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【72カ月目の福島はいま】無視され続けた「民意」。原発事故から6度目の3.11。国や行政が守り続けたものは何か~下げ続けた頭、流した涙、振り上げた拳

今日は6度目の「3.11」。しかし、原発事故被害者には記念日も節目も無い。この間、民意は無視され続け、原発事故の当事者である国や東電が常に主導権を握ってきた。そこに福島県も加わり、被害者を切り捨て、追い詰めてきた。今月末には帰還困難区域を除いた避難指示の解除や〝自主避難者〟向け住宅の無償提供打ち切りが控えている。年20mSvでも安全だと言われ、地域の反対にもかかわらず放射性廃棄物が燃やされる。とても語り尽くす事は出来ないが、これまで被害者が流してきた涙や振り上げてきた怒りの拳を伝えたい。明日も明後日も来月も、原発事故は続く。


【反対押し切り避難指示解除】
 故郷を奪われた人々がいる。「ふるさとを返せ」と闘い続けている。浪江町を飯舘村を追われ、住み慣れたわが家は帰還困難区域。「時期尚早」と反対意見が多かった今月末の避難指示解除の対象にすらならない。果たして自分が生きている間に自由に行き来が出来るようになるのかさえ分からない。
 避難指示解除。それは一見すると祝うべき事だ。しかし、浪江町の住民懇談会では反対意見が噴出した。国は言う。「生活環境は概ね整った」。しかし、除染を実施したとはいえ、土壌汚染は解消されない。そもそも「年20mSv」で安全だとされる事への怒りは消えない。アンケートで「すぐに町に帰る」と答えた町民が10%にすぎなかったのも無理は無い。馬場有(たもつ)町長は「これ以上、避難指示解除を延期したら町が消滅してしまう」と声を震わせたが、誰だって帰りたい。しかし、とても帰れる環境に無い。だから悩むし苦しむ。故郷を想わぬ人などいない。
 南相馬市の住民は、年20mSvを基準値として特定避難勧奨地点の指定を解除された事に対し解除は違法だと取り消しを求める行政訴訟を起こして争っている。当然の事だ。この国では今も、一般公衆の被曝限度量は年1mSvとされているからだ。しかし、国は「年20mSvを下回れば健康には問題ない。長期的に年1mSvを目指していく」との主張を曲げない。
 飯舘村に至っては、住民の意見すら聴かずに村と村議会が自ら国に避難指示解除を求めた。避難指示解除と同時に村内で学校を再開させると打ち出してPTAの猛反対に遭い、しかしわずかに1年延ばしただけ。菅野典雄村長はここに来て「村に戻る住民の支援に村政をシフト」すると口にし始めた。避難を継続する住民は村民にあらず、という事か。
 「一人一人の選択を尊重する」と言いながら、国も行政も、避難元に戻らない〝後ろ向き〟な住民を切り捨てて行く。避難指示が解除されれば、避難を継続する人々は〝自主避難者〟となる。そして、避難指示が出ていない区域に住んでいた事を理由にずっと〝自主避難者〟と呼ばれ続けた人々は、今月末で住まいを奪われる。








愛する浪江町・津島への望郷、わが子に強いられた被曝を怒り、帰還困難区域になってしまった飯舘村のわが家、住まいまで奪われようとしている〝自主避難者〟への仕打ち…。原発事故被害者たちは哀しみと怒りの涙を流し続ける

【捨てられる〝自主避難者〟】
 6年間ではっきりしたのは、この国には「避難の権利」は存在しないという事だ。原発事故が起き、大量の放射性物質がばら撒かれた。わが子や自分への健康被害を防ごうと、少しでも線源から遠ざかろうと動くのは当然の事だ。しかし、「避難を要する区域」は〝加害者〟である国や東電が一方的に決め、避難指示区域外の自宅から避難した人々を〝自主避難者〟と呼んだ。「本来なら被曝リスクは無いのに勝手に心配して逃げた」との印象を与え、賠償金も避難指示が出された区域の住民と大きく差をつけた。
 唯一、続けられてきた住宅の無償提供も、今月末で打ち切られる。そもそも2012年12月28日までに申し込んだ〝自主避難者〟だけが対象だったので、住まいの無償提供すら受けられなかった〝自主避難者〟も多い。そもそも〝自主避難者〟の正確な人数すら国も福島県も把握していない。打ち切りで、数字上は「ただの県外移住者」とみなされてしまう。汚染は福島だけにとどまらず、福島県外から避難した人も当然、いる。しかし、彼らはもっと「心配性」と白眼視されてきた。
 打ち切りを決めた福島県の内堀雅雄知事は、避難者から何度も求められた面会要求を拒み続け、「除染などで応急救護が必要な状態ではなくなった」と打ち切りを強行する構え。避難したくても出来ずに福島で暮らし続ける人々の複雑な感情まで利用し、「多くの人が普通に暮らしている」と県庁職員は言い放つ。4月からは避難先の公営住宅に入居するか、福島県の家賃補助を受けながら民間賃貸住宅で暮らすしかない。しかも家賃補助は2年間の期間限定で、収入要件のハードルがある。全員が等しく受けられるわけでは無い。下げたくない頭を下げながら、避難者たちは住宅の無償提供延長を求めて来たが、決定を覆す事は出来なかった。
 「3.11」が近づくと、毎年のように大手メディアでは震災特集が組まれる。しかし、今年は「3.31」も大きな意味を持つ日となる。避難指示解除と〝自主避難者〟向け住宅の無償提供打ち切り。では、避難せず福島にとどまった人々は安穏と暮らして来られたのだろうか。








下げたくない頭を下げ、拳を何度も振り上げても「原発事故からの復興」の前に民の声はかき消される。それは避難してもしなくても同じだ

【かき消される住民の声】
 今月2日に開かれた伊達市議会。一般質問に立った中村正明市議は、今回も「Cエリアの面的除染」に着手しない仁志田昇司市長の姿勢を質した。伊達市は除染を実施するにあたり汚染度に応じて市内をA、B、Cの3つのエリアに分けた。Cエリアは最も汚染が低かったとされる。しかし、2014年の市長選挙でも「伊達市長3期目に向けたマニフェスト」の中で「市民目線に立ち、安心のため、Cエリアのフォローアップ除染を実施します」、「安心には科学データに加え『心の納得』が必要です。そこでCエリアでは新たに全戸調査を実施。要望を伺い、市民目線に立って、納得のいく除染=フォローアップ除染を実施します」6つの柱の第一に据えた。にもかかわらず、実際に除染を行ったのは地表真上で3μSv/hを上回った住宅だけ。Cエリアに暮らす住民からは再三にわたって除染の実施を求められているが、仁志田市長は「市民がやれと言うものをすべてやるのが行政では無い」と拒み続けている。
 この日の議会でも、仁志田市長は「市民の要望、気持ちは十分に受け止めている」、「今は窓を開けても屋外で遊んでも大丈夫」、「最も権威ある専門家に従った」と従来通りの答弁を繰り返すばかり。挙げ句には「私は私なりに市民に忠実にやっている」、「放射線防護の方法は除染だけじゃない」、「中村さんの言っている事が市民の意見を代表しているとは思えない」などと言い出す始末。選挙で勝てば官軍。聴く耳を持たないのは飯舘村の菅野村長と同じだ。
 二本松市では東和の森に浮上した除染廃棄物の減容化を目的とした仮設焼却炉建設計画に対し、住民から反対運動が起こった。生活環境に黒いフレコンバッグが山積みされているのは確かに異様な光景だ。しかし、果たして焼却して周辺住民に危険性が無いのだろうか。バグフィルターでは十分に取り除けないとの指摘もある。住民説明会でもリスクを危惧する声があがったが、新野洋市長は「苦渋の決断」で環境省の計画を容認した。二本松市は、2016年10月の広報紙で「東和地域の皆さんのご理解をいただき、建設予定地を決定しました」、「この事業の持つ高い『重要性』『 公益性』 『安全性』を考慮し、大局的に判断させていただきました」と書いているが、地元住民は「ご理解」などしていない。ここでも民意は無視された。
 「地産地消」の掛け声の下、学校給食に早々と地元産の米が使われた。ひとたび原発事故が起きれば、民の声などかき消される。自治体の存続、地元経済の都合が最優先される。それを最も端的に表しているのが、双葉町長だった井戸川克隆氏に佐藤雄平知事(当時)が原発事故直後に語った言葉だ。
 「俺はな、県民を外に出したくないんだよ。町長は分かっぺ?」



(了)
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鈴木博喜

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