【浪江町長選挙】「東電の放射能が町を滅茶苦茶にした」。立候補した吉沢さんが東電前で怒りの選挙演説。「汚染水の海洋放出反対」~町議ら擁立の前議長と一騎打ち
- 2018/07/28
- 13:18
馬場有町長の死去に伴う福島県双葉郡浪江町長選挙が26日告示され、「希望の牧場・ふくしま」代表理事の吉沢正巳さん(64)と前町議会議長の吉田数博さん(72)が立候補。原発事故による町民離散の中、10日間の選挙戦が始まった。町民が新しいリーダーに選ぶのは、町議有志の〝談合〟で擁立された前議長か、300頭の牛を見離さずに闘い続けたベコ屋か。27日には吉沢さんが経産省や東電本社を訪れて要望書を提出し、激しい選挙演説を行った。投開票は8月5日。前回2015年の投票率は56・05%。2011年は無投票だったため2007年比で17・46ポイント減。今回はさらに下がると予想されている。
【「浜通りの犠牲で成り立つ東京」】
もはや「選挙演説」の域を超えていた。
JR新橋駅近くの東京電力ホールディングス株式会社本社ビル。17時を過ぎ、帰路につく社員たちに浴びせるように、吉沢さんはマイクを握った。原発が稼働していなくても、広野火力発電所など「福島の電力供給」に首都圏が依存している状況は変わらないからだ。
「新橋の電気は今日も福島で支えているんだよ。福島の電気来なかったら、もうみんなおしまいだよ。福島の電気でこの東京は動いているんだ。福島を差別するな!いじめるな!分かってるのか!福島の電気が来なければ、東京なんかお手上げだ!俺たち福島の電気で今日も電車が動き、ビルが稼働し、冷房が使えるんだ!」
7年間の町民の苦労を想うと、穏やかな口調でなど話せなかった。
「あの原発事故によって私たちの故郷はすっかり、帰れない、放射能まみれの、どうしようもない場所に変わったんです。東京の便利、首都圏の便利な暮らし、日常は、福島県の電力供給によって今日だって成り立っています。その福島県浜通りに対して、原発事故の警戒区域に対して、今まで何が言われたでしょうか。『放射能ばい菌』、『福島から嫁をもらうな』、『福島から来ないでくれ』。私たちは避難先でそう言われ続けて、様々な差別、いじめを受け続けて来ました。福島浜通りの犠牲の上に、この東京が今日も成り立っている。おかしいじゃないか!福島県を差別して、蹴飛ばして、何で東京オリンピックなんだ!オリンピックなんかやめた方が良い!」
いつしか吉沢さんは怒鳴っていた。
「東京電力が放射能汚染水を海に流すと言っている。ふざけるな!福島県の漁業を台無しにする気か!東京電力の汚染水で福島県の漁業がまた滅茶苦茶になるんだ!いわき市の海で59Bq/kgのヒラメが見つかった。東京電力のせいじゃないか!汚染水を流せば、東電あなたたちが福島の海を汚すんだ!責任を感じろよ!退社するあなたたち!そんな顔でよく通れるな!あなたたちが福島の海を汚し、請戸漁港の漁師さんを台無しにするんだ!東電、責任を感じろ!汚染水を海に流すな!ふざけるな、この!汚染水放出絶対反対!秋に福島県知事選挙が行われる。僕は町長になって内堀知事に申し入れをするぞ!東電汚染水絶対反対!」
JR新橋駅へ向かう会社員たちが耳をふさぎ、顔をしかめながら吉沢さんの前を通り過ぎて行った。新橋駅前は「プレミアムフライデー」と祭りでにぎわっていた。



(上)東京電力本社前で「選挙演説」を行った吉沢さん。「福島浜通りの犠牲の上に、この東京が今日も成り立っている。おかしいじゃないか!」と言葉を浴びせた=東京都千代田区内幸町
(中)吉沢さんは経産省前でも演説を行い「」と語った=東京都千代田区霞が関
(下)経産省や東電に要望書を提出した吉沢さん
【進む解体、さら地に戻らぬ町民】
〝選挙演説〟は穏やかな口調で始まった。
「私たちの浪江町は東京電力の原発、放射能漏れ大事故によって、もう町の意味を失い、潰れようとしております。除染をしても放射能は残っています。避難指示を解除しても浪江町の皆さんは帰れません。2万1500人だった浪江町は、やがて10分の1の2000人ほどになっていこうとしています」
浪江町役場総務課によると、6月末現在の〝帰還者数〟は777人。住民票を移していない町民は1万7792人だから、わずか4%だ。役場への届け出や職員による訪問などで確認したというが、吉沢さんは「本当に町内で暮らしているのは半分程度で、あとの半分は避難先から通っているんだ」と話す。町内では住宅解体が進み、さら地が目立つ。町民の7割がいわき市や福島市、南相馬市、郡山市、二本松市など福島県内で避難生活を送っており、3割は茨城県、宮城県、東京都、埼玉県、千葉県など福島県外へ避難中。この割合を単純に当てはめれば、有権者数1万5563人のうち、約4700人が福島県外の有権者という計算になる。
県外避難者は避難先の選挙管理委員会での投票が可能。だが投票用紙を浪江町役場から郵送してもらう必要があり、避難先選管も記入後の投票用紙を再び浪江町役場に郵送しなければならないため、ゆっくり考えている時間は無い。
「8月5日19時までに届かない投票用紙は『未着』となり、投票そのものが無かった事になってしまう」(浪江町役場総務課)。通常、町長選挙の選挙期間は5日間だが、前回選挙に続いて今回も10日間に延長されている。選挙公報は町のホームページに掲載されているが、郵送で届けられるのは8月3日の予定。候補者にとっても有権者にとっても「原発事故による離散」が大きく影響している町長選挙となっている。集約の進む仮設住宅は、福島市、二本松市、本宮市、南相馬市の5カ所に63戸、88人が暮らすだけ。町民の離散がますます進み、有権者に理念を訴えるのも難しい。原発事故さえなければ、こんな選挙になる事も無かった。
「あの時の浪江町の避難は酷かった。滅茶苦茶だった。東電は連絡を寄越さなかった。避難用のバスも寄越さなかった。国もオフサイトセンターも福島県庁も、浪江町に対して何もしなかった。そして逃げた津島で、この東京電力の、あなたたちの放射能で浪江町の避難民は放射能を浴びさせられたんだ。浪江町は2001年3月15日、峠を越えて二本松市東和地区に総崩れで逃げた。恐怖の逃避行の日々を私たちは忘れない。私たち浪江町の無念、悔しさ、怒りは他の原発立地地域と違うんだ」
吉沢さんは演説に先立ち、経産省と東電本社に入り①精神的慰謝料を月額50%増額すること②慰謝料の支払いは浪江町民が生きている限り継続すること③福島第一原発の汚染水を絶対に海洋放出しないこと─を求める要望書を提出した。8月2日までに回答が寄せられるという。



(上)住宅解体が進む浪江町。吉沢さんは「みんなが戻れない、さら地・荒廃化する〝解体の浪江〟の現実を見ながら、浪江の未来を本気で熱く議論し続けたい」と訴える
(中)閑散とする町中心部。避難指示解除後、町に戻った町民はわずか4%。帰還困難区域はどうするのか。町民が直面する課題は多い
(下)馬場有町長の死去に伴う町長選挙は、前町議会議長と吉沢さんの一騎打ちになった。下馬評では、〝議会の談合〟で擁立され、自民党の国会議員も応援する吉田さんが圧勝するとの見方が強い
【「吉田候補は町民不在の談合候補」】
実は吉沢さんは、早い段階で「馬場町長に万一の事があったら町長選挙に立候補する」と明かしていた。成人式や浪江小学校の卒業式などへの欠席が相次ぎ、町民の多くが「任期満了まで務めるのは難しい」という見方で一致していた。
一方、馬場町長の後援会と議員有志は会合を重ねていた。馬場町長が辞意を表明する前の段階で吉田数博前議長を〝後継者〟として擁立する事を決めていたと町議が証言している。
「他にいないから、とにかく吉田にしたんだよ。とりあえず一期やらせて、県議会議長を務めている吉田栄光県議(自民党)に引き継がせる算段だろう。選挙では圧勝するだろうけど、吉田が町長になんかなったら馬場さんの時よりも酷くなるよ。国の言いなりだろう。いずれにしても町民不在の〝談合〟だよ。こういう状況に嫌気がさして棄権が増えるんじゃないか。投票率下がるね」
森まさ子参院議員(自民党)は告示前に吉田前議長を訪ね、写真をフェイスブックに載せている。これだけでも、吉田前議長が期待されている〝役割〟が分かるというものだ。
町民もこれらの動きを知っていて「前議長になんか投票したくない」という声があがる一方、「だからと言って吉沢さんは共産党だし、言葉がきついしなあ」という声も聞かれる。吉沢さんは立候補にあたって共産党に離党届を提出している。
「フレコンバッグどうするんだよ!山のように貯め放題になって、もう〝風景〟になっているじゃないか!その痛みを東電は感じろよ。あなたたちは人間だろ!俺たちの苦しみを理解しろよ!家にも帰れないんだ!あなたたちには帰る家がある。ちゃんとした勤め先がある。でも浪江町は家にも帰れず、町を潰され、人生を潰され…。あのようなレベルでの損害賠償で終わらせてはならない。払って欲しいよ!払えよ!精神的慰謝料5万円増額。避難期間に応じて払うんだ。今秋にも起こす裁判で(町民が勝って)東電が払うんだよ!覚悟しろ!あなたたちの責任だ。『原発は安全』なんてやってきた結果が福島原発事故だ。絶対に裁判で増額を勝ち取る!」
「2011年3月18日。私は福島県民で一番最初に東電本店に乗り込んだ。僕は入り口で泣いてしまった。飼っている牛が全部死んでしまうんだ、と。300頭全滅すると泣きながら訴えた。当時の総務主任は僕の話を聴いて泣いていた。地震で津波で壊れる原発などもうたくさんだ。原発さようなら。原発の時代を乗り越えよう。ドイツで韓国で台湾でイタリアでスイスで動いている。何で日本では出来ないんだ。だらしのない東京電力。平気な顔して原発を再稼働させようとする。再び事故を繰り返すんだ。分かってないんだ、あなたたちは!懲りてないんだ!」
吉沢さんは東電前で吠えに吠えた。町民が選ぶのは「闘うベコ屋」か「前議長」か。
(了)
【「浜通りの犠牲で成り立つ東京」】
もはや「選挙演説」の域を超えていた。
JR新橋駅近くの東京電力ホールディングス株式会社本社ビル。17時を過ぎ、帰路につく社員たちに浴びせるように、吉沢さんはマイクを握った。原発が稼働していなくても、広野火力発電所など「福島の電力供給」に首都圏が依存している状況は変わらないからだ。
「新橋の電気は今日も福島で支えているんだよ。福島の電気来なかったら、もうみんなおしまいだよ。福島の電気でこの東京は動いているんだ。福島を差別するな!いじめるな!分かってるのか!福島の電気が来なければ、東京なんかお手上げだ!俺たち福島の電気で今日も電車が動き、ビルが稼働し、冷房が使えるんだ!」
7年間の町民の苦労を想うと、穏やかな口調でなど話せなかった。
「あの原発事故によって私たちの故郷はすっかり、帰れない、放射能まみれの、どうしようもない場所に変わったんです。東京の便利、首都圏の便利な暮らし、日常は、福島県の電力供給によって今日だって成り立っています。その福島県浜通りに対して、原発事故の警戒区域に対して、今まで何が言われたでしょうか。『放射能ばい菌』、『福島から嫁をもらうな』、『福島から来ないでくれ』。私たちは避難先でそう言われ続けて、様々な差別、いじめを受け続けて来ました。福島浜通りの犠牲の上に、この東京が今日も成り立っている。おかしいじゃないか!福島県を差別して、蹴飛ばして、何で東京オリンピックなんだ!オリンピックなんかやめた方が良い!」
いつしか吉沢さんは怒鳴っていた。
「東京電力が放射能汚染水を海に流すと言っている。ふざけるな!福島県の漁業を台無しにする気か!東京電力の汚染水で福島県の漁業がまた滅茶苦茶になるんだ!いわき市の海で59Bq/kgのヒラメが見つかった。東京電力のせいじゃないか!汚染水を流せば、東電あなたたちが福島の海を汚すんだ!責任を感じろよ!退社するあなたたち!そんな顔でよく通れるな!あなたたちが福島の海を汚し、請戸漁港の漁師さんを台無しにするんだ!東電、責任を感じろ!汚染水を海に流すな!ふざけるな、この!汚染水放出絶対反対!秋に福島県知事選挙が行われる。僕は町長になって内堀知事に申し入れをするぞ!東電汚染水絶対反対!」
JR新橋駅へ向かう会社員たちが耳をふさぎ、顔をしかめながら吉沢さんの前を通り過ぎて行った。新橋駅前は「プレミアムフライデー」と祭りでにぎわっていた。



(上)東京電力本社前で「選挙演説」を行った吉沢さん。「福島浜通りの犠牲の上に、この東京が今日も成り立っている。おかしいじゃないか!」と言葉を浴びせた=東京都千代田区内幸町
(中)吉沢さんは経産省前でも演説を行い「」と語った=東京都千代田区霞が関
(下)経産省や東電に要望書を提出した吉沢さん
【進む解体、さら地に戻らぬ町民】
〝選挙演説〟は穏やかな口調で始まった。
「私たちの浪江町は東京電力の原発、放射能漏れ大事故によって、もう町の意味を失い、潰れようとしております。除染をしても放射能は残っています。避難指示を解除しても浪江町の皆さんは帰れません。2万1500人だった浪江町は、やがて10分の1の2000人ほどになっていこうとしています」
浪江町役場総務課によると、6月末現在の〝帰還者数〟は777人。住民票を移していない町民は1万7792人だから、わずか4%だ。役場への届け出や職員による訪問などで確認したというが、吉沢さんは「本当に町内で暮らしているのは半分程度で、あとの半分は避難先から通っているんだ」と話す。町内では住宅解体が進み、さら地が目立つ。町民の7割がいわき市や福島市、南相馬市、郡山市、二本松市など福島県内で避難生活を送っており、3割は茨城県、宮城県、東京都、埼玉県、千葉県など福島県外へ避難中。この割合を単純に当てはめれば、有権者数1万5563人のうち、約4700人が福島県外の有権者という計算になる。
県外避難者は避難先の選挙管理委員会での投票が可能。だが投票用紙を浪江町役場から郵送してもらう必要があり、避難先選管も記入後の投票用紙を再び浪江町役場に郵送しなければならないため、ゆっくり考えている時間は無い。
「8月5日19時までに届かない投票用紙は『未着』となり、投票そのものが無かった事になってしまう」(浪江町役場総務課)。通常、町長選挙の選挙期間は5日間だが、前回選挙に続いて今回も10日間に延長されている。選挙公報は町のホームページに掲載されているが、郵送で届けられるのは8月3日の予定。候補者にとっても有権者にとっても「原発事故による離散」が大きく影響している町長選挙となっている。集約の進む仮設住宅は、福島市、二本松市、本宮市、南相馬市の5カ所に63戸、88人が暮らすだけ。町民の離散がますます進み、有権者に理念を訴えるのも難しい。原発事故さえなければ、こんな選挙になる事も無かった。
「あの時の浪江町の避難は酷かった。滅茶苦茶だった。東電は連絡を寄越さなかった。避難用のバスも寄越さなかった。国もオフサイトセンターも福島県庁も、浪江町に対して何もしなかった。そして逃げた津島で、この東京電力の、あなたたちの放射能で浪江町の避難民は放射能を浴びさせられたんだ。浪江町は2001年3月15日、峠を越えて二本松市東和地区に総崩れで逃げた。恐怖の逃避行の日々を私たちは忘れない。私たち浪江町の無念、悔しさ、怒りは他の原発立地地域と違うんだ」
吉沢さんは演説に先立ち、経産省と東電本社に入り①精神的慰謝料を月額50%増額すること②慰謝料の支払いは浪江町民が生きている限り継続すること③福島第一原発の汚染水を絶対に海洋放出しないこと─を求める要望書を提出した。8月2日までに回答が寄せられるという。



(上)住宅解体が進む浪江町。吉沢さんは「みんなが戻れない、さら地・荒廃化する〝解体の浪江〟の現実を見ながら、浪江の未来を本気で熱く議論し続けたい」と訴える
(中)閑散とする町中心部。避難指示解除後、町に戻った町民はわずか4%。帰還困難区域はどうするのか。町民が直面する課題は多い
(下)馬場有町長の死去に伴う町長選挙は、前町議会議長と吉沢さんの一騎打ちになった。下馬評では、〝議会の談合〟で擁立され、自民党の国会議員も応援する吉田さんが圧勝するとの見方が強い
【「吉田候補は町民不在の談合候補」】
実は吉沢さんは、早い段階で「馬場町長に万一の事があったら町長選挙に立候補する」と明かしていた。成人式や浪江小学校の卒業式などへの欠席が相次ぎ、町民の多くが「任期満了まで務めるのは難しい」という見方で一致していた。
一方、馬場町長の後援会と議員有志は会合を重ねていた。馬場町長が辞意を表明する前の段階で吉田数博前議長を〝後継者〟として擁立する事を決めていたと町議が証言している。
「他にいないから、とにかく吉田にしたんだよ。とりあえず一期やらせて、県議会議長を務めている吉田栄光県議(自民党)に引き継がせる算段だろう。選挙では圧勝するだろうけど、吉田が町長になんかなったら馬場さんの時よりも酷くなるよ。国の言いなりだろう。いずれにしても町民不在の〝談合〟だよ。こういう状況に嫌気がさして棄権が増えるんじゃないか。投票率下がるね」
森まさ子参院議員(自民党)は告示前に吉田前議長を訪ね、写真をフェイスブックに載せている。これだけでも、吉田前議長が期待されている〝役割〟が分かるというものだ。
町民もこれらの動きを知っていて「前議長になんか投票したくない」という声があがる一方、「だからと言って吉沢さんは共産党だし、言葉がきついしなあ」という声も聞かれる。吉沢さんは立候補にあたって共産党に離党届を提出している。
「フレコンバッグどうするんだよ!山のように貯め放題になって、もう〝風景〟になっているじゃないか!その痛みを東電は感じろよ。あなたたちは人間だろ!俺たちの苦しみを理解しろよ!家にも帰れないんだ!あなたたちには帰る家がある。ちゃんとした勤め先がある。でも浪江町は家にも帰れず、町を潰され、人生を潰され…。あのようなレベルでの損害賠償で終わらせてはならない。払って欲しいよ!払えよ!精神的慰謝料5万円増額。避難期間に応じて払うんだ。今秋にも起こす裁判で(町民が勝って)東電が払うんだよ!覚悟しろ!あなたたちの責任だ。『原発は安全』なんてやってきた結果が福島原発事故だ。絶対に裁判で増額を勝ち取る!」
「2011年3月18日。私は福島県民で一番最初に東電本店に乗り込んだ。僕は入り口で泣いてしまった。飼っている牛が全部死んでしまうんだ、と。300頭全滅すると泣きながら訴えた。当時の総務主任は僕の話を聴いて泣いていた。地震で津波で壊れる原発などもうたくさんだ。原発さようなら。原発の時代を乗り越えよう。ドイツで韓国で台湾でイタリアでスイスで動いている。何で日本では出来ないんだ。だらしのない東京電力。平気な顔して原発を再稼働させようとする。再び事故を繰り返すんだ。分かってないんだ、あなたたちは!懲りてないんだ!」
吉沢さんは東電前で吠えに吠えた。町民が選ぶのは「闘うベコ屋」か「前議長」か。
(了)
スポンサーサイト