【福島原発かながわ訴訟】「誰だって帰りたい」。原告団長が流す涙もどこ吹く風、傍聴席も呆れる国・東電の言い分。「津波予見不可能」「被曝リスク低い」
- 2017/03/24
- 07:56
「福島原発かながわ訴訟」の第20回口頭弁論が23日午後、横浜地裁101号法廷(中平健裁判長)で開かれ、裁判長の交代に伴いこれまでの主張を整理する「更新弁論」が行われた。しかし、原告団長の村田弘さんが涙ながらに訴えても被告・国も東電もどこ吹く風。代理人弁護士が涼しい表情で持論を展開し、津波の予見可能性も健康リスクも避難の合理性も無いと主張した。次回期日は4月25日10時半。現役官僚・名倉繁樹氏(旧原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課審査官)に対する証人尋問が行われる。
【被曝は「日常に受ける程度」】
傍聴席が何度もざわついた。これが〝加害者〟の態度か。被告の国も東電も開き直り、「津波は予見出来なかった」、「規制権限は無かった」、「十分に賠償している」、「健康影響の危険性がある事が科学的に確認されていない」、「避難の相当性は無い」などと明確に主張した。福島第一原発が爆発などせず、大量の放射性物質もばら撒かれなければ原告たちは遠く離れた神奈川県に避難する必要など無かった。しかし、被告側は責任論も損害論も全て否定して争う姿勢を見せた。
国の代理人弁護士は、A4判で80ページにも及ぶ資料を用意してこれまでの主張を説明した。経済産業大臣の規制権限は無い事、津波の予見可能性も無く、避難の相当性も認められない事を時間をかけて読み上げた。特に時間を費やしたのが「津波の予見可能性」に関する部分で、2002年に国の「地震調査研究推進本部」がまとめた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」(いわゆる「長期評価」)は津波の高さを予測したものでは無く、三陸沖と福島沖とでは領域なども異なり、長期評価部会長だった島崎邦彦氏が他の原発訴訟で行った指摘も「誤っている」と否定。他の知見を使っても2011年3月の大津波を予見する事は出来なかったと主張した。
被曝リスクや避難指示が出されていない区域からの避難の合理性については最後に付け加えた程度。「今さら強く主張するまでも無い」という事か。改めて「年20mSvの被曝による健康へのリスクは、喫煙や肥満、野菜不足などの生活習慣に伴う発ガンリスクより低い」、「避難の相当性は認められない」と述べた。
この日、国側が提出した準備書面(15)ではさらに表現はきつく、「日常生活上も受けるような被曝については、金銭賠償を伴うような場面とは言えない」、「自主的避難等対象区域の住民のほとんどは、避難する事無く当該区域に滞在し続けた。避難の勧奨もされていなかった」、「(避難指示区域からの)避難者の受ける精神的苦痛は、交通事故のため入通院を余儀なくされた被害者に比しても相当に小さいはず」などと言い放っている。残念ながら、これが「国」なのだ。


更新弁論で国の代理人弁護士が用意した資料。電源喪失に至るような津波の予見は「不可能だった」と主張し、被曝リスクについても「100mSv以下では他の要因に隠れてしまうほど発ガンリスクは小さい」、「避難の相当性は無い」などと争う姿勢を見せた
【「癒えぬ傷口に塩塗るな」】
原告を代表して改めて意見陳述したのは、原告団長の村田弘さん(74)=福島県南相馬市から神奈川県横浜市に避難中=。東京では、21日に桜の〝開花宣言〟が気象庁から発表された。原発事故前は村田さんも「田んぼや畑の手入れをしながらフキノトウはまだか、ツクシはまだか、花見の手配もしなくては、と心浮き立つ季節だった」という。「しかし、花を見上げる余裕はありません」。
原発事故で失い、奪われたものの大きさに加え、住宅無償提供があと1週間で打ち切られる。避難でバラバラになってしまった友人から届く訃報。「んだかぁ(そうか)」と流す涙。「(避難元の)家がボロボロになっちまった。なじょすっぺ(どうしようか)、と言われて言葉に詰まります。冷酷に過ぎて行く時間と非情な政策の谷間で被害者は苦しんでいます」。法廷の真ん中に立つ村田さんはこらえきれず涙を流した。原告席に戻っても震える手でハンカチを握り、涙を拭っていた。
「誰だって帰りたい。1日でも早く。かけがえのない故郷です。しかし、それが出来ない現実があります」
年20mSvを基準に解除される避難指示。土壌汚染は無視。除染廃棄物の詰め込まれたフレコンバッグの山。取り出しの見通しさえ立たない原発内の燃料デブリ。「そこへ帰って、個人線量計で被曝状況を見ながら土を耕し、野菜をつくり、24時間暮らせと言うのです」。帰還を促そうと、今月末には避難指示の出ていない区域からの〝自主避難者〟に対する住宅無償提供が打ち切られる。福島県の内堀雅雄知事は〝復興〟イベントで笑顔を振りまく裏で、当事者の話を聴く事無く切り捨てて行く。「6年もの苦しみの後に、なぜいま、癒えない傷口に塩をすり込むような新たな仕打ちを受けなければならないのか。このような理不尽な事がなぜ、まかり通るのでしょうか。それは政府や東電の責任があいまいにされ、政府も東電も事故に正直に向き合わないからです」。
村田さんは「何日かかっても原発事故の被害は語り尽くせない」と力を込めた。しかし、そんな訴えなど意に介さない東電の代理人弁護士は、涼しい表情でこう言い放った。
「年100mSv以下で危険という科学的証明は無い。年20mSv被曝すると仮定しても、喫煙(1000~2000mSvの被曝と同等)や肥満(200~500mSvと同等)よりも低いレベルとされている」
「中間指針に基づいて十分に賠償している。他の裁判でも既に支払った賠償額を超えた損害を認めない判例が複数存在する」
「原告らの請求には理由が無い」


(上)原告団長として、この訴訟にかける想いを改めて語った村田弘さん。「誰だって1日も早く帰りたい。しかし、それが出来ない」と涙ながらに訴えた
(下)この日の一般傍聴席は68席。97人の支援者が横浜地裁に集まり、原告を見守った
【次回は官僚の証人尋問】
原告側の弁護団は、法廷内のモニターも利用してこれまでの主張を総括。汚染の現状や賠償の不十分さ、低線量被曝の健康リスクと〝自主避難者〟たちの避難の合理性、津波の予見可能性や事故回避可能性について4人の弁護士が述べた。
低線量被曝について担当している小賀坂徹弁護士は「損害賠償請求という枠組みの中で、本件の被害を金銭に置き換えて回復を図る事に困難が伴う事は否めない。(今月17日の)前橋地裁の判決は、一面でその難しさを物語っている」としたうえで「しかし、原告らが被った精神的損害、経済的損害を正当に評価する事は十分に可能。何の落ち度も無い原告らが被った被害の実相と正面から向き合い、原告らに希望と光を与える判断を改めて求める」と主張した。更新弁論は休憩をはさみ、2時間を超えた。中平裁判長も被告の主張に同意しかねるのか、傍聴者がざわついたり拍手をしたりしても、軽く注意するにとどまった。
次回期日は4月25日。現役官僚である名倉繁樹氏(旧原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課審査官)に対する証人尋問が一日がかりで行われる。弁護団によると、福島第一原発事故に対する訴訟で現役官僚の証人尋問が実現するのは初めてという。藤沖彩弁護士は「福島第一原発を担当していた元審査官の証人尋問では、被告らの対応が原子力事業・原子力行政に携わるものの対応としていかに無責任なものであるかを明らかにしたい」と語る。
準備書面で国は言う。
「健康被害のリスクが他の要因による影響に隠れてしまうほど小さいと考えられる事象に対する不安感が生じたとしても、それは科学的根拠を欠く極めて主観的なものと言うべきであり、直ちに賠償の対象とされるべきようなものではないと言うべきである」
一方で、こんな放言を許しているのは私たち国民だ。他人事では無い。次はあなたがこう言い放たれる番かも知れない。
(了)
【被曝は「日常に受ける程度」】
傍聴席が何度もざわついた。これが〝加害者〟の態度か。被告の国も東電も開き直り、「津波は予見出来なかった」、「規制権限は無かった」、「十分に賠償している」、「健康影響の危険性がある事が科学的に確認されていない」、「避難の相当性は無い」などと明確に主張した。福島第一原発が爆発などせず、大量の放射性物質もばら撒かれなければ原告たちは遠く離れた神奈川県に避難する必要など無かった。しかし、被告側は責任論も損害論も全て否定して争う姿勢を見せた。
国の代理人弁護士は、A4判で80ページにも及ぶ資料を用意してこれまでの主張を説明した。経済産業大臣の規制権限は無い事、津波の予見可能性も無く、避難の相当性も認められない事を時間をかけて読み上げた。特に時間を費やしたのが「津波の予見可能性」に関する部分で、2002年に国の「地震調査研究推進本部」がまとめた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」(いわゆる「長期評価」)は津波の高さを予測したものでは無く、三陸沖と福島沖とでは領域なども異なり、長期評価部会長だった島崎邦彦氏が他の原発訴訟で行った指摘も「誤っている」と否定。他の知見を使っても2011年3月の大津波を予見する事は出来なかったと主張した。
被曝リスクや避難指示が出されていない区域からの避難の合理性については最後に付け加えた程度。「今さら強く主張するまでも無い」という事か。改めて「年20mSvの被曝による健康へのリスクは、喫煙や肥満、野菜不足などの生活習慣に伴う発ガンリスクより低い」、「避難の相当性は認められない」と述べた。
この日、国側が提出した準備書面(15)ではさらに表現はきつく、「日常生活上も受けるような被曝については、金銭賠償を伴うような場面とは言えない」、「自主的避難等対象区域の住民のほとんどは、避難する事無く当該区域に滞在し続けた。避難の勧奨もされていなかった」、「(避難指示区域からの)避難者の受ける精神的苦痛は、交通事故のため入通院を余儀なくされた被害者に比しても相当に小さいはず」などと言い放っている。残念ながら、これが「国」なのだ。


更新弁論で国の代理人弁護士が用意した資料。電源喪失に至るような津波の予見は「不可能だった」と主張し、被曝リスクについても「100mSv以下では他の要因に隠れてしまうほど発ガンリスクは小さい」、「避難の相当性は無い」などと争う姿勢を見せた
【「癒えぬ傷口に塩塗るな」】
原告を代表して改めて意見陳述したのは、原告団長の村田弘さん(74)=福島県南相馬市から神奈川県横浜市に避難中=。東京では、21日に桜の〝開花宣言〟が気象庁から発表された。原発事故前は村田さんも「田んぼや畑の手入れをしながらフキノトウはまだか、ツクシはまだか、花見の手配もしなくては、と心浮き立つ季節だった」という。「しかし、花を見上げる余裕はありません」。
原発事故で失い、奪われたものの大きさに加え、住宅無償提供があと1週間で打ち切られる。避難でバラバラになってしまった友人から届く訃報。「んだかぁ(そうか)」と流す涙。「(避難元の)家がボロボロになっちまった。なじょすっぺ(どうしようか)、と言われて言葉に詰まります。冷酷に過ぎて行く時間と非情な政策の谷間で被害者は苦しんでいます」。法廷の真ん中に立つ村田さんはこらえきれず涙を流した。原告席に戻っても震える手でハンカチを握り、涙を拭っていた。
「誰だって帰りたい。1日でも早く。かけがえのない故郷です。しかし、それが出来ない現実があります」
年20mSvを基準に解除される避難指示。土壌汚染は無視。除染廃棄物の詰め込まれたフレコンバッグの山。取り出しの見通しさえ立たない原発内の燃料デブリ。「そこへ帰って、個人線量計で被曝状況を見ながら土を耕し、野菜をつくり、24時間暮らせと言うのです」。帰還を促そうと、今月末には避難指示の出ていない区域からの〝自主避難者〟に対する住宅無償提供が打ち切られる。福島県の内堀雅雄知事は〝復興〟イベントで笑顔を振りまく裏で、当事者の話を聴く事無く切り捨てて行く。「6年もの苦しみの後に、なぜいま、癒えない傷口に塩をすり込むような新たな仕打ちを受けなければならないのか。このような理不尽な事がなぜ、まかり通るのでしょうか。それは政府や東電の責任があいまいにされ、政府も東電も事故に正直に向き合わないからです」。
村田さんは「何日かかっても原発事故の被害は語り尽くせない」と力を込めた。しかし、そんな訴えなど意に介さない東電の代理人弁護士は、涼しい表情でこう言い放った。
「年100mSv以下で危険という科学的証明は無い。年20mSv被曝すると仮定しても、喫煙(1000~2000mSvの被曝と同等)や肥満(200~500mSvと同等)よりも低いレベルとされている」
「中間指針に基づいて十分に賠償している。他の裁判でも既に支払った賠償額を超えた損害を認めない判例が複数存在する」
「原告らの請求には理由が無い」


(上)原告団長として、この訴訟にかける想いを改めて語った村田弘さん。「誰だって1日も早く帰りたい。しかし、それが出来ない」と涙ながらに訴えた
(下)この日の一般傍聴席は68席。97人の支援者が横浜地裁に集まり、原告を見守った
【次回は官僚の証人尋問】
原告側の弁護団は、法廷内のモニターも利用してこれまでの主張を総括。汚染の現状や賠償の不十分さ、低線量被曝の健康リスクと〝自主避難者〟たちの避難の合理性、津波の予見可能性や事故回避可能性について4人の弁護士が述べた。
低線量被曝について担当している小賀坂徹弁護士は「損害賠償請求という枠組みの中で、本件の被害を金銭に置き換えて回復を図る事に困難が伴う事は否めない。(今月17日の)前橋地裁の判決は、一面でその難しさを物語っている」としたうえで「しかし、原告らが被った精神的損害、経済的損害を正当に評価する事は十分に可能。何の落ち度も無い原告らが被った被害の実相と正面から向き合い、原告らに希望と光を与える判断を改めて求める」と主張した。更新弁論は休憩をはさみ、2時間を超えた。中平裁判長も被告の主張に同意しかねるのか、傍聴者がざわついたり拍手をしたりしても、軽く注意するにとどまった。
次回期日は4月25日。現役官僚である名倉繁樹氏(旧原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課審査官)に対する証人尋問が一日がかりで行われる。弁護団によると、福島第一原発事故に対する訴訟で現役官僚の証人尋問が実現するのは初めてという。藤沖彩弁護士は「福島第一原発を担当していた元審査官の証人尋問では、被告らの対応が原子力事業・原子力行政に携わるものの対応としていかに無責任なものであるかを明らかにしたい」と語る。
準備書面で国は言う。
「健康被害のリスクが他の要因による影響に隠れてしまうほど小さいと考えられる事象に対する不安感が生じたとしても、それは科学的根拠を欠く極めて主観的なものと言うべきであり、直ちに賠償の対象とされるべきようなものではないと言うべきである」
一方で、こんな放言を許しているのは私たち国民だ。他人事では無い。次はあなたがこう言い放たれる番かも知れない。
(了)
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