【福島原発かながわ訴訟】「被曝不安消えぬ」「元気だった夫を返して」。原告本人尋問終わる。被告側代理人は被曝リスク・健康被害を否定する発言に終始
- 2018/03/08
- 11:58
原発事故の原因と責任の所在を明らかにし、完全賠償を求めて神奈川県内に避難した人々が国と東電を相手取って起こしている「福島原発かながわ訴訟」の第26回口頭弁論が8日、横浜地裁101号法廷(中平健裁判長)で開かれ、昨年11月、今年1月に続いて3回目の原告本人尋問が行われた。6人の原告が順番に尋問を受け、「10μSv/hは安全」、「甲状腺検査でのう胞が見つかっても悪性化しない」など被告側代理人弁護士の尋問に原告が怒り、呆れる場面もあった。これで原告本人尋問は終了。7月に結審する見込みだ。次回期日は5月18日10時。
【被告代理人「のう胞は悪性化しない」】
傍聴席がどよめいた。
福島県福島市から神奈川県内に避難している女性原告(38)への反対尋問に立った被告・東電代理人の若手男性弁護士。被曝回避のための避難を否定する発言に、中平裁判長が度々注意をするほど傍聴席から怒りの声があがった。
「娘に甲状腺検査でのう胞が見つかったとのことだが、結果説明の欄には『今回認められたのう胞は治療の必要は無く、症状が出たり悪性に変化したりする事は考えにくいものです』と書かれてある事は分かりますか?のう胞は甲状腺細胞の中にある泡のようなもので、特に問題は無いという事は聞いていらっしゃいますか?放射線被曝が問題とならない地域で検査をしても、のう胞や結節は同程度の比率で発見されるという事はご存知ですか?」
女性原告は「のう胞が悪化する可能性もゼロでは無い」、「放射能から子どもを少しでも離していたいから避難を継続している」と反論したが、これは「誤導」とも言える尋問だ。
木村真三氏(独協医科大学准教授、国際疫学研究室福島分室室長)は昨年6月の講演で「二巡目で『悪性ないし悪性疑い』と診断された71人のうち、一巡目でA判定だったのは65人。わずか2年で甲状腺ガンに移行している。『サイレントなガン』というのは全くもってナンセンスだ。甲状腺ガンは本当に進行が遅いのか、疑問が残る」と指摘している。
2016年12月に開かれた福島県県民健康調査の第25回検討委員会でも、委員から「『悪性ないし悪性疑い』と判定された68人のうち、62人までが先行検査でA判定だった。甲状腺ガンは進行が遅いと言われているが、そんなに短期間でC判定まで行ってしまうものなのか。見逃されるという話もある」」との声があがっていた。「のう胞は悪性にならない」とは言い切れないのだ。
男性弁護士はさらに、福島市の広報紙「ふくしま市政だより 2011年4月21日号」を挙げ「空間線量が10μSv/h以下であれば外で遊ばせても大丈夫です。もちろん普段通りの通学も問題ありませんと書かれてありますね。そういった情報がある中、福島市に戻れないのはどういう理由からか」と質した。この記述は当時、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーだった山下俊一氏や高村昇氏が監修していた。原告の女性は「そういった情報が私には信用出来ない。住んでいる人を安心させたくて書いているのだろう」と答えた。見かねた原告側代理人の小賀坂徹弁護士が「10μSv/hという値は、単純計算で年間87mSvを超える。半分としても40mSvを上回る」と指摘した。



(上)この日のトップバッターとして本人尋問に臨んだ山田俊子さん。閉廷後の集会では、改めて「原発事故さえなければ普通の生活を送れていた。それを壊された。壊された暮らしを返してもらいたい。奪われたものが一人一人にとってどれだけ尊いか、裁判官に分かってもらいたい」と訴えた。「法廷では半分も言えなかった」と語る場面も=横浜情報文化センター
(中)山田さんの本人尋問では、原発事故前年の2010年に霊山(福島県伊達市)の頂上から眺めた風景を描いた絵手紙も紹介された。涙をこらえながら、当時の感動を「福島っていいなって思いました」と述べた。待望の田舎暮らしが軌道に乗った矢先の原発事故だった
(下)今年2月8日に実施された〝現地検証〟。閉廷後の進行協議を終えた原告代理人弁護士の1人は「裁判官から『現地を見て土地勘がつかめた』という発言もあった。現地に行ってもらって良かった」と話した
【自宅敷地内の土壌394万Bq/㎡】
「原発事故が起こっても全く知識が無く、呑気に構えていて避難を遅らせてしまった。あらゆる本を読んで勉強した」
福島県いわき市から神奈川県内に避難した僧侶の40代男性は、低線量被曝が子どもたちに様々な健康影響を及ぼす可能性が否定できないとの結論に達した。子どもたちは鼻血を出し、目の下に隈が出来、皮膚には湿疹が出来た。自身もすい臓の悪性腫瘍を摘出する手術を受けた。自身や家族に現れた症状はどれも、原発事故の影響だと断定出来ない一方、全く関係ないとも言い切れない。檀家からは「いつまで避難しているのか」と言われる事もある。しかし、自宅敷地内の土壌が1平方メートルあたり394万ベクレルである事も分かり「放射線管理区域の100倍もの所に子どもたちは帰せない」と語った。
しかし、東電の別の代理人弁護士は、男性が一つの例として挙げた野呂美加さん( NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」代表)の名前に固執。「野呂さんという方は医師ですか?放射線の事を専門にしておられる方なんですか?世の中には放射線や疫学についての専門家の発言もあるが、そういったものよりも野呂さんの御意見なり講演内容の方が原告としては信頼出来るとお考えになりますか?」と尋ね、原告から「野呂さん野呂さんとおっしゃるが、野呂さんだけで判断しているわけでは無い」と反論される場面もあった。
福島県南相馬市から神奈川県内に避難中の男性原告(49)も、東電の代理人弁護士から「あなたの避難元自宅は福島第一原発から30km圏外にあった。政府による屋内退避の指示は出ていませんね?」と問われた。男性原告は「原発からの距離が30kmと31kmとの間に防護壁があるわけでも無い。すごくナンセンスだと思う」と反論。「平成28年8月の御自宅の空間線量が0・33μSv/hということだが、これでも危険だとお考えか」には「逆に聞きたい。安全なんですか?」と逆質問した。東電の代理人弁護士は「自然放射線量が年間10mSv近い地域も世の中にはあるんですが、そのような地域でもガンになる率は高くなっていないデータがあるが、ご存知ですか」と切り返した。
原告の男性は「あれだけの事故を起こした張本人が決めた基準で帰還を強制されていると感じる。納得出来ない」と語気を強め、最後にこう言った。
「妻から預かっている言葉がある。『人生、何回リセットされなきゃならないのかな』。危険だから避難して、今度は帰りなさいと言われる。人間の生活って、そんなに簡単にスイッチ1つでゼロから出来るものでは無いんです」


今月から横浜地裁でも手荷物検査が導入されたため、傍聴希望者は朝から寒風吹きすさぶ中を屋外で並び、整理券を手にした後にやはり屋外で抽選結果を確認。手荷物検査を経てようやく法廷に入る事が出来た。原告の代理人弁護士は「裁判所に改善を申し入れる」と話した
【「素敵な田舎暮らし奪われた」】
一番目に本人尋問に臨んだ山田俊子さん(77)は、自然豊かな土地で田舎暮らしがしたいと2007年に東京都から福島県南相馬市に移住。田植えや野菜作り、タケノコ掘りや登山を楽しんでいた矢先の原発事故だった。
事故前から描いてきた絵手紙も法廷内のスクリーンに映し出され、福島県伊達市の「霊山」に登った時の絵手紙では「福島っていいな、と思いました」と涙をこらえて言葉に詰まった。「移住4年目でビワの花が咲いたんです。ここに住んで良いよと言われてるみたいでうれしかった」とも。飯舘村出身の夫も大好きなそば打ちに精を出した。しかし、原発事故で神奈川県へ避難。夢にまで見た田舎暮らしは、わずか4年で奪われてしまった。「原発事故さえ無ければ素敵な田舎暮らしが出来たんです。奪われたんです。返してもらいたい」と力強く訴えた。
福島県双葉郡浪江町の女性原告は、神奈川県横須賀市での避難生活で夫が不眠症や軽うつ状態になってしまったと訴えた。「パニック障害もあり、夫はこういう場には来られなくなった。出て来られるのは私しかいなくなっちゃいました」と涙を流した。「私はいっぱいいっぱいで頭がおかしくなりそうです。頼みますから離ればなれになった友達を返してください。元気だった頃の夫を返してください」と述べた。
しかし、それに対しても、東電や国の代理人弁護士は「軽うつ状態なら働けない状態では無かったのではないか」、「コンビニや常磐線も再開された浪江町になぜ戻らないのか」などと理解を示さなかった。「浪江町で生活していた頃は知り合いの農家から米や野菜をもらえていたので食費がかからなかった」というくだりでは、東電の女性弁護士が「もらったお米に御礼はしていたのか」と尋ね、相双地区の近所づきあい、コミュニティへの理解不足を露呈した。別の浪江町の女性原告は、避難後に母親が持病の心臓疾患で亡くなった。慣れない土地での避難生活の上に、部屋は3階建ての3階にあり、身体への負担も増した。「浪江のバリアフリーの自宅に母が最後まで住めなかったのはつらい」と語った。
本人尋問は17時すぎに終了した。次回期日は、4月の進行協議(非公開)を挟んで5月18日午前10時。7月にも結審する見込みだ。2月に現地進行協議として実施された現地検証の映像は、4月の進行協議期日までに証拠として提出されるという。
(了)
【被告代理人「のう胞は悪性化しない」】
傍聴席がどよめいた。
福島県福島市から神奈川県内に避難している女性原告(38)への反対尋問に立った被告・東電代理人の若手男性弁護士。被曝回避のための避難を否定する発言に、中平裁判長が度々注意をするほど傍聴席から怒りの声があがった。
「娘に甲状腺検査でのう胞が見つかったとのことだが、結果説明の欄には『今回認められたのう胞は治療の必要は無く、症状が出たり悪性に変化したりする事は考えにくいものです』と書かれてある事は分かりますか?のう胞は甲状腺細胞の中にある泡のようなもので、特に問題は無いという事は聞いていらっしゃいますか?放射線被曝が問題とならない地域で検査をしても、のう胞や結節は同程度の比率で発見されるという事はご存知ですか?」
女性原告は「のう胞が悪化する可能性もゼロでは無い」、「放射能から子どもを少しでも離していたいから避難を継続している」と反論したが、これは「誤導」とも言える尋問だ。
木村真三氏(独協医科大学准教授、国際疫学研究室福島分室室長)は昨年6月の講演で「二巡目で『悪性ないし悪性疑い』と診断された71人のうち、一巡目でA判定だったのは65人。わずか2年で甲状腺ガンに移行している。『サイレントなガン』というのは全くもってナンセンスだ。甲状腺ガンは本当に進行が遅いのか、疑問が残る」と指摘している。
2016年12月に開かれた福島県県民健康調査の第25回検討委員会でも、委員から「『悪性ないし悪性疑い』と判定された68人のうち、62人までが先行検査でA判定だった。甲状腺ガンは進行が遅いと言われているが、そんなに短期間でC判定まで行ってしまうものなのか。見逃されるという話もある」」との声があがっていた。「のう胞は悪性にならない」とは言い切れないのだ。
男性弁護士はさらに、福島市の広報紙「ふくしま市政だより 2011年4月21日号」を挙げ「空間線量が10μSv/h以下であれば外で遊ばせても大丈夫です。もちろん普段通りの通学も問題ありませんと書かれてありますね。そういった情報がある中、福島市に戻れないのはどういう理由からか」と質した。この記述は当時、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーだった山下俊一氏や高村昇氏が監修していた。原告の女性は「そういった情報が私には信用出来ない。住んでいる人を安心させたくて書いているのだろう」と答えた。見かねた原告側代理人の小賀坂徹弁護士が「10μSv/hという値は、単純計算で年間87mSvを超える。半分としても40mSvを上回る」と指摘した。



(上)この日のトップバッターとして本人尋問に臨んだ山田俊子さん。閉廷後の集会では、改めて「原発事故さえなければ普通の生活を送れていた。それを壊された。壊された暮らしを返してもらいたい。奪われたものが一人一人にとってどれだけ尊いか、裁判官に分かってもらいたい」と訴えた。「法廷では半分も言えなかった」と語る場面も=横浜情報文化センター
(中)山田さんの本人尋問では、原発事故前年の2010年に霊山(福島県伊達市)の頂上から眺めた風景を描いた絵手紙も紹介された。涙をこらえながら、当時の感動を「福島っていいなって思いました」と述べた。待望の田舎暮らしが軌道に乗った矢先の原発事故だった
(下)今年2月8日に実施された〝現地検証〟。閉廷後の進行協議を終えた原告代理人弁護士の1人は「裁判官から『現地を見て土地勘がつかめた』という発言もあった。現地に行ってもらって良かった」と話した
【自宅敷地内の土壌394万Bq/㎡】
「原発事故が起こっても全く知識が無く、呑気に構えていて避難を遅らせてしまった。あらゆる本を読んで勉強した」
福島県いわき市から神奈川県内に避難した僧侶の40代男性は、低線量被曝が子どもたちに様々な健康影響を及ぼす可能性が否定できないとの結論に達した。子どもたちは鼻血を出し、目の下に隈が出来、皮膚には湿疹が出来た。自身もすい臓の悪性腫瘍を摘出する手術を受けた。自身や家族に現れた症状はどれも、原発事故の影響だと断定出来ない一方、全く関係ないとも言い切れない。檀家からは「いつまで避難しているのか」と言われる事もある。しかし、自宅敷地内の土壌が1平方メートルあたり394万ベクレルである事も分かり「放射線管理区域の100倍もの所に子どもたちは帰せない」と語った。
しかし、東電の別の代理人弁護士は、男性が一つの例として挙げた野呂美加さん( NPO法人「チェルノブイリへのかけはし」代表)の名前に固執。「野呂さんという方は医師ですか?放射線の事を専門にしておられる方なんですか?世の中には放射線や疫学についての専門家の発言もあるが、そういったものよりも野呂さんの御意見なり講演内容の方が原告としては信頼出来るとお考えになりますか?」と尋ね、原告から「野呂さん野呂さんとおっしゃるが、野呂さんだけで判断しているわけでは無い」と反論される場面もあった。
福島県南相馬市から神奈川県内に避難中の男性原告(49)も、東電の代理人弁護士から「あなたの避難元自宅は福島第一原発から30km圏外にあった。政府による屋内退避の指示は出ていませんね?」と問われた。男性原告は「原発からの距離が30kmと31kmとの間に防護壁があるわけでも無い。すごくナンセンスだと思う」と反論。「平成28年8月の御自宅の空間線量が0・33μSv/hということだが、これでも危険だとお考えか」には「逆に聞きたい。安全なんですか?」と逆質問した。東電の代理人弁護士は「自然放射線量が年間10mSv近い地域も世の中にはあるんですが、そのような地域でもガンになる率は高くなっていないデータがあるが、ご存知ですか」と切り返した。
原告の男性は「あれだけの事故を起こした張本人が決めた基準で帰還を強制されていると感じる。納得出来ない」と語気を強め、最後にこう言った。
「妻から預かっている言葉がある。『人生、何回リセットされなきゃならないのかな』。危険だから避難して、今度は帰りなさいと言われる。人間の生活って、そんなに簡単にスイッチ1つでゼロから出来るものでは無いんです」


今月から横浜地裁でも手荷物検査が導入されたため、傍聴希望者は朝から寒風吹きすさぶ中を屋外で並び、整理券を手にした後にやはり屋外で抽選結果を確認。手荷物検査を経てようやく法廷に入る事が出来た。原告の代理人弁護士は「裁判所に改善を申し入れる」と話した
【「素敵な田舎暮らし奪われた」】
一番目に本人尋問に臨んだ山田俊子さん(77)は、自然豊かな土地で田舎暮らしがしたいと2007年に東京都から福島県南相馬市に移住。田植えや野菜作り、タケノコ掘りや登山を楽しんでいた矢先の原発事故だった。
事故前から描いてきた絵手紙も法廷内のスクリーンに映し出され、福島県伊達市の「霊山」に登った時の絵手紙では「福島っていいな、と思いました」と涙をこらえて言葉に詰まった。「移住4年目でビワの花が咲いたんです。ここに住んで良いよと言われてるみたいでうれしかった」とも。飯舘村出身の夫も大好きなそば打ちに精を出した。しかし、原発事故で神奈川県へ避難。夢にまで見た田舎暮らしは、わずか4年で奪われてしまった。「原発事故さえ無ければ素敵な田舎暮らしが出来たんです。奪われたんです。返してもらいたい」と力強く訴えた。
福島県双葉郡浪江町の女性原告は、神奈川県横須賀市での避難生活で夫が不眠症や軽うつ状態になってしまったと訴えた。「パニック障害もあり、夫はこういう場には来られなくなった。出て来られるのは私しかいなくなっちゃいました」と涙を流した。「私はいっぱいいっぱいで頭がおかしくなりそうです。頼みますから離ればなれになった友達を返してください。元気だった頃の夫を返してください」と述べた。
しかし、それに対しても、東電や国の代理人弁護士は「軽うつ状態なら働けない状態では無かったのではないか」、「コンビニや常磐線も再開された浪江町になぜ戻らないのか」などと理解を示さなかった。「浪江町で生活していた頃は知り合いの農家から米や野菜をもらえていたので食費がかからなかった」というくだりでは、東電の女性弁護士が「もらったお米に御礼はしていたのか」と尋ね、相双地区の近所づきあい、コミュニティへの理解不足を露呈した。別の浪江町の女性原告は、避難後に母親が持病の心臓疾患で亡くなった。慣れない土地での避難生活の上に、部屋は3階建ての3階にあり、身体への負担も増した。「浪江のバリアフリーの自宅に母が最後まで住めなかったのはつらい」と語った。
本人尋問は17時すぎに終了した。次回期日は、4月の進行協議(非公開)を挟んで5月18日午前10時。7月にも結審する見込みだ。2月に現地進行協議として実施された現地検証の映像は、4月の進行協議期日までに証拠として提出されるという。
(了)
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