【参院選2016】〝進次郎フィーバー〟にかき消される「脱被曝」。続く汚染、外遊びに慎重な母親。語られるのは公共事業主導型復興ばかり
- 2016/06/30
- 07:32
イケメン議員に黄色い歓声があがった。相変わらず汚染や被曝は語られぬ選挙戦。与党は公共事業主導型復興の推進を繰り返し強調するが、一方で住民の放射線に対する懸念は払しょくされていない。依然として線源が点在し、被曝のリスクは残念ながら存在する。〝進次郎フィーバー〟に沸いた福島県本宮市で、母親らに現在の想いを尋ねた。本来は参院選の争点として語られるべき、被曝リスクへの不安を抱えながら生活している現実がそこにはあった。
【アイドル並みの黄色い歓声】
主役を食う、というのはまさにこういう事なのだろう。
候補者が選挙カーの上で演説を続けているが、聴衆のほとんどが聴いていなかった。「誰も聴いてないよ」という笑い声があがった。アイドルを追いかけるファンのよう。初老の男性でさえ懸命に手を振り、携帯電話で撮影をする。握手を途中で切り上げ、選挙カーに戻ってしまうと、落胆した女性たちからため息ともつかぬ声があがった。進行役の女性が慌てて「ご安心ください、後ほど必ず、皆様の元に参ります」とアナウンスすると、拍手が起きた。女性たちの目はうっとりとしていた。本宮市長、大玉村長も〝前座〟に過ぎなかった。
JR東北本線・本宮駅近くの駐車場で行われた自民党・岩城光英候補の街頭演説。黄色い歓声を一身に浴びていたのは、応援に駆け付けた小泉進次郎衆院議員(党農林部会長)。「本宮のお米でつくったおにぎりと野菜を車の中でいただいた。白沢のとろろ芋も添えられていた。おかげで今日、一番声が出ている」と語り、拍手喝さいを浴びた。
「野党は一つどころかバラバラだ」。小泉議員は、共産党を「何でも反対、確かな野党だ」と揶揄し、「全国の結果にかかわらず地元・三重県で公認候補が負けたら代表を辞める」と宣言した民進党の岡田克也氏を「そんな理屈が通用するわけがない」と批判した。演説そのものは野党批判と復興推進。「選挙後のことを語れない野党候補。やっていること、言っていることは訳が分からない。そんな野党に議席を与える必要は無い」。身振り手振りは、父親である小泉純一郎元首相にそっくりだ。
演説を終え、聴衆の輪に加わると、再び歓声があがった。平日の日中。普段はあまり人通りのない商店街だが、35歳の〝プリンス〟を追いかける列が途切れない。小泉議員も、選挙制度が変更されたことを意識して女子高生との握手を欠かさない周到ぶり。警備にあたった自民党関係者ですら、その人気に改めて驚いていた。「自民党の推進してきた原発で汚染されてしまった福島」はそこには無かった。小泉進次郎議員が首相になったら、改憲も原発再稼働もあっさり容認するのではないか。そんな危惧すら抱いてしまうほどの熱狂ぶりだった。

女性たちから黄色い歓声を浴びた小泉進次郎議員。応援演説では野党批判と復興推進を繰り返したが、被曝リスクには触れない=福島県本宮市
【「残念ながら汚染は続いている」】
この日も「復興」、「復興」の大合唱。いまだ点在するホットスポットも、被曝のリスクも語られない。復興大臣を務めた根本匠参院議員(郡山)は「どんどん避難指示が解除されて、帰還が促進されております」と語った。大玉村の押山利一村長も「復興を進めるのか停滞させるのか、その選択の選挙だ」と呼びかけた。しかし、本宮市内に住む30代の母親は「なるべく屋外では遊ばせないようにしている」と話す。原発事故は決して、過去の出来事ではないのだ。
「本宮にも二本松にも屋内遊び場があるので、なるべく屋内で遊ばせるようにはしています。でもゼロという訳にもいかないので時々、屋外で走り回らせてあげるんです」
原発事故後に産まれた息子は3歳になった。「もし、原発事故当時に子どもがいたら、県外に出ていたかもしれませんね」。2011年のゴールデンウイーク。夫と訪れた栃木県内のコンビニで、ナンバープレートを目にした店員が舌打ちしたことを今でも覚えている。「まるで私たちが汚いみたい。東京にも放射性物質は降ったのに」。
あれから5年が経った。「舌打ちされることはなくなったけど、汚染はなくなってはいないんですよね。残念ながら」。
別の30代の父親は、1歳になったばかりの息子を連れて内部被曝検査を受けに市の施設を訪れていた。「仕事上、飯舘村を通って南相馬市に行く事があるのでね」。妻と共働き。県外に避難することは難しかった。報道は減り、空間線量も下がった。「つい、汚染の事を忘れてしまうんですよね。時々、テレビで原発事故の特集番組を観て思い出すんです」。先日も、市から線量計を借りて自宅周辺を測ってみた。低い値ばかりだったが、子どもを屋外に連れ出す時には気をつけているという。「ここで生きていく以上、そうすることくらいしか出来ないですから。でも、放射線への意識が無くなったわけではありませんよ。今まで食べていた山菜を食べないようにするとかね。親は食べているけれど…」。
もちろん、「全く不安はありません。だからこそ、こうして本宮で生活出来ているんじゃないですか?」と話す母親もいる。しかし、被曝のリスクは今もつきまとう。それが現実だ。公共事業主導型の復興だけでは、子どもたちは守られない。

本宮市の国道4号。歩道で手元の線量計は0・24μSv/hだった。ある母親は「残念ながら汚染は無くなっていない」と話した
【環境大臣「除染し、帰っていただく」】
この日の夜、白河市内で開かれた「総決起大会」で、鈴木和夫白河市長は「復興に向けて、これからが一番、大事な時期」と道路の拡幅を例に挙げて強調した。西郷村や矢吹町、天栄村など西白河郡の首長が壇上の一角を占めた。そこには「脱被曝」は無い。中央とのパイプを手放すまいとする必死ささえ見て取れた。
「公務ご多忙」の中、応援に駆け付けた丸川珠代環境大臣は「帰還困難区域以外の除染を来年3月までに終える。そして帰っていただく。それが安倍政権の一丁目一番地」と語った。「あの方(対立候補の増子輝彦議員)から国会で質問を受けましたが、あれ?と思うことがありました。原発から出た放射性廃棄物と、皆さんの町から出た放射性廃棄物がこんがらがっているのかな?」。あえて避けたのか、年1mSvへの言及は無し。早々に東京に戻った。
「反対、反対、反対では国は守れない」(佐藤正久参院議員)、「野党は野合集団。岡田さんと志位さんを足すと『おかしい』になる」(公明党・若松謙維復興副大臣)。野党批判が続く中、当の岩城候補は「子どもたちが将来、この地域に誇りを持って住めるよう、安全安心をつくっていく」と語ったが、実際に安倍政権が行っているのは詳細な土壌測定もせず、空間線量が年20mSvを下回ったことを理由に避難指示を解除。中通りに至っては汚染などすっかり解消されたかのようだ。避難者への住宅支援は、来年3月末で打ち切られる。健康被害が生じたとしても、原発事故との因果関係を認めない。増え続ける除染土壌を全国の公共事業で再利用する。原発は再稼働。これが「復興」か。
福島第一原発の爆発事故から、間もなく64カ月。「残念ながら汚染はなくなっていない」という母親の言葉にきちんと答えられる政治家は、安倍政権にはいるのだろうか。
(了)
【アイドル並みの黄色い歓声】
主役を食う、というのはまさにこういう事なのだろう。
候補者が選挙カーの上で演説を続けているが、聴衆のほとんどが聴いていなかった。「誰も聴いてないよ」という笑い声があがった。アイドルを追いかけるファンのよう。初老の男性でさえ懸命に手を振り、携帯電話で撮影をする。握手を途中で切り上げ、選挙カーに戻ってしまうと、落胆した女性たちからため息ともつかぬ声があがった。進行役の女性が慌てて「ご安心ください、後ほど必ず、皆様の元に参ります」とアナウンスすると、拍手が起きた。女性たちの目はうっとりとしていた。本宮市長、大玉村長も〝前座〟に過ぎなかった。
JR東北本線・本宮駅近くの駐車場で行われた自民党・岩城光英候補の街頭演説。黄色い歓声を一身に浴びていたのは、応援に駆け付けた小泉進次郎衆院議員(党農林部会長)。「本宮のお米でつくったおにぎりと野菜を車の中でいただいた。白沢のとろろ芋も添えられていた。おかげで今日、一番声が出ている」と語り、拍手喝さいを浴びた。
「野党は一つどころかバラバラだ」。小泉議員は、共産党を「何でも反対、確かな野党だ」と揶揄し、「全国の結果にかかわらず地元・三重県で公認候補が負けたら代表を辞める」と宣言した民進党の岡田克也氏を「そんな理屈が通用するわけがない」と批判した。演説そのものは野党批判と復興推進。「選挙後のことを語れない野党候補。やっていること、言っていることは訳が分からない。そんな野党に議席を与える必要は無い」。身振り手振りは、父親である小泉純一郎元首相にそっくりだ。
演説を終え、聴衆の輪に加わると、再び歓声があがった。平日の日中。普段はあまり人通りのない商店街だが、35歳の〝プリンス〟を追いかける列が途切れない。小泉議員も、選挙制度が変更されたことを意識して女子高生との握手を欠かさない周到ぶり。警備にあたった自民党関係者ですら、その人気に改めて驚いていた。「自民党の推進してきた原発で汚染されてしまった福島」はそこには無かった。小泉進次郎議員が首相になったら、改憲も原発再稼働もあっさり容認するのではないか。そんな危惧すら抱いてしまうほどの熱狂ぶりだった。

女性たちから黄色い歓声を浴びた小泉進次郎議員。応援演説では野党批判と復興推進を繰り返したが、被曝リスクには触れない=福島県本宮市
【「残念ながら汚染は続いている」】
この日も「復興」、「復興」の大合唱。いまだ点在するホットスポットも、被曝のリスクも語られない。復興大臣を務めた根本匠参院議員(郡山)は「どんどん避難指示が解除されて、帰還が促進されております」と語った。大玉村の押山利一村長も「復興を進めるのか停滞させるのか、その選択の選挙だ」と呼びかけた。しかし、本宮市内に住む30代の母親は「なるべく屋外では遊ばせないようにしている」と話す。原発事故は決して、過去の出来事ではないのだ。
「本宮にも二本松にも屋内遊び場があるので、なるべく屋内で遊ばせるようにはしています。でもゼロという訳にもいかないので時々、屋外で走り回らせてあげるんです」
原発事故後に産まれた息子は3歳になった。「もし、原発事故当時に子どもがいたら、県外に出ていたかもしれませんね」。2011年のゴールデンウイーク。夫と訪れた栃木県内のコンビニで、ナンバープレートを目にした店員が舌打ちしたことを今でも覚えている。「まるで私たちが汚いみたい。東京にも放射性物質は降ったのに」。
あれから5年が経った。「舌打ちされることはなくなったけど、汚染はなくなってはいないんですよね。残念ながら」。
別の30代の父親は、1歳になったばかりの息子を連れて内部被曝検査を受けに市の施設を訪れていた。「仕事上、飯舘村を通って南相馬市に行く事があるのでね」。妻と共働き。県外に避難することは難しかった。報道は減り、空間線量も下がった。「つい、汚染の事を忘れてしまうんですよね。時々、テレビで原発事故の特集番組を観て思い出すんです」。先日も、市から線量計を借りて自宅周辺を測ってみた。低い値ばかりだったが、子どもを屋外に連れ出す時には気をつけているという。「ここで生きていく以上、そうすることくらいしか出来ないですから。でも、放射線への意識が無くなったわけではありませんよ。今まで食べていた山菜を食べないようにするとかね。親は食べているけれど…」。
もちろん、「全く不安はありません。だからこそ、こうして本宮で生活出来ているんじゃないですか?」と話す母親もいる。しかし、被曝のリスクは今もつきまとう。それが現実だ。公共事業主導型の復興だけでは、子どもたちは守られない。

本宮市の国道4号。歩道で手元の線量計は0・24μSv/hだった。ある母親は「残念ながら汚染は無くなっていない」と話した
【環境大臣「除染し、帰っていただく」】
この日の夜、白河市内で開かれた「総決起大会」で、鈴木和夫白河市長は「復興に向けて、これからが一番、大事な時期」と道路の拡幅を例に挙げて強調した。西郷村や矢吹町、天栄村など西白河郡の首長が壇上の一角を占めた。そこには「脱被曝」は無い。中央とのパイプを手放すまいとする必死ささえ見て取れた。
「公務ご多忙」の中、応援に駆け付けた丸川珠代環境大臣は「帰還困難区域以外の除染を来年3月までに終える。そして帰っていただく。それが安倍政権の一丁目一番地」と語った。「あの方(対立候補の増子輝彦議員)から国会で質問を受けましたが、あれ?と思うことがありました。原発から出た放射性廃棄物と、皆さんの町から出た放射性廃棄物がこんがらがっているのかな?」。あえて避けたのか、年1mSvへの言及は無し。早々に東京に戻った。
「反対、反対、反対では国は守れない」(佐藤正久参院議員)、「野党は野合集団。岡田さんと志位さんを足すと『おかしい』になる」(公明党・若松謙維復興副大臣)。野党批判が続く中、当の岩城候補は「子どもたちが将来、この地域に誇りを持って住めるよう、安全安心をつくっていく」と語ったが、実際に安倍政権が行っているのは詳細な土壌測定もせず、空間線量が年20mSvを下回ったことを理由に避難指示を解除。中通りに至っては汚染などすっかり解消されたかのようだ。避難者への住宅支援は、来年3月末で打ち切られる。健康被害が生じたとしても、原発事故との因果関係を認めない。増え続ける除染土壌を全国の公共事業で再利用する。原発は再稼働。これが「復興」か。
福島第一原発の爆発事故から、間もなく64カ月。「残念ながら汚染はなくなっていない」という母親の言葉にきちんと答えられる政治家は、安倍政権にはいるのだろうか。
(了)
スポンサーサイト
【浪江町・住民懇談会】怒る町民「命に対する感覚がずれている」。すがる町民「せめて子どもだけでも年20mSvで戻さないで」 ホーム
【浪江町・住民懇談会】町民の不満・怒りが噴出。「『年20mSvで帰還』は本当に安全?」~荒れ果てたわが家に「特例宿泊」なんて出来ない