【浪江町・住民懇談会】怒る町民「命に対する感覚がずれている」。すがる町民「せめて子どもだけでも年20mSvで戻さないで」
- 2016/07/03
- 09:07
国が2017年3月末での避難指示解除方針(帰還困難区域を除く)を示した事を受けて開かれている住民懇談会で、浪江町民の怒りが爆発している。国はICRP(国際放射線防護委員会)に全幅の信頼を置き、現状の浪江町に戻っても科学的に安全だと主張。しかし、住民側は「命に対する感覚のズレは、これほど酷いものか」と憤り、「子どもたちだけでも年20mSvの対象から外して」と再考を求めた。これではとても、お盆の「特例宿泊」など実施できる状況ではない。東京五輪までに原発事故を片付けたい国だが、町民を戻さない「英断」も、馬場有町長には迫られている。
【「ICRPの見解こそ最も確立されている」】
「どうして年20mSvにこだわるのか。予防原則に反しているではないか」
原田雄一さん(67)=権現堂=は、福島県二本松市内で1日に開かれた住民懇談会で語気を強めた。視線の先にいるのは松井拓郎支援調整官(内閣府原子力被災者生活支援チーム)。この日の懇談会でも「100mSv以下の被曝線量では、他の要因に隠れてしまうほど発がんリスクは小さいというのが国際的な知見」と語り、年20mSvを避難指示解除の基準とすることには問題ないとの見方を繰り返した。「除染の効果はしっかり得られているし、長期的には年1mSvを目指す。20mSv基準で浪江町に戻っても毎年、それを蓄積するわけではない。科学的に年20mSvは安全だと思っている」(松井支援調整官)。
「これまでの除染による放射線量の低減」、「避難指示解除後もフォローアップ除染を実施」、「年20mSvで避難指示を出したのだから年20mSvで避難指示を解除する」…。飯舘村や南相馬市の避難住民にも同様に示された政府の方針に、原田さんは納得出来ずに食い下がる。「あなたはいつも『科学的』と言うが、ICRPは原発推進の組織。世界では低線量被曝に関する様々な研究が報告されている。より低い値を採用するべきだ」
松井支援調整官は「ICRPのメンバーと意見交換しているが、第三者の集団であって原発の関係者で占められているとは思わない」と反論。「他にもさまざまな意見があることは承知しているが、広島・長崎の原爆被爆者への疫学調査を実施したICRPの見解が、国際的に最も確立された見解だと認識している」、「放射線はどこにでも存在し、リスクがゼロになることは無い。ただ不安はしっかりと受け止め、寄り添っていく必要はある」と語り、ICRPへの全幅の信頼を示した。ICRPが安全と言っているから科学的には問題ない、あくまで受け止め方の問題という。「心の除染」と言い続けている伊達市の仁志田昇司市長と同様の理論だ。
「私らのような年寄りは良い。子どもだけでも、この値(年20mSv)から外して欲しい。子どもには選択権が無いんです。大人に従うしかない。自分で決めることが出来ないんですよ。人権侵害ですよ」
会場から拍手が起こる。原田さんの怒りは、国に反論できない町教委にも向けられた。
「なぜ教育者から反対意見が出なかったのか。情けない」
壇上には町役場の職員がずらりと並んだが、誰も反論することは出来なかった。馬場有町長は腕を組み、じっと聞き入っていた。

住民懇談会では「自宅庭に咲いた花の色が違う。放射線の影響ではないのか」と壇上に上がり、国の役人らに写真を見せた男性も。「2階の部屋は1・0μSv/hもある。そこに住めっかい?」
【「線量下がらぬ家に住めっかい?」】
汚染が続く町に、なぜ年20mSvを基準に戻されるのか。津島地区から避難中の女性は「放射線管理区域は年5mSvが基準値。その数値との差はなぜ生じるのか」と質した。別の男性も「ダブルスタンダードではないか」と批判した。これにも松井支援調整官は「事業者に課される義務であって、年5mSvが安全と危険の境界を示すものでは無い」と反論した。住民懇談会の資料では、環境省が酒田地区で実施した宅地除染とフォローアップ除染により、除染前の平均空間線量2・11μSv/hが同0・59μSv/hに「下がった」と示されている。「低減率は72%。全体的に放射線量は下がっている傾向にある」(環境省福島環境再生事務所)。そもそも年20mSvにすら達しない、というのが国側の言い分だ。
しかし、権現堂地区から避難中の男性は「帰れと言われたって帰れるわけない」とマイクを握った。「どんな除染をしているんですか?自宅の除染は2回あったが、さっぱり下がりませんよ。町役場から借りた線量計が壊れているんですか?屋根瓦を交換せず拭くだけで、どうして下がるんですか?」
男性の自宅は1階の部屋が0・5μSv/h、2階は1・0μSv/hあるという。家の周りにある砂利を撤去したら3μSv/hあったが、新たな砂利を敷き詰めて〝除染〟は終わり。「そんな家に住めっかい?だいたい、年20mSvで健康に影響無いと言うけど検証したのか」。これには、松井支援調整官も「因果関係の立証は難しい」と答えるにとどまった。業を煮やした男性は、壇上にあがって自宅庭に咲いた植物の写真を見せた。「例年と花の色が違う。放射線の影響ではないのか」。不信感はそれだけ根深いのだ。
テレビや新聞は「安全」ばかり報じる。しかし帰還困難区域が残されたままで、町に戻った住民に影響が無いのか不安も募る。「帰還困難区域の影響はゼロだとは考えていないが、風が吹いた程度で放射線量が上がることは無い」(環境省)。そして会場が最もどよめいたのが、資源エネルギー庁の次のような回答が発せられた時だった。
「福島第二原発を廃炉にするよう国が指示することは、法律上、出来ません。事業者である東電の判断を尊重することになります」
これは再稼働の可能性に含みを持たせたことになる。「二度も三度も過酷事故の被害者になるつもりはない」。町民の言葉は当然だ。しかも、この担当者は「1600人を超える震災関連死」と発言し、「2000人超だよ」と町民の怒りを買った。「2000人超でしたっけ」などと心を逆なでするような発言に、国が故郷を汚された町民の気持ちを軽視している現状が顕著に表れていた。

「せめて子供は年20mSvの対象から外して欲しい」と訴えた原田さん。しかし、国は特例宿泊を経て来年3月末の避難指示解除を目指している=1日、二本松市油井
【「帰りたい。でも放射線量が高い」】
内閣府も環境省も、資料説明の冒頭、揃って「避難を強いている点を国としてお詫びする」と頭を下げた。資源エネルギー庁は「住民の皆様の安全を第一に廃炉作業を進めたい」と話した。しかし、結論は「もはや被曝リスクは低いから帰りましょう」。それが浪江町民の心情とどれだけかけ離れているか。ある男性の言葉が如実に表していた。
「命に対する感覚のズレは、これほど酷いものかと思いました。避難指示が解除されたら、町民は死ぬまで放射線管理区域に住むんですよ。あなた方は、そういう所に町民を帰すわけですよ」
請戸地区など町の海側は、大津波の直撃で壊滅的な被害を受けた。しかし、原発事故で遺体の捜索や収容が出来なかった。放射性物質が拡散しなければ、助けられた命があったかも知れぬ。川添行政区の男性は、次のような言葉で5年間の苦労を語った。
「福島県内にだって妬み、ひがみはある。車を傷付けられたよ。『あんたら賠償金もらって良いな』って言われるから、浪江から避難して来たって言えない。村八分に遭うじゃないか。福島県外に避難した親類も、同じような世間話を耳にしてから浪江の人間だと言えなくなってしまった」
そして、こう続けた。
「帰りたい。でも放射線量が高い。食べ物だって汚染物を食うようなものだ。100Bq/kg以下だって放射性物質はあるんだべ。測っているからって安心なわけねえべした。99Bq/kgと100Bq/kgの違いは何なんだ?普通はゼロを目指すんだべした」
馬場町長の言う「忌憚の無いご意見」がこれだ。町長は「避難指示解除の時期に関する説明会ではない」と繰り返したが、実際には町も来年3月に向けて病院や商業施設などインフラの整備に着手しており、住民懇談会は事実上の〝地ならし〟と言える。
住民懇談会は3日(いわき市)と5日(会津若松市)で終了するが、東京以西、仙台以北に避難した町民が意見を述べる場も必要だ。「命に対する感覚のズレ」が大きいままでは、にぎやかだった浪江町は戻らない。「住民を帰らせない」という英断も必要なのではないか。
(了)
【「ICRPの見解こそ最も確立されている」】
「どうして年20mSvにこだわるのか。予防原則に反しているではないか」
原田雄一さん(67)=権現堂=は、福島県二本松市内で1日に開かれた住民懇談会で語気を強めた。視線の先にいるのは松井拓郎支援調整官(内閣府原子力被災者生活支援チーム)。この日の懇談会でも「100mSv以下の被曝線量では、他の要因に隠れてしまうほど発がんリスクは小さいというのが国際的な知見」と語り、年20mSvを避難指示解除の基準とすることには問題ないとの見方を繰り返した。「除染の効果はしっかり得られているし、長期的には年1mSvを目指す。20mSv基準で浪江町に戻っても毎年、それを蓄積するわけではない。科学的に年20mSvは安全だと思っている」(松井支援調整官)。
「これまでの除染による放射線量の低減」、「避難指示解除後もフォローアップ除染を実施」、「年20mSvで避難指示を出したのだから年20mSvで避難指示を解除する」…。飯舘村や南相馬市の避難住民にも同様に示された政府の方針に、原田さんは納得出来ずに食い下がる。「あなたはいつも『科学的』と言うが、ICRPは原発推進の組織。世界では低線量被曝に関する様々な研究が報告されている。より低い値を採用するべきだ」
松井支援調整官は「ICRPのメンバーと意見交換しているが、第三者の集団であって原発の関係者で占められているとは思わない」と反論。「他にもさまざまな意見があることは承知しているが、広島・長崎の原爆被爆者への疫学調査を実施したICRPの見解が、国際的に最も確立された見解だと認識している」、「放射線はどこにでも存在し、リスクがゼロになることは無い。ただ不安はしっかりと受け止め、寄り添っていく必要はある」と語り、ICRPへの全幅の信頼を示した。ICRPが安全と言っているから科学的には問題ない、あくまで受け止め方の問題という。「心の除染」と言い続けている伊達市の仁志田昇司市長と同様の理論だ。
「私らのような年寄りは良い。子どもだけでも、この値(年20mSv)から外して欲しい。子どもには選択権が無いんです。大人に従うしかない。自分で決めることが出来ないんですよ。人権侵害ですよ」
会場から拍手が起こる。原田さんの怒りは、国に反論できない町教委にも向けられた。
「なぜ教育者から反対意見が出なかったのか。情けない」
壇上には町役場の職員がずらりと並んだが、誰も反論することは出来なかった。馬場有町長は腕を組み、じっと聞き入っていた。

住民懇談会では「自宅庭に咲いた花の色が違う。放射線の影響ではないのか」と壇上に上がり、国の役人らに写真を見せた男性も。「2階の部屋は1・0μSv/hもある。そこに住めっかい?」
【「線量下がらぬ家に住めっかい?」】
汚染が続く町に、なぜ年20mSvを基準に戻されるのか。津島地区から避難中の女性は「放射線管理区域は年5mSvが基準値。その数値との差はなぜ生じるのか」と質した。別の男性も「ダブルスタンダードではないか」と批判した。これにも松井支援調整官は「事業者に課される義務であって、年5mSvが安全と危険の境界を示すものでは無い」と反論した。住民懇談会の資料では、環境省が酒田地区で実施した宅地除染とフォローアップ除染により、除染前の平均空間線量2・11μSv/hが同0・59μSv/hに「下がった」と示されている。「低減率は72%。全体的に放射線量は下がっている傾向にある」(環境省福島環境再生事務所)。そもそも年20mSvにすら達しない、というのが国側の言い分だ。
しかし、権現堂地区から避難中の男性は「帰れと言われたって帰れるわけない」とマイクを握った。「どんな除染をしているんですか?自宅の除染は2回あったが、さっぱり下がりませんよ。町役場から借りた線量計が壊れているんですか?屋根瓦を交換せず拭くだけで、どうして下がるんですか?」
男性の自宅は1階の部屋が0・5μSv/h、2階は1・0μSv/hあるという。家の周りにある砂利を撤去したら3μSv/hあったが、新たな砂利を敷き詰めて〝除染〟は終わり。「そんな家に住めっかい?だいたい、年20mSvで健康に影響無いと言うけど検証したのか」。これには、松井支援調整官も「因果関係の立証は難しい」と答えるにとどまった。業を煮やした男性は、壇上にあがって自宅庭に咲いた植物の写真を見せた。「例年と花の色が違う。放射線の影響ではないのか」。不信感はそれだけ根深いのだ。
テレビや新聞は「安全」ばかり報じる。しかし帰還困難区域が残されたままで、町に戻った住民に影響が無いのか不安も募る。「帰還困難区域の影響はゼロだとは考えていないが、風が吹いた程度で放射線量が上がることは無い」(環境省)。そして会場が最もどよめいたのが、資源エネルギー庁の次のような回答が発せられた時だった。
「福島第二原発を廃炉にするよう国が指示することは、法律上、出来ません。事業者である東電の判断を尊重することになります」
これは再稼働の可能性に含みを持たせたことになる。「二度も三度も過酷事故の被害者になるつもりはない」。町民の言葉は当然だ。しかも、この担当者は「1600人を超える震災関連死」と発言し、「2000人超だよ」と町民の怒りを買った。「2000人超でしたっけ」などと心を逆なでするような発言に、国が故郷を汚された町民の気持ちを軽視している現状が顕著に表れていた。

「せめて子供は年20mSvの対象から外して欲しい」と訴えた原田さん。しかし、国は特例宿泊を経て来年3月末の避難指示解除を目指している=1日、二本松市油井
【「帰りたい。でも放射線量が高い」】
内閣府も環境省も、資料説明の冒頭、揃って「避難を強いている点を国としてお詫びする」と頭を下げた。資源エネルギー庁は「住民の皆様の安全を第一に廃炉作業を進めたい」と話した。しかし、結論は「もはや被曝リスクは低いから帰りましょう」。それが浪江町民の心情とどれだけかけ離れているか。ある男性の言葉が如実に表していた。
「命に対する感覚のズレは、これほど酷いものかと思いました。避難指示が解除されたら、町民は死ぬまで放射線管理区域に住むんですよ。あなた方は、そういう所に町民を帰すわけですよ」
請戸地区など町の海側は、大津波の直撃で壊滅的な被害を受けた。しかし、原発事故で遺体の捜索や収容が出来なかった。放射性物質が拡散しなければ、助けられた命があったかも知れぬ。川添行政区の男性は、次のような言葉で5年間の苦労を語った。
「福島県内にだって妬み、ひがみはある。車を傷付けられたよ。『あんたら賠償金もらって良いな』って言われるから、浪江から避難して来たって言えない。村八分に遭うじゃないか。福島県外に避難した親類も、同じような世間話を耳にしてから浪江の人間だと言えなくなってしまった」
そして、こう続けた。
「帰りたい。でも放射線量が高い。食べ物だって汚染物を食うようなものだ。100Bq/kg以下だって放射性物質はあるんだべ。測っているからって安心なわけねえべした。99Bq/kgと100Bq/kgの違いは何なんだ?普通はゼロを目指すんだべした」
馬場町長の言う「忌憚の無いご意見」がこれだ。町長は「避難指示解除の時期に関する説明会ではない」と繰り返したが、実際には町も来年3月に向けて病院や商業施設などインフラの整備に着手しており、住民懇談会は事実上の〝地ならし〟と言える。
住民懇談会は3日(いわき市)と5日(会津若松市)で終了するが、東京以西、仙台以北に避難した町民が意見を述べる場も必要だ。「命に対する感覚のズレ」が大きいままでは、にぎやかだった浪江町は戻らない。「住民を帰らせない」という英断も必要なのではないか。
(了)
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