【自主避難者から住まいを奪うな】「命を平等に扱って」「避難者は窒息寸前」。避難当事者と支援者が都内で講演。「避難者の実態を正確に把握しろ」
- 2017/07/05
- 07:34
福島第一原発事故による〝自主避難者〟の実情を知ってもらおうと避難当事者と支援者が4日夜、都内で開かれた講演会「住宅無償提供打ち切りから3カ月~自主避難者の置かれている現状」で、国や行政の無責任さを批判した。避難するもしないも本来は自由。避難者は国の責任で保護されるべきだが、実際に行われているのは避難者切り捨てと貧困の放置。支援者は「避難者の実態を正確に把握して、ていねいに支援するべきだ」と訴える。「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」の主催。
【「全ての子どもを等しく守って」】
「命や健康よりも大切にされるものはありません。実態を知って、命を平等に扱って欲しい。被曝を避ける権利は誰にでもあるのです」
2人の子どもと共に母子避難を継続している森松明希子さん(福島県郡山市から大阪府、「原発賠償関西訴訟」原告団代表)は、サウナのように蒸し暑くなった会議室で汗をぬぐいながら語った。
原発事故で大量の放射性物質がばらまかれても、国も自治体も「逃げろ」とは言わなかった。当時、子どもは3歳と生後5カ月。2カ月間、悩みに悩んだ末に「ここでは子どもを守れない」と、夫と離れての母子避難を決断した。「わが子にとって最善の方法を考えるのは親として当然の事です」。いずれ避難者のための制度が確立されるされるだろうという淡い期待は6年経っても実現せず、逆に今年3月末で住宅の無償提供が打ち切られた。打ち切りに際して、福島県庁の職員は何度も「避難せず、普通に暮らしている人の方が圧倒的に多い」と口にした。まるで大多数の人が住んでいる事が〝安全の証〟であるかのように行政は語るが、森松さんは「住んでいる事が〝安全キャンペーン〟に使われて良いのか」と疑問を投げかける。
「わが子の被曝を心配するお母さんは『放射脳ママ』などと揶揄され、福島県外に避難する事が、あたかも『非国民』であるかのように扱われました。結果として、私は『避難させまいとする壁』を乗り越えられました。好条件が重なったから避難を継続出来ています。でも、避難したくても出来ないお母さんもいます。悩みながら福島で暮らしている事も痛いほど分かっています。避難をしたから正解、福島に住んでいるから不正解では無いんです。わが子だけが守られれば良いのか。それは違います。命を守るという親の選択が尊重され、全ての子どもが等しく守られる社会にするべきなんです」
文科省の前川喜平前事務次官が口にした「有った物を無かった事には出来ない」という言葉に感銘を受けたという。それはそのまま、放射線のリスクから逃れようと全国各地に自力で逃げた避難者にも当てはまる。国も行政も一般国民も、果たして避難者の存在を認識しているのか。多額の賠償金を得ているなどと誤解してはいないか。避難当事者である事を名乗れない雰囲気を作り出してはいないか。被曝の問題を「ふるさと論」に矮小化させてはいないか─。森松さんは、仲間の避難者たちが詠んだ川柳を紹介しながら訴える。
「避難者は/五輪までに/消されるぞ」
そして、こう語った。
「私はある意味、6年間ずっと『保養』を続けてきたとも言えます。保養庁をつくって欲しいくらいです」


(上)2人の子どもと共に避難を継続している森松明希子さん。「避難をしたから正解、福島に住んでいるから不正解では無い。命を守るという親の選択が尊重され、全ての子どもが等しく守られる社会にするべき」と訴えた
(下)常に先頭に立って国や行政と交渉してきた村田弘さん。「『押し切った側が勝ち』はおかしい」と今後も粘り強く交渉していく
【「〝第二の加害〟が進んでいる」】
福島県南相馬市から神奈川県横浜市に避難中の村田弘さん(「福島原発かながわ訴訟」原告団長)は、静かな口調ながら「4月以降、避難者は水面下に潜らされている状態。声をあげられず、窒息しそうな状況に陥っている人がたくさんいる。氷山の一角、という言葉があるが、氷山の一番てっぺんの針の頭くらいの事しか今、表に出て来ていないのが現状です」と住宅無償提供打ち切り後の〝自主避難者〟について語り始めた。
「避難者は大変な生活の中で何とか頑張ってきたんです。それが今年の3月末で最低限度の住宅無償提供が打ち切られた。それは経済的にも精神的にも大変なショックなんです。どういう風に手を差し伸べて行くのかというのがこれからの問題だが、本来それは民間団体が身を削ってやる事ではありません。国が反省をして、避難者が自ら命を絶つような事は最低限、防ぐよう責任を果たすべきなのです」
これまで、国や福島県とは何度も交渉を重ねてきた。災害救助法に基づく住宅の無償提供打ち切りを最終的に判断したのは福島県の内堀雅雄知事。福島県庁に毎月のように足を運び、県職員に打ち切り撤回を求める一方、当事者の話を聴いて欲しいと内堀知事との面会を求めて来たが、内堀知事は一度も村田さんらとの話し合いの場に顔を出す事無く打ち切りを強行した。毎週月曜日に開かれている記者クラブとの定例会見に合わせて直訴状を持参した事もあったが、内堀知事は避難者に一瞥もくれずに足早に通り過ぎた。「政権も被害者の数を減らしておしまいになりましたよという構図に従って物事を進めています。本当に許せません。今、行われているのは〝第二の加害〟なのです。それは東電も同じです」
矛盾だらけの打ち切り強行。「犬の遠吠えと言われるかもしれないが、打ち切りを認めないという旗は降ろしません」。福島県との交渉は一時、中断されているが、今月中にも再開されるという。「話し合いから逃げたいという姿勢が見え見え。だが『押し切った側が勝ち』はおかしい」。今後も粘り強く、避難者の実態調査実施や打ち切り前と同等の住宅提供を求めて行く。


(上)「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんは、避難者の窮状を最も多く目の当たりにし、手を差し伸べている。「地域の社協も避難者の実情を把握しにくくなっている。国の責任で実態調査を行うべきだ」と訴える
(下)台風接近で強い雨が降ったが、多くの人が当事者や支援者の話に聴き入った=東京・文京区民センター
【住宅問題から貧困問題へ】
避難当事者と支援者が手を携えて首都圏の避難者支援を続けている「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんは、「3月までは住まいの確保のための支援を続けてきたが、4月以降は相談や対応の内容が生活困窮に変わってきている。家賃の支払いが困難なのに、生活保護を申請しても行政に却下されてしまうケースもあるのです。また、雇用促進住宅に住んでいた人は都営住宅への優先入居の対象となっておらず取り残されてしまっています」と語る。
瀬戸さんたちに寄せられるSOSは、9割が母子避難世帯(原発事故後の離婚も含む)だという。「住宅の無償提供を受けて何とか暮らしてきた人たちです。それが、打ち切りで一気に生活困窮の問題に陥っているのです。毎週のようにお母さんと会っていますが『所持金いくらあるの?』と尋ねたら、ほとんどが5万円も無い状態です。そういう状態の中でSOSを発しているのです。転居費用や敷金、礼金、保証金といった支出がかさみ、5月以降の家賃が支払えないケースが増加しているのです」。
避難先の役所に相談しても、車を持っている事を理由に生活保護申請を却下されたり、逆に生活保護を認める代わりに車を手放すよう求められたりする事もあるという。「原発事故が無ければ、こういう状況は無かったのです。被曝の選択か貧困の選択か。危惧していた通りになってしまった」。
国は避難者が置かれている状況の深刻さを本当に認識しているのか。「3月末で新たな住まいが決まっていない避難者は119世帯しかいないと言われていたが、2週間前に福島県職員に『住まいが決まっているのかどこまで把握しているのか』と尋ねたら『分からない』と言われました。地域の社会福祉協議会も新たな住まいをどう確保したか把握しにくくなっています。避難者の人たちも、これまで行政から厳しい対応を取られてきた事もあって回答したがらくなっていて、状況が分からなくなっています。早急に現状把握をする必要があります」。避難者の収入実態など、実情を正確に把握して支援する必要があると訴える。「避難者の実態も把握せずに住宅の無償提供を打ち切ったのは間違いだった」。
一方で、2013年以降に避難をした人には住宅の無償提供すら無かった。福島県が、住宅無償提供の新規申し込みを2012年12月28日で打ち切ったからだ。その人たちからも今、相談が寄せられているという。「ただタイミングがずれただけで、家族を守るための避難という点では同じです。でも、僕らも含めて全然、〝自力避難者〟に着目して来なかった。その方たちも併せて、実態把握が必要なのです」と瀬戸さん。「避難者の実態把握をして、その事実に基づいて、粘り強くていねいに国を動かしていきたい」と語った。
(了)
【「全ての子どもを等しく守って」】
「命や健康よりも大切にされるものはありません。実態を知って、命を平等に扱って欲しい。被曝を避ける権利は誰にでもあるのです」
2人の子どもと共に母子避難を継続している森松明希子さん(福島県郡山市から大阪府、「原発賠償関西訴訟」原告団代表)は、サウナのように蒸し暑くなった会議室で汗をぬぐいながら語った。
原発事故で大量の放射性物質がばらまかれても、国も自治体も「逃げろ」とは言わなかった。当時、子どもは3歳と生後5カ月。2カ月間、悩みに悩んだ末に「ここでは子どもを守れない」と、夫と離れての母子避難を決断した。「わが子にとって最善の方法を考えるのは親として当然の事です」。いずれ避難者のための制度が確立されるされるだろうという淡い期待は6年経っても実現せず、逆に今年3月末で住宅の無償提供が打ち切られた。打ち切りに際して、福島県庁の職員は何度も「避難せず、普通に暮らしている人の方が圧倒的に多い」と口にした。まるで大多数の人が住んでいる事が〝安全の証〟であるかのように行政は語るが、森松さんは「住んでいる事が〝安全キャンペーン〟に使われて良いのか」と疑問を投げかける。
「わが子の被曝を心配するお母さんは『放射脳ママ』などと揶揄され、福島県外に避難する事が、あたかも『非国民』であるかのように扱われました。結果として、私は『避難させまいとする壁』を乗り越えられました。好条件が重なったから避難を継続出来ています。でも、避難したくても出来ないお母さんもいます。悩みながら福島で暮らしている事も痛いほど分かっています。避難をしたから正解、福島に住んでいるから不正解では無いんです。わが子だけが守られれば良いのか。それは違います。命を守るという親の選択が尊重され、全ての子どもが等しく守られる社会にするべきなんです」
文科省の前川喜平前事務次官が口にした「有った物を無かった事には出来ない」という言葉に感銘を受けたという。それはそのまま、放射線のリスクから逃れようと全国各地に自力で逃げた避難者にも当てはまる。国も行政も一般国民も、果たして避難者の存在を認識しているのか。多額の賠償金を得ているなどと誤解してはいないか。避難当事者である事を名乗れない雰囲気を作り出してはいないか。被曝の問題を「ふるさと論」に矮小化させてはいないか─。森松さんは、仲間の避難者たちが詠んだ川柳を紹介しながら訴える。
「避難者は/五輪までに/消されるぞ」
そして、こう語った。
「私はある意味、6年間ずっと『保養』を続けてきたとも言えます。保養庁をつくって欲しいくらいです」


(上)2人の子どもと共に避難を継続している森松明希子さん。「避難をしたから正解、福島に住んでいるから不正解では無い。命を守るという親の選択が尊重され、全ての子どもが等しく守られる社会にするべき」と訴えた
(下)常に先頭に立って国や行政と交渉してきた村田弘さん。「『押し切った側が勝ち』はおかしい」と今後も粘り強く交渉していく
【「〝第二の加害〟が進んでいる」】
福島県南相馬市から神奈川県横浜市に避難中の村田弘さん(「福島原発かながわ訴訟」原告団長)は、静かな口調ながら「4月以降、避難者は水面下に潜らされている状態。声をあげられず、窒息しそうな状況に陥っている人がたくさんいる。氷山の一角、という言葉があるが、氷山の一番てっぺんの針の頭くらいの事しか今、表に出て来ていないのが現状です」と住宅無償提供打ち切り後の〝自主避難者〟について語り始めた。
「避難者は大変な生活の中で何とか頑張ってきたんです。それが今年の3月末で最低限度の住宅無償提供が打ち切られた。それは経済的にも精神的にも大変なショックなんです。どういう風に手を差し伸べて行くのかというのがこれからの問題だが、本来それは民間団体が身を削ってやる事ではありません。国が反省をして、避難者が自ら命を絶つような事は最低限、防ぐよう責任を果たすべきなのです」
これまで、国や福島県とは何度も交渉を重ねてきた。災害救助法に基づく住宅の無償提供打ち切りを最終的に判断したのは福島県の内堀雅雄知事。福島県庁に毎月のように足を運び、県職員に打ち切り撤回を求める一方、当事者の話を聴いて欲しいと内堀知事との面会を求めて来たが、内堀知事は一度も村田さんらとの話し合いの場に顔を出す事無く打ち切りを強行した。毎週月曜日に開かれている記者クラブとの定例会見に合わせて直訴状を持参した事もあったが、内堀知事は避難者に一瞥もくれずに足早に通り過ぎた。「政権も被害者の数を減らしておしまいになりましたよという構図に従って物事を進めています。本当に許せません。今、行われているのは〝第二の加害〟なのです。それは東電も同じです」
矛盾だらけの打ち切り強行。「犬の遠吠えと言われるかもしれないが、打ち切りを認めないという旗は降ろしません」。福島県との交渉は一時、中断されているが、今月中にも再開されるという。「話し合いから逃げたいという姿勢が見え見え。だが『押し切った側が勝ち』はおかしい」。今後も粘り強く、避難者の実態調査実施や打ち切り前と同等の住宅提供を求めて行く。


(上)「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんは、避難者の窮状を最も多く目の当たりにし、手を差し伸べている。「地域の社協も避難者の実情を把握しにくくなっている。国の責任で実態調査を行うべきだ」と訴える
(下)台風接近で強い雨が降ったが、多くの人が当事者や支援者の話に聴き入った=東京・文京区民センター
【住宅問題から貧困問題へ】
避難当事者と支援者が手を携えて首都圏の避難者支援を続けている「避難の協同センター」事務局長の瀬戸大作さんは、「3月までは住まいの確保のための支援を続けてきたが、4月以降は相談や対応の内容が生活困窮に変わってきている。家賃の支払いが困難なのに、生活保護を申請しても行政に却下されてしまうケースもあるのです。また、雇用促進住宅に住んでいた人は都営住宅への優先入居の対象となっておらず取り残されてしまっています」と語る。
瀬戸さんたちに寄せられるSOSは、9割が母子避難世帯(原発事故後の離婚も含む)だという。「住宅の無償提供を受けて何とか暮らしてきた人たちです。それが、打ち切りで一気に生活困窮の問題に陥っているのです。毎週のようにお母さんと会っていますが『所持金いくらあるの?』と尋ねたら、ほとんどが5万円も無い状態です。そういう状態の中でSOSを発しているのです。転居費用や敷金、礼金、保証金といった支出がかさみ、5月以降の家賃が支払えないケースが増加しているのです」。
避難先の役所に相談しても、車を持っている事を理由に生活保護申請を却下されたり、逆に生活保護を認める代わりに車を手放すよう求められたりする事もあるという。「原発事故が無ければ、こういう状況は無かったのです。被曝の選択か貧困の選択か。危惧していた通りになってしまった」。
国は避難者が置かれている状況の深刻さを本当に認識しているのか。「3月末で新たな住まいが決まっていない避難者は119世帯しかいないと言われていたが、2週間前に福島県職員に『住まいが決まっているのかどこまで把握しているのか』と尋ねたら『分からない』と言われました。地域の社会福祉協議会も新たな住まいをどう確保したか把握しにくくなっています。避難者の人たちも、これまで行政から厳しい対応を取られてきた事もあって回答したがらくなっていて、状況が分からなくなっています。早急に現状把握をする必要があります」。避難者の収入実態など、実情を正確に把握して支援する必要があると訴える。「避難者の実態も把握せずに住宅の無償提供を打ち切ったのは間違いだった」。
一方で、2013年以降に避難をした人には住宅の無償提供すら無かった。福島県が、住宅無償提供の新規申し込みを2012年12月28日で打ち切ったからだ。その人たちからも今、相談が寄せられているという。「ただタイミングがずれただけで、家族を守るための避難という点では同じです。でも、僕らも含めて全然、〝自力避難者〟に着目して来なかった。その方たちも併せて、実態把握が必要なのです」と瀬戸さん。「避難者の実態把握をして、その事実に基づいて、粘り強くていねいに国を動かしていきたい」と語った。
(了)
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