【自主避難者から住まいを奪うな】2回目の政府交渉も進展なし。「福島県の判断」繰り返して逃げ切り図る若手官僚~避難者切り捨てまで9カ月
- 2016/06/22
- 07:42
原発事故に伴う〝自主避難者〟への住宅無償提供を福島県が2017年3月末で打ち切る方針を示している問題で、「『避難の権利』を求める全国避難者の会」(中手聖一、宇野朗子共同代表)が21日午後、東京・永田町の参議院会館で2回目の政府交渉を行った。しかし、内閣府や復興庁の若手官僚側は「福島県の判断」、「もはや戻れる状況になった」と従来の言葉を繰り返すばかりで進展無し。福島県の内堀雅雄知事も国も逃げ切りを図る。被曝リスクから逃れるという至極当たり前の行動をとり続ける自主避難者は、このまま切り捨てられるのか。打ち切りまであと9カ月。
【「福島県知事の判断を尊重する」】
「災害救助法の実施主体は都道府県知事です。何度も申し上げておりますが、福島県知事の判断を我々も尊重します」
若手官僚と相対した避難者たちは一様にため息をつき、表情を曇らせ、思わず苦笑をし、そして天を仰いだ。国は、都合の良い時だけ主体性を発揮し、都合が悪くなると地方自治体に丸投げする。前回(3月9日)と同じ言葉を大人しく聞くために、避難者たちは仕事を休んで北海道や京都から永田町に駆け付けたのだろうか。内閣府の手島誠参事官補佐(防災・被災者行政担当)は「もしも福島県が方針を変更したら、尊重する」と語ったが、現時点で、福島県側に住宅の無償支援打ち切り方針を撤回する意思の無いことくらい百も承知だろう。しかも、国は避難者の生活実態や意向をロクに把握もしないで福島県の方針を追認しているのが実情。「福島県の方できちんと把握されていると考えている」、「アンケートは6割程度が返ってきていないということは聞いているが、ご意見がさまざまある中で、福島県が判断したのだろう」。手島参事官補佐の言葉に中手聖一さん(北海道)は声を荒げた。
「避難者の実態把握なんか出来ていないですよ。なぜアンケートに答えないか。信頼を失っているからですよ。またいじめられるんじゃないか、と警戒されているからですよ。国には、避難者の実態を把握した上で判断する責任があるんじゃないですか」
宍戸俊則さん(北海道)も行政の怠慢を訴えた。
「北海道でも避難者を対象にした戸別訪問が始まっているが、今まで避難の事など知らなかった人がやって来るので避難者は一から説明しなければならない。『え?そうだったんですか?』と言って帰っていく有様ですよ。福島県は避難者の実態把握なんか出来ていない。当事者がそう言っているのに、福島県庁の言葉を信じるのですか?」
とにかく打ち切りありき。理屈は後から付ける。復興庁の清水久子企画官は「いろんな場面でご意見を伺っているし、福島県もそうしているはずだ」と話すが、福島県が受け入れ自治体と始めた戸別訪問も、実際には現在入居している公営住宅からの退去通告にすぎなかったり、避難者からの質問にまともに答えられないなど、同行した弁護士が「あまりにも酷い」と呆れるほど。福島県は、戸別訪問の趣旨を「来年4月以降の住まいが決まっていない避難者の意向に、きめ細かく対応する」と掲げているが、都内では、戸別訪問後にショックで体調を崩してしまった避難者までいるという。
しかし、ロボットのような若手官僚たちは、そのような実情もお構いなしにこう語る。
「財政的な支援を交付金の形でさせていただきたい。国としては、まだ住まいが決まっていない人への相談・情報提供事業を後押ししていきたいと考えている」(清水企画官)

2回目の政府交渉に臨んだ「『避難の権利』を求める全国避難者の会」共同代表の中手聖一さん(右)。「避難者の実態も把握せずに住宅支援打ち切りを決めるな」と怒った
【土壌汚染測らず「戻れる状況」】
毎度毎度の事だが、避難者と若手官僚との交渉はそもそも、キャッチボール自体が成り立たない。「そういう事を尋ねているんじゃないんだ」。中手さんが何度も首を傾げた。会では事前に4項目の要望と8項目の質問を提示しているが、「日本政府は今回の原発事故に対し、自らの責任をどのように考えているか」という問いにも、経産省の回答は「事故の最大の教訓は安全神話にとらわれてはならないということでありまして…」と全くかみ合わない。
内閣府は「帰る帰らないは個々の判断だが、除染などで元いた場所へ戻れる状況になっている」と繰り返すが、中手さんは「帰れないよ。帰れるならとっくに帰っている。実際に帰っていない人がたくさんいるのだから、福島県知事の判断が間違っているということではないのか」と怒りを露わにした。「戻れる状況」と言っても、国は詳細な土壌測定をした結果を基に発言しているわけでは無い。空間線量が年20mSvを下回るか否かが基準だ。挙げ句には「何万ベクレルと言われましても、私の部署で判断する事ではございません」と〝縦割り行政〟に逃げ込む始末。これではまるで、政府の避難指示が出ていない地域から避難している人々が心配し過ぎであるかのようだ。
血の通わない〝官僚答弁〟に、鹿目久美さん(神奈川県)は「いつも堂々巡り」とマイクを握った。「ここでのやり取りを子どもに説明できますか?私は出来ません」。フルタイムで働いていては、頻繁にこのような場に参加することは出来ない。「子どもを守るための行動が、子どもとの時間を削ってしまう矛盾」は自分が良く分かっているし、悩み所でもある。そんな葛藤を振り払って「自分の気持ちを明確にしないと負けてしまう」と参加しても、怒りといら立ちばかりが募ってしまうばかり。
自らも電動車イスの利用者で、福祉の仕事に長く携わっている鈴木絹江さん(京都府)は、交渉を終えて会議室を後にする官僚たちに「悪意のある回答は許さないよ」と言葉をぶつけた。復興公営住宅が何棟建設されても、心身に障害があっては帰れない事情もある。
「官僚の言葉は日本語に聞こえなかった。かみ合わないことしか言えないんだろうな、と思った」

「福島県知事の判断を尊重する」と3か月前の交渉と同じ言葉を繰り返す若手官僚たち。住宅支援の打ち切りは9カ月後に迫っている=参議院会館
【「支援法」成立から丸4年の日に】
原発事故は、金銭で換算できないものまで奪った。それは国や行政への信頼感であり、コミュニティであり、生き甲斐。会がA4判6枚にわたって綴った「打ち切りに反対する根拠」には、怒りや哀しみが凝縮されている。
「原発事故避難者の合計人数は、5年経過した今も分かりません。日本政府が『数えない』と決めているからです」
「原発事故避難者を定義しない日本政府は、原発事故によって困窮に陥った人や世帯数を数えることができません」
「これからも、低線量ではあっても、さらに被曝が追加されていく」
「公的機関による詳細な汚染調査は行われていません」
「何とか築き直した生活をもう一度奪われるようなことがあってはいけない、と考えます」
会が国との交渉を続けるのと並行して、別のグループが打ち切りの〝本丸〟である内堀雅雄福島県知事との直接交渉を模索する動きもある。7月8日にも避難者と福島県との話し合いが予定されているが、テーブルにつくのは担当部局の課長クラス。県知事も副知事も出席しない。バッサリ切り捨てようとしている内堀知事は、避難者と直接、面会しようともしない。逃げ回っていると思われても仕方ない。
この日は奇しくも4年前、超党派で提出された「子ども被災者支援法」が衆議院で可決成立した日だった。交渉の冒頭で、中手さんは「参院選前でお忙しいとは思うが、今日は『ようやく認められた』と原発事故被害者が涙した日です。だからあえて今日にさせていただきました」と話した。
朝から降り続いていた雨は、政府交渉が不完全燃焼に終わる頃にはやんでいた。永田町の空はきれいに晴れ渡っていたが、避難者の心は晴れない。住宅支援打ち切りまで9カ月。「多くの国民は、原発事故が遠い記憶になっている」(中手さん)。被曝リスクから逃れようと避難を続けている人々への誤解や偏見も少なくない。村田弘さん(神奈川県)は言う。「年末までには、何とか誤った決定を止めさせたい」。どうすれば現状を打開できるか。自主避難者たちの苦悩と闘いが続く。あなたの周囲にも、原発事故避難者がいる。汚染は現在進行形だからだ。
(了)
【「福島県知事の判断を尊重する」】
「災害救助法の実施主体は都道府県知事です。何度も申し上げておりますが、福島県知事の判断を我々も尊重します」
若手官僚と相対した避難者たちは一様にため息をつき、表情を曇らせ、思わず苦笑をし、そして天を仰いだ。国は、都合の良い時だけ主体性を発揮し、都合が悪くなると地方自治体に丸投げする。前回(3月9日)と同じ言葉を大人しく聞くために、避難者たちは仕事を休んで北海道や京都から永田町に駆け付けたのだろうか。内閣府の手島誠参事官補佐(防災・被災者行政担当)は「もしも福島県が方針を変更したら、尊重する」と語ったが、現時点で、福島県側に住宅の無償支援打ち切り方針を撤回する意思の無いことくらい百も承知だろう。しかも、国は避難者の生活実態や意向をロクに把握もしないで福島県の方針を追認しているのが実情。「福島県の方できちんと把握されていると考えている」、「アンケートは6割程度が返ってきていないということは聞いているが、ご意見がさまざまある中で、福島県が判断したのだろう」。手島参事官補佐の言葉に中手聖一さん(北海道)は声を荒げた。
「避難者の実態把握なんか出来ていないですよ。なぜアンケートに答えないか。信頼を失っているからですよ。またいじめられるんじゃないか、と警戒されているからですよ。国には、避難者の実態を把握した上で判断する責任があるんじゃないですか」
宍戸俊則さん(北海道)も行政の怠慢を訴えた。
「北海道でも避難者を対象にした戸別訪問が始まっているが、今まで避難の事など知らなかった人がやって来るので避難者は一から説明しなければならない。『え?そうだったんですか?』と言って帰っていく有様ですよ。福島県は避難者の実態把握なんか出来ていない。当事者がそう言っているのに、福島県庁の言葉を信じるのですか?」
とにかく打ち切りありき。理屈は後から付ける。復興庁の清水久子企画官は「いろんな場面でご意見を伺っているし、福島県もそうしているはずだ」と話すが、福島県が受け入れ自治体と始めた戸別訪問も、実際には現在入居している公営住宅からの退去通告にすぎなかったり、避難者からの質問にまともに答えられないなど、同行した弁護士が「あまりにも酷い」と呆れるほど。福島県は、戸別訪問の趣旨を「来年4月以降の住まいが決まっていない避難者の意向に、きめ細かく対応する」と掲げているが、都内では、戸別訪問後にショックで体調を崩してしまった避難者までいるという。
しかし、ロボットのような若手官僚たちは、そのような実情もお構いなしにこう語る。
「財政的な支援を交付金の形でさせていただきたい。国としては、まだ住まいが決まっていない人への相談・情報提供事業を後押ししていきたいと考えている」(清水企画官)

2回目の政府交渉に臨んだ「『避難の権利』を求める全国避難者の会」共同代表の中手聖一さん(右)。「避難者の実態も把握せずに住宅支援打ち切りを決めるな」と怒った
【土壌汚染測らず「戻れる状況」】
毎度毎度の事だが、避難者と若手官僚との交渉はそもそも、キャッチボール自体が成り立たない。「そういう事を尋ねているんじゃないんだ」。中手さんが何度も首を傾げた。会では事前に4項目の要望と8項目の質問を提示しているが、「日本政府は今回の原発事故に対し、自らの責任をどのように考えているか」という問いにも、経産省の回答は「事故の最大の教訓は安全神話にとらわれてはならないということでありまして…」と全くかみ合わない。
内閣府は「帰る帰らないは個々の判断だが、除染などで元いた場所へ戻れる状況になっている」と繰り返すが、中手さんは「帰れないよ。帰れるならとっくに帰っている。実際に帰っていない人がたくさんいるのだから、福島県知事の判断が間違っているということではないのか」と怒りを露わにした。「戻れる状況」と言っても、国は詳細な土壌測定をした結果を基に発言しているわけでは無い。空間線量が年20mSvを下回るか否かが基準だ。挙げ句には「何万ベクレルと言われましても、私の部署で判断する事ではございません」と〝縦割り行政〟に逃げ込む始末。これではまるで、政府の避難指示が出ていない地域から避難している人々が心配し過ぎであるかのようだ。
血の通わない〝官僚答弁〟に、鹿目久美さん(神奈川県)は「いつも堂々巡り」とマイクを握った。「ここでのやり取りを子どもに説明できますか?私は出来ません」。フルタイムで働いていては、頻繁にこのような場に参加することは出来ない。「子どもを守るための行動が、子どもとの時間を削ってしまう矛盾」は自分が良く分かっているし、悩み所でもある。そんな葛藤を振り払って「自分の気持ちを明確にしないと負けてしまう」と参加しても、怒りといら立ちばかりが募ってしまうばかり。
自らも電動車イスの利用者で、福祉の仕事に長く携わっている鈴木絹江さん(京都府)は、交渉を終えて会議室を後にする官僚たちに「悪意のある回答は許さないよ」と言葉をぶつけた。復興公営住宅が何棟建設されても、心身に障害があっては帰れない事情もある。
「官僚の言葉は日本語に聞こえなかった。かみ合わないことしか言えないんだろうな、と思った」

「福島県知事の判断を尊重する」と3か月前の交渉と同じ言葉を繰り返す若手官僚たち。住宅支援の打ち切りは9カ月後に迫っている=参議院会館
【「支援法」成立から丸4年の日に】
原発事故は、金銭で換算できないものまで奪った。それは国や行政への信頼感であり、コミュニティであり、生き甲斐。会がA4判6枚にわたって綴った「打ち切りに反対する根拠」には、怒りや哀しみが凝縮されている。
「原発事故避難者の合計人数は、5年経過した今も分かりません。日本政府が『数えない』と決めているからです」
「原発事故避難者を定義しない日本政府は、原発事故によって困窮に陥った人や世帯数を数えることができません」
「これからも、低線量ではあっても、さらに被曝が追加されていく」
「公的機関による詳細な汚染調査は行われていません」
「何とか築き直した生活をもう一度奪われるようなことがあってはいけない、と考えます」
会が国との交渉を続けるのと並行して、別のグループが打ち切りの〝本丸〟である内堀雅雄福島県知事との直接交渉を模索する動きもある。7月8日にも避難者と福島県との話し合いが予定されているが、テーブルにつくのは担当部局の課長クラス。県知事も副知事も出席しない。バッサリ切り捨てようとしている内堀知事は、避難者と直接、面会しようともしない。逃げ回っていると思われても仕方ない。
この日は奇しくも4年前、超党派で提出された「子ども被災者支援法」が衆議院で可決成立した日だった。交渉の冒頭で、中手さんは「参院選前でお忙しいとは思うが、今日は『ようやく認められた』と原発事故被害者が涙した日です。だからあえて今日にさせていただきました」と話した。
朝から降り続いていた雨は、政府交渉が不完全燃焼に終わる頃にはやんでいた。永田町の空はきれいに晴れ渡っていたが、避難者の心は晴れない。住宅支援打ち切りまで9カ月。「多くの国民は、原発事故が遠い記憶になっている」(中手さん)。被曝リスクから逃れようと避難を続けている人々への誤解や偏見も少なくない。村田弘さん(神奈川県)は言う。「年末までには、何とか誤った決定を止めさせたい」。どうすれば現状を打開できるか。自主避難者たちの苦悩と闘いが続く。あなたの周囲にも、原発事故避難者がいる。汚染は現在進行形だからだ。
(了)
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