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飯舘村議選あす告示。「小さい声を拾いたい」。村長の〝イエスマン議会〟に風穴開けようと挑戦する庄司圭一さん~16年ぶりに複数の若手が名乗り上げるか

任期満了に伴う福島県相馬郡飯舘村の村議会議員選挙(定数10)が14日、告示される。議員の高齢化と菅野典雄村長のイエスマンばかりでチェック機能を失ったと言われる村議会に風穴を開け、若返りを進めようと、40代以下の村民が立候補を予定している。庄司圭一さん(45)もその1人。「飯舘村全村見守り隊」での活動や、原発事故直後に避難先として世話になった栃木県鹿沼市での水害ボランティアなどを通して、「小さい声を拾いたい」との想いを強くしたという。一緒に仮設住宅や村内を巡りながら立候補への想いを聴いた。投開票は24日。21時には大勢が判明する。


【処方薬は川俣町から配達】
 「若い世代が議会に居ないといけないですよ。そろそろ若返りも図らないといけないし。村に戻って来たものの、いろいろと困っている人がいます。村に帰るべきか悩んでいる人もいます。そういう〝小さい声〟が行政に届いていないんです」
 村役場によると今月1日現在、村では特別養護老人ホームへの入居者も含めて488人が生活している。村に戻らずに避難先での新たな生活を始めている村民の方が圧倒的に多いが、特にお年寄りを中心に村での生活を再開している人がいる以上、無視は出来ない。自身も、福島市から村営住宅への転居を進めている。「買い物や訪問介護、病院に薬ですね。クリニックは開業したけれど、薬を処方されても村内では薬は手に入りません。隣接する川俣町の薬局が配達してくれますが、村内に新しくオープンした道の駅まででも車で20分程度かかります。それに、たった1人の患者のために迅速に持って来いというのも難しいでしょう。道の駅ではなく、スーパーマーケットを兼ねたドラッグストアが開業してくれれば良かったのですが…」。
 2011年6月から始まった「飯舘村全村見守り隊」に参加。村内での空き巣などを防ごうと、2人1組で自宅のある飯樋行政区を巡回した。1日おきに2時間、車で行政区を巡回して休憩、また2時間巡回という仕事に従事した。22時から午前5時45分までの「深夜勤」を担当する事が多く、事務所の仮眠室がいっぱいで車中で仮眠をとる日も少なくなかったという。「被曝を避けるために車から降りる事は無かったけど、当時は、放射線量が高い所では車中であっても2μSv/hくらいありましたからね。日給は8000円でした。でも、おかげでそれまで話した事も無い住民と面識が出来ましたし、除染のいい加減さを目の当たりにする事も出来ました」と振り返る。村内に設置されたモニタリングポストの数値がいかに実態とかけ離れているかも、身を持って実感した。昨年3月、運営主体が村から福島市内の人材派遣会社に替わったのを機に辞めたが、今でも独自の視点で「見守り」は続けている。




(上)飯舘村議選への立候補を予定している庄司圭一さん。=福島県相馬郡飯舘村深谷の県立相馬農業高等学校飯舘校
(下)庄司さんは「帰村して生活に困っているお年寄りの助けになりたい」と話す。栃木県鹿沼市での水害でボランティア活動に従事した事も、立候補のきっかけになったという

【避難した鹿沼市が水害。恩返しの泥出し】
 1972年5月生まれ。飯舘村に育ち、草野小学校、草野中学校を経て福島県立相馬農業高等学校飯舘分校農業科に進学した(現在は飯舘校と改称、福島市にある県立福島明成高等学校の敷地内で授業を続けている。農業科は廃止)。原発事故前は2トントラックの運転手として福島県北地域のコンビニエンスストアを配送で巡ったり、福島と都内を往復したりしていた。原発事故を受け、栃木県鹿沼市の鹿沼総合体育館(フォレストアリーナ)に他の村民と共に避難。2011年3月19日夜から4月末まで「大変お世話になりました」。翌日も村民がバスで避難し、鹿沼市は約500人の飯舘村民を受け入れた。
 その鹿沼市が今度は2015年9月、台風18号の豪雨で鬼怒川が氾濫した水害に見舞われる。鹿沼市のまとめでは床上下浸水は1200棟を上回り、農林業にも大きな被害が出た。全国から6400人以上のボランティアが集まったが、その中に庄司さんもいた。9日間、車中泊をしながら家の中からの泥出しや畳運びなどを手伝った。
 「あの時、お世話になった恩返しをしたかったんです。1日3軒がやっとで結局、20軒も手伝えたかな。現地の社会福祉協議会のスタッフが僕の顔を覚えてくれていたのはうれしかったですね」
 ボランティア活動の中で、被災者のニーズを集めて活動に生かす「ボランティアコーディネーター」の存在を知る。「お年寄りの中には『自分も手伝いをお願いして良いのだろうか』と遠慮してしまう人も少なくないんです。そういう声はなかなか届かない。それは飯舘村でも同じだと思います」。帰還促進と〝復興〟の大きなうねりの中で、村民一人一人の「小さな声」はかき消されてしまう。それらを出来るだけ拾い上げたいという想いが強くなったという。




(上)避難指示が解除されたとはいえ、村内には依然として放射線量の高い場所が点在する。「原発事故は決して終わっていない」と庄司さん=飯舘村飯樋大西の場外馬券売り場「ニュートラックいいたて」
(下)村内に設置されたモニタリングポストの中には、伸び切った草で覆い尽くされてしまっているものも。枝葉をかき分けると、数値は0.69μSv/hだった

【点在する村民。浸透に四苦八苦】
 4年前の村議選でも出馬を考えたが、周囲の〝圧力〟などで断念。今回は「何があっても立候補しようと考えていた」。立候補予定者向けの事前説明会が開かれて以降、村民の間には様々な憶測が連日のように流れている。本来は行政と議会はそれぞれ独立した組織だが、勢力の変化を恐れた菅野典雄村長が〝イエスマン〟の擁立に躍起になっているとの情報もある。村長の意向を〝忖度〟した役場職員が動いているとの話もある。保守的な村の体質に風穴を開けるのは決して容易では無い。
 ましてや、3月31日で帰還困難区域を除く避難指示が解除されたとはいえ、多くの村民が避難を継続中。しかも国見町にある「国見町上野台・大木戸仮設住宅」のように、既に住民がいないか半減した仮設住宅が多い。新たに自宅を新築したり復興公営住宅に入居したりした村民の住所を把握するのは困難なうえ、想いを訴えるために街頭演説を開くと言っても点在してしまった村民を集めるのは難しい。村内外に設置された9カ所の掲示板に選挙ポスターを貼りながら浸透を図る一方、はがきを送って支持を求めていく。
 「勝算?全く無いし分からないですよ。何しろ初めての事だから。投票率もさらに下がるでしょうね」と話す庄司さん。村選管によると、原発事故前の2009年までは90%を超えていたが、前回2013年の投票率は73・03%に下がった。村に戻らない子育て世代の関心の低下は著しい。
 「『若い人が出るなら応援するよ、頑張って』と声をかけてくれる人もいます。力を貸してくれる人もいる。原発事故はまだ終わっていないんです。菅野村長も分かっているはずなのに、そういう部分からは目を逸らしている」とも。「学校は再開して欲しくないけど決まってしまった。議員になれたとしても大きく変える事は難しいと思います。原発事故後は、何もかもが決まってから村民に伝えられた。皆で話し合って村民の意見を反映させる村政を取り戻したいです」。
 いよいよ10日間にわたる選挙戦が始まる。
 「まだまだ困っている人がいるんです。もちろん、飼い主をじっと待ち続けている犬や猫たちもね。世話を続けてくれているボランティアさんには本当に頭が下がります。いろんな『小さい声』を村政に反映したいですね」



(了)

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鈴木博喜

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