【福島原発かながわ訴訟】現役官僚が出廷するも、のらりくらりと津波対策の不備を否定。名倉氏「専門家が切迫性を口にしていなかった」「知見は未成熟」
- 2017/04/26
- 09:13
「福島原発かながわ訴訟」の第21回口頭弁論が25日、横浜地裁101号法廷(中平健裁判長)で開かれ、原発事故当時、経済産業省原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課耐震安全審査室安全審査官だった名倉繁樹氏(49)に対する証人尋問が1日がかりで行われた。64の一般傍聴席を巡って178人が並ぶほど注目を浴びたが、名倉氏はのらりくらりの証言に終始。挙げ句には「専門家が切迫性を口にしていなかった」、「専門家の知見が確立していなかった」と責任転嫁をし、原告らから怒りを買った。次回期日は7月12日10時半。
【「佐竹論文は未成熟だった」】
何を尋ねられても〝のらりくらり〟。原発事故に関する国の過失責任を認めた「群馬訴訟」での前橋地裁判決を意識したのだろう。大津波の「予見可能性」や東電に対する「規制権限不行使」など国の過失責任認定につながるような発言は絶対にしない。証人尋問は昼休みと数度の休憩をはさんで10時から17時まで行われたが、最後まで名倉氏は〝忠実な官僚〟に徹していた。
まず国側の指定代理人弁護士が尋問に立った(60分間)が、当然ながら厳しい質問は無し。昨年12月に名倉氏が提出した陳述書に沿う形で、全交流電源を喪失させるような大津波の予見は不可能だったことを強調していく。平安時代、869年に三陸沖で発生した「貞観地震」とそれに伴う津波に関し、2008年に産業技術総合研究所の佐竹健治氏らが論文「石巻・仙台平野における 869 年貞観津波の数値シミュレーション」(いわゆる「佐竹論文」)を発表。国の「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会・原子力安全・保安部会」の「耐震・構造設計小委員会地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループ」でも、岡村行信委員(産業技術総合研究所・活断層研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)から「東京電力が保安院に提出した福島第一原発5号機の耐震バックチェック中間報告書(2008年3月31日提出)では基準地震動の策定にあたって貞観地震について何も言及していないが、貞観地震を考慮すべきなのではないか」と指摘されていた。
しかし、名倉氏はこの日の尋問でも「当時、佐竹論文も自ら収集して読んでいたが、まだ成熟しているものではないので知見として取り入れるものでは無いと考えた」、「保安院全体としても知見として成熟していないと考えていた」などと、佐竹論文が国の対策に反映されるほどの確立された知見では無かったと繰り返した。名倉氏の言う「確立・成熟した知見」とは「専門家が異論を述べない程度のもの」を指すという。
ちなみに、この国側の指定代理人弁護士は、昨秋から始まった「福島原発被害東京訴訟」の原告本人尋問で的外れな尋問を繰り返し、傍聴者から失笑を買って裁判長から何度も注意された弁護士だった。

閉廷後の集会で、傍聴できなかった支援者にも分かるように証人尋問の様子を報告する林裕介弁護士。「地震や津波に関する知見を得ていたのに、保安院として何も動かなかった。今日の尋問ではその理由を合理的に説明できていなかったし、名倉氏は責任逃れをしている部分もあった」と批判した=横浜情報文化センター
【質問に質問で返す場面も】
約2時間の昼休みをはさみ、13時半から原告側の栗山博史弁護士(弁護団副団長)を中心に名倉氏に迫った。しかし端的に答えず、質問に質問で返す場面も。肝心な部分は言葉を濁した。
名倉氏は2011年8月、「原子力・安全保安院による東電の想定津波波高の算出結果等の対応」に関して「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調査委員会)からヒアリングを受けているが、聴取結果の公表(2015年)に際しては他のヒアリング対象者と同様、部分的に黒塗りにするよう求めている(http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/fu_koukai_2.html#na)。「私の発言と真逆の事が書かれていたり、明らかな間違いがあったので黒塗りにしてもらった」と名倉氏は黒塗りを希望した理由を証言したが、ヒアリング時に録音された音声の確認は無し。内閣官房の提示した文面をコピーする事も資料を再確認する事も無く「1回か2回、2015年夏に集中的にお伺いして記憶に基づいて確認した」という。
佐竹論文に関しては、「発表されるずっと前に、今村文彦教授(東北大学大学院工学研究科)から『今度、こういう論文が出るから注視しなさい』という話があった」、「佐竹氏のアプローチそのものは否定しません」と証言したものの、論文の詳細な内容を確認した後でも「貞観地震に伴う津波の波源モデルについて複数のモデルが示されるなど位置が確定しておらず、未解明で未成熟な知見だと考えていた」とそれまでの証言を繰り返した。「今はそういう考えは採っていないが、震災前は波源が確定しないと考慮しないという考えだった」。
2009年に東電の試算結果が提示され「福島第一原発での津波高は4メートルは超えるが10メートルは超えない」と名倉氏は認識したが、一方で2010年3月23日に、耐震安全審査室長の小林勝氏から「津波堆積物の調査結果を踏まえ、近々シミュレーション解析結果が出ると思うが、貞観の地震による津波は簡単な計算でも、敷地高は超える結果になっている。防潮堤を作るなどの対策が必要になると思う。シミュレーション解析結果が出たら相談させていただく」と保安院の森山善範審議官(原子力安全基盤担当)に伝えたとする内容のメールを受け取っている。
しかし、名倉氏は「防潮堤という表現はあくまで一般論として言っている」と判断して対策を東電に指示する事は無かった。「防潮堤の建設は現実的では無い」と話したが、「敷地高」の意味するところや「防潮堤」の真意について小林室長本人に確認する事は無かったという。

「名倉氏は、国の規制権限不行使の生き証人。あんな事をやっていたら、いつになっても規制など出来ない」と怒りをにじませた原告団の村田弘団長
【「完全なタヌキ親父だった」】
原告団の村田弘団長が「あんな事をやっていたら、いつになっても規制など出来ない」と怒りを込めて振り返ったように、名倉証言からは津波対策への国の消極性が浮き彫りになった。
業を煮やした栗山弁護士が、追加尋問で「原発事故は絶対に起こしてはいけないという認識はあったんですよね」と詰め寄ると、名倉氏は「はい」とはっきり答えた。しかし、当時の認識は「危険を現実化した問題として捉えていなかった。貞観地震の再来が迫っていると専門家から聞いていなかったので、喫緊の課題として考えていなかった」。栗山弁護士が続けて「東電に対策を促す事に何かマイナスがあったのか。専門家から新たな知見が出れば規制をかけようとするのが普通だろう。でも、あなたは知見が確立するまで待とうとした。なぜか」という問いには明快に答えなかった。
「現実に原発事故は起きてしまった。あなたはどう感じたか」という問いにも、名倉氏は「当時は、専門家の意見を聴く中で切迫性や信頼性が確立されて初めて考慮していた。その考えではこの事故は防げなかった」と語るばかりで、正面から答えなかった。その姿勢に、原告側弁護団から「もう少し誠実に答える人だと聞いていたが、完全なタヌキ親父だった」との声があがったほどだ。
当時の対策の不備を問われると「専門家の知見が信頼できない」、「他の専門家から切迫した話は出ていなかった」と徹底して逃げた名倉氏。閉廷後、黒澤知弘弁護士は「極めて不誠実。責任逃れをして何もしないなんてとんでもない。被曝対策と同じだ。本人は逃げ切ったつもりだろうが、裁判所がどう判断するか」と怒りをあらわにした。
弁護団は名倉証言を念入りに精査した上で、過去の発言などとの矛盾点を追及して行く。次回7月12日と9月7日の口頭弁論では、聞間元医師(ききまはじめ、静岡県浜松市・生協きたはま診療所長)に対する証人尋問を行い、世界の核実験被害調査に参加した経験から低線量被曝の危険性を浮き彫りにする方針だ。
(了)
【「佐竹論文は未成熟だった」】
何を尋ねられても〝のらりくらり〟。原発事故に関する国の過失責任を認めた「群馬訴訟」での前橋地裁判決を意識したのだろう。大津波の「予見可能性」や東電に対する「規制権限不行使」など国の過失責任認定につながるような発言は絶対にしない。証人尋問は昼休みと数度の休憩をはさんで10時から17時まで行われたが、最後まで名倉氏は〝忠実な官僚〟に徹していた。
まず国側の指定代理人弁護士が尋問に立った(60分間)が、当然ながら厳しい質問は無し。昨年12月に名倉氏が提出した陳述書に沿う形で、全交流電源を喪失させるような大津波の予見は不可能だったことを強調していく。平安時代、869年に三陸沖で発生した「貞観地震」とそれに伴う津波に関し、2008年に産業技術総合研究所の佐竹健治氏らが論文「石巻・仙台平野における 869 年貞観津波の数値シミュレーション」(いわゆる「佐竹論文」)を発表。国の「総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会・原子力安全・保安部会」の「耐震・構造設計小委員会地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループ」でも、岡村行信委員(産業技術総合研究所・活断層研究センター海溝型地震履歴研究チーム長)から「東京電力が保安院に提出した福島第一原発5号機の耐震バックチェック中間報告書(2008年3月31日提出)では基準地震動の策定にあたって貞観地震について何も言及していないが、貞観地震を考慮すべきなのではないか」と指摘されていた。
しかし、名倉氏はこの日の尋問でも「当時、佐竹論文も自ら収集して読んでいたが、まだ成熟しているものではないので知見として取り入れるものでは無いと考えた」、「保安院全体としても知見として成熟していないと考えていた」などと、佐竹論文が国の対策に反映されるほどの確立された知見では無かったと繰り返した。名倉氏の言う「確立・成熟した知見」とは「専門家が異論を述べない程度のもの」を指すという。
ちなみに、この国側の指定代理人弁護士は、昨秋から始まった「福島原発被害東京訴訟」の原告本人尋問で的外れな尋問を繰り返し、傍聴者から失笑を買って裁判長から何度も注意された弁護士だった。

閉廷後の集会で、傍聴できなかった支援者にも分かるように証人尋問の様子を報告する林裕介弁護士。「地震や津波に関する知見を得ていたのに、保安院として何も動かなかった。今日の尋問ではその理由を合理的に説明できていなかったし、名倉氏は責任逃れをしている部分もあった」と批判した=横浜情報文化センター
【質問に質問で返す場面も】
約2時間の昼休みをはさみ、13時半から原告側の栗山博史弁護士(弁護団副団長)を中心に名倉氏に迫った。しかし端的に答えず、質問に質問で返す場面も。肝心な部分は言葉を濁した。
名倉氏は2011年8月、「原子力・安全保安院による東電の想定津波波高の算出結果等の対応」に関して「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調査委員会)からヒアリングを受けているが、聴取結果の公表(2015年)に際しては他のヒアリング対象者と同様、部分的に黒塗りにするよう求めている(http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/fu_koukai_2.html#na)。「私の発言と真逆の事が書かれていたり、明らかな間違いがあったので黒塗りにしてもらった」と名倉氏は黒塗りを希望した理由を証言したが、ヒアリング時に録音された音声の確認は無し。内閣官房の提示した文面をコピーする事も資料を再確認する事も無く「1回か2回、2015年夏に集中的にお伺いして記憶に基づいて確認した」という。
佐竹論文に関しては、「発表されるずっと前に、今村文彦教授(東北大学大学院工学研究科)から『今度、こういう論文が出るから注視しなさい』という話があった」、「佐竹氏のアプローチそのものは否定しません」と証言したものの、論文の詳細な内容を確認した後でも「貞観地震に伴う津波の波源モデルについて複数のモデルが示されるなど位置が確定しておらず、未解明で未成熟な知見だと考えていた」とそれまでの証言を繰り返した。「今はそういう考えは採っていないが、震災前は波源が確定しないと考慮しないという考えだった」。
2009年に東電の試算結果が提示され「福島第一原発での津波高は4メートルは超えるが10メートルは超えない」と名倉氏は認識したが、一方で2010年3月23日に、耐震安全審査室長の小林勝氏から「津波堆積物の調査結果を踏まえ、近々シミュレーション解析結果が出ると思うが、貞観の地震による津波は簡単な計算でも、敷地高は超える結果になっている。防潮堤を作るなどの対策が必要になると思う。シミュレーション解析結果が出たら相談させていただく」と保安院の森山善範審議官(原子力安全基盤担当)に伝えたとする内容のメールを受け取っている。
しかし、名倉氏は「防潮堤という表現はあくまで一般論として言っている」と判断して対策を東電に指示する事は無かった。「防潮堤の建設は現実的では無い」と話したが、「敷地高」の意味するところや「防潮堤」の真意について小林室長本人に確認する事は無かったという。

「名倉氏は、国の規制権限不行使の生き証人。あんな事をやっていたら、いつになっても規制など出来ない」と怒りをにじませた原告団の村田弘団長
【「完全なタヌキ親父だった」】
原告団の村田弘団長が「あんな事をやっていたら、いつになっても規制など出来ない」と怒りを込めて振り返ったように、名倉証言からは津波対策への国の消極性が浮き彫りになった。
業を煮やした栗山弁護士が、追加尋問で「原発事故は絶対に起こしてはいけないという認識はあったんですよね」と詰め寄ると、名倉氏は「はい」とはっきり答えた。しかし、当時の認識は「危険を現実化した問題として捉えていなかった。貞観地震の再来が迫っていると専門家から聞いていなかったので、喫緊の課題として考えていなかった」。栗山弁護士が続けて「東電に対策を促す事に何かマイナスがあったのか。専門家から新たな知見が出れば規制をかけようとするのが普通だろう。でも、あなたは知見が確立するまで待とうとした。なぜか」という問いには明快に答えなかった。
「現実に原発事故は起きてしまった。あなたはどう感じたか」という問いにも、名倉氏は「当時は、専門家の意見を聴く中で切迫性や信頼性が確立されて初めて考慮していた。その考えではこの事故は防げなかった」と語るばかりで、正面から答えなかった。その姿勢に、原告側弁護団から「もう少し誠実に答える人だと聞いていたが、完全なタヌキ親父だった」との声があがったほどだ。
当時の対策の不備を問われると「専門家の知見が信頼できない」、「他の専門家から切迫した話は出ていなかった」と徹底して逃げた名倉氏。閉廷後、黒澤知弘弁護士は「極めて不誠実。責任逃れをして何もしないなんてとんでもない。被曝対策と同じだ。本人は逃げ切ったつもりだろうが、裁判所がどう判断するか」と怒りをあらわにした。
弁護団は名倉証言を念入りに精査した上で、過去の発言などとの矛盾点を追及して行く。次回7月12日と9月7日の口頭弁論では、聞間元医師(ききまはじめ、静岡県浜松市・生協きたはま診療所長)に対する証人尋問を行い、世界の核実験被害調査に参加した経験から低線量被曝の危険性を浮き彫りにする方針だ。
(了)
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