【子ども被災者支援法】「塩漬け、棚ざらし、骨抜き」の5年間。踏みにじられる「選択」。住宅、健康…課題山積。〝救世主〟よ息を吹き返せ、と永田町で集会
- 2017/06/21
- 09:16
「被災者の生活を守り支え」「被災者の不安の解消及び安定した生活の実現に寄与すること」を目的とした「子ども被災者支援法」の制定から5年を迎えるのを機に、その実効性を高めようと20日午後、参議院会館で集会が開かれた。避難当事者が「塩漬け、棚ざらし、骨抜きの道を歩んだ」と失望すれば、弁護士も「線量基準を法律に盛り込む必要があった」などと不備を指摘。保養や健康調査、住宅問題も含め、法の理念とはほど遠い原発被害者支援が続いている現状が改めて浮き彫りになった。国際環境NGO「FoE Japan」の主催。
【「法で網羅して救済を」】
「法律が私たちの味方になってくれる時が来たと思いました。心が躍りました」
長谷川克己さん(福島県郡山市から静岡県富士宮市に避難中)は、5年前に子ども被災者支援法が衆議院で可決成立した時の心境を、こう振り返った。原発事故から5カ月後の2011年8月、「不安な日々の中、このまま政府の無策に付き合っていては子どもを守れない」との決意で〝自主避難〟を選択した。「我一人立つ」。妊娠中の妻と5歳の長男を車に乗せて西へ向かった。政治家も医師も「放射能は怖くない」と守ってくれなかった中で、ついに原発被害者のための法律ができた。はずだった。
「しかしその後、この法律が歩んだのは、ここに集まった皆さんなら御承知の通り、『塩漬け、棚ざらし、骨抜き』の道でした。大切な子どもたちへの私たちの想いをフェイクの道具のように使うのはやめて欲しいと思いました。救世主であったはずの法律がこんなことになってしまった、と憤りました」。目の前にある法律が、得体の知れない怪物のようにさえ見えたという。
もちろん、多くの人が立法に向けて尽力した事は理解している。しかし、これが当時の偽らざる心境。「私たち避難者が胸を躍らせ、お父さん頑張ったよ、お母さん頑張ったよと胸を張れるはずだった『子ども被災者支援法』は、背骨の無いアメーバのように私の前にありました。この法律の理念である『被災者自らの意思による移住、移動、帰還の選択の支援』を(条文の)どこに感じ取って良いのかさえ、分からなくなっていました」。
〝自主避難者〟への住宅無償提供が打ち切られて間もなく3カ月。「『国民不在、問答無用』の政府の悪政が加速しようとしている今こそ、良心に基づいた、力強い法律が必要だと考えています」と長谷川さん。本来ならば、『子ども被災者支援法』がその役割を担うはずだった。全国に散らばった避難者は、その実数さえ国も行政も掌握しきれていないまま。避難当事者である長谷川さんでさえ、同じ静岡県に避難したほんの一握りの人にしか会った事が無いという。
「連絡も取れずに、人知れず、今日にも明日にも崩れ落ちそうになる生活を持ちこたえようとしている仲間に、何も出来ない状況が続いています。一人も路頭に迷わせないならば、法律で網羅して救って行くのが最善の方法だと思います」。目の前で困っている避難者を救うだけでは限界がある事を、長谷川さん自身がよく分かっている。
「誰か任せで明日は無い。この法律が息を吹き返し、多くの人たちから感謝される法律に生まれ変われるよう、当事者の立場として誠心誠意、自分の出来る事をやって行きたい」



(上)避難当事者として常に声をあげてきた長谷川克己さん。「子ども被災者支援法」の現状を「塩漬け、棚ざらし、骨抜き」と厳しく批判。「息を吹き返すよう、出来る事をやって行きたい」と語った
(中)保養団体「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会・世話人の小川杏子さん。資金不足、風化の中で「多様な選択肢の一つとして保養は必要」と公的な保養制度の確立を求めた
(下)「子ども被災者支援法」の発議者の1人である川田龍平参議院議員。「長谷川さんの指摘はその通り。法の存在を知らない国会議員も増えてきた。裁判によらなくても子どもたちの命が守られるよう、あきらめずに繰り返し地元の国会議員に訴えて欲しい」と述べた=東京・永田町の参議院会館講堂
【明記されなかった1mSv/年】
「子ども被災者支援法」(正式名称:東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)は、超党派の国会議員による議員立法で、2012年3月に与野党から法案提出。一本化された法案が6月15日に参議院で、同月21日に衆議院で可決され、成立。同月27日に施行された。
法律家の立場から「子ども被災者支援法」の成立に奔走した福田健治弁護士(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク共同代表)は「避難先での公営住宅への入居円滑化など、この法律がある事で実現した施策もある。大枠では今でも高く評価できる法律だ」と語った。しかし、その一方で「問題点はいろいろあって挙げ始めたらきりが無い」とも。①どのくらいの人が困っているのか、政府が避難者の数字を把握していない。政府や自治体が数字をまとめようとしないから、住宅問題も正面から批判しにくくなっている②支援の実施を福島県や避難先の自治体に丸投げして国は表に出ない③避難先での定住支援や健康診断や医療費の減免措置がほとんど何もなされていない─と指摘した。
さらに「子ども被災者支援法はプログラム法であって、基本方針をつくり具体的な施策を実施するというプロセスを政府に一任しているが、行政に対して支援実施に関する裁量を大きく与えている。何をやるか、やるかやらないかが行政主体になっている。その結果、行政のサボタージュを可能にしている。誰を支援するのか、という前提となる『支援対象地域』の設定方法が『一定の基準以上の放射線量』が基になっている。『一定の基準以上の放射線量』も政府が決める。本来であれば線量基準も法律に盛り込む必要があったのではないか」と語った。「被曝の問題は決して科学的には答えが出るものではない。政治が民主的に数字をきちんと決めるべきなのに、この点を行政に委ねたのは良く無かった」。また「当事者の参加」という点でも「実際に被災者の声をどれだけ聴いたのか。被災者が参加できる常設機関を設置するという事を法律に書き込むべきだった」とも指摘した。
福田弁護士は「『支援対象地域』をなくすような基本方針の改定を恐れている。まだまだ避難元に帰れない人がいる中で、いかに支援対象地域を維持させるかというのが大きなポイントになる」と語った上で「この法律は福島第一原発事故にだけ適用される法律。しかし、再び原発事故が起こらないという保証はどこにも無い。次の事故があった時にどのような対策をするのか。次の事故の被災者がどのような権利を得られるのか。再稼働に際して明確にされる必要がある。国には法的責任がある」と提起した。


(上)施行から5年を迎え、「子ども被災者支援法」を実効性あるものにしようと開かれた集会。
(下)「子ども被災者支援法」は、第二条で当事者の主体的な選択を尊重するよううたっているが、実際の施策は不十分。挙げ句に〝自主避難者〟向け住宅の無償提供は今年3月末で打ち切られた
【「公的な保養制度必要」】
集会には、法案の発議者の1人である川田龍平参議院議員も参加。自身の薬害エイズ訴訟での経験から「裁判というのは原告になった側が被害を立証しなければならないが、目に見えない、味もしない放射性物質による被害を裁判で科学的に立証するのは非常に難しい。血液製剤でも、感染ルートや時期を特定するのは難しかった。裁判を起こさなくても被害者が救済される制度をつくろうと奔走した」と振り返った。福田弁護士が指摘した線量基準については「みんな『1mSv/年以上』という思いでやっていたが、条文の中に1mSv/年を明記できなかったのは忸怩たる思い」と語った。
法律が「塩漬け、棚ざらし、骨抜き」になってしまった要因としては「政権交代が大きい。政府は自分たちがつくった法律では無い(議員立法)ので本腰を入れてやらない。一緒にやっていた自民党の森雅子さん(参議院議員)も大臣になって政府の側に入ってしまった。政権交代をして、真剣にやろうとする人が政権の中にいないと機能しない」と語った。「当選したばかりの国会議員は、子ども被災者支援法を知らない人も多い。ぜひ国会で質問するよう、自分の選挙区の議員に働きかけて欲しい。マスコミの記者もこの法律を知らない人が中にはいると思う。避難者が生活出来るような社会の仕組みをつくるために、あきらめずに繰り返し訴えて欲しい」。
2011年8月から親子保養を継続して無料で受け入れている「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会・世話人の小川杏子さんは、原発事故から6年3カ月が経った今「経済的な理由で自力での保養が難しかったり、子どもの部活動や周囲の視線から保養プログラムに参加出来ないなど、状況は多様化している。一方で保養へのニーズは無くなっていない。昨夏の倍率は7倍だった。もっと受け入れたいが資金不足やキャパシティの問題などがあって難しい。子ども被災者支援法に基づいた『ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業』があるが、福島県内の団体である事、6泊7日以上のプログラムである事などの条件があって活用しにくい」として、公的な保養制度の確立を求めた。「保養は福島で生活するお母さんたちの悩みや想いを受け止める場でもある。『保養は道しるべ』と言う声もある」と保養の必要性を訴えた。
「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんは、住宅問題や貧困問題を通して避難者支援を続けている立場から「この問題は終わっていない」と訴えた。崎山比早子さん(NPO法人3・11甲状腺がん子ども基金代表理事)は「本来なら、子ども被災者支援法13条に基づいて国が甲状腺ガン患者の支援をしなければならないが、待っていては間に合わないので基金を設立した」と国の無作為を批判した。
(了)
【「法で網羅して救済を」】
「法律が私たちの味方になってくれる時が来たと思いました。心が躍りました」
長谷川克己さん(福島県郡山市から静岡県富士宮市に避難中)は、5年前に子ども被災者支援法が衆議院で可決成立した時の心境を、こう振り返った。原発事故から5カ月後の2011年8月、「不安な日々の中、このまま政府の無策に付き合っていては子どもを守れない」との決意で〝自主避難〟を選択した。「我一人立つ」。妊娠中の妻と5歳の長男を車に乗せて西へ向かった。政治家も医師も「放射能は怖くない」と守ってくれなかった中で、ついに原発被害者のための法律ができた。はずだった。
「しかしその後、この法律が歩んだのは、ここに集まった皆さんなら御承知の通り、『塩漬け、棚ざらし、骨抜き』の道でした。大切な子どもたちへの私たちの想いをフェイクの道具のように使うのはやめて欲しいと思いました。救世主であったはずの法律がこんなことになってしまった、と憤りました」。目の前にある法律が、得体の知れない怪物のようにさえ見えたという。
もちろん、多くの人が立法に向けて尽力した事は理解している。しかし、これが当時の偽らざる心境。「私たち避難者が胸を躍らせ、お父さん頑張ったよ、お母さん頑張ったよと胸を張れるはずだった『子ども被災者支援法』は、背骨の無いアメーバのように私の前にありました。この法律の理念である『被災者自らの意思による移住、移動、帰還の選択の支援』を(条文の)どこに感じ取って良いのかさえ、分からなくなっていました」。
〝自主避難者〟への住宅無償提供が打ち切られて間もなく3カ月。「『国民不在、問答無用』の政府の悪政が加速しようとしている今こそ、良心に基づいた、力強い法律が必要だと考えています」と長谷川さん。本来ならば、『子ども被災者支援法』がその役割を担うはずだった。全国に散らばった避難者は、その実数さえ国も行政も掌握しきれていないまま。避難当事者である長谷川さんでさえ、同じ静岡県に避難したほんの一握りの人にしか会った事が無いという。
「連絡も取れずに、人知れず、今日にも明日にも崩れ落ちそうになる生活を持ちこたえようとしている仲間に、何も出来ない状況が続いています。一人も路頭に迷わせないならば、法律で網羅して救って行くのが最善の方法だと思います」。目の前で困っている避難者を救うだけでは限界がある事を、長谷川さん自身がよく分かっている。
「誰か任せで明日は無い。この法律が息を吹き返し、多くの人たちから感謝される法律に生まれ変われるよう、当事者の立場として誠心誠意、自分の出来る事をやって行きたい」



(上)避難当事者として常に声をあげてきた長谷川克己さん。「子ども被災者支援法」の現状を「塩漬け、棚ざらし、骨抜き」と厳しく批判。「息を吹き返すよう、出来る事をやって行きたい」と語った
(中)保養団体「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会・世話人の小川杏子さん。資金不足、風化の中で「多様な選択肢の一つとして保養は必要」と公的な保養制度の確立を求めた
(下)「子ども被災者支援法」の発議者の1人である川田龍平参議院議員。「長谷川さんの指摘はその通り。法の存在を知らない国会議員も増えてきた。裁判によらなくても子どもたちの命が守られるよう、あきらめずに繰り返し地元の国会議員に訴えて欲しい」と述べた=東京・永田町の参議院会館講堂
【明記されなかった1mSv/年】
「子ども被災者支援法」(正式名称:東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)は、超党派の国会議員による議員立法で、2012年3月に与野党から法案提出。一本化された法案が6月15日に参議院で、同月21日に衆議院で可決され、成立。同月27日に施行された。
法律家の立場から「子ども被災者支援法」の成立に奔走した福田健治弁護士(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク共同代表)は「避難先での公営住宅への入居円滑化など、この法律がある事で実現した施策もある。大枠では今でも高く評価できる法律だ」と語った。しかし、その一方で「問題点はいろいろあって挙げ始めたらきりが無い」とも。①どのくらいの人が困っているのか、政府が避難者の数字を把握していない。政府や自治体が数字をまとめようとしないから、住宅問題も正面から批判しにくくなっている②支援の実施を福島県や避難先の自治体に丸投げして国は表に出ない③避難先での定住支援や健康診断や医療費の減免措置がほとんど何もなされていない─と指摘した。
さらに「子ども被災者支援法はプログラム法であって、基本方針をつくり具体的な施策を実施するというプロセスを政府に一任しているが、行政に対して支援実施に関する裁量を大きく与えている。何をやるか、やるかやらないかが行政主体になっている。その結果、行政のサボタージュを可能にしている。誰を支援するのか、という前提となる『支援対象地域』の設定方法が『一定の基準以上の放射線量』が基になっている。『一定の基準以上の放射線量』も政府が決める。本来であれば線量基準も法律に盛り込む必要があったのではないか」と語った。「被曝の問題は決して科学的には答えが出るものではない。政治が民主的に数字をきちんと決めるべきなのに、この点を行政に委ねたのは良く無かった」。また「当事者の参加」という点でも「実際に被災者の声をどれだけ聴いたのか。被災者が参加できる常設機関を設置するという事を法律に書き込むべきだった」とも指摘した。
福田弁護士は「『支援対象地域』をなくすような基本方針の改定を恐れている。まだまだ避難元に帰れない人がいる中で、いかに支援対象地域を維持させるかというのが大きなポイントになる」と語った上で「この法律は福島第一原発事故にだけ適用される法律。しかし、再び原発事故が起こらないという保証はどこにも無い。次の事故があった時にどのような対策をするのか。次の事故の被災者がどのような権利を得られるのか。再稼働に際して明確にされる必要がある。国には法的責任がある」と提起した。


(上)施行から5年を迎え、「子ども被災者支援法」を実効性あるものにしようと開かれた集会。
(下)「子ども被災者支援法」は、第二条で当事者の主体的な選択を尊重するよううたっているが、実際の施策は不十分。挙げ句に〝自主避難者〟向け住宅の無償提供は今年3月末で打ち切られた
【「公的な保養制度必要」】
集会には、法案の発議者の1人である川田龍平参議院議員も参加。自身の薬害エイズ訴訟での経験から「裁判というのは原告になった側が被害を立証しなければならないが、目に見えない、味もしない放射性物質による被害を裁判で科学的に立証するのは非常に難しい。血液製剤でも、感染ルートや時期を特定するのは難しかった。裁判を起こさなくても被害者が救済される制度をつくろうと奔走した」と振り返った。福田弁護士が指摘した線量基準については「みんな『1mSv/年以上』という思いでやっていたが、条文の中に1mSv/年を明記できなかったのは忸怩たる思い」と語った。
法律が「塩漬け、棚ざらし、骨抜き」になってしまった要因としては「政権交代が大きい。政府は自分たちがつくった法律では無い(議員立法)ので本腰を入れてやらない。一緒にやっていた自民党の森雅子さん(参議院議員)も大臣になって政府の側に入ってしまった。政権交代をして、真剣にやろうとする人が政権の中にいないと機能しない」と語った。「当選したばかりの国会議員は、子ども被災者支援法を知らない人も多い。ぜひ国会で質問するよう、自分の選挙区の議員に働きかけて欲しい。マスコミの記者もこの法律を知らない人が中にはいると思う。避難者が生活出来るような社会の仕組みをつくるために、あきらめずに繰り返し訴えて欲しい」。
2011年8月から親子保養を継続して無料で受け入れている「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会・世話人の小川杏子さんは、原発事故から6年3カ月が経った今「経済的な理由で自力での保養が難しかったり、子どもの部活動や周囲の視線から保養プログラムに参加出来ないなど、状況は多様化している。一方で保養へのニーズは無くなっていない。昨夏の倍率は7倍だった。もっと受け入れたいが資金不足やキャパシティの問題などがあって難しい。子ども被災者支援法に基づいた『ふくしまっ子自然体験・交流活動支援事業』があるが、福島県内の団体である事、6泊7日以上のプログラムである事などの条件があって活用しにくい」として、公的な保養制度の確立を求めた。「保養は福島で生活するお母さんたちの悩みや想いを受け止める場でもある。『保養は道しるべ』と言う声もある」と保養の必要性を訴えた。
「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんは、住宅問題や貧困問題を通して避難者支援を続けている立場から「この問題は終わっていない」と訴えた。崎山比早子さん(NPO法人3・11甲状腺がん子ども基金代表理事)は「本来なら、子ども被災者支援法13条に基づいて国が甲状腺ガン患者の支援をしなければならないが、待っていては間に合わないので基金を設立した」と国の無作為を批判した。
(了)
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