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【80カ月目の浪江町はいま】二本松市で最後の十日市祭。惜別の裏にある苦悩。「孫は連れて行かれない」「何もしなきゃ前に進まぬ」~7年ぶりに町で開催へ

福島県浪江町の伝統行事「十日市祭」を巡り、町民の苦悩と葛藤が深まっている。今月25、26の両日、原発事故後初めて十日市祭が町内開催されるが、「歓迎」と「時期尚早」とで町民の意見は分かれる。12日には、原発事故で多くの町民を受け入れた二本松市で最後の「十日市祭」が規模を大幅に縮小して開かれたが、ある町民は「孫を連れて行かれない」と表情を曇らせた。帰町が進まない中、イベントで対外的に〝復興〟をアピールしたい馬場町長と拙速な〝復興〟を疑問視する町民。被曝リスクだけではない、原発事故が浪江町に残した爪痕はあまりにも深い。


【「なぜ町内開催にこだわる?」】
 「孫は連れて行かないよ。私は行くけどね。放射線の事もあるし、何より原発に何があるか分からないでしょ。すぐに逃げなきゃならないような事態が起きるかも知れない所に孫を行かせる事は出来ないよね。風向き次第では再び被曝してしまう。何も無理して向こう(浪江町)でやらなくても良いのにね」
 福島市内で避難生活を送る女性は、苦悩に満ちた表情で語った。原発事故後、初めて町で開催される十日市祭(11月25、26日)。会場の地域スポーツセンターは、過酷事故の起きた福島第一原発から北西に約9kmの場所にある。お笑いコンビ「母心」や、地元出身の民謡歌手・原田直之さんなどのライヴ、福島県立ふたば未来学園吹奏楽部の演奏に加えて、県による「ドローンフェスタ」、「ふるさとの祭り」も併催されるが、どれだけの町民が集まるかは未知数だ。
 この日のステージでは、浪江小学校・津島小学校に通う5人の児童が合唱やダンス、和太鼓を披露した。「ふるさとなみえ科」の学習を通して手作りしたみこしをかつぎながら「がんばれ、がんばれ浪江」、「ありがとう、ありがとう二本松」と練り歩いた。客席でわが子を見守った保護者の1人は、中通りからの距離(二本松駅から浪江駅までは車で約90分)を理由に「どうして、わざわざ浪江でやるのかな。放射線の事は心配していないけど、自宅をリフォームしているので避難先から行くとなると交通の便が悪いんです」と語った。「行ったって朽ち果てたわが家には泊まれないし、かといって日帰りではつらい」と話す町民もいた。
 しかし町は既に、十日市祭だけでなく年明けの成人式も町で開催する方針を決めている。この日の十日市祭は、毎年恒例のにぎやかな屋台は無し。手芸品など避難している町民の作品展示も、ごくわずかだった。二本松市への「感謝祭」の意味合いも込められたが、規模も参加者も大幅に減った。公務を理由に馬場有(たもつ)町長の姿も無かった。主催した町商工会の関係者は「ささやかな抵抗ですよ。町長は二本松では今年は開催して欲しくなかったのでしょう。もっとゆるやかな復興があっても良いと思いますよ。急ぎ過ぎです」と語る。伝統行事ひとつとっても、町の「脱避難・町回帰」の姿勢が色濃く表れている。




手作りみこしや和太鼓で盛り上げた浪江小・津島小の子どもたち。多くの町民を受け入れ、十日市祭の会場も提供してきた二本松市に対して「ありがとう、ありがとう二本松」との言葉を贈った=福島県二本松市の市民交流センター

【帰町の起爆剤にしたい思惑】
 十日市祭を〝復興のシンボル〟にしたい浪江町としては、7年ぶりに町で開催される十日市祭を盛り上げる必要がある。馬場町長は今月7日、動画サイト「YouTube」の「なみえチャンネル」に「ふるさと浪江町での十日市祭を楽しんでいただきたい。ぜひお越しください」とのメッセージを寄せた。馬場町長は昨年、まだ避難指示解除が正式に決まっていない段階で「来年はぜひ十日市祭を町内で開催したい」と語っていた。
 浪江町は今年3月31日に帰還困難区域を除く避難指示が解除されたが、町ホームページによると、避難指示の部分解除から7カ月が経った10月末現在、町へに戻った町民は237人にとどまっている。帰町率としては、1%をわずかに上回る程度だ。町は旧浪江東中学校を改修し、新たに「なみえ創成小学校」「なみえ創成中学校」を2018年4月に開校する。しかし今年6月に町教委が実施した意向調査では、対象となる年齢の子どもがいる保護者のうち、実に95.2%が「現在のところ通学させる考えがない」と回答している。それだけに、イベントを帰町促進の起爆剤にしたい思惑がある。町商工会内部では当初、町内での開催に否定的な意見が少なくなかったが、関係者は「馬場町長からの強い要請があった」と明かす。
 町の姿勢は広報にも如実に表れた。町内での十日市祭を派手にPRする一方で、この日の〝最後の〟十日市祭は、広報なみえ9月号で小さく告知されただけ。訪れた町民から「なぜ差別するのか。両方同じように宣伝すれば良いのに」との声があがったほどだ。40代の母親は「今年は盛大に感謝祭を二本松でやって、来年から向こう(浪江町)で再開するものだと考えていたのに寂しい。残念です」と話した。なぜそんなに急ぐのか。別の町民は言う。「2020年の東京五輪までに〝復興〟させたいんだろ」。




町民の作品展示など、規模が大幅に縮小された〝最後の〟十日市祭。参加した町民も例年に比べて少なかった

【〝復興アピール〟担う行事に】
 もちろん、町内開催を歓迎する町民もいる。二本松市内の仮設住宅から復興公営住宅への転居を済ませた男性は「向こう(浪江町)でやらなきゃ駄目だよ。何もしなきゃ前に進まない。被曝リスクなんか大丈夫だよ。いつまでもこっち(二本松市)じゃ駄目」と語る。別の母親は、子どもを来春から町内の学校に通わせる事を決めている。「放射線や被曝リスクの事は気にしていません。意識していたら帰りませんよ」と笑った。「子どもが行きたいと言ったら(再来週の十日市祭に)連れて行くつもりです」。
 6年を超える避難生活は、町民の考え方を二分した。町民の女性は「立場で考え方が全く違いますよね。町に既に帰った人や帰ると決めている人の中には『二本松で十日市祭を開く必要はもう無い』って言う人もいます。難しいですね」と話した。
 避難指示解除に関する住民説明会では、拙速な解除に反対する意見が多かった。一方で、高齢者を中心に「一日も早く住み慣れた町に帰りたい」と考える町民もいる。馬場町長は最終的に「町残し」を重視。国に歩調を合わせる形で今年3月末での避難指示解除(帰還困難区域を除く)に同意し、国道6号にほど近い町役場を中心とした中心部の〝復興〟に取り組んでいる。いまだに汚染の解消されていない地域や帰還困難区域に足を運ぶ事無く、町心部で「なみえ焼きそば」を食べて「復興は着実に進んでいる」と言い放ってしまう安倍晋三首相には、町民の葛藤や苦悩は理解出来まい。
 冬の到来を実感させる寒さの中、原発事故以来続けられてきた二本松市での十日市祭は幕を閉じた。原発避難でバラバラになってしまった町民の数少ない再会・交流の場としての役割を果たしてきた十日市祭は、決して生活環境が整っているとは言い難い町に場所を移して開催される。再会・交流の役割より、〝復興アピール〟の一翼を担う事になる。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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