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【61カ月目の浪江町はいま】「帰りたい、帰れない」。避難指示解除控え深まる町民の葛藤と国への怒り

半年ぶりに訪れた福島県浪江町。ウグイスの鳴き声が響き、桜は満開。だが、春の息吹とは裏腹に、2017年3月末にも予定されている避難指示解除に向け、町民の葛藤は深まるばかり。「放射線量は下がりました。はい、帰りましょう」などと簡単には割り切れない現実がそこにはあった。「ぜひ浪江町に住んでみてから避難指示を解除して欲しい」。町民の言葉を安倍晋三首相はどう受け止めるのか。町民不在で進められる〝復興政策〟への町民の怒りは根深い。


【除染が済んでも「帰らない」】
 男性は答えに困っていた。
 「そうやって質問されると、迷ってしまうね」
 自宅は、年間積算線量が20mSv超50mSv以下の「居住制限区域」に指定される地域にある。スズランが可憐な白い花を咲かせる庭で、手元の線量計は2.8μSv/hに達した。自宅周辺の除染作業が始まり、マイクロバスの中では作業員らが昼休みをとっていた。雑草が伸び放題だった田畑はきれいに刈り取られ、代わりに真っ黒いフレコンバッグが並ぶようになった。時期は決まっていないが、いずれ自宅の除染も始まる。事前の打ち合わせは済んだ。除染が終われば数字は今より下がる。男性はこれまで、一貫して「浪江町には戻らない」と話していた。「除染が終わっても戻りませんか?」。冒頭の言葉は、そう尋ねた私への、男性からの答えだった。言葉はすぐには出て来なかった。
 「そりゃ、長年住んだ自宅だもの。友人もいない、土地勘のない伊達市のアパートより、住み慣れた我が家で暮らしたいよ。除染をするなら当然、0.23μSv/hまで下げて欲しいけれど下がるのかなあ。それに下がったとしても、いったん気持ちは離れてしまったから…。やっぱり帰らないんじゃないかな」
 国は2017年3月末をもって、「帰還困難区域」(年間積算線量50mSv超)を除く「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」(年間積算線量20mSv以下)の避難指示を解除する方針を固めていて、浪江町では来春に向けて除染が本格化している。馬場宥町長の合言葉は「きれいな浪江町を取り戻そう」だ。
 常磐道・浪江インターチェンジからほど近い加倉地区(居住制限区域)でも、114号線沿いの住宅の庭には茶色の新しい土が敷かれ、付近の田んぼには除去した表土の入ったフレコンバッグが並べられているのが車中からでも良く分かる。この光景だけを見れば、浪江町も「住民の帰還に向けて着々と準備を進めている」という印象を持たれるだろう。男性の心が揺れるのも当然だ。しかし、政治家や官僚が「数値は下がった。さあ帰りましょう」とどれだけアピールしても、住民はそう簡単に割り切れるものではない。
 昨年9月に実施された「住民意向調査」では、避難指示が解除された場合に「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」と答えた町民はわずか17.8%。「戻らないと決めている」は48%だった。この傾向は年代が下がるほど顕著で、30代以下で帰還の意思を示した町民は10%を割り込んでいる。町に戻る場合でも、18歳未満の子どもと一緒に帰還すると答えた町民は、わずか2%にも届かなかった。



(上)「復興祈願」と書かれたのぼりがはためく津島稲荷神社
(下)請戸川流れる赤宇木地区。手元の線量計は6μSv/hを超えた


【「浪江に住んでから避難解除を」】
 地元紙が「ふくしまの遊歩道50選」の一つに選んだ「請戸川リバーライン」。「なみえっ子カルタ」でもうたわれているように、川に沿って咲き誇る桜は素晴らしい。避難先の二本松市から来たという女性が満開の桜を見上げて写真を撮っていた。薄ピンク色の花びらの向こう側に、真っ青な浪江の空が広がる。「昔はここで毎年のように花見をしてね。花火も打ち上がったりして楽しかった」。駐車場に設置されたモニタリングポストは0.208μSv/hだった。ここ、権現堂地区は「避難指示解除準備区域」で、最も汚染の度合いが低いとされる。浪江駅や町役場、商店街があり、町で一番にぎわっていた地域だった。
 「私たちは戻りませんよ」
 商店街の一角で、夫と共に小売店を長年、営んできた60代の女性は言った。「私や夫は年老いたから良いけれど、子どもたちがね…。表面的に『きれいになった』と言われても、目に見えない物への不安は残ります。それを抱えながら生活をしていく勇気は無いのよ」。
 千葉県内の避難先から浪江町まで車で約3時間。わずかな滞在時間で片付けている。こうやって帰ってくると、避難先の人々の誤解と現実とのギャップに複雑な気持ちになるという。
 「浪江町がすっかり復興していると勘違いしている人も多いのよ。本当の事を話すと驚かれる。そりゃそうよね。テレビや新聞は良い場面しか報じないもの」
 除染は済んだ。だが、測定地点によって数値は異なる。空間線量が下がっても、放射性物質の浮遊を視覚的にとらえることは出来ない。「今は良くても、何代か先の世代に健康被害が出ないとも分からない」。避難指示が解除されても、町での生活を再開させるのが高齢者ばかりでは町の存続も危うい。商売の先行きを見通せる状態でもない。「そういった〝現実〟を無視して、とにかく町民を戻すことが前提で何もかもが進められているのがおかしいわよね」。女性はさらに、こうも言った。
 「政治家はどうして現実を見てくれないのかしら。東京五輪で世界に復興をアピールしたいことは分かっていますよ。私たちの知らない、政治的な事情があるのでしょう」
 除染に莫大な予算をつぎ込むくらいなら、双葉郡全体を正当な価格で国が買い上げて放射性廃棄物の巨大処理地にすれば、住民が帰還で悩む必要もなくなる─。原発事故直後からずっとそう考えてきた。「でも、それではゼネコンが儲からなくなってしまうものね」。浪江町も通る国道6号を子どもたちが清掃したと思えば、今度は東京五輪の聖火リレーに安倍晋三首相が前向きになっているという。女性は大きくため息をついた。
 「安倍首相は、まず浪江に住んでみてから避難指示を解除して欲しい」
 町民不在の〝復興政策〟にはもう、うんざりなのだ。



(上)居住制限区域で行われている除染作業。来春にも避難指示が解除される予定だ
(下)男性の自宅で手元の線量計は2.8μSv/hを超えた


【お金に換算できぬ「ふるさと喪失」】
 静まり返った森に、ウグイスの鳴き声が響いた。
 住民がいなくなった「帰還困難区域」に、今年も春がきた。
誰もいない街。昼曽根地区の使われない公衆電話の横で、手元の線量計は5μSv/hを超えた。「電話してみる?」。男性はおどけた表情で言った。電話をかけたら〝あの頃の浪江町〟につながるのだろうか。津島稲荷神社では、氏子たちが作った「早期復興祈願」ののぼりがはためいている。参道で線量計の数値は2μSv/h超。赤宇木地区に至っては、6μSv/hを上回る。葛尾村への道路に面した大柿簡易郵便局に設置されたモニタリングポストも6.5μSv/hを超していた。
 帰還困難区域の南端にあたる室原地区では桜が満開になっていたが、手元の線量計は3μSv/h以上。「自分の地域の線量が下がっても、山側の汚染が解消されないと不安だ」と多くの町民が口にするのも理解できる。「住民意向調査」でも、50代の男性が「津島地区の山林や川底、ダム湖底のセシウムなどを除去しない限り、下流域での生活はしたくない」と答えている。
 間もなく62歳になる男性は最近、ようやく精神的損害に対する賠償金を東電から受け取った。国や東電に屈するようで、これまで送られてきた封筒を開ける事さえしなかった。母親の分も合わせると金額は大きくなったが、原発事故が奪った「故郷」はお金には換算できない。
 「故郷を追われるということがどういうことか、みんな分かってないよ」
 浪江の空に、ウグイスの鳴き声が再び、響いた。


(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)

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