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「自然豊かだった故郷・大熊町を返して」。人工透析減り先立った夫、納骨叶わぬ妻の哀しみ~福島原発かながわ訴訟

原発事故による損害の完全賠償を求めて国や東電を訴えている「福島原発かながわ訴訟」の第16回口頭弁論が19日午後、横浜地裁101号法廷(相澤哲裁判長)で開かれ、福島県大熊町から神奈川県相模原市内に避難している女性(69)が「昨年、先立った夫の納骨さえ出来ない」「自然豊かで土のある生活が恋しい」などと「故郷の喪失」の大きさについて意見陳述した。弁護団は11月にも専門家の証人尋問、年明けには原告の本人尋問を予定。津波対策を怠った国と東電の「責任」と損害の「賠償」の両面から追及していく。また、裁判官に原告の自宅や福島第一原発を見てもらおうと「検証申立書」も提出した。次回期日は9月27日。


【避難で減った透析の時間】
 傍聴席からすすり泣く声が聞こえた。
 「夫が亡くなる前に故郷に一度も帰ることが出来なかった、(経営していた)鉄工所の跡地をもう一度見せてあげられなかったことが、本当に心残りでなりません」
 女性は夫と息子と3人で大熊町で暮らしていた。娘は楢葉町に嫁いだ。夫は23歳の時、亡くなった父親から鉄工所を引き継ぎ、一時は40人の従業員を預かる「社長」だったが、経営が厳しくなり1998年に閉鎖。原発関連の仕事に従事していたが、持病の腎臓病が悪化。腎機能障害で障害者手帳を交付され、2008年には膀胱がんも患い、つらい生活が続いていた。週3回、人工透析(血液透析療法)のためにいわき市内の病院に通わなければならなかった。未曽有の揺れは、まさに透析中に襲い掛かった。夫は後に「天井が今にも落ちてきそうで死ぬかと思った」と恐怖を口にしたという。
 しんどい身体をおして車中泊。原発事故を受けて町の防災無線が響いた。「西へ逃げろ」。葛尾村を経て郡山市に逃げた。逃げろと言われてもガソリンが満タンではない。ようやくたどり着いた郡山では、夫の透析を引き受けてくれる病院を探さなければならなかった。ある病院はロープが張られ、立ち入りが規制されていた。紹介された病院に行くと、スクリーニングを受けるよう求められた。何とか人工透析を受けられる病院を探し当てた時には、震災から3日が経っていた。病院近くの公民館での避難生活が始まった。水不足から、本来は5時間要していた夫の人工透析は半分程度の時間しか受けられなかった。
 慣れない土地。公民館での避難生活。短縮を余儀なくされた透析治療。原発事故が、どれだけ夫の身体に負担を強いただろう。夫妻は親類を頼って神奈川県相模原市に向かった。公営住宅に入居することが出来たのは、2011年5月になってからだった。


法廷で「(大熊町の)自然豊かで土のある生活が恋しい」と意見陳述した女性。人工透析中に被災した夫は、一度も原発事故後の故郷を見ることなく昨年7月、天国に旅立った=横浜市内

【哀しい「故郷の喪失」】
 「ただでさえ過酷な闘病生活を、夫は故郷から遠く離れた見ず知らずの土地で送らなければなりませんでした。精神的負担はとても大きかったと思います。生きる意欲を失ってしまったように感じられることもありました」
 喉に見つかったがんは肺に転移。放射線治療のため夫は入退院を繰り返した。そして2015年7月28日、亡くなった。73歳だった。隔日の透析治療が必要な夫は、避難を始めてから一度も故郷に一時帰宅することが叶わなかった。裁判の結果も、見届けられなかった。原発さえ爆発しなければ…。自宅から福島第一原発までわずか3km。「東電は安全、安全、安全。まさかこんな大災害になるとは、これっぽっちも考えていなかった」。原発事故がまき散らした放射性物質のせいで、夫の納骨さえ出来ずにいる。住み慣れた大熊町で眠る事さえ許されない夫。きちんと供養してあげられぬと哀しみに暮れる女性に、東電は冷淡な言葉を浴びせたという。「墓石が無いと賠償の対象にはなりません」。
 「毎日が土に触れることの出来る生活。自宅の近くで野菜を作っては、ご近所にもお裾分けしていました。地域では互いに助け合って生きていました」
 ご近所さんとの立ち話も、お茶を飲みながら語り合うことも出来なくなった。「公営住宅での生活は、自然豊かな環境も人間関係もありません」。娘や孫とも離ればなれ。連れ添った夫がいない生活はさびしい。「この先どうなるか、不安ばかりの生活です。気力が無くなり、孤立しがちの毎日を送っています」。お盆時期の特例宿泊は始まるが、大熊町に戻れる目途など立たない。中間貯蔵施設の整備も進む。お金では換算することの出来ぬ故郷の喪失。女性は閉廷後の報告集会で、こう表現した。「2人の子どもは母校も失った。私も帰れない。故郷を失うということは、こんなにも哀しいことなのか」。だからこそ、国や東電の代理人の前で、はっきりと言った。
 「原発事故が起きる前の私たちの生活が取り戻せない以上、その責任をしっかりと取っていただきたい」
 傍聴席から大きなは拍手が起きた。本来、法廷での拍手は禁じられているが、相澤裁判長は注意しなかった。原告席では村田弘団長(福島県南相馬市から神奈川県横浜市に避難中)が涙をこらえて天を仰いでいた。


口頭弁論が行われた横浜地裁前では、自主避難者への住宅無償提供継続を求める署名も集められた。神奈川県内には約370世帯が〝自主避難〟しているという

【裁判官の現地検証も要求】
 弁護団は準備書面で、国や東電が最大で15mを超す津波による浸水、全交流電源喪失を予見していたと指摘。2008年4月に東京電力設計株式会社が作成した「2008年試算」を証拠提出し、「津波対策は不可避とまでの認識を持ったにもかかわらず、何ら対策をとらなかったことは許しがたい」と主張した。
 また、国が当時の試算は知見として確立されていなかったと反論している点に関しても「知見が確立している必要はない。確立するのを待っていたら、いつまで経っても対策を講じることが出来ない」と主張。「予見可能性すらなかったと繰り返している国は、規制庁の役割を放棄している」と断じた。
 裁判は11月から佳境に入り、弁護団は専門家尋問を通して「どうすれば原発事故を回避できたか」という点を追求していく方針。これまでは1時間ほどで閉廷していたが、11月からは午後1時から5時までの4時間、じっくり専門家の証人尋問を行う。名倉繁樹・元原子力発電安全審査課審査官にも出廷を求め、当時、津波に関しどのような認識を持っていたかを質す予定だ。
 一方で、大阪市立大学の除本理史教授(環境政策論)には「故郷の喪失」についての証人尋問を予定。原告の本人尋問と並行して原発事故による損害の大きさと賠償の必要性を訴えていく。
 「裁判官に現場を見て欲しい」と、検証申立書も提出した。黒澤知弘弁護士は「原告団長の村田さんの自宅などを訪れることで被曝のリスクを肌で実感して欲しい。津波でどの高さまで浸水したか、福島第一原発も見てもらいたい」と話す。
 慣れない法廷で意見陳述を行った妻を、夫はきっと天国から見守っていただろう。ひとたび事故が起きれば取り返しのつかない結果を招くことが証明されてしまった福島第一原発の事故。公共事業を進め、避難指示解除を急ぐことだけが「復興」ではないことを、安倍晋三首相は理解できるだろうか。閉廷後、女性はこう語った。
 「原発事故が無ければ、もう少し夫と一緒にいられたと思います」
 次回期日は9月27日。


(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
大手メディアが無視する「汚染」、「被曝」、「避難」を追い続けています。

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