FC2ブログ

記事一覧

【就労不能損害賠償】「4年で一方的に打ち切るな」。打ち切り後の賠償金支払い求め飯舘村民が東電相手に提訴。「運が悪かったでは済ませたくない」

福島第一原発の爆発事故による放射性物質の拡散で福島県相馬郡飯舘村に開設した農業研修所「いいたてふぁーむ」の閉鎖を強いられ、本来得られるはずの収入を失ったとして、管理人を委託されていた伊藤延由さん(73)=新潟県出身、福島市内に避難中=が25日、東電を相手取り2370万円余の支払いを請求する就労不能損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。東電は原発事故による就労不能損害に対する賠償を2015年2月末で打ち切ったが「なぜ加害者が4年で一方的に決めるのか」として、打ち切り後の賠償金支払いを求めている。避難指示解除や復興五輪で原発事故の風化は著しいが、被害者の闘いはまだまだ続いている。


【「少なくとも84歳まで働けた」】
 訴状などによると、伊藤さんは原発事故が起きる2年前の2009年10月末、都内のIT関連企業が飯舘村内に開設する社員向け農業研修所「いいたてふぁーむ」の管理人として同社と業務契約を締結。「社員の親睦を深め、一体感を高める研修所にしたい。他の企業の研修も受け入れられるようにしたい」との会社側の意向を受け、伊藤さんは飯舘村に移住して準備を開始。建物の改修工事を経て、同村小宮地区に2010年4月1日に開業した。
 伊藤さんは、2.2ヘクタール(東京ドームの約半分)の水田で無農薬での稲作を始めたほか、ナスやトマト、ピーマン、ジャガイモ、ブルーベリーの栽培にも着手。同社社員の研修を企画・運営するだけでなく、中高生が宿泊しての農業体験も行った。この頃の様子を、伊藤さんは「66年の人生で最高の1年だったなと今でも思う。飯舘村は癒しの空間としては最適だったんです。ビギナーズラックもあり、非常に美味しいコメが収穫出来た。4ヘクタールの水田を新たに借り、さあ2年目という矢先の原発事故だった」と振り返る。
 原発事故で放出された大量の放射性物質は雨とともに飯舘村にも降り注ぎ、2011年3月15日の18時20分には、村役場近くに設置されたモニタリングポストの数値が44・7μSv/hに達した。同年4月22日には、政府により飯舘村全域が「計画的避難区域」に指定され、伊藤さんも同年6月25日に福島市内の仮設住宅に入居。避難生活が始まった。「いいたてふぁーむ」も当然、閉鎖。会社側は他の地域での再開も模索したが、適地が見つからず断念した。伊藤さんとの業務委託契約も2014年3月をもって終了。伊藤さんは原発事故が無ければ得られるはずだった年収240万円を失った。
 同社と伊藤さんとの業務委託契約は1年更新だったが、実際は「原告の心身が可能な限り業務を委託するという、帰還の定めのない契約」(訴状)だった。農業という職業事態に「定年」という概念が無く、2015年の農林業センサス(農水省が5年ごとに実施する調査)でも80歳から84歳の2・2%が農業に従事しているとのデータが出ているため、平均余命から、原発事故がなければ伊藤さんは84歳までは少なくとも就労可能だったと判断。契約更新が止まった2014年以降の14年間を労働能力喪失期間として請求額を算出した。


訴状提出後の会見で、常に携行している線量計を示しながら「なぜ4年間での賠償打ち切りを加害者側が一方的に決めるのか」と語る伊藤延由さん。「こんな不条理を甘受しなければいけないのですか」と訴える=東京・霞が関の司法記者クラブ

【「被災者が負うべき責任無い」】
 「何か私に落ち度がありましたか」
 訴状提出後に開かれた記者会見で、伊藤さんはこう切り出した。原発事故で農地を汚染され、若者を招いて農業体験をするどころか、暮らして行くにも被曝リスクが避けられなくなった。会社との契約が無くなった2014年4月以降は東電から月収と同額が賠償金として支払われていたが、東電が2014年2月24日に「平成26年3月以降の就労不能損害に係る賠償および避難指示解除後のご帰還にともなう就労不能損害に係る賠償のお取り扱いについて」を発表。就労不能に対する損害賠償を2015年2月末をもって打ち切ると決めた事から、伊藤さんへの賠償金の支払いも終了した。
 「一方的に加害者が決めた。こんな馬鹿な話がありますか。原発事故から4年で勝手に打ち切っておいて『伊藤さん、運が悪かったね。後は自分で就活しなさい』ですよ。でも、もう70を過ぎて、むしろ〝終活〟の年代。なのに一切、賠償請求を受け付けてくれない。なぜ就労補償を4年で打ち切るというのを勝手に加害者側が決めて、押し付けて、『ハイ分かりました』で済まされるのか。私に何か過失があれば別だが、失ったものを請求するのは当然です。こんな不条理を甘受しなければいけないのですか。被災者が負うべき責任は一切無いと私は確信しています」
 東電と何度も交渉したが平行線。2014年3月18日には、福島県弁護士会が「避難者の就労不能損害の賠償にかかる継続的な賠償を求める会長声明」を出したが、東電の態度は変わらなかった。やむにやまれずの提訴。今村雅弘前復興大臣は今年4月4日の閣議後会見で「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない」と言い放った(同月26日付で辞任)が、現実に一市民が裁判を起こすというのは簡単な事では無い。事実、伊藤さんが福島地裁ではなく東京地裁を選んだ背景には「東電本社のある東京で」との想いのほかに、裁判期日のたびに弁護団が福島まで駆け付けるよりも、自分一人が東京に足を運ぶ方が交通費が安く済むという現実的な問題もある。それでも提訴に踏み切ったのは「一方的に汚されたうえに一方的に賠償を打ち切られるのは納得できない」という当然の想いがあるからだ。


若者の農業研修施設の管理人として歩み始めた矢先の原発事故。訴状では原発事故前の写真も盛り込みながら、汚染により失ったものの大きさや東電による一方的な賠償打ち切りの不当性について訴えている

【「営農再開は被曝につながる」】
 会見の冒頭、伊藤さんは朝にフェイスブックに綴った心境を読み上げた(原文ママ)。
 「今日は勝負!!。巨大な東電を相手にノミの如き伊藤が就労補償を4年で打ち切りが許されるのかを争います。被災者に負うべき責任はありません。伊藤さん運悪かったですませたくありません。因業ジジイと言われようと欲張りと言われようと死ぬまで!」
 今年3月末で帰還困難区域の長泥地区を除き避難指示が解除された飯舘村。地元メディアはサヤインゲンの出荷再開を大きく報じ、菅野典雄村長も「飯舘村営農再開ビジョン」の中で「『土を耕し、種をまき、実りをいただく』営みを取り戻すことで、次代に『未来を託す』ための第一歩が生まれます」と営農再開を促す。しかし、伊藤さんは「違うと思う」と言う。
 「村はいま、あらゆる金を使って帰村・営農再開を進めています。確かに営農や畜産を再開している人はいます。でも、ほんの一握りなんです。それをもって、あたかも飯舘村で営農が再開出来るかのように喧伝していますが、私は違うと思う。500人近くが帰村したと言われているが、大半は帰っていないんです(注:村役場によると、8月1日現在の村内在住者は466人で村の人口の7・8%)。確かに村内には0.15μSv/h程度の場所もあるが、2μSv/hを超えているところもあります。しかも、村の75%は山林だから除染が終わっていません。村で農作業を始めれば、間違いなく被曝につながります。そもそも、避難指示解除は年20mSvを下回れば大丈夫だという前提に立っています。なぜ福島だけが20倍なのか。私は納得出来ません」
 小さな村。原発事故という未曽有の大災害に見舞われてもなお「村の人たちは、裁判とか弁護士から一番遠くに居る」と伊藤さん。「裁判までやるのか」という言葉は何度も耳にして来た。しかし、失ったものを取り戻すには裁判しか手段が無い。既払い金を除く請求額は2300万円を超えたが、「もちろん、金が目的ではありません。加害者が4年で賠償を打ち切って本当に良いのか。ぜひ東電側の答弁や裁判所の判断を聞きたいんです」。
 早ければ9月中にも口頭弁論が始まる。会見後、伊藤さんは、〝加害者〟東電への率直な想いを裁判所前で口にした。
 「原発の再稼働をやめるのであれば取り下げても良い」



(了)
スポンサーサイト



プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
https://www.facebook.com/taminokoe/


福島取材への御支援をお願い致します。

・じぶん銀行 あいいろ支店 普通2460943 鈴木博喜
 (銀行コード0039 支店番号106)

・ゆうちょ銀行 普通 店番098 口座番号0537346

最新記事

最新コメント

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
ニュース
30位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
時事
11位
アクセスランキングを見る>>

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
ニュース
30位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
時事
11位
アクセスランキングを見る>>