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【福島原発かながわ訴訟】法廷に響いた原告団長・村田さんの嗚咽。「天国の6人とともに笑顔取り戻せる判決を」~4年10カ月の闘いが結審。判決は来年2月20日

原発事故の原因と責任の所在を明らかにし、完全賠償を求めて神奈川県内に避難した人々が国と東電を相手取って起こしている「福島原発かながわ訴訟」の第29回口頭弁論が19日、横浜地裁101号法廷(中平健裁判長)で終日、開かれた。激しい嗚咽とともに原告団長・村田弘さん(福島県南相馬市小高区から神奈川県横浜市への避難を継続中)が行った最後の意見陳述。そこにこめられた原告たちの怒りや哀しみ、苦しみ、無念さに、裁判官たちはどう向き合うのだろうか。この日で4年10カ月に及んだ裁判は結審。60世帯175人の原告たちは来年2月20日に言い渡される判決を待つ。


【「事故被害は終わっていない」】
 法廷に嗚咽が響いた。原告団長・村田弘さんが裁判を締めくくった最後の意見陳述(※下部に意見陳述全文)。原発事故からの7年間を、自分も含めた避難者がどんな想いで過ごして来たか。この間、6人の原告が亡くなっている。村田さんはこらえ切れずにむせび泣いた。傍聴席にももらい泣きが広がった。
 「あの日、2011年3月11日、太平洋沿岸を襲った大津波の混乱に追い打ちをかけた原発事故。私たちは、詳しい情報もないまま、文字通り着の身着のままで逃げまどいました。私たちは生のインスタントラーメンをかじったり、冷たいおにぎりを分け合ったりしながら、避難所を転々とした挙句、親戚や知人を頼って神奈川県内にたどり着きました。以来7年余り。多くの人々の善意に支えられながらも、足が地に着かない、宙をさまようような日々を送ってきました。
 『家に帰りたい。お墓参りもしたい』と言い続け、避難先で亡くなった老いた母。
 『帰りたい。でも、帰れないんだ』と繰り返したまま逝ってしまった夫。
 親の心を気遣って、心無いいじめに遭いながら耐えた子どもたち。『放射能が怖い』と引きこもる娘。
 『子どもに無用の被曝をさせてしまったのではないか』、『避難を選択したことは間違いではなかったのか』と自分を問い詰める母親。『私たちは何回人生をリセットしなければならないのか』と嘆く妻。『頭が壊れてしまった』とつぶやく老いた妻。
 福島に残る親族・友人との感情の亀裂に追い詰められる人々。
 豊かな自然の中で描いていた平穏な余生を失ったご夫婦…。

 当法廷で語られた被害の一端です。被害の全容については、先の原告側代理人の最終陳述でも詳細に述べられましたが、私があえて申し上げたいのは『被害は終わっていない。終わらない』ということです」
 A4判4枚にわたる陳述が終わると傍聴席からは大きな拍手が起きた。拍手は長く続いたが、中平裁判長は注意しなかった。
 閉廷後の記者会見で「今日は泣かずにしっかり頑張らなきゃと思ったんだけど、どんどんどんどん今までの事が思い出されて…。ひとつひとつが本当につらいんですよね。一人一人の被害を想うと、つい涙がポロポロこぼれてしまう」と振り返った村田さん。
 「現実の世の中は、露骨に避難者を切り捨てている。福島県なんて『来年3月で(住宅支援も含めて)みんな終わりにしちゃおう』と平然と言っているような状況。仮に判決が国や東電の責任を認め、一定の賠償を得られたとしても、彼らは反省しないんじゃないかとさえ思えてくる。これからはしっかりと涙を拭いてケンカをしていきたい」とも語った。






(上)最後の口頭弁論は1日がかり。昼休みには、原告と支援者が横浜地裁周辺をデモ行進。東京電力神奈川総支社前でも抗議の声をあげた
(中)支援者は朝から横浜地裁に集合し、赤や青のボードを手に入廷時から原告や弁護団を励ました。被害者の完全賠償を求めているのは支援者も同じだ
(下)判決を聞かずして旅立った6人の原告の無念さもこめて最後の意見陳述を行った原告団長の村田弘さん。閉廷後の記者会見では「今日は泣かずにしっかり頑張らなきゃと思ったんだけど、今までの事が思い出されて…。ひとつひとつが本当につらい」と涙の意見陳述を振り返った=横浜市中区の「波止場会館」

【「国にブルドーザーでならされている」】
 閉廷後の記者会見では、村田さん以外の原告たちもマイクを握った。
 福島県双葉郡浪江町の出身で、現在は福岡県在住の岩渕馨さんの目は真っ赤だった。共に原告として歩んできた6人の仲間だけでなく多くの〝声なき犠牲者〟にも思いを馳せ、涙を流した。
 「原告だけでなく家族も亡くなっている。本当に無念な想いを抱いて死んでいっている。原発事故のもたらした被害というのは…。われわれ原告は良いです。こうして話せます。ですが、もっと多くの人たちが、こういう場で話す機会を得られずに死んでいっているという事実を本当に多くの人に知っていただきたい。私も、レールを外されてしまったような、宙を舞う鳩のような人生です。来年2月20日には、これ以上死者を出さないような判決をいただきたい」
 山田愛子さん(南相馬市から神奈川県愛川町への避難を継続中)は「被害者が裁判を起こさなければいけない世の中なんておかしい」。福島県双葉郡富岡町から神奈川県葉山町に避難中の女性は「国と東電からはまだ謝罪の言葉を聞いていない。まず謝罪をしていただき、原発事故の責任を認め、私たちが安心して落ち着いて暮らせるようにして欲しい」と語った。同じく富岡町から神奈川県横須賀市に避難中の男性は「住民票はまだ移していない。早くスッキリして、こちらの住民になりたい」と話した。「年20mSvで帰れると言うが、申し訳ないが私は『よく町に戻れるなあ』という考え。でも帰還した町民にそれを言うと、私が非国民のようになってしまう。それが非常につらい。マスコミはぜひ真実を伝えて欲しい。きちんとした情報を流して県民の目を覚まさせて欲しい」。
 富岡町から横浜市に避難中の男性は昨年、避難元の自宅を解体した。「原発事故前までは被曝限度量は年1mSvだったのに20mSvに引き上げられた。健康不安は大きい。福島県も市町村も帰還者優先になっている。帰りたいが帰れないんだ。非常に悔しい」。福島県いわき市からの避難を継続している僧侶の男性は「私たちが避難を継続しているのには合理性がある。それなのに、国によってブルドーザーでならされているような状況だ。被爆はやはり人体には良くない。この事実を否定されてしまうと、子どもたちの命はどうなってしまうのか」と力をこめた。福島県南相馬市から神奈川県横浜市に避難中の唯野久子さんは「まさか7年もこんな状況になるとは想像していなかった。裁判の原告に加わるとも考えていなかった。年月が経つほど苦悩が深まる」と語った。
 福島県福島市からの避難を継続中の女性は、法廷での意見陳述をこんな言葉でしめくくった。
 「最後に、この裁判が結審を迎えますが、避難指示が出されなかった区域から避難した立場を代表して、裁判官の皆さんに訴えたいことがあります。
 私達も、家族の健康や命を守るために避難し、長い避難生活の中で苦しみ続け、あの事故でふるさとでの生活を全て失ってしまいましたが、これまでに認められた賠償金額には非常に大きな差があり、私達の避難生活は非常に苦しく、将来に向かって生活基盤を再建することなどとてもできません。どうか、私達、避難指示が出されていない区域からの避難者に対しても、避難指示が出された区域と同じ内容の賠償を認めて欲しいと思います」






(上)閉廷後の報告集会は黙とうで始まった。174人で闘ってきた「かながわ訴訟」だが、これまでに6人が旅立った
(中)福島県双葉郡浪江町出身の岩渕馨さん。「亡くなった6人は本当に無念な想いを抱いて死んでいった。さらにもっと多くの人々が、こういう場で話す機会すら得られずに死んでいっている。そういう事を多くの人に知っていただきたい」と話し、涙を拭った
(下)弁護団事務局長を務める黒澤知弘弁護士。法廷では「原発事故被害者は、その心に必死にフタをして普通の生活を演じながら避難生活を送り続けている」として、勇気を持って司法の良心を発揮するよう裁判所に求めた

【「司法は本来の役割を果たせ」】
 当初、被告東電が最終陳述を行う予定委だったが、前日になって取りやめると連絡してきたため、原告側の代理人弁護士によるプレゼンテーションだけが実施された。午前は、巨大津波や過酷事故の予見可能性や回避可能性、国の規制権限不行使について陳述したほか、午後は低線量被曝の健康影響やふるさと喪失などの損害論について陳述した。
 小賀坂徹弁護士は低線量被曝のリスクや避難継続の相当性について陳述したうえで、適正な賠償を受ける事の社会的な意義について語った。
 「原発事故を今回限りのものとするため、二度と被害者を出さないためには、いったん原発事故が起きてしまった場合の損害の重大さ、深刻さ、そして被害回復の困難さというものを社会全体に刻み込まなければなりません。だからこそ、加害者である国や東電の責任を1ミリたりともあいまいにする事は出来ない。だからこそ、有形無形の損害を一つも漏らさず賠償の対象としなければならない。被告らの責任を明確にし、原告らの損害を完全に賠償する事、これらが一体とならなければ再発防止にはつながりません」
 「裁判所におかれては、こうした原告らの想いを真摯に受け止めていただきたい。被害に見合った適正な賠償という課題に正面から向き合っていただきたい。いまだ経験した事の無い深刻かつ巨大な損害を前にして、司法が本来の役割を果たして欲しい。原告らに本来あるべき司法的救済の姿を示していただきたい。そしてその事が、この国の未来そのものに光を当てる事になると信じています」
 弁護団の事務局長を務める黒澤知弘弁護士は「ここからは私の個人的な気持ちも入ってしまうが…」と前置きした上で、次のようにプレゼンテーションを締めくくった。
 「原告ら被害者を見て、皆さんは普通の生活を送っていると思われるでしょうか。浪江高校の卒業生たちの言葉を元につくられた『空窓』という歌があります。その中に次の一節があります。『僕はどうやら 強くなった 弱さが何かは 知らないけど 心のフタ仕方を知っただけかも でもそうでもしないと やってこれなかった』。原告ら被害者は皆、すべてを奪われた喪失感の中で心に大きな傷を抱えつつ、その心に必死にフタをして普通の生活を演じながら避難生活を送り続けている事をわれわれは理解する必要があります。そして心にフタをすることが出来なくなった被害者の中には、心の病を患う方も多く、さらには命を落とす悲劇まで起こっています」
 「被害者は皆、ふるさとを愛しています。誰もふるさとを離れたくて離れた人はいません。かけがえのない命を守るためにふるさとを離れた自分を責めながら、避難生活を続けています。原告らは疲弊しきっており、この裁判を最後の希望としております。勇気を持って司法の良心を発揮することに期待が寄せられています。原告らがこれ以上の歳月を費やすことの無いよう、中間指針等における現在の枠組みでの賠償額の格差を是正し、本件事故によるすべての被害者に対する完全な損害の賠償を認める司法判断を示していただけるよう求めたい」



(了)

※原告団長・村田弘さんの意見陳述
 原告番号13-1、原告団長の村田弘です。2013年11月の提訴以来4年10カ月にわたった審理の結審にあたり、提訴時の61家族174原告に共通する想いの一端を述べさせていただきます。
 まず、当法廷では、2014年1月の第1回口頭弁論から毎回、私たち原告本人の意見陳述を認めていただき、証人尋問も含め延べ45人の声に耳を傾けていただきました。また、本年2月には寒風の中、防護服に身を包み、浜通りの原告宅など被害地の実情を検分していただいたことに、心から感謝を申し上げます。

1:被害~事故は何をもたらし、もたらし続けるのか
 最初に申し上げたいのは、福島第一原発事故は私たちに何をもたらし、もたらし続けているのかということです。
 あの日、2011年3月11日、太平洋沿岸を襲った大津波の混乱に追い打ちをかけた原発事故。私たちは、詳しい情報もないまま、文字通り着の身着のままで逃げまどいました。私たちは、生のインスタントラーメンをかじったり、冷たいおにぎりを分け合ったりしながら、避難所を転々とした挙句、親戚や知人を頼って神奈川県内にたどり着きました。
 以来7年余り。多くの人々の善意に支えられながらも、足が地に着かない、宙をさまようような日々を送ってきました。
「家に帰りたい。お墓参りもしたい」と言い続け、避難先で亡くなった老いた母。「帰りたい。でも、帰れないんだ」と繰り返したまま逝ってしまった夫。親の心を気遣って、心無いいじめに遭いながら耐えた子どもたち。「放射能が怖い」とひきこもる娘。「子どもに無用の被ばくをさせてしまったのではないか」「避難を選択したことは間違いではなかったのか」と自分を問い詰める母親。「私たちは何回人生をリセットしなければならないのか」と嘆く妻。「頭が壊れてしまった」とつぶやく老いた妻。福島に残る親族・友人との感情の亀裂に追い詰められる人々。豊かな自然の中で描いていた平穏な余生を失ったご夫婦…。当法廷で語られた被害の一端です。
 被害の全容については、先の原告側代理人の最終陳述でも詳細に述べられましたが、私があえて申し上げたいのは、「被害は終わっていない。終わらない」ということです。
 先月初旬、私は自宅の清掃のため南相馬市小高区の家に帰ってきました。苗が植えられた田んぼは青々とし、林からはウグイスの声が聞こえていました。立ち寄った知り合いの農家の老夫婦は、「飼料米だ。食料米をつくったって、売れねぇ」と言いました。最近自宅に帰った近所のお婆さんは、「山菜、キノコはダメ。タケノコも食わねぇ方がいいんだと~」と嘆いていました。
「空間線量が20ミリ以下に下がった」からと避難指示は解除され、田んぼも川も森も海も、一見、事故前と変わっていませんが、山菜やキノコに舌鼓を打つことはもちろん、肌にはさわやかな風を思い切り吸い込むこともはばかられるのです。目に見えない放射性物質に汚染された自然が元に戻るには、気が遠くなるほどの時間を要することを改めて思い知らされました。
 また、「最近、葬式が多くてねぇ」と言う話も聞きました。今も続く災害関連死2,211人、自ら命を絶った101人、200人を超す子どもの甲状腺がん。これらの数字は何を示しているのでしょうか。命と健康がいまも奪われ、脅かされ続けているという厳然たる事実以外の何物でもありません。
 ふるさとの自然、地域社会、人間関係だけでなく、個人の精神・肉体まで破壊し尽くし、破壊し続ける原発事故の、これが実相だということです。

2:加害者の対応~二次被害に晒され苦しむ被害者
 次に申し上げたいのは、このような被害をもたらした国と東京電力が、私たち被害者にどう向き合ってきたか、ということです。
 事故が起き、これだけの被害が生じていることは紛れもない事実です。事故の原因となった原発を動かしていたのは東京電力であり、これを支え、監督してきたのは国です。原発がいったん事故を起こせば取り返しのつかない被害をもたらすことは周知の事実であり、万が一にも事故を起こさないよう、あらゆる手立てを尽くす責任があったことも争いのない事実です。
 しかし、事故は現実に起き、何の落ち度もない幾十万という人々が塗炭の苦しみを味わっているのです。私たちから見れば、国・東京電力は紛れもない加害者です。その加害者がこの7年余の間に取ってきた対応は、どうでしょう。
 国は、事故のもたらした規模と被害の実態に真摯に向き合うこともなく、一方的に定めた線引きと賠償基準で被害者を分断し、一般人の被ばく限度とされる線量を大幅に超える基準を一方的に定めて住宅提供を打ち切り、避難指示を解除することによって、被害者・避難者に事実上帰還を強要してきました。そして、帰還をためらう人々を「自己責任」という言葉で、切り捨てようとしています。これらの政策は、超党派で成立し、今も厳然と存在する「子ども・被災者支援法」の規定を踏みにじるだけでなく、国内難民にも等しい避難者に対する「帰還政策」は、万人に保障された基本的人権を蹂躙するものとして、国際的にも強い批判を浴びているにもかかわらず、です。
 東京電力は、国が示した賠償指針を金科玉条として、「賠償を支払ったからいいだろう」といわんばかりの姿勢に終始し、その賠償すら打ち切り、ADRの和解仲介案すら拒否し続けています。  
 この根本原因は何でしょう。それは、「責任の所在の否認」に他なりません。今年3月の更新弁論の際、私はチェルノブイリ原発事故に対するソビエト連邦の対応について述べさせていただきました。日本の国会にあたる連邦最高会議が、事故5年後の1991年に「真に世界的な大惨事としての事故の規模と影響を、しかるべく評価していなかった」という反省決議を行い、国家の責任において被害者を救済するいわゆる「チェルノブイリ法」を制定し、連邦崩壊後の今も法に基づく救済が行われているという事実です。
 事故後7年を過ぎた今に至っても「事故の規模と影響を評価せず、反省もしていない」わが国の姿勢はいったいなんでしょう。そして、その国の政策にもたれかかり、原子力損害賠償法の陰に隠れているというのが、今の東京電力の姿勢ではないでしょうか。
 私たちは、事故によってもたらされた被害に加え、このような加害者の対応による二次被害に晒され、苦しみ続けているのです。
 つい先日、若い息子さんを不慮の死で失った原告の母親から電話がありました。「国と東電に殺されたと思っています」という一言が耳に突き刺さって離れません。「事故さえなければ…」。これが被害者の心の底からの叫びであることを、国も東京電力も胸に刻んでいただきたい。

3:裁判所に望むこと~被害者に笑顔の戻る判決を
 昨年から今年にかけて出された集団訴訟に対する判決は、おおむね事故に対する国と東京電力の法的責任を認めました。
 しかし、そこで示された賠償額は、これが、暮らしもふるさとも、人間関係も、夢も希望も根底から打ち砕いた被害に対する償いか、と思わざるを得ない低いものでした。これでは、事故に対する実質的な責任を問うことにならず、加害者の姿勢を変えることにはならないのではないか、被害者が立ち直りのきっかけを掴むことにはならないのではないか、というのが被害者共通の思いです。また、今後何十年にもわたって命と健康を脅かし続けるであろう放射能の危険性と、これに向き合って生きていかなければならない被害者の精神的苦痛に対する判断についても納得できるものではありませんでした。
 思えば、私たち被害者にとっては、笑顔を忘れた7年余りでした。
 事故がなければ、つつましやかで平穏な人生を送っていたはずです。その基盤の全てを壊されたのです。何度でも言います。私たちには何らの落ち度もありません。私たちの本当の思いは、「暮らしを返せ! ふるさとを返せ!」という一言に尽きます。
 提訴以来、私たちは原告の仲間6人を見送りました。私たちは、無念の思いを抱いて亡くなられた人々の墓標を背負い、子どもたち、孫たちに希望を持って生きられる世の中を引き継いでいかなければなりません。
 そして、このような苦しみを、二度と、誰にも味わってもらいたくない。そのために、苦しくとも生き延びて、原発事故の実像を伝え続けて行かなければならないと思っています。
 裁判所におかれましては、4年10カ月にわたる当法廷で積み重ねられた証拠・証言を通して明らかになった事実の上に立って、加害責任をより明確にし、これまでに経験したことのない原発事故被害に決着をつける「歴史的な判決」を下されるようお願い致します。それこそが、すべての原告が納得して笑顔を取り戻せる唯一の道であることをわかってください。
 最後に、国、東京電力代理人の皆さんに一言申し上げます。生身の人間として事実に向き合っていただきたい。そこで受け止めたものを依頼人である国、東京電力の責任者へ率直にお伝え願いたい。「被害者をこれ以上苦しめ続けるのは止めよう」とお伝えいただきたい。
 私が伝えきれなかった原告の心の底からの「叫び」を陳述書に添付しました。お目通しください。
 以上で私の陳述と致します。ありがとうございました。
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
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