【自主避難者から住まいを奪うな】「避難先で自死した友の想い胸に」。松本徳子さんが衆議院の特別委で救済求める。「子ども被災者支援法の理念実現を」
- 2017/05/26
- 06:48
原発事故による被曝リスクからわが子を守ろうと福島県郡山市から神奈川県川崎市に避難している松本徳子さん(「避難の協同センター」共同代表世話人)が25日午前、衆議院の「東日本大震災復興特別委員会」に民進党推薦の参考人として招致され、改めて〝自主避難者〟向け住宅無償提供の打ち切り見直しと吉野正芳復興大臣との面会、子ども被災者支援法の理念の実現などを求めた。自分と同じようにわが子を放射線から遠ざけようと避難し、共に苦労した末に自死した友の想いを胸に涙をこらえながら陳述した。住宅打ち切りで心身ともに疲れ果てて逝った「彼女」。松本さんの怒りと哀しみと鎮魂が込められた言葉が永田町に響いた。
【「いつか母子避難でもハッピーに」】
鈴木俊一委員長からの指名を受けて席を立つ。「心臓が口から飛び出そうだった」。緊張を振り払うようにマイクの前で一度、大きく息を吐いた。意見を述べる機会を与えられた事への感謝を口にした後、松本さんは涙をこらえるようにこう言った。
「今日は、私と同じく子どもを被曝から避けるために避難をして頑張ってきた友人が、自らの命を絶ってしまった。その彼女の想いを胸に述べさせていただきます」
同世代の「彼女」が変わり果てた姿で発見されたのは大型連休中の公園だった。「もちろん、様々な要因が重なったんだと思う。でも一つだけはっきりしてる。それは、原発事故が無かったら避難の必要も無かったし、彼女が自ら命を絶つことも無かったんです」。
原発事故から数カ月が経った2011年夏、「彼女」は子どもを連れて福島県から東京都内に〝自主避難〟した。
当時、複数回にわたって本紙の取材に応じている。被曝リスクや避難に理解を示さない夫は「テレビでは安全だと言っているじゃないか」、「避難する必要なんか無いんだ」と繰り返した。せめて子どもだけでもという想いを、夫の両親は「そんなに避難させたいのなら、あなたが仕事を辞めて一緒に行きなさい」と一蹴した。何とか夫を説得して母子避難を始めたが、条件となっていた月2回の〝一時帰宅〟では激しい暴力を受けた。理解ある医師が診断書を書いてくれていた。東電からの賠償金もわずかしか渡してもらえなかった。当時、取材に応じた理由をこう、話している。
「こうやって私がお話しすることで、苦しんでいる女性の何かの役に立てばうれしいです。あなただけが苦しんでいるんじゃない、と言ってあげたい」
子どもの進学、生活費の不安、夫の暴力。そこにさらに降りかかって来たのが「住宅問題」だった。日々の家事や派遣労働に忙殺される中、1年ごとの「住宅無償提供延長」に不安と安堵を繰り返した。離婚して母子家庭になれば公的支援も受けやすくなるが、夫は離婚には応じなかった。「夫が怒る気持ちも分かります。私が家族をバラバラにさせてしまったんです」、「私が被曝に無関心だったら、私さえ放射能を気にしなかったら、震災前のように暮らせたかな」。自分を責め続け、次第に心のバランスが崩れて行った。そして、ついに強行された住宅の無償提供打ち切り。放射線から我が子を守るという至極当然の想いと行動の末の悲劇。国や行政がいかに避難者に寄り添って来なかったかが良く分かる。
あの頃、筆者に宛てたメールにこう綴っていた。
「いつか、いろいろなことが順調に回りだして『母子避難でもハッピー』みたいな取材にお答えできる日が来るように、毎日ちょっとずつ頑張ろうと思います」
松本さんは言う。「彼女の事を『無かった事』にはしたくないんです」。被曝受忍か貧困か。そんな選択を避難者に強いた末の自死など起きてはならない。福島県生活拠点課によると「〝自主避難者〟の避難先での自死については把握していない。統計も無い」。

原発避難当事者であり、「避難の協同センター」共同代表世話人でもある松本徳子さん。衆議院の東日本大震災復興特別委員会で「生きるための住まいを奪わないでいただきたい」、「吉野復興大臣は当事者の生の声を直接、聴いていただきたい」と訴えた=衆議院インターネット審議中継「ビデオライブラリ」より
【「復興大臣は当事者と面会を」】
松本さんに与えられた時間は15分。思いの丈をぶつけるように語った。
「口を揃えて『避難者に寄り添って』など、全て嘘でした」
「現在の政権を握っているトップは、私たちの苦しみなど何とも思っていないということです」
「2020年のオリンピックには福島第一の事故は収束、避難者をゼロにする事が今の政権の目標なのでしょう」
原発事故によって放射性物質がばら撒かれた。被曝リスクが確実に存在する土地からの避難の合理性がなぜ認められないのか。国の一方的な線引きで、あたかも勝手に避難した〝自主避難者〟と分類され、挙げ句に「自立せよ」と住まいを奪われた。松本さんは、福島県が住宅無償提供を今年3月末で打ち切ると打ち出してから、一貫して白紙撤回と当事者との協議を求めてきた。福島県庁に、内堀雅雄知事宛ての直訴状を持参した事もあった。寒風が肌に刺さる中での抗議行動も行った。しかし、全て無視された。内堀知事は最後まで避難者と会って話し合おうとはしなかった。
「国内難民となった私たちのような人間の中には、住宅提供を打ち切られた事によって今まで頑張ってきた力も心身ともに疲れ果て、自らの命を絶つ事で子どもたちを守る道を選びました。私の知る『彼女』は、ただ、子どもたちと静かに生活する事だけが願いでした。この事は決して忘れてはいけないと思っています」
「避難の協同センター」には、電話やメールでSOSがいくつも寄せられる。しかし、市民団体の力には限りがある。「子ども被災者支援法があるにもかかわらず実行されていない事で生活困窮に立たされてしまった。生きるための住まいを奪わないでいただきたい」として、次の6項目の実施を求めた。
①現段階で住まいが確定できていない避難者の正確な把握
②家賃支払いや転居費用などで経済的に困っている避難者の実態把握
③住宅無償提供打ち切りの見直し、可能な経済支援の実施
④生活保護要件に該当する避難者世帯への生活保護受給
⑤吉野正芳復興大臣による公開の場での避難当事者団体や支援団体からの意見聴取
⑥子ども被災者支援法の理念を守り、実現に力を尽くす
特に吉野復興大臣に対しては「当事者の生の声を直接、聴いていただきたい」と付け加えた。

2016年12月、住宅の無償提供打ち切りを撤回するよう「直訴状」を手に福島県庁を訪れた松本さん。しかし、内堀知事は一度も当事者の声に耳を傾ける事無く「ていねいに戸別訪問を行う」などと言いながら打ち切りを強行した
【避難者と会わない内堀知事】
「生活保護を受けたくても、車を所持していれば受けられない。生活保護を何とか受けられたにしても、福島県からの家賃補助が受けられない。国が避難者を貧困に追いやっているのです」
原発事故が起きたからこその避難。しかし、国も行政も「ハコもの」ばかりに予算をつぎ込む「公共事業重点型復興」ばかりを進め、避難指示区域を解除し、避難指示の出ていない〝自主避難者〟からは住まいを奪った。福島県が打ち出した新たな家賃補助は2年間の期間限定。これまでの避難者団体の交渉で、福島県側は住宅の無償提供を延長しない合理的な理由を提示できていない。「避難していない県民の方が多い」、「除染などで空間線量が下がった」、「多くの人が普通に暮らしている」と〝自主避難〟の合理性を否定するような発言に終始する。
内堀知事は、避難当事者と会わない理由の一つに「多忙」を挙げるが、一方で「汚染」や「被曝」を口にせず「前向き」で「復興」に寄与するような人物や団体とは喜んで会っている。追い詰められた末に避難先で自死した「彼女」の苦悩など知る由もあるまい。
福島県生活拠点課によると今月17日現在、新たな住まいが決まっていない「未確定」の〝自主避難者〟は116世帯。そのうち、県外自主避難者は59世帯(民間借り上げ住宅6、公営住宅、雇用促進住宅など53)、県内自主避難者は57世帯(民間借り上げ住宅17、公営住宅、雇用促進住宅など2、応急仮設住宅38)。連絡がつかない、もしくは所在が分からない「不在」は27世帯。県外自主避難者は5世帯(民間借り上げ住宅2、公営住宅、雇用促進住宅など3)、県内自主避難者は22世帯(民間借り上げ住宅2、公営住宅、雇用促進住宅など1、応急仮設住宅19)という。
数字だけ見ればほとんどの〝自主避難者〟が新たな住まいを確保出来ているようだが、現実はそうばかりも言えない。執拗に迫られて住まいを退去したものの新たな住まいを確保出来ていない避難者や、新たな住まいの契約は済ませても家賃を支払えるめどが立っていない避難者もいる。福島県は「不在」27世帯に関して強制的な明け渡し請求も視野に入れながら〝一掃〟する方針を打ち出した。内堀知事は22日の定例会見で「所在のつかめている避難者に対する明け渡し請求は考えていない」と明言したが、担当職員は将来の法的措置について「現段階では何とも言えない」と含みを残している。
(了)
【「いつか母子避難でもハッピーに」】
鈴木俊一委員長からの指名を受けて席を立つ。「心臓が口から飛び出そうだった」。緊張を振り払うようにマイクの前で一度、大きく息を吐いた。意見を述べる機会を与えられた事への感謝を口にした後、松本さんは涙をこらえるようにこう言った。
「今日は、私と同じく子どもを被曝から避けるために避難をして頑張ってきた友人が、自らの命を絶ってしまった。その彼女の想いを胸に述べさせていただきます」
同世代の「彼女」が変わり果てた姿で発見されたのは大型連休中の公園だった。「もちろん、様々な要因が重なったんだと思う。でも一つだけはっきりしてる。それは、原発事故が無かったら避難の必要も無かったし、彼女が自ら命を絶つことも無かったんです」。
原発事故から数カ月が経った2011年夏、「彼女」は子どもを連れて福島県から東京都内に〝自主避難〟した。
当時、複数回にわたって本紙の取材に応じている。被曝リスクや避難に理解を示さない夫は「テレビでは安全だと言っているじゃないか」、「避難する必要なんか無いんだ」と繰り返した。せめて子どもだけでもという想いを、夫の両親は「そんなに避難させたいのなら、あなたが仕事を辞めて一緒に行きなさい」と一蹴した。何とか夫を説得して母子避難を始めたが、条件となっていた月2回の〝一時帰宅〟では激しい暴力を受けた。理解ある医師が診断書を書いてくれていた。東電からの賠償金もわずかしか渡してもらえなかった。当時、取材に応じた理由をこう、話している。
「こうやって私がお話しすることで、苦しんでいる女性の何かの役に立てばうれしいです。あなただけが苦しんでいるんじゃない、と言ってあげたい」
子どもの進学、生活費の不安、夫の暴力。そこにさらに降りかかって来たのが「住宅問題」だった。日々の家事や派遣労働に忙殺される中、1年ごとの「住宅無償提供延長」に不安と安堵を繰り返した。離婚して母子家庭になれば公的支援も受けやすくなるが、夫は離婚には応じなかった。「夫が怒る気持ちも分かります。私が家族をバラバラにさせてしまったんです」、「私が被曝に無関心だったら、私さえ放射能を気にしなかったら、震災前のように暮らせたかな」。自分を責め続け、次第に心のバランスが崩れて行った。そして、ついに強行された住宅の無償提供打ち切り。放射線から我が子を守るという至極当然の想いと行動の末の悲劇。国や行政がいかに避難者に寄り添って来なかったかが良く分かる。
あの頃、筆者に宛てたメールにこう綴っていた。
「いつか、いろいろなことが順調に回りだして『母子避難でもハッピー』みたいな取材にお答えできる日が来るように、毎日ちょっとずつ頑張ろうと思います」
松本さんは言う。「彼女の事を『無かった事』にはしたくないんです」。被曝受忍か貧困か。そんな選択を避難者に強いた末の自死など起きてはならない。福島県生活拠点課によると「〝自主避難者〟の避難先での自死については把握していない。統計も無い」。

原発避難当事者であり、「避難の協同センター」共同代表世話人でもある松本徳子さん。衆議院の東日本大震災復興特別委員会で「生きるための住まいを奪わないでいただきたい」、「吉野復興大臣は当事者の生の声を直接、聴いていただきたい」と訴えた=衆議院インターネット審議中継「ビデオライブラリ」より
【「復興大臣は当事者と面会を」】
松本さんに与えられた時間は15分。思いの丈をぶつけるように語った。
「口を揃えて『避難者に寄り添って』など、全て嘘でした」
「現在の政権を握っているトップは、私たちの苦しみなど何とも思っていないということです」
「2020年のオリンピックには福島第一の事故は収束、避難者をゼロにする事が今の政権の目標なのでしょう」
原発事故によって放射性物質がばら撒かれた。被曝リスクが確実に存在する土地からの避難の合理性がなぜ認められないのか。国の一方的な線引きで、あたかも勝手に避難した〝自主避難者〟と分類され、挙げ句に「自立せよ」と住まいを奪われた。松本さんは、福島県が住宅無償提供を今年3月末で打ち切ると打ち出してから、一貫して白紙撤回と当事者との協議を求めてきた。福島県庁に、内堀雅雄知事宛ての直訴状を持参した事もあった。寒風が肌に刺さる中での抗議行動も行った。しかし、全て無視された。内堀知事は最後まで避難者と会って話し合おうとはしなかった。
「国内難民となった私たちのような人間の中には、住宅提供を打ち切られた事によって今まで頑張ってきた力も心身ともに疲れ果て、自らの命を絶つ事で子どもたちを守る道を選びました。私の知る『彼女』は、ただ、子どもたちと静かに生活する事だけが願いでした。この事は決して忘れてはいけないと思っています」
「避難の協同センター」には、電話やメールでSOSがいくつも寄せられる。しかし、市民団体の力には限りがある。「子ども被災者支援法があるにもかかわらず実行されていない事で生活困窮に立たされてしまった。生きるための住まいを奪わないでいただきたい」として、次の6項目の実施を求めた。
①現段階で住まいが確定できていない避難者の正確な把握
②家賃支払いや転居費用などで経済的に困っている避難者の実態把握
③住宅無償提供打ち切りの見直し、可能な経済支援の実施
④生活保護要件に該当する避難者世帯への生活保護受給
⑤吉野正芳復興大臣による公開の場での避難当事者団体や支援団体からの意見聴取
⑥子ども被災者支援法の理念を守り、実現に力を尽くす
特に吉野復興大臣に対しては「当事者の生の声を直接、聴いていただきたい」と付け加えた。

2016年12月、住宅の無償提供打ち切りを撤回するよう「直訴状」を手に福島県庁を訪れた松本さん。しかし、内堀知事は一度も当事者の声に耳を傾ける事無く「ていねいに戸別訪問を行う」などと言いながら打ち切りを強行した
【避難者と会わない内堀知事】
「生活保護を受けたくても、車を所持していれば受けられない。生活保護を何とか受けられたにしても、福島県からの家賃補助が受けられない。国が避難者を貧困に追いやっているのです」
原発事故が起きたからこその避難。しかし、国も行政も「ハコもの」ばかりに予算をつぎ込む「公共事業重点型復興」ばかりを進め、避難指示区域を解除し、避難指示の出ていない〝自主避難者〟からは住まいを奪った。福島県が打ち出した新たな家賃補助は2年間の期間限定。これまでの避難者団体の交渉で、福島県側は住宅の無償提供を延長しない合理的な理由を提示できていない。「避難していない県民の方が多い」、「除染などで空間線量が下がった」、「多くの人が普通に暮らしている」と〝自主避難〟の合理性を否定するような発言に終始する。
内堀知事は、避難当事者と会わない理由の一つに「多忙」を挙げるが、一方で「汚染」や「被曝」を口にせず「前向き」で「復興」に寄与するような人物や団体とは喜んで会っている。追い詰められた末に避難先で自死した「彼女」の苦悩など知る由もあるまい。
福島県生活拠点課によると今月17日現在、新たな住まいが決まっていない「未確定」の〝自主避難者〟は116世帯。そのうち、県外自主避難者は59世帯(民間借り上げ住宅6、公営住宅、雇用促進住宅など53)、県内自主避難者は57世帯(民間借り上げ住宅17、公営住宅、雇用促進住宅など2、応急仮設住宅38)。連絡がつかない、もしくは所在が分からない「不在」は27世帯。県外自主避難者は5世帯(民間借り上げ住宅2、公営住宅、雇用促進住宅など3)、県内自主避難者は22世帯(民間借り上げ住宅2、公営住宅、雇用促進住宅など1、応急仮設住宅19)という。
数字だけ見ればほとんどの〝自主避難者〟が新たな住まいを確保出来ているようだが、現実はそうばかりも言えない。執拗に迫られて住まいを退去したものの新たな住まいを確保出来ていない避難者や、新たな住まいの契約は済ませても家賃を支払えるめどが立っていない避難者もいる。福島県は「不在」27世帯に関して強制的な明け渡し請求も視野に入れながら〝一掃〟する方針を打ち出した。内堀知事は22日の定例会見で「所在のつかめている避難者に対する明け渡し請求は考えていない」と明言したが、担当職員は将来の法的措置について「現段階では何とも言えない」と含みを残している。
(了)
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