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【73カ月目の浪江町はいま】「復興の第一歩」? 常磐線・浪江~小高が6年ぶり開通。華やかな式典に覆われる被曝リスク。車掌「不安ないと言えば嘘だが」

東日本大震災と原発事故で区間運休が続いているJR常磐線のうち、浪江(福島県浪江町)~小高(福島県南相馬市)間の運行が1日、6年ぶりに再開された。仙台駅と浪江駅が鉄道でつながり、3月31日で帰還困難区域を除く避難指示が解除された浪江町の馬場有(たもつ)町長は「再開出来るとは思わなかった」と喜びを口にしたが、華やかな記念式典の陰で被曝リスクは脇に置かれたまま。反対する声は力づくで排除され、汚染も被曝リスクも残ったまま運行が再開された。


【祝賀ムードと力での排除】
 6年ぶりの常磐線開通を祝う式典が終わり、浪江駅から出てきた高木陽介・原子力災害現地対策本部長(衆院議員、公明党、経済産業副大臣)に「希望の牧場・ふくしま」代表の吉沢正巳さん(63)=浪江町立野春卯野=が近づく。送迎のワゴン車に乗り込もうとする高木本部長に、面識のある吉沢さんが「読んでください」と「BECO新聞」を手渡そうとすると、高木本部長は受け取らずに吉沢さんと腕を組むようにして笑顔でこう言った。
 「ここに(住んで)居て『被曝させるな』と言うのはおかしいでしょ」
 それだけ言うと、車に乗り込んだ。なおも「BECO新聞」を手渡そうとする吉沢さんを「JR東日本水戸支社」の腕章をつけた大柄な男たちが羽交い絞めにして阻止する。「逃げんじゃねえよ、ちゃんと読めよ」。吉沢さんが怒鳴る。腕章の男性は「警察?いえいえJRの人間ですよ。ここは私どもの敷地内ですから『出てください』とお願いしていたんです。羽交い絞めになんかしていませんよ」と涼しい表情で答えた。車が去った後も、吉沢さんはJR東日本の社員や取材者などに新聞を配った。地元紙の記者は受け取らなかった。結局、吉沢さんが力づくで押さえられたのは高木本部長が車に乗り込む時だけだった。
 式典の最中も、JR東日本水戸支社の労働組合「国鉄水戸動力車労働組合」(動労水戸)などが「常磐線全線開通絶対反対」、「被曝と帰還の強制許さない」と大音量で訴えた。そのため、駅前ロータリーで開催されるはずだった記念式典は急きょ、駅構内に場所を変更。地元選出の吉田栄光県議(自民党)は、思わず「表では私と違ったご意見を主張されておられる方々もいらっしゃる。今日はマスコミの方々も大勢いらっしゃっているので、浪江町が前に進んでいる事を国内外に大きく報じていただきたい」と挨拶を締めくくった。
 JR東日本の深澤祐二代表取締役副社長が「この秋には竜田~富岡間が開通する。安全に乗れるよう常磐線をつないで行きたい」と語り、福島県の鈴木正晃副知事も「浪江町内のにぎわいを取り戻す大きな契機となる」と述べるなど祝賀ムード一色の式典だったが、それは駅構内だけの事だった。






(上)「JR東日本水戸支社の者」を名乗る人物に力づくで押さえられる吉沢正巳さん。式典が終わった浪江駅前で「もう元の浪江町には戻らない」などとマイクを握った
(中)原子力災害現地対策本部長として式典に出席した高木陽介衆院議員は「ここに住んでいて『被曝させるな』と言うのはおかしいでしょ」とだけ吉沢さんに告げて車に乗り込んだ
(下)記念撮影する馬場有町長(右から4番目)ら。馬場町長は式典で「常磐線の利用促進に努める」などと誓った

【「何が『復興』だ」】
 牛を1頭連れて浪江駅前に駆け付けた吉沢さんは、閑散としたロータリーの一角で激しい口調で訴えた。
 「何が『復興』だ。どんなに除染をしても元の町は戻らない。いずれ町は崩れて行く。さら地の浪江町に何の意味があるんだ」
 前日に避難指示が解除され、鉄道が再開されたばかりの街とは思えないほど静かな駅前。客待ちのタクシーも路線バスも無い。子どもの歓声も聞こえない。冷たい雨が降り出す中、吉沢さんの大きな声だけが遠くにまで響いている。
 「さようなら浪江町、さようなら故郷。東電のせいで僕たちの浪江町は終わっています。町民も『さようなら浪江』を受忍しよう」
 きつい表現に対する反発は承知の上。「本質的な話を僕はしてるんだ。あいまいな言葉を使いたくない。未来を奪われた事がどんなにしんどいか。原発事故は過去の話じゃ無いんだよ。未来の話なんだ」。
 式典で高木本部長は「(鉄道再開は)浜通りの復興に向けた大きな一歩となる」と胸を張った。筆者も午前9時52分原ノ町発(10時12分浪江着)の当該列車に乗ってみたが、二両編成の車内は関係者も含めて20人強。途中、小高駅で乗客は増えたが、ほとんどがJR東日本水戸支社の関係者。高木本部長の言う「復興」には、まだまだほど遠いのが現実だ。
 しかも、浪江駅から車で5分ほど離れた「丈六公園」は、依然として放射線量が1μSv/hを上回る。環境省のある担当者は「30μSv/hもあった事を考えればかなり放射線量は下がったが、それでもかなり高い。丈六公園は今後も注視していかなければならないスポットの一つ」と話すほどだ。他にも線路の西側は放射線量が下がっていないのは町民が認めるところ。だからこそ、実態とかけ離れた「復興アピール」に対する吉沢さんの怒りは増す。
 「俺は被曝を覚悟して、6年間避難せずに314頭の牛と共に住んでいる。牛飼いは牛を見捨てたりはしない。原発なんかもうたくさんだ。何で日本は脱原発が出来ないんだ」






(上)小高駅から常磐線に乗った浪江町民は、浪江駅が近づくと窓の外を撮影しようとスマホを構えた。「知人が『おかえりなさい』と書かれたメッセージを掲げるんですよ」
(中)原ノ町駅に停車する浪江行きの常磐線。男性車掌は「被曝の不安が無いと言えば嘘になりますが…」と言葉少なに語った
(下)浪江駅前には開通をアピールするのぼりも立てられた。だが、まだまだ「復興」にはほど遠いのが現実だ

【沿線で「おかえりなさい」も】
 もちろん、この日を待ちわびていた町民もいる。小高駅から常磐線に乗った女性は、桃内駅を過ぎて浪江駅が近づいて来ると窓の外に向かってスマホを構えた。「知人が『おかえりなさい』と書かれたメッセージを掲げるので撮影したいんですよ」と笑顔。メッセージを掲げる5人を見つけると、歓声をあげながらスマホを向けた。「あんまり放射線の事は言われたくないかな。頑張って行きたいですしね」。
 「ご乗車ありがとうございます。浪江行きです」。男性車掌も6年ぶりに車内に流れる自身のアナウンスに感慨深げだった。「原発事故後、初めての車内アナウンスですからね」。一方でこんな本音も。「放射線ですか?社内でも心配している人がいるという話は聴きますね。僕も全く気にならないと言ったら嘘になりますが…」。
 原ノ町駅から乗り、隣駅の磐城太田で下りたおばあさんは「これで車で送ってもらわなくても1人で移動できる」と喜んだ。生活の足でもある常磐線の再開が一定の役割を果たす事は、吉沢さんも理解している。「避難指示を解除しなければ荒れ放題になってしまうし、鉄道も必要だろう。町に帰りたい人は帰れば良い。でも、それで避難者が邪魔者扱いされるのはおかしい」。
 記念式典には、東電福島復興本社の石崎芳行代表も顔を出した。原発の爆発事故から6年。汚染された自宅に固定資産税を課せられてはかなわないと、町内では家屋解体が進む。現時点で「すぐに町に戻る」と意思表示をしている町民は約1割。国と町民との間で板挟みになった馬場町長は疲弊しきった表情だ。「年20mSvを下回ったから大丈夫」の大合唱で、汚染も被曝リスクも無かった事にされていく。進むのは公共工事ばかり。これもまた、原発事故の現実だ。他人事では無い。



(了)
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鈴木博喜

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