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【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】「ただ孫と津島に帰りたいだけ」「リフォーム完成間近で奪われたわが家にはカビ」。来夏にも現地検証か~第9回口頭弁論

原発事故で帰還困難区域に指定された福島県浪江町津島地区の住民たちが国や東電に原状回復と完全賠償を求める「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の第9回口頭弁論が22日午後、福島地裁郡山支部303号法廷(佐々木健二裁判長)で開かれた。2人の原告が意見陳述。孫との楽しい生活を奪われた悔しさや、リフォーム完成間近で自宅を奪われた哀しみ、集落の記録誌編さんを通してますます深まった故郷への愛着を語った。次回期日は11月17日14時。弁護団は、来夏にも裁判官による現地検証を実現させたい意向で協議を進めている。


【孫にとっても大切な故郷】
 ハンカチを握りしめる手は小刻みに震えていた。拭っても拭っても涙が止まらない。何度も言葉に詰まった。そのたびに自分を奮い立たせて陳述を続けた。全ては故郷を取り戻すため。欲しいのは賠償金では無い。「津島に帰りたい一心なのです。何で津島で生活出来ないのでしょうか」。女性原告(65)の問いに誰も答えてはくれない。
 原発事故さえ無ければ、津島の大自然に包まれて孫たちと暮らせていたのに。夫が300坪の土地を自ら切り開いて造った公園から、子どもたちの笑顔と歓声が消えた。近所の人や津島小学校の子どもたちにも開放し、遠足や芋煮会などで楽しい思い出を刻んだ自慢の公園。「何で故郷から離れた誰も知らない土地で避難生活をしなければいけないのでしょうか」。孫たちを優しく見守ってくれた公園は今や、イノシシに荒らされて穴だらけになってしまった。地震の揺れそのものでは全く傷む事の無かったわが家も公園も、放射性物質で汚された。バリケードの向こう側で家族を待つわが家。「目に見えない放射能で汚染されていて危険だから住めないなんて納得出来ません」。
 津島行政区にあるわが家に一時帰宅するたびに、小学生だった2人の孫から「じいちゃん、ばあちゃんだけ津島に行くのはずるい」と言われて心が痛んだ。もう限界だった。まだ帰還困難区域に指定される前の2012年夏。夫と2人で自宅周辺の土を耕運機を使って5センチほど除去した。1・5μSv/hの空間線量が0・5μSv/hに〝下がった〟。それでも決して安全と言える放射線量では無いのは分かっていた。周囲から非難されるかも知れない事も承知の上だった。「少しの時間なら…」。自分に言い聞かせるように、家族6人でバーベキューをした。久しぶりの団らんに津島のわが家に孫たちの笑顔が弾けた。数値だけで割り切れない故郷への想い。それは夫も同じだった。
 見知らぬ土地での避難生活で、夫は次第に心身が弱って行った。脳梗塞などで3回も入院した。畑仕事も庭いじりも孫との楽しい生活を奪われた夫。「心が折れそうになっているのを、私は必死に支えてきました。夫と津島に帰るんだという思いだけが心の支えでした」。総選挙を目前にして浮き足立つ永田町の住人たちに、この哀しみや悔しさを理解する事は出来まい。
 女性は改めて涙を拭って言った。
 「私たちの故郷・津島を返してください」




(上)法廷で意見陳述をした原告の女性は、報告集会で傍聴できなかった原告を前に再び涙を拭いながら故郷に帰りたい想いを語った。拭っても拭っても涙は止まらなかった=福島県郡山市の「ミューカルがくと館」
(下)音楽グループ「GReeeeN」のモニュメント「夢を開く心の扉~扉の向こうには…笑顔~」の前で、行き交う人々に支援を訴える原告たち。原告たちが叶えたい「夢」こそ、再び故郷で暮らす事だ=郡山駅西口

【記録誌編さんで深まる愛着】
 赤宇木行政区長を務める今野義人さん(73)は、痛む背中や腰を気遣いながら法廷に立った。パソコン用の机も椅子も無い仮設住宅でパソコンに向かっているうちに腰部脊柱管狭窄症を患ってしまった。二本松市内の仮設住宅から白河市内に購入した自宅に移ってもパソコンの画面に向かう日々は続く。放射性物質に汚されてしまった故郷・赤宇木の記録誌を完成させるためだ。
 きっかけは環境省の官僚の言葉だった。「このまま何もしなければ津島は100年は帰れない」。津島の中でも汚染の度合いが高い赤宇木行政区。今野さんの自宅は、今も玄関先で6-8μSv/hもある。あと1カ月ほどでリフォーム工事が終了するはずだったわが家。玄関のデザインは自分で決めた。完成したら、近所の人々を招いて祝うはずだった。親類が訪れてもすきま風で寒い思いをしないよう、農作業でお金を貯めた。その全てを奪ったのが原発事故。新たな思い出を刻むはずだったわが家は、一度も使われる事無く家族を失った。今やカビが生えている。「怒りや無念で胸がいっぱいになりました」。
 わが家はもちろん、先人たちが築いてきた集落の営みが消し去られてしまう。「記録誌をつくろう」。周囲も賛同してくれ、手探りでの編さん作業が始まった。福島県立図書館に何度も通い、赤宇木の歴史を紐解いた。福島県内だけでなく東京や千葉の避難先まで足を延ばし、70世帯に取材する事が出来た。それだけでも大変なのに、今度は取材した内容をパソコンで文章にまとめなければいけない。人差し指でキーボードを叩きながら、背中や腰をさすりながら作業を進めた。年内にも500ページに及ぶ記録誌が完成する見通しだという。
 「103歳の大和田ハツヨさんもたくさん話をしてくれてね。早く完成させて手渡したかったけれど…。間に合わず残念です」。大和田さんは21日、天国に旅立った。
 法廷で今野さんは記録誌編さんにかける想いを語った。
 「津島に帰れずに、津島が忘れられてしまうのがつらかった。原発避難でバラバラになってしまっていますが、みんな津島を忘れたわけではありません。津島に戻りたい。赤宇木に帰りたい」




(上)裁判所周辺で行われたデモ行進で拳を振り上げる原告たち。原発事故さえ無ければ、道行く人々から冷ややかな視線を浴びながら歩く事も無かった。原発事故が津島での穏やかな生活を一変させた
(下)1人でも多くの人に訴訟の存在を知ってもらおうと、弁護士も郡山駅前でビラを配る。裁判官による現地検証を来年夏にも実施するべく協議を重ねている

【「オリの中のイノシシのよう」】
 閉廷後に開かれた報告集会では、男性原告(81)が涙ながらに「現場を見て欲しい」と訴えた。
 「今月20日から国道114号線が自由通行になりました。でも、国道は自由に通れてもわが家に立ち寄るにはバリケードのカギを開けてもらわなければならない。立ち入ったら帰る時刻まで再び施錠されてしまうから、携帯電話の電池が切れてしまったり電波が入らなかったりすると身動きがとれません。急に体調が悪くなっても、開錠してもらうまで外に出られない。まるでオリに入れられたイノシシのようです。ぜひ裁判官に今の津島を見てもらって、わが家に行くのにカギを開けてもらう気持ちを分かって欲しいです」
 この日は原発事故で千葉県内に避難した人々が起こした訴訟の判決が千葉地裁から出されたが、国の過失責任を認めないなど大いに不満の残る内容だった。津島訴訟の弁護団も「千葉地裁の裁判官は初めから現地検証を実施しないとの結論を出していたので心配していた」と振り返る。「裁判官だって人間だ。人形じゃない。現場を見れば必ず伝わるものがある」と弁護士の1人。来年の6月か7月にも裁判官による津島地区の現地検証を実現させるよう協議を重ねている。国や東電の代理人弁護士は強く反対しているが、裁判所側は今のところ実施に否定的な姿勢は見せていないという。
 口頭弁論に先立ち、原告たちは毎回、郡山駅前に立ってアピールし、裁判所周辺をデモ行進する。頭を下げてビラを配っても受け取ってもらえない事も多い。拡声器から流れてくる声に露骨に嫌な表情をする人もいる。原発事故が無ければ味わわなくて済んだ屈辱。6年半が過ぎても終わらない原発事故。女性原告の言葉が複雑に絡まった被害者の心情を端的に表していた。
 「前向きに生きていかなければと思いますが、津島の将来の事、夫の健康の事、孫の健康被害の事…。不安は尽きません」
 


(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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