【73カ月目の浪江町はいま】町議会議員選挙が告示、避難指示の部分解除後初。「必ず投票する」「町に住んでないから…」。交錯する町民の期待とあきらめ。
- 2017/04/14
- 06:36
原発事故に伴う避難指示の部分解除後初の浪江町議会議員選挙(定数16)が13日告示され、現職12、元職1、新人4の計17人が立候補を届け出た。先月末に帰還困難区域以外の避難指示が解除されたものの、多くの町民は依然として避難先にとどまり、3割は福島県外。投票率が50%を割り込むとの指摘もある。原発事故に故郷を奪われた町民は選挙に何を想うのか。応急仮設住宅などで話を聴いた。町議会への期待とあきらめが複雑に交錯する中、避難指示解除では無視された町民の「民意」はどこへ向かうのか。投票は今月23日。即日開票される。
【原発事故で一変した選挙戦】
「今日は全10カ所の掲示板にポスターを貼るので精一杯ですよ。中通りを巡って、最後に町内の2カ所の掲示板に貼ったらおしまい。町に行って帰って来るだけでも半日がかりですから」
帰還困難区域から福島県中通りに避難中の60代元職は、浪江町役場二本松事務所で自ら立候補の届け出を終えると、さっそく駐車場内に設置された掲示板に最初のポスターを貼った。ポスターには、国や東電に原状回復と完全賠償を求める訴訟と同じ「ふるさとを返せ」という言葉を掲げた。自身も原告の1人。口頭弁論のたびに、郡山駅前でマイクを握り、道行く人々に想いを伝えている。
「原告の皆さんの想いが行政に伝わっていません。それに、言いっ放しではなく自分の言動に責任を持つ意味からも立候補を決めました。原告たちの姿を見て欲しいですよ。皆すがる想いでやっているんだから」
(帰還困難区域以外の)3月末での避難指示解除は時期尚早だと議会で反対してきた50代現職は「今の町議会はチェック機能が働いていません」と険しい表情で語った。「避難指示解除が強行されてしまった以上、もう反対は出来ません。であれば、町に戻りたい人が少しでも帰れるようにしなきゃしょうがねえべ」と話して車に乗り込んだ。唯一の30代町議だった現職は「議員だけじゃ食べて行かれない」と、作業員として福島第一原発の廃炉作業に携わっている。「まだ放射線量も下がっておらず、帰町宣言も出来ない中での避難指示解除は早かったですね。これからも放射線対策について是々非々で物を言って行きたい」と最後に立候補を届け出た。今回は30代の女性も立候補している。
原発事故で選挙戦も一変した。浪江町以外で選挙ポスターの掲示版が設置されているのは、町役場二本松事務所の他に中通りにある応急仮設住宅だけ(福島市3、二本松市2、桑折町1、本宮市1)。福島県外で暮らす町民には選挙公報が郵送されるものの、候補者の話を面と向かって聴く事は出来ない。前回2013年の町議選は投票率が53.81%と2009年の78.17%と比べて大幅に下がったが、今回はさらに下がるのではないかとの見方もある。



(上)福島市内の応急仮設住宅に設置された選挙ポスター掲示板を見る浪江町民たち。町民の3割が福島県外に避難していることもあり、今回も投票率が下がると予想されている
(中)くじ引きを終え、届け出の手続きを待つ候補者や代理人。定数を1人だけ上回った
(下)避難指示解除の是非を話し合う浪江町議会。今年3月末での部分解除を「時期尚早」と明確に反対した町議は3人ほどだった=2017年2月
【「議員は16人も要らない」】
「昔はあんな議会じゃ無かったのになあ」
二本松市内に避難中の60代男性は、避難指示解除を巡る議会の姿勢に不満をあらわにした。馬場有(たもつ)町長は最終的に国の示した3月末での部分解除を容認したが、明確に反対意見を議場で述べた議員は3人ほどだった。多くが国の方針になびき、だんまりを決め込んだ。反対意見を述べる町議に露骨に野次を飛ばす場面すらあった。馬場町長が解除受け入れを表明した2月27日の町議会では、傍聴していた町民が怒って扉を激しく閉める音が響いた。「今の浪江町に16人も議員は要らないよ。半分で良いな。。なぜ、あんなに避難指示解除を急いだのか。何のための議会なんだ」。男性の怒りは募るばかりだ。
住民懇談会では、声をあげても国の役人に潰された。誰が町議になろうとも国の意向には逆らえない─。そんなあきらめも広がる。福島市内の復興公営住宅に移り住んだ60代女性は「多くの町民が避難指示解除には反対だったのよ。私の家は丈六公園の近くにあったけれど、いまだに空間線量が高いもの。どうせ、安倍首相は東京五輪で世界に向けて〝復興〟をアピールするんでしょ?テレビは良い事しか伝えないし、都会の人たちは本当の現状なんか分かっていないものね。避難指示解除がまだ早いと明確に反対してくれた人には議会で頑張って欲しいけれど、お金かけて選挙をやらなくても良いのにな、とも思ってしまうわね。1人取りやめたら無投票なんだから」と複雑な胸中を語った。
「空室」の表示が目立つようになった応急仮設住宅。二本松市内の仮設住宅で暮らす60代男性も、新居が南相馬市内に完成したら退去する予定だ。「次の正月は新しい家で迎える事になりそうだ。ここもずいぶん人が減ってね、うちの棟ではうちの家族だけになっちゃったよ」と話す。自宅のあった大堀行政区は帰還困難区域が近い事もあり「14軒ある隣組は誰も帰らない。うちも除染してもらったけど裏山もあってなかなか放射線量が下がらないから戻らない事にしたよ。うちだけポツンと戻ったって寂しいし不安だからね」。自宅は既に取り壊した。「選挙?そうだなあ、ある候補の家族が頭を下げに来たからその人に入れようかな。行政区も近いしね。一応、投票には行くけどね…」と苦笑した。
「やっぱり町に住んでないからかなあ。選挙と言われてもピンと来ないわね」。郡山市内に自宅を新築中の女性は話した。浪江町議会は果たして、住民の信託に応えて来たのだろうか。ある現職候補は「議員定数削減の議論は避けられないだろう」と語る。



(上)浪江駅前にも、避難指示の部分解除に合わせて「復興」「再生」の文字が掲げられている。
(中)町役場周辺は、依然として人も車も少ない。選挙ポスターの掲示版も町外の方が多く設置されている
(下)空室が増えている応急仮設住宅。候補者が〝公約〟を有権者に伝えるのも難しいのが実情だ
【「町議会あっての町です」】
福島県外で暮らす町民は投票用紙を郵送で取り寄せ、避難先自治体の選挙管理委員会に持参して投票しなければならない。避難先自治体の選管はゆうパックで浪江町の選管に届けるため「遅くても21日までには投票を済ませて欲しい。投開票日の翌日に届いてしまっては当然、無効票になってしまいます」と町選管の職員は話す。
都内で妻と避難生活を送る70代男性は「選挙公報が届いたらじっくり読む。選挙の時だけでなく、普段から町民に寄り添ってくれる人に投じたい」と話す。六畳一間に妻と2人。田尻行政区の自宅は除染が完了したと環境省から連絡があったが、添付された写真を見てがっかりしたという。「枯山水を模した庭も全部持って行かれた。家がポツンとあるだけ。しかも室内の線量は高い」。今の住まいには来年3月末まで入居出来るが、それまでに新たな住まいを見つけなければならない。「3月11日の『東日本大震災六周年追悼式』で、安倍首相は原発事故の事を口にしなかった。こんなにも冷たいのかとテレビに向かって怒鳴り付けたよ。それに何だ、今村復興大臣のあの言葉。自己責任だの自主判断だの帰れ帰れだの。〝自主避難者〟だけでなく俺達に向かって言っているように聞こえたよ」。
住み慣れた町を追われ、町民にはあきらめも広がっている。一方で、遠く離れたからこそ4年に一度の選挙に強い想いを寄せる町民もいる。立候補の届け出会場では多くの候補者が「福島県外に避難した人は投票なんか行かないよ」、「電話をかけても反応はさっぱり」と口にしたが、帰還困難区域から関西に避難した60代女性はこんな想いを抱いている事も分かって欲しい。
「私は浪江町民ですから、自分の町の議会にとても期待しています。棄てられてしまった町が懸命に生き残ってきたわけですから、議会あっての町です。応急仮設住宅に居た頃、議会傍聴が楽しみでもありました。避難して先の見えない暮らしの中で、私の想いと議会の討議は全く同じ目線であったと思っています。この町の住民はみんな同じように苦しみ、私の怒りや嘆きは1人のものでは無いのだと共感することが出来ました」
「棄てるのではなく新しく生きる場所を選ばざるを得ないと言う意味で、町を離れて行く住民も多くなるでしょう。元の暮らしを取り戻そうとする住民と避難を続けざるを得ない住民とでは意識もニーズも自ずと隔たりが生まれますから、今までの様には一体感は維持できなくなると思います。それでも、我が町浪江への期待や信頼も含め、今回の選挙に必ず家族で今までと同じように投票すると話し合っています」
23日夜には、浪江町議会の新しい顔ぶれが決まる。
(了)
【原発事故で一変した選挙戦】
「今日は全10カ所の掲示板にポスターを貼るので精一杯ですよ。中通りを巡って、最後に町内の2カ所の掲示板に貼ったらおしまい。町に行って帰って来るだけでも半日がかりですから」
帰還困難区域から福島県中通りに避難中の60代元職は、浪江町役場二本松事務所で自ら立候補の届け出を終えると、さっそく駐車場内に設置された掲示板に最初のポスターを貼った。ポスターには、国や東電に原状回復と完全賠償を求める訴訟と同じ「ふるさとを返せ」という言葉を掲げた。自身も原告の1人。口頭弁論のたびに、郡山駅前でマイクを握り、道行く人々に想いを伝えている。
「原告の皆さんの想いが行政に伝わっていません。それに、言いっ放しではなく自分の言動に責任を持つ意味からも立候補を決めました。原告たちの姿を見て欲しいですよ。皆すがる想いでやっているんだから」
(帰還困難区域以外の)3月末での避難指示解除は時期尚早だと議会で反対してきた50代現職は「今の町議会はチェック機能が働いていません」と険しい表情で語った。「避難指示解除が強行されてしまった以上、もう反対は出来ません。であれば、町に戻りたい人が少しでも帰れるようにしなきゃしょうがねえべ」と話して車に乗り込んだ。唯一の30代町議だった現職は「議員だけじゃ食べて行かれない」と、作業員として福島第一原発の廃炉作業に携わっている。「まだ放射線量も下がっておらず、帰町宣言も出来ない中での避難指示解除は早かったですね。これからも放射線対策について是々非々で物を言って行きたい」と最後に立候補を届け出た。今回は30代の女性も立候補している。
原発事故で選挙戦も一変した。浪江町以外で選挙ポスターの掲示版が設置されているのは、町役場二本松事務所の他に中通りにある応急仮設住宅だけ(福島市3、二本松市2、桑折町1、本宮市1)。福島県外で暮らす町民には選挙公報が郵送されるものの、候補者の話を面と向かって聴く事は出来ない。前回2013年の町議選は投票率が53.81%と2009年の78.17%と比べて大幅に下がったが、今回はさらに下がるのではないかとの見方もある。



(上)福島市内の応急仮設住宅に設置された選挙ポスター掲示板を見る浪江町民たち。町民の3割が福島県外に避難していることもあり、今回も投票率が下がると予想されている
(中)くじ引きを終え、届け出の手続きを待つ候補者や代理人。定数を1人だけ上回った
(下)避難指示解除の是非を話し合う浪江町議会。今年3月末での部分解除を「時期尚早」と明確に反対した町議は3人ほどだった=2017年2月
【「議員は16人も要らない」】
「昔はあんな議会じゃ無かったのになあ」
二本松市内に避難中の60代男性は、避難指示解除を巡る議会の姿勢に不満をあらわにした。馬場有(たもつ)町長は最終的に国の示した3月末での部分解除を容認したが、明確に反対意見を議場で述べた議員は3人ほどだった。多くが国の方針になびき、だんまりを決め込んだ。反対意見を述べる町議に露骨に野次を飛ばす場面すらあった。馬場町長が解除受け入れを表明した2月27日の町議会では、傍聴していた町民が怒って扉を激しく閉める音が響いた。「今の浪江町に16人も議員は要らないよ。半分で良いな。。なぜ、あんなに避難指示解除を急いだのか。何のための議会なんだ」。男性の怒りは募るばかりだ。
住民懇談会では、声をあげても国の役人に潰された。誰が町議になろうとも国の意向には逆らえない─。そんなあきらめも広がる。福島市内の復興公営住宅に移り住んだ60代女性は「多くの町民が避難指示解除には反対だったのよ。私の家は丈六公園の近くにあったけれど、いまだに空間線量が高いもの。どうせ、安倍首相は東京五輪で世界に向けて〝復興〟をアピールするんでしょ?テレビは良い事しか伝えないし、都会の人たちは本当の現状なんか分かっていないものね。避難指示解除がまだ早いと明確に反対してくれた人には議会で頑張って欲しいけれど、お金かけて選挙をやらなくても良いのにな、とも思ってしまうわね。1人取りやめたら無投票なんだから」と複雑な胸中を語った。
「空室」の表示が目立つようになった応急仮設住宅。二本松市内の仮設住宅で暮らす60代男性も、新居が南相馬市内に完成したら退去する予定だ。「次の正月は新しい家で迎える事になりそうだ。ここもずいぶん人が減ってね、うちの棟ではうちの家族だけになっちゃったよ」と話す。自宅のあった大堀行政区は帰還困難区域が近い事もあり「14軒ある隣組は誰も帰らない。うちも除染してもらったけど裏山もあってなかなか放射線量が下がらないから戻らない事にしたよ。うちだけポツンと戻ったって寂しいし不安だからね」。自宅は既に取り壊した。「選挙?そうだなあ、ある候補の家族が頭を下げに来たからその人に入れようかな。行政区も近いしね。一応、投票には行くけどね…」と苦笑した。
「やっぱり町に住んでないからかなあ。選挙と言われてもピンと来ないわね」。郡山市内に自宅を新築中の女性は話した。浪江町議会は果たして、住民の信託に応えて来たのだろうか。ある現職候補は「議員定数削減の議論は避けられないだろう」と語る。



(上)浪江駅前にも、避難指示の部分解除に合わせて「復興」「再生」の文字が掲げられている。
(中)町役場周辺は、依然として人も車も少ない。選挙ポスターの掲示版も町外の方が多く設置されている
(下)空室が増えている応急仮設住宅。候補者が〝公約〟を有権者に伝えるのも難しいのが実情だ
【「町議会あっての町です」】
福島県外で暮らす町民は投票用紙を郵送で取り寄せ、避難先自治体の選挙管理委員会に持参して投票しなければならない。避難先自治体の選管はゆうパックで浪江町の選管に届けるため「遅くても21日までには投票を済ませて欲しい。投開票日の翌日に届いてしまっては当然、無効票になってしまいます」と町選管の職員は話す。
都内で妻と避難生活を送る70代男性は「選挙公報が届いたらじっくり読む。選挙の時だけでなく、普段から町民に寄り添ってくれる人に投じたい」と話す。六畳一間に妻と2人。田尻行政区の自宅は除染が完了したと環境省から連絡があったが、添付された写真を見てがっかりしたという。「枯山水を模した庭も全部持って行かれた。家がポツンとあるだけ。しかも室内の線量は高い」。今の住まいには来年3月末まで入居出来るが、それまでに新たな住まいを見つけなければならない。「3月11日の『東日本大震災六周年追悼式』で、安倍首相は原発事故の事を口にしなかった。こんなにも冷たいのかとテレビに向かって怒鳴り付けたよ。それに何だ、今村復興大臣のあの言葉。自己責任だの自主判断だの帰れ帰れだの。〝自主避難者〟だけでなく俺達に向かって言っているように聞こえたよ」。
住み慣れた町を追われ、町民にはあきらめも広がっている。一方で、遠く離れたからこそ4年に一度の選挙に強い想いを寄せる町民もいる。立候補の届け出会場では多くの候補者が「福島県外に避難した人は投票なんか行かないよ」、「電話をかけても反応はさっぱり」と口にしたが、帰還困難区域から関西に避難した60代女性はこんな想いを抱いている事も分かって欲しい。
「私は浪江町民ですから、自分の町の議会にとても期待しています。棄てられてしまった町が懸命に生き残ってきたわけですから、議会あっての町です。応急仮設住宅に居た頃、議会傍聴が楽しみでもありました。避難して先の見えない暮らしの中で、私の想いと議会の討議は全く同じ目線であったと思っています。この町の住民はみんな同じように苦しみ、私の怒りや嘆きは1人のものでは無いのだと共感することが出来ました」
「棄てるのではなく新しく生きる場所を選ばざるを得ないと言う意味で、町を離れて行く住民も多くなるでしょう。元の暮らしを取り戻そうとする住民と避難を続けざるを得ない住民とでは意識もニーズも自ずと隔たりが生まれますから、今までの様には一体感は維持できなくなると思います。それでも、我が町浪江への期待や信頼も含め、今回の選挙に必ず家族で今までと同じように投票すると話し合っています」
23日夜には、浪江町議会の新しい顔ぶれが決まる。
(了)
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