【浪江町長選挙】低投票率、副町長の辞意…。嵐の中、吉田数博町長が初登庁。「馬場町長の『町残し』が評価された」。具体的ビジョン語らぬ厳しい船出
- 2018/08/08
- 14:21
馬場有(たもつ)町長の辞職、死去に伴う福島県双葉郡浪江町長選挙は5日、投開票され、5231票を得た前町議会議長の吉田数博氏(72)が、「希望の牧場・ふくしま」代表理事の吉沢正巳氏(64)の1282票に大差をつけて圧勝。新しい町長に就任した。7日に初登庁した吉田町長は役場職員を前に「職員が頑張れば町民は戻る」と訓示を述べたが、宮口勝美副町長が退職の意思を固めるなど厳しい船出。投票率は前回比で12・97ポイント、2007年との比較では30ポイントも下がり、住民帰還も4%にとどまる。具体的ビジョンを語らない新町長のかじ取りは難しくなると予想される。
【「職員が頑張れば町民は戻る」】
まさに〝嵐の船出〟だった。
台風13号の影響で浪江町も朝から横殴りの雨。気温も20℃を下回り肌寒い中、午前9時に黒塗りの公用車で吉田数博町長は初登庁に臨んだ。庁舎玄関の屋根のある場所で本間茂行副町長、紺野榮重町議会議長、佐々木恵寿副議長、畠山熙一郎教育長らが笑顔で出迎える。車を降りた吉田町長は深々と頭を下げ、紺野議長らと固い握手。今回の町長選挙、これからの町政を象徴するような場面だった。
女性職員から花束を贈られ、両端に並んだ職員たちの拍手に迎えられて町長室へ。椅子に座ると「重責のかたまりのようだ」と語った。「皆の期待が重く肩にのしかかっているような感じ。頑張ります。(馬場有町長の後任は)プレッシャーは大きいですね。負けないように頑張ります」。
早速、会議室に集まった職員の前で「今回の選挙で、町民と様々な約束をした。これは馬場有(たもつ)さんが続けてこられた『町残し』の政策の継続。今回の投票の中身を私なりに考えると、有効投票数の8割を超えた。これは、皆さんが馬場町長と一緒にやられていた仕事が評価されたと思っている。8割の方々に支持を頂いたわけだから、ぜひ自信を持ってやっていただきたい。政策決定がなされた後は責任は私が取る。その事だけは明確に申し上げる。町民のためであれば、しっかりと自信を持って、後は町長が責任を取るという気概でやって欲しい」と訓示した。
「(新たに開校した)浪江にじいろこども園やなみえ創成小学校・中学校の子どもたちが大人になって、われわれの想いを引き継いでもらいたい。彼ら彼女らにしっかりと町を残す。そして引き継いでもらう。その仕事を復興の最先端で働いている皆さんは肝に銘じて、私と一緒に汗水流して浪江町をつくっていただきたい」
訓示では、「町議会議員として見ていると、居住制限区域や避難指示解除準備区域の避難指示解除後、なかなか思ったより帰還者が増えないので、(職員の)モチベーションが少し下がっているような気がする。決して自信を無くす事無く、われわれの仕事をしっかりとすれば、必ず町民は戻っていただける。新しい町民も生まれる。そういう気概を持って一緒に頑張っていただきたい。皆さんが頑張らなければ町は再生しない」とも語り、職員を鼓舞した。



(上)女性職員から花束を贈られる吉田数博町長。横殴りの雨が降る中、まさに〝嵐の船出〟となった=福島県双葉郡浪江町大字幾世橋
(中)町議会の紺野榮重議長とがっちり握手をする場面も。今回の選挙では町議会議員の大半が吉田町長を応援し、紺野議長は選対本部長を務めた。議会の監視機能など完全に崩壊している
(下)町長室でNHKなどの取材を受ける吉田町長。「(馬場有町長の後任は)プレッシャーは大きい」と語った
【初日から副町長の慰留に追われる】
〝嵐〟は雨だけでは無かった。2015年10月から副町長を務め、馬場有町長の辞職後、職務を代理してきた宮口勝美氏が吉田町長に退職の意思を伝えたのだ。
町役場総務課によると、8日正午までに宮口副町長からは正式な退職願は提出されていないが、口頭で辞意を吉田町長に伝えたもよう。「町長からは『慰留に努めている』とは聞いているが、その後も報告は無い。何も進展していないということだろう」と総務課。吉田町長は会見で「馬場町長の進めて来た施策は人材も含めて引き継ぐつもりだから、今後慰留していく」と語ったが、宮口副町長は7日も8日も出勤していない。退職の意思は固いとみられる。
退職の理由や伝達の時期について、吉田町長も役場も明かしていない。しかし、町民の間では「やっぱり」との声が多い。「亡くなった馬場有前町長とも合わなかった」、「吉田新町長と考え方が合わない」など、様々な憶測が飛び交う。
そもそも、馬場有前町長の体調不良による辞職、死去に伴う浪江町長選挙を巡っては、候補者擁立を巡って町民の間には批判的な見方が強い。馬場前町長が入退院を繰り返していた頃から後援会や有力議員らが〝密談〟を重ね、前議長の吉田数博氏に白羽の矢を立てた経緯がある。結果、町議会議員の大半が吉田氏を選挙で応援し、紺野議長に至っては選対本部長を務めた。浪江町議会は議会のチェック機能を完全に放棄したとも言える。「これで町長と議会は是々非々でなくなった。もうウンザリだ」と話す町議もいる。
町民もその経緯を知っているからこそ、過半数が棄権するという低投票率につながった。しかし、吉田町長は会見で「当初から投票率の低さを心配する声は多かったが、浪江町を忘れ、投票する必要は無いと考えているものでは決して無いと思う。投票の環境もある。福島県外に避難した方は、平日の日中、難しい手続きをしながら避難先の役場に行って投票するわけだから、仕事を休んでというのはなかなかきついのかなと。その結果が43%台に落ちてしまった事だと思うが、われわれが気を付けなければならないのは町の活動を発信して、町と避難町民の縁が切れないようにきっちりと維持していく、そういう作業が大事だと思う」と筆者の質問に答えるなど、危機感は薄い。もちろん町民の離散が低投票率の大きな要因ではあるが、それだけでは無いのだ。



(上)2016年6月、避難指示解除に関する住民説明会に馬場有町長とともに出席した宮口勝美副町長。吉田町長に退職の意思を伝えた
(中)初登庁後、記者会見に応じた吉田町長。「有効投票の8割を超える日とが私に投票してくれた。自分たちはいずれ町に帰るので、復興を進めてしっかり町を残しておいてくれ、という事なんだろうと思う」と語ったが、具体的なビジョンはゼロに等しかった
(下)町内で行われているオリーブ栽培の実証実験。これも「町残し」の1つなのか
【「8割超が私に投票してくれた」】
吉田町長は職員への訓示後に取材に応じたが、具体的なビジョンはほとんど語られなかった。
「いの一番にやらなければならない事は買い物環境の改善。あまりにも買い物の場所が不便すぎるという事が帰還意欲をそぐ事につながっている。あと、これからの財政の中で今手がけておかないと間に合わなくなるので復興を急ぐ。2020年で復興庁もなくなるので。その事を頭に入れて、大至急やらなくてはいけない事をまずやる。議会では財政的なところまで踏み込んでこなかったので、勉強しながらやっていく。急ぐ事を急いでいきたい」
吉田町長はそう語ったが、では、具体的にどのようにするのか。ヨークベニマルなど地元のスーパーマーケットが売り上げが見込めない町への出店に二の足を踏む中で、具体的にどのように買い物環境を改善するのか。具体策は語られない。「私にも構想はあるが、担当部局とも相談しなければならない」と述べるにとどまった。ある町議は「富岡町を見てみろ。スーパーマーケットが整備されたって住民は戻っていないじゃないか。ベニマルが浪江で再開したら町民は戻って来るのか?違うだろ」と指摘する。
そもそも、吉田町長は在任中にどれだけの町民が町に戻って来ると考えているのか。会見でそれも問うと「んーこれからのわれわれの努力でしょうね。ただ目標は必要だが、それに拘泥する必要は無いのかな。そうでないとその数字に縛られてしまう。きちんとした町づくりをしていけば、時間はかかるが町民に評価していただけると思っている」と答えるばかりだった。
もはや〝根性論〟とも言える状態で「自分たちがやっている事は間違いないんだ。これを続ける事によって帰還者が増えていくんだ、町残しになるんだという想いに至っていただきたい」、「新しい工場の誘致を進めれば当然、技術者が浪江に住んでいただけるようになる。その辺に大いに期待したい」と繰り返した吉田町長。「有効投票の8割を超える人が私に投票してくれた。自分たちはいずれ町に帰るので復興を進めてしっかり町を残しておいてくれ、という事なんだろうと思う。草ボーボーの町になってしまっては帰還どころでは無いですから。地道な一歩一歩だと思っています」とも。今回の選挙で圧勝した事も楽観を深めている要因のようだ。
「馬場有さんの想いは受け継ぐが、私は私の人格があるので新しい施策も必要。しっかり遺志を継いで俺なりに頑張ると報告したい」と会見を締めくくった吉田町長。町民の「消極的支持」の中で始まった「吉田丸」の航海は、前途多難と言わざるを得ない。
(了)
【「職員が頑張れば町民は戻る」】
まさに〝嵐の船出〟だった。
台風13号の影響で浪江町も朝から横殴りの雨。気温も20℃を下回り肌寒い中、午前9時に黒塗りの公用車で吉田数博町長は初登庁に臨んだ。庁舎玄関の屋根のある場所で本間茂行副町長、紺野榮重町議会議長、佐々木恵寿副議長、畠山熙一郎教育長らが笑顔で出迎える。車を降りた吉田町長は深々と頭を下げ、紺野議長らと固い握手。今回の町長選挙、これからの町政を象徴するような場面だった。
女性職員から花束を贈られ、両端に並んだ職員たちの拍手に迎えられて町長室へ。椅子に座ると「重責のかたまりのようだ」と語った。「皆の期待が重く肩にのしかかっているような感じ。頑張ります。(馬場有町長の後任は)プレッシャーは大きいですね。負けないように頑張ります」。
早速、会議室に集まった職員の前で「今回の選挙で、町民と様々な約束をした。これは馬場有(たもつ)さんが続けてこられた『町残し』の政策の継続。今回の投票の中身を私なりに考えると、有効投票数の8割を超えた。これは、皆さんが馬場町長と一緒にやられていた仕事が評価されたと思っている。8割の方々に支持を頂いたわけだから、ぜひ自信を持ってやっていただきたい。政策決定がなされた後は責任は私が取る。その事だけは明確に申し上げる。町民のためであれば、しっかりと自信を持って、後は町長が責任を取るという気概でやって欲しい」と訓示した。
「(新たに開校した)浪江にじいろこども園やなみえ創成小学校・中学校の子どもたちが大人になって、われわれの想いを引き継いでもらいたい。彼ら彼女らにしっかりと町を残す。そして引き継いでもらう。その仕事を復興の最先端で働いている皆さんは肝に銘じて、私と一緒に汗水流して浪江町をつくっていただきたい」
訓示では、「町議会議員として見ていると、居住制限区域や避難指示解除準備区域の避難指示解除後、なかなか思ったより帰還者が増えないので、(職員の)モチベーションが少し下がっているような気がする。決して自信を無くす事無く、われわれの仕事をしっかりとすれば、必ず町民は戻っていただける。新しい町民も生まれる。そういう気概を持って一緒に頑張っていただきたい。皆さんが頑張らなければ町は再生しない」とも語り、職員を鼓舞した。



(上)女性職員から花束を贈られる吉田数博町長。横殴りの雨が降る中、まさに〝嵐の船出〟となった=福島県双葉郡浪江町大字幾世橋
(中)町議会の紺野榮重議長とがっちり握手をする場面も。今回の選挙では町議会議員の大半が吉田町長を応援し、紺野議長は選対本部長を務めた。議会の監視機能など完全に崩壊している
(下)町長室でNHKなどの取材を受ける吉田町長。「(馬場有町長の後任は)プレッシャーは大きい」と語った
【初日から副町長の慰留に追われる】
〝嵐〟は雨だけでは無かった。2015年10月から副町長を務め、馬場有町長の辞職後、職務を代理してきた宮口勝美氏が吉田町長に退職の意思を伝えたのだ。
町役場総務課によると、8日正午までに宮口副町長からは正式な退職願は提出されていないが、口頭で辞意を吉田町長に伝えたもよう。「町長からは『慰留に努めている』とは聞いているが、その後も報告は無い。何も進展していないということだろう」と総務課。吉田町長は会見で「馬場町長の進めて来た施策は人材も含めて引き継ぐつもりだから、今後慰留していく」と語ったが、宮口副町長は7日も8日も出勤していない。退職の意思は固いとみられる。
退職の理由や伝達の時期について、吉田町長も役場も明かしていない。しかし、町民の間では「やっぱり」との声が多い。「亡くなった馬場有前町長とも合わなかった」、「吉田新町長と考え方が合わない」など、様々な憶測が飛び交う。
そもそも、馬場有前町長の体調不良による辞職、死去に伴う浪江町長選挙を巡っては、候補者擁立を巡って町民の間には批判的な見方が強い。馬場前町長が入退院を繰り返していた頃から後援会や有力議員らが〝密談〟を重ね、前議長の吉田数博氏に白羽の矢を立てた経緯がある。結果、町議会議員の大半が吉田氏を選挙で応援し、紺野議長に至っては選対本部長を務めた。浪江町議会は議会のチェック機能を完全に放棄したとも言える。「これで町長と議会は是々非々でなくなった。もうウンザリだ」と話す町議もいる。
町民もその経緯を知っているからこそ、過半数が棄権するという低投票率につながった。しかし、吉田町長は会見で「当初から投票率の低さを心配する声は多かったが、浪江町を忘れ、投票する必要は無いと考えているものでは決して無いと思う。投票の環境もある。福島県外に避難した方は、平日の日中、難しい手続きをしながら避難先の役場に行って投票するわけだから、仕事を休んでというのはなかなかきついのかなと。その結果が43%台に落ちてしまった事だと思うが、われわれが気を付けなければならないのは町の活動を発信して、町と避難町民の縁が切れないようにきっちりと維持していく、そういう作業が大事だと思う」と筆者の質問に答えるなど、危機感は薄い。もちろん町民の離散が低投票率の大きな要因ではあるが、それだけでは無いのだ。



(上)2016年6月、避難指示解除に関する住民説明会に馬場有町長とともに出席した宮口勝美副町長。吉田町長に退職の意思を伝えた
(中)初登庁後、記者会見に応じた吉田町長。「有効投票の8割を超える日とが私に投票してくれた。自分たちはいずれ町に帰るので、復興を進めてしっかり町を残しておいてくれ、という事なんだろうと思う」と語ったが、具体的なビジョンはゼロに等しかった
(下)町内で行われているオリーブ栽培の実証実験。これも「町残し」の1つなのか
【「8割超が私に投票してくれた」】
吉田町長は職員への訓示後に取材に応じたが、具体的なビジョンはほとんど語られなかった。
「いの一番にやらなければならない事は買い物環境の改善。あまりにも買い物の場所が不便すぎるという事が帰還意欲をそぐ事につながっている。あと、これからの財政の中で今手がけておかないと間に合わなくなるので復興を急ぐ。2020年で復興庁もなくなるので。その事を頭に入れて、大至急やらなくてはいけない事をまずやる。議会では財政的なところまで踏み込んでこなかったので、勉強しながらやっていく。急ぐ事を急いでいきたい」
吉田町長はそう語ったが、では、具体的にどのようにするのか。ヨークベニマルなど地元のスーパーマーケットが売り上げが見込めない町への出店に二の足を踏む中で、具体的にどのように買い物環境を改善するのか。具体策は語られない。「私にも構想はあるが、担当部局とも相談しなければならない」と述べるにとどまった。ある町議は「富岡町を見てみろ。スーパーマーケットが整備されたって住民は戻っていないじゃないか。ベニマルが浪江で再開したら町民は戻って来るのか?違うだろ」と指摘する。
そもそも、吉田町長は在任中にどれだけの町民が町に戻って来ると考えているのか。会見でそれも問うと「んーこれからのわれわれの努力でしょうね。ただ目標は必要だが、それに拘泥する必要は無いのかな。そうでないとその数字に縛られてしまう。きちんとした町づくりをしていけば、時間はかかるが町民に評価していただけると思っている」と答えるばかりだった。
もはや〝根性論〟とも言える状態で「自分たちがやっている事は間違いないんだ。これを続ける事によって帰還者が増えていくんだ、町残しになるんだという想いに至っていただきたい」、「新しい工場の誘致を進めれば当然、技術者が浪江に住んでいただけるようになる。その辺に大いに期待したい」と繰り返した吉田町長。「有効投票の8割を超える人が私に投票してくれた。自分たちはいずれ町に帰るので復興を進めてしっかり町を残しておいてくれ、という事なんだろうと思う。草ボーボーの町になってしまっては帰還どころでは無いですから。地道な一歩一歩だと思っています」とも。今回の選挙で圧勝した事も楽観を深めている要因のようだ。
「馬場有さんの想いは受け継ぐが、私は私の人格があるので新しい施策も必要。しっかり遺志を継いで俺なりに頑張ると報告したい」と会見を締めくくった吉田町長。町民の「消極的支持」の中で始まった「吉田丸」の航海は、前途多難と言わざるを得ない。
(了)
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