【73カ月目の福島はいま】今村前復興相に捧げる「あっちの方」の現実。いまだ続く汚染、被曝リスクへの葛藤。〝前向き〟な絵手紙が封印する怒りや哀しみ
- 2017/04/28
- 05:15
25日に開かれた派閥(二階派)のパーティで「(震災が)まだ東北で、あっちの方だったから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な、甚大な被害があった」などと語り、ついに復興大臣の座を追われた今村雅弘氏。今なお、なぜ責められているのかお分かりになっていないであろう今村前大臣に、記者会見での発言を振り返りながら、原発事故から6年が過ぎた「あっちの方」の現実を捧げたい。
【「親も〝加害者〟なのかな」】
「現に(福島に)帰っている人もいるじゃないですか」
「(避難を続けるか戻るかは)自らの判断でやっていただく」
福島県外での避難を継続するのがいけないかのような、そして、被曝リスクから逃れるかどうかは国の責任では無く個々の判断でやれと言わんばかりの発言が相次いだ今村前大臣。
たしかに、福島市だけを見ても29万人もの人々が生活をしている。福島市では、2011年から6年間の「人口社会減」は5171人だから、その意味では福島県庁の職員が常套句としている「中通りでは避難している人より避難せずに生活している人の方がはるかに多い」という指摘は間違ってはいない。しかし、そこでは「避難できるものなら避難したい(したかった)」という本音は無視されている。放射線量が下げ止まった中通りには、依然として汚染や被曝リスクが点在しているからだ。
「忙しさにかまけて被曝の事を考えないようにしています。その意味では、親も〝加害者〟なのかなって考えてしまいます」
福島市の東部地区で子育て中の母親は言う。福島駅から10km圏内。自宅近くには阿武隈川沿いにサイクリングロードがあるが、場所によってはいまだに0.3μSv/hを上回る。だから、子どもに与える水や食べ物には最新の注意を払っている。福島県が実施している「県民健康調査」だけでなく、自主的に医療機関で甲状腺エコー検査を受けさせている。しかし、ここで生活している以上、被曝リスクから逃れられない。葛藤で胸が張り裂けそうになる。かといって毎日毎日、放射線の事ばかりを考えて暮らすわけにもいかない。でも考えない日は無い。「こんな想いがいつまで続くのかと思うと疲れます」と話す。
サイクリングロードでは、ジャージ姿の子どもがジョギングをしていた。阿武隈川の向こう側では、女子中学生が土手に座って談笑している。ひと言では語れない現実が渦巻いている。



(上)「UFOふれあい館」のある千貫森公園。登山道「UFO道」で手元の線量計は0.3μSv/hを超えた=福島市飯野町
(中)東北本線・杉田駅近くの杉田川沿いにある鉄屑置き場。0.48μSv/hに達した=二本松市杉田町
(下)阿武隈川沿いのサイクリングロードは、いまだに0.3μSv/hを超える場所がある=福島市岡部
【「不安や怒りは封印している」】
「私なりに(福島の実情を)把握しているつもりでございます。皆さん御案内のようにいろいろ複雑な事情があります。そういったところに満遍なくやはり気を遣ってやっていかなきゃいけないなということを改めて感じました」
「裁判云々の話は、一般論として、物事の折り合いがつかない時にやるんでしょうということもありますねと、そして、現に前橋地裁のこともあって、そういうことを淡々と述べただけ」
「複雑な事情」を把握している大臣が、なぜ「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない。またやったじゃないですか」などと言い放つのか。全くもって理解に苦しむ。実際にはちっとも「把握」などしていない今村前大臣にこそ、今月18日から23日まで福島市内で開かれた絵手紙展を見て欲しかった。
「ここに住んでいる人は放射線の事なんか忘れている?何も考えていない?とんでもない。みんな心の奥に悔しさや不安、怒りがあるんですよ」
自身や生徒たちの作品を前に、講師の寺島良子さんは涙をぽろぽろと流しながら話した。確かに絵手紙そのものは〝前向き〟な作品ばかり。しかし、寺島さんは絵や言葉の向こう側を感じ取ってほしいと訴える。
「私も福島市に住んでいます。ここで生きて行かなければならないんです。泣いてばかりもいられない。先祖代々の土地もあるし、誰もが避難出来る訳でもありません。であれば、心の中の不安や怒りは封印して前向きな事を描かないと、余計に暗くなってしまうんですよ」
自身も、自宅の除染でモミジの木を伐らざるを得なかった。「ご先祖さま、ごめんなさい」という言葉を切り株の絵に添えた。そもそも原発事故が無ければ、宅地除染も伐採も必要無かった。孫が避難先の学校で「放射能がうつるから机を離せ」などと言われた事もある。原発事故に対して言いたい事は山ほどある。でも、それらを封印しながら、明るい絵手紙を描いて生きて行く。
「だって、放射性物質があろうと無かろうと生活しなければならないのよ。でも決して忘れているわけでは無い。そういう葛藤も理解しないで物を言われると傷付きます。今村前復興大臣の『自己責任』云々もそう。みんな怒ってますよ」



(上)宅地除染で、先祖代々伝わる庭の木まで伐らざるを得なかった哀しみが込められた絵手紙。謝るべきは本来、国や東電のはずだ
(中)父は言った。「早く避難してくれ」。しかし、父を置いての避難など出来なかった。多くの人が原発事故後に抱いた葛藤を今村前大臣は理解できるだろうか
(下)「原発などいらない。再稼働しないで欲しい」。生徒の1人はストレートに想いを続いた=福島市・コラッセふくしま
【「裁判しなくても救済されるべき」】
辞表を提出する直前の今月21日に開かれた、参議院「東日本大震災復興特別委員会」。川田龍平議員(無所属、民進党・新緑風会)の質問に対する今村復興大臣(当時)の答弁は酷かった。胸を張って答えたのは「真意は違うのに伝わり方が悪かった」という事と「復興庁も福島県も一生懸命やっている」事くらい。
記者会見で「裁判でも何でもやればいい」と〝逆ギレ〟した事に関し、川田議員は「薬害エイズの裁判を経験して、両親は離婚した。経済的にも大変だった。肉体的にも精神的にも裁判をやるのは大変。弁護士だって簡単には見つからない。『裁判をやれば良い』というのは無責任な発言だ。裁判にならなくても、被害を受けた人たちが『子ども被災者支援法』にのっとって救済や補償を受けられるようにするために法律を作った」と詰め寄った。
福島県外に避難した人々はもちろん、福島県内で暮らす人々も原告となって国や東電を相手取った数々の裁判を起こしているが、精神的・肉体的負担は想像を絶する。陳述書を書けば2011年当時の強い恐怖感を思い出す。意見陳述や原告本人尋問で法廷に立つとなれば、身がすくんでしまうのも当然だ。原告に名を連ねる事で親類から激しく罵倒された人もいる。だからこそ、国の、しかも復興を担う大臣が「裁判でも何でもやればいい」などと言い放ってはならないと川田議員は指摘する。
しかし、今村前大臣は「どうしても折り合いがつかない時には、と一般論として言った」、「伝わり方の問題」とのらりくらりと繰り返すばかり。放射線が健康に与える影響に関しても、「私もそれなりに勉強しているつもりだ。健康云々の問題はなかなか難しいなと正直言って思っている」と明言を避けた。
福島県内外から「復興大臣にふさわしくない」と抗議を受けても強気の姿勢で辞任要求を突っぱねてきた今村氏は、またしても驚くべき言葉を放って大臣の座を追われた。避難指示が解除された区域はもちろん、当初より避難指示が出されなかった区域にも依然として被曝リスクが点在している事などご存知無いのだろう。ましてや、様々な想いを胸に秘めて避難先で福島県内で生活をしている事など理解出来ないのだろう。それが、今村前大臣の言う「あっちの方」の現実なのだ。
(了)
【「親も〝加害者〟なのかな」】
「現に(福島に)帰っている人もいるじゃないですか」
「(避難を続けるか戻るかは)自らの判断でやっていただく」
福島県外での避難を継続するのがいけないかのような、そして、被曝リスクから逃れるかどうかは国の責任では無く個々の判断でやれと言わんばかりの発言が相次いだ今村前大臣。
たしかに、福島市だけを見ても29万人もの人々が生活をしている。福島市では、2011年から6年間の「人口社会減」は5171人だから、その意味では福島県庁の職員が常套句としている「中通りでは避難している人より避難せずに生活している人の方がはるかに多い」という指摘は間違ってはいない。しかし、そこでは「避難できるものなら避難したい(したかった)」という本音は無視されている。放射線量が下げ止まった中通りには、依然として汚染や被曝リスクが点在しているからだ。
「忙しさにかまけて被曝の事を考えないようにしています。その意味では、親も〝加害者〟なのかなって考えてしまいます」
福島市の東部地区で子育て中の母親は言う。福島駅から10km圏内。自宅近くには阿武隈川沿いにサイクリングロードがあるが、場所によってはいまだに0.3μSv/hを上回る。だから、子どもに与える水や食べ物には最新の注意を払っている。福島県が実施している「県民健康調査」だけでなく、自主的に医療機関で甲状腺エコー検査を受けさせている。しかし、ここで生活している以上、被曝リスクから逃れられない。葛藤で胸が張り裂けそうになる。かといって毎日毎日、放射線の事ばかりを考えて暮らすわけにもいかない。でも考えない日は無い。「こんな想いがいつまで続くのかと思うと疲れます」と話す。
サイクリングロードでは、ジャージ姿の子どもがジョギングをしていた。阿武隈川の向こう側では、女子中学生が土手に座って談笑している。ひと言では語れない現実が渦巻いている。



(上)「UFOふれあい館」のある千貫森公園。登山道「UFO道」で手元の線量計は0.3μSv/hを超えた=福島市飯野町
(中)東北本線・杉田駅近くの杉田川沿いにある鉄屑置き場。0.48μSv/hに達した=二本松市杉田町
(下)阿武隈川沿いのサイクリングロードは、いまだに0.3μSv/hを超える場所がある=福島市岡部
【「不安や怒りは封印している」】
「私なりに(福島の実情を)把握しているつもりでございます。皆さん御案内のようにいろいろ複雑な事情があります。そういったところに満遍なくやはり気を遣ってやっていかなきゃいけないなということを改めて感じました」
「裁判云々の話は、一般論として、物事の折り合いがつかない時にやるんでしょうということもありますねと、そして、現に前橋地裁のこともあって、そういうことを淡々と述べただけ」
「複雑な事情」を把握している大臣が、なぜ「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない。またやったじゃないですか」などと言い放つのか。全くもって理解に苦しむ。実際にはちっとも「把握」などしていない今村前大臣にこそ、今月18日から23日まで福島市内で開かれた絵手紙展を見て欲しかった。
「ここに住んでいる人は放射線の事なんか忘れている?何も考えていない?とんでもない。みんな心の奥に悔しさや不安、怒りがあるんですよ」
自身や生徒たちの作品を前に、講師の寺島良子さんは涙をぽろぽろと流しながら話した。確かに絵手紙そのものは〝前向き〟な作品ばかり。しかし、寺島さんは絵や言葉の向こう側を感じ取ってほしいと訴える。
「私も福島市に住んでいます。ここで生きて行かなければならないんです。泣いてばかりもいられない。先祖代々の土地もあるし、誰もが避難出来る訳でもありません。であれば、心の中の不安や怒りは封印して前向きな事を描かないと、余計に暗くなってしまうんですよ」
自身も、自宅の除染でモミジの木を伐らざるを得なかった。「ご先祖さま、ごめんなさい」という言葉を切り株の絵に添えた。そもそも原発事故が無ければ、宅地除染も伐採も必要無かった。孫が避難先の学校で「放射能がうつるから机を離せ」などと言われた事もある。原発事故に対して言いたい事は山ほどある。でも、それらを封印しながら、明るい絵手紙を描いて生きて行く。
「だって、放射性物質があろうと無かろうと生活しなければならないのよ。でも決して忘れているわけでは無い。そういう葛藤も理解しないで物を言われると傷付きます。今村前復興大臣の『自己責任』云々もそう。みんな怒ってますよ」



(上)宅地除染で、先祖代々伝わる庭の木まで伐らざるを得なかった哀しみが込められた絵手紙。謝るべきは本来、国や東電のはずだ
(中)父は言った。「早く避難してくれ」。しかし、父を置いての避難など出来なかった。多くの人が原発事故後に抱いた葛藤を今村前大臣は理解できるだろうか
(下)「原発などいらない。再稼働しないで欲しい」。生徒の1人はストレートに想いを続いた=福島市・コラッセふくしま
【「裁判しなくても救済されるべき」】
辞表を提出する直前の今月21日に開かれた、参議院「東日本大震災復興特別委員会」。川田龍平議員(無所属、民進党・新緑風会)の質問に対する今村復興大臣(当時)の答弁は酷かった。胸を張って答えたのは「真意は違うのに伝わり方が悪かった」という事と「復興庁も福島県も一生懸命やっている」事くらい。
記者会見で「裁判でも何でもやればいい」と〝逆ギレ〟した事に関し、川田議員は「薬害エイズの裁判を経験して、両親は離婚した。経済的にも大変だった。肉体的にも精神的にも裁判をやるのは大変。弁護士だって簡単には見つからない。『裁判をやれば良い』というのは無責任な発言だ。裁判にならなくても、被害を受けた人たちが『子ども被災者支援法』にのっとって救済や補償を受けられるようにするために法律を作った」と詰め寄った。
福島県外に避難した人々はもちろん、福島県内で暮らす人々も原告となって国や東電を相手取った数々の裁判を起こしているが、精神的・肉体的負担は想像を絶する。陳述書を書けば2011年当時の強い恐怖感を思い出す。意見陳述や原告本人尋問で法廷に立つとなれば、身がすくんでしまうのも当然だ。原告に名を連ねる事で親類から激しく罵倒された人もいる。だからこそ、国の、しかも復興を担う大臣が「裁判でも何でもやればいい」などと言い放ってはならないと川田議員は指摘する。
しかし、今村前大臣は「どうしても折り合いがつかない時には、と一般論として言った」、「伝わり方の問題」とのらりくらりと繰り返すばかり。放射線が健康に与える影響に関しても、「私もそれなりに勉強しているつもりだ。健康云々の問題はなかなか難しいなと正直言って思っている」と明言を避けた。
福島県内外から「復興大臣にふさわしくない」と抗議を受けても強気の姿勢で辞任要求を突っぱねてきた今村氏は、またしても驚くべき言葉を放って大臣の座を追われた。避難指示が解除された区域はもちろん、当初より避難指示が出されなかった区域にも依然として被曝リスクが点在している事などご存知無いのだろう。ましてや、様々な想いを胸に秘めて避難先で福島県内で生活をしている事など理解出来ないのだろう。それが、今村前大臣の言う「あっちの方」の現実なのだ。
(了)
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