福島の教員たちが伝えたい「原発事故」。詩で「故郷を奪われた哀しみ」。写真で「中通りも記録するべき街」~「全国作文教育研究大会」福島大会より
- 2017/08/03
- 18:40
「日本作文の会」(東京都文京区本郷)の「全国作文教育研究大会 福島大会」が7月28日から30日まで福島県福島市内で開かれ、全国の教員たちが子どもたちの作文や教員たちが綴った詩、撮影した写真が伝える「原発事故」に触れた。もちろん、原発事故だけが「今の福島」では無い。「ひとくくりに語らないで欲しい」との声も出た。しかし、発生から6年が過ぎてもなお、浜通りだけでなく中通りでも、依然として原発事故の被害が続いているのもまた事実。ほんの一部だが、福島の教員たちが全国に伝えたい「原発事故」を紹介する。
【詩で「語り部たらん」】
二階堂晃子さん(福島市在住、詩人、元教員)は、福島第一原発から約4kmの双葉町で生まれた。母校は浪江町の請戸小学校。教師となってからは、浪江小学校の教壇にも立った。その請戸地区では180人余りの人々が津波の犠牲となったが、その救出作業を阻んだのが原発事故だった。アニメ映画「無念」にも描かれた町民の悔しさを「生きている声」という詩に込めた。
救助隊は準備を整えた
さあ出発するぞ!
そのとき出された
町民全員避難命令
(中略)
放射能噴出がもたらした捜索不可能の地獄
果てしなく祈り続けても届かぬ地獄
脳裏にこびりついた地獄絵
幾たび命芽生える春がめぐり来ようとも
末代まで消えぬ地獄
そして「地図がなくなった」では、津波で変わり果てた請戸地区の様子をこう表現する。
一面の背丈雑草の荒れ野には蜃気楼も現れず
何も、何もなくて
描き直せない絵地図
線量に覆われてだれも還れないこの集落
そこにはもう地図はなくなった
賠償金を巡り、避難指示区域の住民と避難指示区域外の住民との間に生じた軋轢。「何の落ち度も無いのに故郷すべてを奪われて、帰る見通しも立てられない避難者の喪失感は想像を絶するのです」。二階堂さんは、原発事故の被害を語り継ごうという決意を込めて、次のような詩を綴った。
今、語り部たらん
見えない、匂わない、感じない福島を
ふるさとを追われ葬り去られ
風に運び去られんとする福島を
ブルーシートの下に隠された消えない線量
フレコンバッグピラミッドを横に置いた避難解除を
裏山除染作業のすぐわきで部活をする高校生を
地表より1メートルを測定する意味
人の生殖器官の高さであることを
廃棄物を積んだトラックと並走している日常を
浪江町と双葉町に建設が計画されている「復興祈念公園」は「核廃絶公園にするべきだ」と語る二階堂さん。「希望は捨てずに、事実の語り部になりたい」
(詩はいずれも一部抜粋)



(上)「詩」という表現方法で、原発事故後の浪江町や双葉町を綴り続けている二階堂晃子さん。
(中)会場に掲示された二階堂さんの詩。「語り部たらん」と強い決意を綴っている
(下)高校教員の赤城修司さんは、これまで撮影してきた写真を示しながら「浜通りと同じように中通りも記録するべき街だ」と語った=コラッセふくしま
【定点観測続ける高校教師】
「原発事故以降、ジャーナリストはどうしても原発のある浜通りに入りたがります。すると福島市は空白地帯になる。まるで、全員がボールに集中してしまう小学生のサッカーのようです。実際には、中通りでは人が住んでいる所に除染で生じた汚染土が積み上げられている。中通りも、浜通りと負けず劣らず異様だと僕は思いますが、誰も報道しない。風評被害など〝何かの力〟で歴史に埋もれようとしています」
福島県立高校の教員、赤城修司さん(福島市在住)は、原発事故以降の福島市の様子を撮影。定点観測を続けてきた。「(原発事故後も)人が暮らしているこの街を観るのは、とても重要な事だと思う」。2015年3月には写真集「Fukushima Traces, 2011-2013」にまとめている。最終日に行われた講座「原発事故の現実を発信する」では、これまでに撮影した50万枚の中から写真を披露しながら、「中通りの6年間」を語った。
福島市のシンボル・信夫山で2013年から毎年春に行われている「パークランニングレース」では、除染作業を知らせる看板が覆い隠され、代わりに「新緑を楽しんで下さい」と手書きの文字が掲示された。「看板にはわれわれの社会を拘束している何かの空気が表れている」と赤城さん。「原発事故後、いろいろなブレーキがかかるようになった」。
信夫山のふもとにある県立美術館の庭には、除染で生じた汚染土壌が埋められている。だが、ガス抜きのパイプが顔を出しているだけで埋設を知らせる掲示は無い。「熊本県水俣市では『この公園の下には水銀の入ったドラム缶が埋められているんですよ』と地元の人に案内された。しかし、福島では行政が汚染状況をきちんと広報しない。『風評被害』、『負けないで頑張ろう』ばかりだ」。
何が「正しく」て何が「間違っている」のか。「避難指示区域を縮小させていくのが復興なのか。逆に拡大させて、多くの人が全く安全な所に出るのが復興なのか。ずっと考えている」。自身は一時期、妻子を会津地方に避難させながら高校の教壇に立ち続けた。「僕も含め、何人かの教師は自分の子どもを他の街に移した上で、自分の収入のために福島市の子どもを預かっていた。それは教師として許される事なのか議論すらされなかった」と振り返る。
講演中、聴いていた全国の教師からは何度もため息が漏れた。赤城さんは「物事は見る角度によって見え方が全く異なる。僕の言葉や写真が絶対ではありません。いろんな考えがあります。ただ、僕はこう考えていたという事です」と強調した。そして、こう語る。
「福島が嫌いなのではなくて、汚染された所が嫌いなんです。でも、それらがごちゃごちゃになって『嫌い』と言いにくくなってしまった」



(上)福島県作文の会の白木次男会長。開会のあいさつで「子どもの作品は社会状況を映す。身を切るギリギリの選択の中で、父親や家族と離ればなれになる避難は数多くあった」と語った
(中)シンポジウムでは「福島を忘れてもらっては困ります。でも『福島』とひとくくりにして『福島は大変』、『子どもたちがかわいそう』と一面的にとらえていては、福島をとらえる事は出来ない」との声も
(下)最終日には詩人アーサー・ビナードさんの講演会も開かれた
【「社会映す子どもの作文」】
「日本作文の会」は1950年7月1日、同人組織「日本綴方の会」として発足。小中学校の教師を中心に、全国に約500人の会員がいるという。「全国作文教育研究大会」は持ち回りで開催されており、昨年の開催地は高知県。来年は福岡県での開催が予定されている。「福島県作文の会」は、原発事故後の2013年7月に「福島子ども文詩集『地下水』第7号~原発被災地の子どもたちの記録~」を発行。今年、4年ぶりに「『地下水』第8号」をまとめた。
「福島県作文の会」会長の白木次男さん(相馬市在住、元教員)は、全国作文教育研究大会福島大会の開会のあいさつで「大地震、津波、原発事故は、多くの尊い命とかけがえのない故郷を奪い、地域のつながりを壊してしまいました。あれから6年以上の月日が経った今、果たして『福島のありのまま』はどうなっているでしょうか」と全国からの参加者に語りかけた。そして、「地下水」に掲載された小学校5年生の作文「引っこし」(執筆年不明)を涙をこらえながら朗読した。
「もう最後だね」
ぼくはわざと明るく言った。
本当はむねが重かった。
カタカタと階だんを登った。
福島駅の中がぼやけて見える。
ブーと青森行きの新幹線が来た。
乗車口に入ると
ますます心が重くなる。
「また会おうね」
母がふるえる声で友達に言う。
「出発しまーす」
シューとドアの閉まる音
もうなみだをおさえ切れない。
席にすわると
おさえきれなかったなみだが
いっせいに出た。
びっくりするほど出た。
こぼれ落ちてくるなみだを
そのままにして
「青森でもがんばろう」
そうつぶやいた。
「子どもの作品は社会状況を映します。身を切るギリギリの選択の中で、父親や家族と離ればなれになる避難は数多くありました。『もう最後だね』と〝わざと明るく〟言う作者の哀しみに胸が痛みます」と白木さんは言う。
「家族の問題であるかのように私事化されるものではなく、社会が引き起こした問題です。余儀なくされた避難と転校による暮らしへの不安と苦労と一人一人の実情を知れば知るほど、これが世界の問題である事に気付くはずです。同じ事は、貧困と格差社会に追い込まれた人たちにも言う事が出来ます。競争と不寛容が支配する世界にあって、貧乏なのはあなたが怠惰だから、貧しくなったのはあなたの問題とする意識が、自己責任論として子どもを親を追い詰めていきます」
〝自主避難者〟の置かれている状況そのものではないか。
(了)
【詩で「語り部たらん」】
二階堂晃子さん(福島市在住、詩人、元教員)は、福島第一原発から約4kmの双葉町で生まれた。母校は浪江町の請戸小学校。教師となってからは、浪江小学校の教壇にも立った。その請戸地区では180人余りの人々が津波の犠牲となったが、その救出作業を阻んだのが原発事故だった。アニメ映画「無念」にも描かれた町民の悔しさを「生きている声」という詩に込めた。
救助隊は準備を整えた
さあ出発するぞ!
そのとき出された
町民全員避難命令
(中略)
放射能噴出がもたらした捜索不可能の地獄
果てしなく祈り続けても届かぬ地獄
脳裏にこびりついた地獄絵
幾たび命芽生える春がめぐり来ようとも
末代まで消えぬ地獄
そして「地図がなくなった」では、津波で変わり果てた請戸地区の様子をこう表現する。
一面の背丈雑草の荒れ野には蜃気楼も現れず
何も、何もなくて
描き直せない絵地図
線量に覆われてだれも還れないこの集落
そこにはもう地図はなくなった
賠償金を巡り、避難指示区域の住民と避難指示区域外の住民との間に生じた軋轢。「何の落ち度も無いのに故郷すべてを奪われて、帰る見通しも立てられない避難者の喪失感は想像を絶するのです」。二階堂さんは、原発事故の被害を語り継ごうという決意を込めて、次のような詩を綴った。
今、語り部たらん
見えない、匂わない、感じない福島を
ふるさとを追われ葬り去られ
風に運び去られんとする福島を
ブルーシートの下に隠された消えない線量
フレコンバッグピラミッドを横に置いた避難解除を
裏山除染作業のすぐわきで部活をする高校生を
地表より1メートルを測定する意味
人の生殖器官の高さであることを
廃棄物を積んだトラックと並走している日常を
浪江町と双葉町に建設が計画されている「復興祈念公園」は「核廃絶公園にするべきだ」と語る二階堂さん。「希望は捨てずに、事実の語り部になりたい」
(詩はいずれも一部抜粋)



(上)「詩」という表現方法で、原発事故後の浪江町や双葉町を綴り続けている二階堂晃子さん。
(中)会場に掲示された二階堂さんの詩。「語り部たらん」と強い決意を綴っている
(下)高校教員の赤城修司さんは、これまで撮影してきた写真を示しながら「浜通りと同じように中通りも記録するべき街だ」と語った=コラッセふくしま
【定点観測続ける高校教師】
「原発事故以降、ジャーナリストはどうしても原発のある浜通りに入りたがります。すると福島市は空白地帯になる。まるで、全員がボールに集中してしまう小学生のサッカーのようです。実際には、中通りでは人が住んでいる所に除染で生じた汚染土が積み上げられている。中通りも、浜通りと負けず劣らず異様だと僕は思いますが、誰も報道しない。風評被害など〝何かの力〟で歴史に埋もれようとしています」
福島県立高校の教員、赤城修司さん(福島市在住)は、原発事故以降の福島市の様子を撮影。定点観測を続けてきた。「(原発事故後も)人が暮らしているこの街を観るのは、とても重要な事だと思う」。2015年3月には写真集「Fukushima Traces, 2011-2013」にまとめている。最終日に行われた講座「原発事故の現実を発信する」では、これまでに撮影した50万枚の中から写真を披露しながら、「中通りの6年間」を語った。
福島市のシンボル・信夫山で2013年から毎年春に行われている「パークランニングレース」では、除染作業を知らせる看板が覆い隠され、代わりに「新緑を楽しんで下さい」と手書きの文字が掲示された。「看板にはわれわれの社会を拘束している何かの空気が表れている」と赤城さん。「原発事故後、いろいろなブレーキがかかるようになった」。
信夫山のふもとにある県立美術館の庭には、除染で生じた汚染土壌が埋められている。だが、ガス抜きのパイプが顔を出しているだけで埋設を知らせる掲示は無い。「熊本県水俣市では『この公園の下には水銀の入ったドラム缶が埋められているんですよ』と地元の人に案内された。しかし、福島では行政が汚染状況をきちんと広報しない。『風評被害』、『負けないで頑張ろう』ばかりだ」。
何が「正しく」て何が「間違っている」のか。「避難指示区域を縮小させていくのが復興なのか。逆に拡大させて、多くの人が全く安全な所に出るのが復興なのか。ずっと考えている」。自身は一時期、妻子を会津地方に避難させながら高校の教壇に立ち続けた。「僕も含め、何人かの教師は自分の子どもを他の街に移した上で、自分の収入のために福島市の子どもを預かっていた。それは教師として許される事なのか議論すらされなかった」と振り返る。
講演中、聴いていた全国の教師からは何度もため息が漏れた。赤城さんは「物事は見る角度によって見え方が全く異なる。僕の言葉や写真が絶対ではありません。いろんな考えがあります。ただ、僕はこう考えていたという事です」と強調した。そして、こう語る。
「福島が嫌いなのではなくて、汚染された所が嫌いなんです。でも、それらがごちゃごちゃになって『嫌い』と言いにくくなってしまった」



(上)福島県作文の会の白木次男会長。開会のあいさつで「子どもの作品は社会状況を映す。身を切るギリギリの選択の中で、父親や家族と離ればなれになる避難は数多くあった」と語った
(中)シンポジウムでは「福島を忘れてもらっては困ります。でも『福島』とひとくくりにして『福島は大変』、『子どもたちがかわいそう』と一面的にとらえていては、福島をとらえる事は出来ない」との声も
(下)最終日には詩人アーサー・ビナードさんの講演会も開かれた
【「社会映す子どもの作文」】
「日本作文の会」は1950年7月1日、同人組織「日本綴方の会」として発足。小中学校の教師を中心に、全国に約500人の会員がいるという。「全国作文教育研究大会」は持ち回りで開催されており、昨年の開催地は高知県。来年は福岡県での開催が予定されている。「福島県作文の会」は、原発事故後の2013年7月に「福島子ども文詩集『地下水』第7号~原発被災地の子どもたちの記録~」を発行。今年、4年ぶりに「『地下水』第8号」をまとめた。
「福島県作文の会」会長の白木次男さん(相馬市在住、元教員)は、全国作文教育研究大会福島大会の開会のあいさつで「大地震、津波、原発事故は、多くの尊い命とかけがえのない故郷を奪い、地域のつながりを壊してしまいました。あれから6年以上の月日が経った今、果たして『福島のありのまま』はどうなっているでしょうか」と全国からの参加者に語りかけた。そして、「地下水」に掲載された小学校5年生の作文「引っこし」(執筆年不明)を涙をこらえながら朗読した。
「もう最後だね」
ぼくはわざと明るく言った。
本当はむねが重かった。
カタカタと階だんを登った。
福島駅の中がぼやけて見える。
ブーと青森行きの新幹線が来た。
乗車口に入ると
ますます心が重くなる。
「また会おうね」
母がふるえる声で友達に言う。
「出発しまーす」
シューとドアの閉まる音
もうなみだをおさえ切れない。
席にすわると
おさえきれなかったなみだが
いっせいに出た。
びっくりするほど出た。
こぼれ落ちてくるなみだを
そのままにして
「青森でもがんばろう」
そうつぶやいた。
「子どもの作品は社会状況を映します。身を切るギリギリの選択の中で、父親や家族と離ればなれになる避難は数多くありました。『もう最後だね』と〝わざと明るく〟言う作者の哀しみに胸が痛みます」と白木さんは言う。
「家族の問題であるかのように私事化されるものではなく、社会が引き起こした問題です。余儀なくされた避難と転校による暮らしへの不安と苦労と一人一人の実情を知れば知るほど、これが世界の問題である事に気付くはずです。同じ事は、貧困と格差社会に追い込まれた人たちにも言う事が出来ます。競争と不寛容が支配する世界にあって、貧乏なのはあなたが怠惰だから、貧しくなったのはあなたの問題とする意識が、自己責任論として子どもを親を追い詰めていきます」
〝自主避難者〟の置かれている状況そのものではないか。
(了)
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