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【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】伏せられた高濃度汚染。「なぜ知らせてくれなかった!」。〝無用な被曝の最前線〟津島診療所・関根医師が怒る情報隠蔽。

医師で、福島県浪江町・津島地区に開設されていた「津島診療所」(現在は二本松市)所長の関根俊二さんが10日午後、福島県二本松市内で講演し、「無用な被曝は避けられた」と国や東電の原発事故後の対応を厳しく批判した。津島地区は後に帰還困難区域に指定され今も避難指示解除の見通しは立っていないが、当時は住民に汚染や被曝リスクが全く知らされなかった。関根さんは「低線量被曝はこれまで経験が無い」として子どもや若者たちへの健康影響を心配しつつ、無用な被曝の最前線となってしまった当時の津島地区の様子を怒りをこめて語った。「原発事故の完全賠償を求める会」の主催。


【「汚染の情報隠蔽、一番悔しい」】
 あの時なぜ、放射性物質の拡散状況や汚染の実態を住民に知らせてくれなかったのか。振り返るほどに悔しさが募る。
 「安全神話にどっぷり浸かって何ら準備が出来ていなかった事も問題だが、一番悔しいのは、放射能汚染の状態を隠して我々に知らせなかった事だ。全国の原発立地地は、こういう状況を十分に理解して準備をしておかないと、再び福島県と同じような放射能災害が起きてしまう」
 常に命と向き合ってきた医師として、関根さんは繰り返し、原発事故後の国や東電の対応を批判した。
 「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を開示しなかった事で、住民は無用な被曝をしてしまった。子どもや若者たちに放射性物質は降り注いだのに、安定ヨウ素剤の服用指示は出されなかった」
 関根さんが普段から携帯していた医療用のガラスバッジの数値が2011年3月だけで800μSvに達していた事が分かったのは、後に分かった。浪江町内の空間線量率は最大で330μSv/hだった、と役場職員から知らされた。これも、ずいぶん後になってからだった。〝住民の生命を守る〟という行政の最も基本的な使命は果たされなかった。「ガラスバッジは、普段はゼロカウントですよ。それが800。大部分が12日から15日の4日間で浴びたもの。情報隠蔽によってこれだけの被曝をしてしまった」。
 津島地区は、揺れそのものでは大きな被害は無かった。診療所も棚から物が落ちてきた程度の被害で済んだ。後に帰還困難区域に指定され、7年近く経っても解除の見通しさえ立たない津島地区に、津波で自宅を失った町民や原発により近い地域の町民たちが大挙して避難してきた。大地震の翌日の土曜日、朝早く呼び出されて診療所に駆け付けると、津島小学校の体育館に避難した町民が、薬を求めて診療所の前に長い列をつくっていた。子どもはもちろん、大人も上空から放射性物質が降り注いでいる事など知る由も無かった。津島はまさに〝避ける事の出来た無用な被曝〟の最前線になってしまっていた。
 「町民と一緒に避難して来た町中心部の医師たちも皆、休憩室や待合室などで横になりながら、夜遅くまで避難してきた人々の診療にあたってくれた。一方で警察官や自衛官は、津島地区の汚染状況をちゃんと把握していた。分かっていたから防護服を着て津島地区に入ってきていたんだ。私たちには国からも東電からも汚染状況は知らされていなかったのに…」


今も津島地区の住民から頼りにされ親しまれている関根俊二さん。時折、厳しい表情で国や東電の情報隠蔽を批判した=福島県二本松市の男女共生センター

【「若者や子どもに健康影響出ぬよう」】
 診療を中断して逃げるよう役場職員から連絡が入ったのは、3月15日の午前11時頃だった。症状の重い患者を別の病院に搬送したのが最後の仕事になった。救急車が用意できなかったため、消防車に布団を敷いて寝かせた。結局、施錠して診療所を離れたの時、時計の針は14時を回っていた。当時の様子を、診療所の看護師だった女性が口頭弁論の意見陳述でこう述べている(2017年3月18日号参照)。
 「絶対に安全だと言われていた原発が爆発するとは思いもしなかった」
 「薬が無くなってしまったはずの患者さんが診察に来なかったけれど大丈夫だろうか、と避難の車中では涙が止まらなかった」
 二本松市役所東和支所に臨時の町役場が設けられたことから、関根さんも3月19日に「東和生きがいセンター」の一角で診察を再開した。「避難していた町中心部の医師たちも再び駆け付けてくれた。着の身着のままで避難してきたから白衣も何も無かった」。この時、線量計の数値は3.8~4.0μSv/hに達していた。汚染地から汚染地への〝避難〟だった。診療所は1カ月後に市内の岳温泉に移設。9月には、東北本線・安達駅からほど近い仮設住宅の敷地内に移った。そして今年3月からは、仮設住宅近くに完成した復興公営住宅の一角で診療を行っている。
 「低線量被曝はこれまで経験した事が無い。若者や子どもたちへの影響が20年、30年後に出なければ良いなと思う。専門家は、皆さんを安心させるために問題無い、心配ないと言っているのかもしれないが、まだ結論は出ていない」と関根さん。福島県の県民健康調査では、これまでに194人に甲状腺ガンが見つかっている(疑いも含む)。
 「小児甲状腺ガンは一般的に100万人に1人か2人と言われている。国も福島県も、放射線被曝とは関係ないのではないか、自然発生した潜在ガンを見つけている、と言っているが果たしてそうなのか。ガンの発生率が多すぎるのではないかと誰もが思っていると思う。他県の子どもたちにも同じような検査をして、同じくらいの割合で潜在ガンが見つかるのだろうか。それをやらないで放射線被曝と関係ないと言えないんじゃないか」と指摘する。
 1997年に、55歳で郡山市内の病院から津島診療所に移った。あれから20年。被曝と避難の最前線で目の当たりにしたのは、国や行政の準備不足と情報隠蔽、救われぬ命だった。
 「原発立地から40年も経っているにもかかわらず、安全神話にどっぷりと浸かってしまって避難道路すら出来ていなかった。避難しろと言われても国道114号線は大渋滞してしまった。原発事故時の医療体制も準備されていなかったから、避難先で多くの犠牲者(震災関連死)を出してしまった」




関根さんはスライドを使いながら、国や行政の準備不足、情報隠蔽を厳しく指摘。「無用な被曝をさせられた」と怒った

【「10年以内に津島全体の除染を」】
 講演を主催したのは、原発事故後に津島地区の住民で立ち上げた「原発事故の完全賠償を求める会」。原発訴訟「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の母体ともなっている組織。
 講演後に開かれた総会では、不動産(土地、建物)や動産(墓石や農機具など)に関するADRについて担当弁護士から経過報告があったほか、町がまとめた帰還困難区域の特定復興拠点整備計画に対する要望・提言案が了承された。要望では、津島地区では約137ヘクタールに関して除染をして2023年3月に避難指示を解除するとした街の方針に対し「範囲を大幅に拡大し、10年以内に津島地区全体の除染を終える」よう求めている。町が11月までにまとめた整備計画では、帰還困難区域に指定されている室原、末森、津島の3つの地域の計661ヘクタールで除染を実施し、2028年までに1500人が帰還・居住する事を目指している。
 提言案を説明した馬場績町議は「廃村・棄民は絶対に認めない。国や町は『戻って普通の生活が出来る基盤が整った』と言って帰還困難区域以外の避難指示を今年3月に解除したが、とても生活出来る基盤など整っていない。津島地区を通る国道114号線が今年9月から自由通行になったが、携帯電話が通じない地域がある。それらを解消してから自由通行にするべきだった」などと指摘した。視察に訪れた人から「津島地区には田んぼはそもそも存在しなかったのか」と言われるほど田畑の荒廃が進んでいるため、「集落の保全管理と有害獣の駆除」も盛り込んだ。
 「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」の次回期日は1月19日。夏までに裁判官の現地検証を実施するべく、福島地裁郡山支部との調整が進められている。



(了)
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鈴木博喜

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