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【73カ月目の浪江町はいま】過去最低投票率を更新した町議選。高まる避難指示解除への不満とあきらめ。若者ら町民の「民意」を議会は汲んで行かれるのか

任期満了に伴う福島県浪江町の町議会議員選挙が23日投開票され、16人の新たな顔ぶれが決まった。3月31日に避難指示が部分解除されてから初の選挙だったが、投票率は45.21%。原発避難による町民の離散もあり、過去最低だった前回2013年の53.81%を8.6ポイントも下回った。国の避難指示解除方針に従った町議会に対しては、町民から「機能を果たしていない」「国の言いなりで何も出来ない」などと厳しい声が飛ぶ。浪江町民の「民意」は誰が汲んでいくのか。


【「〝自主避難者〟にさせられた」】
 「まだ線量が高いのに避難指示を解除するなんておかしいよ。帰れる状態になってから解除するべきだったんだ。町長も議会も順番を間違えている」
 福島市の笹谷東部応急仮設住宅。期日前投票に訪れた70代男性(樋渡・牛渡行政区)は、先月末での避難指示部分解除が強行された事に改めて怒りを口にした。「多くの町民が時期尚早だと考えていたのに解除されてしまった。うちの行政区も居住制限区域ではなくなった。つまり、俺たちは〝自主避難者〟にさせられたという事だ。国からすれば『もう帰れる状態なのに他所に行っている』という事なのだろう。当然、そのあたりの怒りや悔しさを込めて投票する人を選んだよ」。
 今さら文句を言っても仕方がない事くらい分かっている。どれだけ叫んでも、現実は覆せない。もどかしさは町役場や町議会に向かう。仮設住宅や復興公営住宅を丹念に巡ったある候補者は「あんたらに託したって何も出来ないじゃないか」という言葉を何度もぶつけられたという。苅宿行政区の80代男性は「馬場有(たもつ)町長は『生活環境は概ね整った』なんて言うけれど、寝ぼけた事言ってんでねえって。議会も国の方ばかり見るなって候補者に言ってやったよ。うちは300メートルも歩けば帰還困難区域なんだ。とても帰れる状態に無いんだよ。でも、いつまでも仮設住宅には居られないから福島市内に家を買ったんだ。そういう想いを込めて投票してきたよ」と話す。
 妻と投票を済ませた60代男性は、田尻行政区で稲作を続けてきた。「俺で6代、7代目かな。先祖から引き継いで来た土地が汚されたんだ。田んぼは表土を5センチ取り除いて新しい山土を入れた。それで数値(空間線量)は下がったかも知れないが、地力や地味はゼロになってしまった。原発事故前の肥沃な土地に戻すには同じだけ年月がかかる。息子は『浪江に戻って農家はやりたくない』と言ってる。米を作っても売れないし、後は田んぼを荒れ果てさせないように保全していくしかない」。
 もうすぐ大型連休。昔は田植えで多忙を極めたという。「皆で集まって『お前のとこは田植えは何日だ?』って話し合い、日にちを調整して地域総出で田植えを手伝ったものだ。『結』って呼んでね。そうやってコシヒカリも地域も作って来たんだよ」。
 今村雅弘復興大臣の言葉には腹が立ったという。「俺たちは好きで避難しているんじゃ無いんだ。追い出されたんだ。国も東電もずっと『絶対に事故は起こさない』なんて神の言葉みたいな事を言ってたのに…」。
 福島市内で新たな住まいを購入した。浪江町に通いながら田んぼを守っていく。男性は候補者のポスターを眺めてため息をついた。
 



(上)23日に投開票された浪江町議会議員選挙の投票率は45.21%。過去最低だった前回2013年の53.81%を大きく下回った
(下)応急仮設住宅の一角に設置された選挙ポスターの掲示版。入居者が減る中で、候補者も町民も戸惑いながらの選挙だった

【「議員に何も期待していない」】
 「町長にも議会にも期待などしていない」、「議員を減らせ、議員報酬もカットしろ」…。浪江町が原発事故から8カ月後の2011年11月に実施した町民アンケート。300ページを超える分厚い報告書には、町政ばかりでなく町議会への厳しい「自由意見」が原文のまま掲載されている。それは6年経った今も同じ、ある意味では強まっている。「一応投票には行ったけれど、正直なところ町にも議員にも何も期待していません」と語る30代男性もいる。
 アンケートでは「現段階において、放射線量だけを考えた場合、戻っても良いと考えられる放射線量の水準はどのくらいですか」という設問もあるが、回答では「震災発生前の線量(追加被曝線量0mSv)」が最も多く49.2%、次いで「国が除染後の最終目標値としている線量以下(追加被曝線量年1mSv)」が19.8%と、年1mSv以下が70%に達していた。
 しかし実際には、国は年20mSvを下回ったとの理由で帰還困難区域以外の避難指示解除を打ち出し、馬場町長も議会も容認した。住民懇談会でどれだけ「解除は時期尚早」、「なぜ福島だけ20倍なのか」と訴えても、国は耳を傾けず町も国に追従した。応急仮設住宅では「どうせ議会に期待したって何も変わらないよ」、「議会は機能していないじゃないか」という声を多く聴いた。新潟県まで足を延ばしてようやく町民に出会えたものの、避難指示解除などに対する激しい不満をぶつけられた候補者もいる。「1人だけ落選するなら、話し合って無投票にすれば良かった。選挙に金をかけている場合じゃ無い」と話す町民すらいる。「町議には集落の代表という性格もあるが、行政区長の方が住民のために骨を折っているケースもある」という声もある。
 福島県外の避難先から浪江町役場に駆け付けて期日前投票を済ませた女性は「避難者に寄り添い、国や東電について言及している候補者はほんの数人。訪れた仮設住宅では『町は自分たちを置き去りにしてしまおうとしている。議会は町に戻っているのに、おらたちはここさいっぺした。おらたちはどこの町の人間か分からない』という言葉を耳にしました。人がいるのは役場周辺ばかり。私も、私はどこの誰なのかと役場で涙が出ました」と語る。
 町民の「民意」は誰が汲むのか。再選を果たしたある議員は「避難指示が解除されてしまった以上、覆す事は出来ない。まだ放射線量の高い個所があるし、町の復興計画が遂行されているかチェックしていく」と支援者に頭を下げた。




月命日の今月11日、キャンドル・ジュンさんが訪れた復興公営住宅で、浪江町民はやり場のない怒りや哀しみをキャンドルに綴った

【県外避難者には遠い選挙】
 原発事故に伴う町民の離散は、選挙そのものも難しくした。浪江町民は7割が福島県内、3割が福島県外に避難しているが、県内避難者が最も多いいわき市には選挙ポスターの掲示版はゼロ。3番目に多い南相馬市にも設置されなかった。町選管が復興公営住宅への設置を遠慮したためだ。そのため、選挙ポスターを目にする事が出来たのは、町内の2カ所と中通りの仮設住宅、町役場二本松事務所のみ。候補者にとっては集会所のある仮設住宅は選挙運動の要となるが、それも退去者が相次ぎ、もはや頼みの綱とはならない。ある候補の支援者は「誰もいない仮設住宅を歩いて名前を連呼した日もあった」と振り返る。
 県外避難者は、さらに選挙は〝遠い〟。郵送で投票用紙を取り寄せ、避難先の選管に持ち込んで投票。それを「ゆうパック」で浪江町の選管に送り届けてもらわなければならない。「手違いからか子どもの元に投票用紙が届かず、あきらめた」と話す県外避難者もいる。以前のように候補者と直接、話をする事が難しいため「現職ならともかく、新しい人が立候補してもどういう人か分からない。選挙公報だけ送られても判断出来ない」という声もある。ますます地縁血縁に頼った選挙になっていく。
 2011年11月の町民アンケートでは、当時16歳から19歳だった10代の若者たちも想いを綴っている。
 「どうして私たち子供まで大人のままごとに付き合わなければならないのですか。私たちは大人のおもちゃでも尻拭きでも無い」
 「希望していた進路に行けなくなりました。東電のせいです。私たちの将来も壊されました」
 「避難先で転校したり就職も決まり恋人もいるため、帰る気は微塵もありません。家の中もかなりひどい状態らしいので、なおさら帰りたくなくなりました」
 今回の選挙では現職と新人の2人の30代議員が誕生した。若い世代の意見も吸い上げる必要がある。
 


(了)
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鈴木博喜

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