

【「被曝者手帳の交付を」】
 今中氏は2011年3月29日に飯舘村に入った。「当時は村平均で10μSv/hというとんでもない空間線量で、信じがたい想いだった」。現在では15分の1に下がったとはいえ平均で0.7μSv/hほど。「簡単に言うと自宅周りは0.5から1.0μSv/hある。村に戻るという事は被曝は避けられないという事。避けようも無く放射線を受けてしまう」と語った。
 今中氏の計算では、現在の飯舘村で生活をすると年間被曝線量は2.5mSvから5.0mSvに達し「年1mSvにまで下がるのには25年から50年ちょっとは要する」。森林の汚染はさらに酷く、「余計な被曝はしない方が良いが、戻るのであれば被曝は避けられない。相反する2つの問題にどう折り合いをつけるか。つけられない人は避難するしか無い」とも。「村民がどのような選択をしようとも、東電や政府には面倒をみる責任がある」と語った。
 糸長浩司氏(日本大学生物資源科学部教授)は、建築家の立場から村と関わり続けてきた。「村に戻るのなら、いかに安全な家に住むか。それは権利でもある」と強調する。「放射性物質が出来るだけ室内に入って来ない工夫が必要で、自宅を核シェルター化するぐらいの覚悟が必要だろう。しかしそういう補助制度は無い。変な国だなあと思う」。森林火災への懸念も取り上げ「火災防止について真剣に議論しなければならない。山火事が起きたら、もう一度原発事故が起きたような状態になる」と警鐘を鳴らした。
 「被曝者手帳」の必要性を訴えたのは、兵庫医科大学の振津かつみ医師。「単なる自然災害とは違うので、早期診断・早期治療を保障する施策を国が行う必要がある。福島県中通りや福島県外も含めて、原発事故が無ければ被曝しなかった人は400万人はいるとされている。どんな低線量でもリスクはあり、ガン以外の病気の可能性もある。中通りでは『広島や長崎と一緒にしないで欲しい』と反発する声もあり、事故から6年経っても手帳が交付されていないのが歯がゆい」と話した。4月からの帰村を考えている村民に対しては「放射線量を知る、ホットスポットには近づかない、山菜などの食べ物に気を付ける。そうする事で出来るだけ被曝を避ける努力をして欲しい」と求めた。
 東大名誉教授の鈴木譲氏(農学博士)は、生物への放射線の影響を調査した様々な事例を紹介。「個体数の減少や奇形などを調べるのは大変な労力が要り、因果関係を立証するのは難しい。しかし、アブラムシの奇形やツバメや牛の白斑などが確認されており、何かが起こっている。これからも調査・研究が必要だ」と語った。






(上)村内の放射線量を測り続けてきた今中哲二助教。「村に戻るという事は被曝は避けられないという事。避けようも無く放射線を受けてしまう」と語る
(下)「被曝者手帳」の必要性を訴えたのは、兵庫医科大学の振津かつみ医師。「どんな低線量でもリスクはあり、ガン以外の病気の可能性もある」と呼びかけた

【戻らないと〝自主避難者〟】
 「飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)」は、突然の原発事故が飯舘村にもたらした影響や喪失、不条理を調べて発信する研究者や村民、ジャーナリストの集まりで、シンポジウムは今回で8回目。村を撮り続けてきた写真家の豊田直巳さんは、児童数が激減した小学校の教室や、増え続けるフレコンバッグの写真を紹介。
 前田行政区長の長谷川健一さんは「村内のフレコンバッグは約250万個あり、これは県全体の約10%に相当する。搬出するのに何十年かかるやもしれない」と表情を曇らせた。一方で「先祖代々の土地が荒れて行くのは見るに堪えない。子どもたち、若い人たちは村に帰るべきではないが、だからと言って何もせずにはいられない。農地を荒らすわけにはいかない」と苦悩を口にした。しかし、その農地は除染による塩化カリウムの過剰投与で弊害が生じているという。「公表されていないが、牛が産後、カルシウム不足で自立不能になる事例が起きている」。
 草野行政区から福島市内に避難中の菅野哲さんは「村外に新たな住まいを確保出来たのは、元々村に自宅があって財物賠償を受けられた人。村営住宅などに入居していた人には財物賠償は無く、4月以降どうするべきか悩んでいる。アパート代も都市部は高い」と明かした。行政には「どこに住んでいても飯舘村の住民である事を認めて欲しい。しかし、実際には村を捨てて逃げたと言われてしまう哀しさ、無念さがある」と求めた。
 「今後は帰村した住民の支援に重きを置く」と言ってはばからない菅野村長。避難指示の解除で大量に発生する〝自主避難者〟は見捨てるのか。横山秀人さん(前田八和木行政区)が村教委に確認したところ「避難指示が解除されたら子どもたちは〝自主避難者〟です」と言われたという。「帰還者重視の一つだろう。ぜひ村から『自主避難者では無い』と発信して欲しい」と求めた。
 避難指示解除まで40日。問題山積だが菅野村長は帰村者重視を鮮明に打ち出す。帰りたくても帰れない村民の葛藤は募るばかり。わずか6年では、原発事故が片付くはずも無い。



(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
大手メディアが無視する「汚染」、「被曝」、「避難」を追い続けています。

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