【75カ月目の福島はいま】「保養に公的支援を」。全国108団体が国と福島県に要望書提出。原発事故6年でもなお高まる需要。受け入れ団体の疲弊は深刻化
- 2017/06/28
- 07:08
汚染の低い土地で生活する事で子どもたちが体内に取り込んだ放射性物質を排出してもらおうと「保養」に取り組んでいる全国の団体が、公的支援を求めて立ち上がった。26日には都内で省庁に、27日午後には福島県庁を訪れて国や福島県に対し要望書を提出。〝自主避難者〟向け住宅の無償提供打ち切りなど帰還政策の加速で保養へのニーズが高まっているとして、国の制度としての「保養」を求めている。これまで国も行政も、保養参加への権利保障や機会均等に取り組んで来なかった。希望する親や子どもが等しく保養に参加出来る仕組みの確立が急がれる。
【資金不足とスタッフの疲弊】
「保養」とは、被曝リスクの存在する汚染地域に暮らす子どもたちが、被曝リスクの低い土地で生活する事で放射性物質を体外に排出したり、心置きなく屋外で遊んだりする取り組み。チェルノブイリ原発事故後のベラルーシでは国の制度として毎年、子どもたちが3週間以上の「保養」に参加しているが、日本では公的な制度になっておらず市民の善意に依存しているのが実情。民間団体が寄付を募りながら、ボランティアスタッフを中心に運営している。保養期間は日帰りから数週間程度と様々で、費用も完全無償もあれば有償のものもある。
復興庁、文部科学省、環境省、福島県に提出された要望書は、原発事故から6年が過ぎてもなお、把握できているだけで年間9000人の保養参加者がいる事、今年3月末で〝自主避難者〟向け住宅の無償提供が打ち切られるなど帰還政策が加速する中で、保養へのニーズが高まっている事、一方で、全国の保養団体の多くが人的にも資金的にも疲弊している事を指摘。「子ども被災者支援法」に基づき保養を国の制度として位置付ける事や、全国で実施されている保養プログラムへの公的支援を求めている。福島の送り出し団体や全国の受け入れ団体、計108団体が賛同して名を連ねた。
福島県庁の記者クラブで会見した疋田香澄さん(リフレッシュサポート)は、2016年7月にまとめた保養実態調査の結果を示しながら「保養団体の収入は71%が寄付金だが、支出の40%を交通費が占めており資金が不足している。スタッフ不足を挙げる団体も多かった。平均滞在日数は5.3日間だが、実際には参加を希望する人の7割程度しか参加出来ていない。そもそも保養の情報がどこにあるのか分からない、日程が合わないという声もある」と保養を取り巻く現状を報告。一方で「新しく妊娠した母親や住宅無償提供打ち切りで福島へ戻った帰還者からの問い合わせが増えている」という。
会見に同席した福島県北地域在住の母親は、娘と共に秋田や三重での保養プログラムに参加したことがあるという。「放射能については確定的な事は分からないので、子どもにリスクを背負わせたくないし、子どものうちは自分で選択する事が出来ないので出来るだけの事はしてあげたい。様々な考えの人がいるが、保養は危険をあおるものでは無い。私の周りではニーズがある。保養は福島で子育てをしていく上で欠かせない。保養を継続するための公的支援を願っている」と想いを語った。


(上)要請行動を終え、記者会見を開いた佐藤洋さん(左)と疋田さん。保養へのニーズが減らない一方で、保養団体が資金的にも人的にも疲弊している現状を訴えた=福島県庁
(下)残念ながら記者クラブ加盟社の関心は低く、フリーランス記者を除けば出席した記者は4人にとどまった
【図られなかった機会均等】
日本での「保養」の歩みは〝自主避難者〟と似ている。
公的な制度として権利保障、機会均等が図られなかった。避難と同様、家族間での放射線防護への考え方の相違から、福島県内で定期的に開催される保養相談会に出向く事すら難しい状況が続いている。過去の取材でも、「夫や祖父母に内緒で保養相談会に来た」と話す母親は何人もいた。中通りのある母親は「学校でチラシを配ってもらうために相談会への教育委員会の後援を得たが、実際には学校長の判断で配布しない学校もある」と話す。「被曝リスクなど存在しないのに、なぜ保養を行わなければならないのか」という考え方の前に、少しでも被曝リスクの低い土地で子どもを伸び伸びと遊ばせたいという親の願いは委縮してしまう事も少なくない。
また、子ども自身が参加を希望しても、親が保養に否定的な場合には道が閉ざされてしまう。保養プログラムは夏休みや冬休みに開催されるケースが多いが、学校の部活動がハードルとなるケースも多い。全国の受け入れ団体に対しては、保養を行う事で風評につながるのではないかとの意見もあるという。国や行政が「保養」という表現を避け「移動教室」「自然体験」などと言い換える傾向にあるのは「保養が必要なほど汚染されている土地」というイメージを嫌うためだ。
ごく一部だが、本来の目的でなく子どもを保養に参加させる親もいる。ある保養相談会上では「体の良い夏休みの旅行だ」ときっぱりと話す母親がいた。とはいえ受け入れ側で選別する事も難しく、一方で放射線防護の目的で参加したい人の枠が埋まってしまうというジレンマも抱える。だからこそ、機会均等の意味でも公的な制度としての保養が求められるのだ。なぜ保養相談会に参加するのに嘘をつかなければならないのか。なぜ保養への参加が一つの選択として尊重されないのか。
保養受け入れ団体「Team毎週末みんなで山形」代表の佐藤洋さんは言う。
「選択肢の一つとして現実的に必要なんです。原発事故のインパクトは6年経ってもまだ残っている。もし保養プログラムが無ければ、親が抱く被曝への不安を我慢する事になってしまう。ぜひ理解して欲しい」


(上)「保養実態調査」では、「国や自治体が保養を行ってほしい」と回答した団体が最も多かった
(下)どの受け入れ団体も、一人でも多くの親子を受け入れたい。しかし、資金や人手には限界があり、苦渋の想いで募集の打ち切りや抽選を行うという
【「本音で話せる場が保養」】
会見では、医師で「3・11甲状腺がん子ども基金」顧問を務める牛山元美さん(神奈川県相模原市、さがみ生協病院内科部長)のメッセージも代読された。
「これまで、甲状腺エコー検診や相談活動を通して、保養に行く方からも、避難している方からも、それ以外の方法で原発事故由来の被ばくを避けている方からも、お話を聞いてきました。様々なデータや見解がありますが、まだ確定的なことが分かっていない以上、可能な範囲で被ばくリスクを減らそうとする個々人の試みは正当なものです。今回当事者と支援団体が公的支援を求めている『保養』は、選択肢の一つとして重要なものでしょう。現実として、毎年多くの方が保養に出かけており、保養先が本当の想いや不安を吐き出せる場になっているようです。保養は『福島が危険だ』と言うためのものではなく、リフレッシュや子どもの健やかな成長のための貴重な機会となっています。公的に支援していく意味がある活動だと考えます」
保養は子どもたちだけでなく、親の心をも癒す。
2011年8月から親子保養を継続して無料で受け入れている「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会・世話人の小川杏子さんは、今月20日に参議院会館で開かれた「子ども被災者支援法」の集会で「保養は福島で生活するお母さんたちの悩みや想いを受け止める場でもある。『保養は道しるべ』と言う声もある」と指摘した。「保養に行くとようやく本音で話せる」と話す母親は少なくない。
福島県保育連絡会が今年5月に発行した「福島の保育(白書14集)」。この中で「福島で保育するということ」として次のような記載がある。
「放射線量が下がったから、除染が進んだから、すんなりと外遊びや自然とのふれあいなどの経験ができるようになったわけではありません」
大人の主義主張に振り回されず、子どもたちが等しく「保養」に参加出来るような制度の確立が求められる。
(了)
【資金不足とスタッフの疲弊】
「保養」とは、被曝リスクの存在する汚染地域に暮らす子どもたちが、被曝リスクの低い土地で生活する事で放射性物質を体外に排出したり、心置きなく屋外で遊んだりする取り組み。チェルノブイリ原発事故後のベラルーシでは国の制度として毎年、子どもたちが3週間以上の「保養」に参加しているが、日本では公的な制度になっておらず市民の善意に依存しているのが実情。民間団体が寄付を募りながら、ボランティアスタッフを中心に運営している。保養期間は日帰りから数週間程度と様々で、費用も完全無償もあれば有償のものもある。
復興庁、文部科学省、環境省、福島県に提出された要望書は、原発事故から6年が過ぎてもなお、把握できているだけで年間9000人の保養参加者がいる事、今年3月末で〝自主避難者〟向け住宅の無償提供が打ち切られるなど帰還政策が加速する中で、保養へのニーズが高まっている事、一方で、全国の保養団体の多くが人的にも資金的にも疲弊している事を指摘。「子ども被災者支援法」に基づき保養を国の制度として位置付ける事や、全国で実施されている保養プログラムへの公的支援を求めている。福島の送り出し団体や全国の受け入れ団体、計108団体が賛同して名を連ねた。
福島県庁の記者クラブで会見した疋田香澄さん(リフレッシュサポート)は、2016年7月にまとめた保養実態調査の結果を示しながら「保養団体の収入は71%が寄付金だが、支出の40%を交通費が占めており資金が不足している。スタッフ不足を挙げる団体も多かった。平均滞在日数は5.3日間だが、実際には参加を希望する人の7割程度しか参加出来ていない。そもそも保養の情報がどこにあるのか分からない、日程が合わないという声もある」と保養を取り巻く現状を報告。一方で「新しく妊娠した母親や住宅無償提供打ち切りで福島へ戻った帰還者からの問い合わせが増えている」という。
会見に同席した福島県北地域在住の母親は、娘と共に秋田や三重での保養プログラムに参加したことがあるという。「放射能については確定的な事は分からないので、子どもにリスクを背負わせたくないし、子どものうちは自分で選択する事が出来ないので出来るだけの事はしてあげたい。様々な考えの人がいるが、保養は危険をあおるものでは無い。私の周りではニーズがある。保養は福島で子育てをしていく上で欠かせない。保養を継続するための公的支援を願っている」と想いを語った。


(上)要請行動を終え、記者会見を開いた佐藤洋さん(左)と疋田さん。保養へのニーズが減らない一方で、保養団体が資金的にも人的にも疲弊している現状を訴えた=福島県庁
(下)残念ながら記者クラブ加盟社の関心は低く、フリーランス記者を除けば出席した記者は4人にとどまった
【図られなかった機会均等】
日本での「保養」の歩みは〝自主避難者〟と似ている。
公的な制度として権利保障、機会均等が図られなかった。避難と同様、家族間での放射線防護への考え方の相違から、福島県内で定期的に開催される保養相談会に出向く事すら難しい状況が続いている。過去の取材でも、「夫や祖父母に内緒で保養相談会に来た」と話す母親は何人もいた。中通りのある母親は「学校でチラシを配ってもらうために相談会への教育委員会の後援を得たが、実際には学校長の判断で配布しない学校もある」と話す。「被曝リスクなど存在しないのに、なぜ保養を行わなければならないのか」という考え方の前に、少しでも被曝リスクの低い土地で子どもを伸び伸びと遊ばせたいという親の願いは委縮してしまう事も少なくない。
また、子ども自身が参加を希望しても、親が保養に否定的な場合には道が閉ざされてしまう。保養プログラムは夏休みや冬休みに開催されるケースが多いが、学校の部活動がハードルとなるケースも多い。全国の受け入れ団体に対しては、保養を行う事で風評につながるのではないかとの意見もあるという。国や行政が「保養」という表現を避け「移動教室」「自然体験」などと言い換える傾向にあるのは「保養が必要なほど汚染されている土地」というイメージを嫌うためだ。
ごく一部だが、本来の目的でなく子どもを保養に参加させる親もいる。ある保養相談会上では「体の良い夏休みの旅行だ」ときっぱりと話す母親がいた。とはいえ受け入れ側で選別する事も難しく、一方で放射線防護の目的で参加したい人の枠が埋まってしまうというジレンマも抱える。だからこそ、機会均等の意味でも公的な制度としての保養が求められるのだ。なぜ保養相談会に参加するのに嘘をつかなければならないのか。なぜ保養への参加が一つの選択として尊重されないのか。
保養受け入れ団体「Team毎週末みんなで山形」代表の佐藤洋さんは言う。
「選択肢の一つとして現実的に必要なんです。原発事故のインパクトは6年経ってもまだ残っている。もし保養プログラムが無ければ、親が抱く被曝への不安を我慢する事になってしまう。ぜひ理解して欲しい」


(上)「保養実態調査」では、「国や自治体が保養を行ってほしい」と回答した団体が最も多かった
(下)どの受け入れ団体も、一人でも多くの親子を受け入れたい。しかし、資金や人手には限界があり、苦渋の想いで募集の打ち切りや抽選を行うという
【「本音で話せる場が保養」】
会見では、医師で「3・11甲状腺がん子ども基金」顧問を務める牛山元美さん(神奈川県相模原市、さがみ生協病院内科部長)のメッセージも代読された。
「これまで、甲状腺エコー検診や相談活動を通して、保養に行く方からも、避難している方からも、それ以外の方法で原発事故由来の被ばくを避けている方からも、お話を聞いてきました。様々なデータや見解がありますが、まだ確定的なことが分かっていない以上、可能な範囲で被ばくリスクを減らそうとする個々人の試みは正当なものです。今回当事者と支援団体が公的支援を求めている『保養』は、選択肢の一つとして重要なものでしょう。現実として、毎年多くの方が保養に出かけており、保養先が本当の想いや不安を吐き出せる場になっているようです。保養は『福島が危険だ』と言うためのものではなく、リフレッシュや子どもの健やかな成長のための貴重な機会となっています。公的に支援していく意味がある活動だと考えます」
保養は子どもたちだけでなく、親の心をも癒す。
2011年8月から親子保養を継続して無料で受け入れている「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会・世話人の小川杏子さんは、今月20日に参議院会館で開かれた「子ども被災者支援法」の集会で「保養は福島で生活するお母さんたちの悩みや想いを受け止める場でもある。『保養は道しるべ』と言う声もある」と指摘した。「保養に行くとようやく本音で話せる」と話す母親は少なくない。
福島県保育連絡会が今年5月に発行した「福島の保育(白書14集)」。この中で「福島で保育するということ」として次のような記載がある。
「放射線量が下がったから、除染が進んだから、すんなりと外遊びや自然とのふれあいなどの経験ができるようになったわけではありません」
大人の主義主張に振り回されず、子どもたちが等しく「保養」に参加出来るような制度の確立が求められる。
(了)
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