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【福島原発かながわ訴訟】「棄民にされてたまるか」。結審後も奔走する原告団長・村田弘さんが横浜市内で講演。来年2月の判決に向け署名活動も展開中

原発事故の原因と責任の所在を明らかにし、完全賠償を求めて神奈川県内に避難した人々が国と東電を相手取って起こしている「福島原発かながわ訴訟」。原告団長の村田弘さんは7月の結審後も、1人でも多くの人に裁判の存在を知ってもらおうと奔走している。26日夜は横浜市鶴見区内で開かれた学習会「村田弘さんを囲むつどい」で講演。提訴に至った想いや現在の心境などを語った。毎週木曜日、JR横浜駅頭に仲間と立ち始めた村田さん。「被害者を棄民にされてたまるか。やれる事は何でもやる」と改めて力をこめた。2019年2月20日、横浜地裁で判決が言い渡される。福島第一原発の爆発から90カ月。被害者の闘いは終わっていない。


【妻、愛猫と共に小高を離れる】
 「いま観ていて胸がいっぱいになりました」
 村田さんは、いつも通りの穏やかな口調で語り始めた。冒頭、7月19日に横浜地裁で行われた第29回口頭弁論(結審)の入廷行動の動画が流された。「戦う者の歌が聴こえるか。鼓動が、あのドラムと響き合えば」。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌「民衆の歌」が酷暑の港町に響き渡り、横断幕を手にした原告や弁護団が行進した。2013年9月11日に17家族44人で提訴(最終的に61家族174人)した際も「くらしを返せ! ふるさとを返せ! 真の被災者支援法を作れ!!」と書かれた横断幕を手に歩いたが、「あの時はひっそりと入廷行動をした感じ。この5年間で支援の輪が広がり、口頭弁論期日には毎回、100人以上の方が傍聴券を求めて並んでくれた。『福島原発かながわ訴訟を支援する会』(ふくかな)は、賛助会員も含めると600人を超えている。本当に私たちを支えてくれた」と頭を下げた。
 新聞社を定年退職後、妻・公美子さんと共に福島県南相馬市小高区に戻った村田さん。荒れ放題だった果樹園を2003年から3年ほどかけて復活させ、桃やリンゴ、サクランボがようやく実をつけ始めた矢先の原発事故だった。自宅は福島第一原発から直線距離で約16km。数日間、南相馬市内の体育館に身を寄せたが、放射性物質の大量拡散を受けて避難所も閉鎖。新聞記者時代に相鉄線沿線に暮らした事、子どもたちが横浜や川崎で暮らしている事などから、2日間かけて避難した。公美子さんと愛猫のロックとの〝3人〟での避難生活の始まりだった。
 当初は公営住宅の5階に入居していたが、ストレスからかロックが洗濯機のホースを爪で引っかいて2回、水漏れさせてしまった。「東電に賠償請求する前に、下の階の人から賠償請求されてしまった」と苦笑した村田さん。公営住宅のため、本来は猫を飼う事も禁じられている。そこで借家に転居。現在は、娘夫婦と共に横浜市内で暮らしている。「ロックが一番、元気ですよ」。今でこそ笑って話す村田さんだが、「福島原発かながわ訴訟団資料集Ⅰ」に寄せた手記で、避難当初の自分を「錯乱状態」と記している。
 「カミさんの些細な一言が胸に突き刺さり、怒鳴り返す。1階下のお宅の扉に鍵を差し込もうとして叱られる。トイレカバーの交換に30分もかかる…」




(上)「被害者が黙っていたら棄民にされる」、「再び立ち上がるに足るだけの賠償を」と裁判にかける想いを口にした村田弘さん(左)。裁判は7月に結審したが、毎週木曜日、JR横浜駅頭に立ってマイクを握り続けている。右は「ふくかな」運営委員の青島正晴さん
(下)秋雨の中、集まった人々に村田さんは穏やかに、時には強い口調で原発事故からの90か月間を語った=横浜市鶴見区佃野町の「フリースペースたんぽぽ」

【「黙っていたら棄民にされる」と提訴】
 「半年ほどは自分でも驚くくらいの〝錯乱状態〟だった」。そんな村田さんを奮い立たせるきっかけとなったのが、2011年9月末に東電から送られてきた分厚い書類だった。指で厚さを表現しながら「こんな分厚い郵便物ですよ。400ページ。賠償の手引き、とやらが細かい字で書いてあった。こんな混乱している時にこんなものを送りつけてきやがって。重さを測ってみたら980グラムもあったんですよ」と話した。
 加害者が一方的に決めた賠償基準に腹が立ったが、先の見えない避難生活で〝埋蔵金〟と称していた500円貯金も取り崩し、賠償金をもらわないわけにもいかない。ADR(国の「原子力損害賠償紛争解決センター」を利用した裁判外紛争解決手続)も行ったが「内容は本当に屈辱的だった。いま振り返っても腹が立つ。避難後に購入した物のレシートを全部出せと言うから提出したら、東電側の弁護士が全部チェックして『下着は避難しなくても必要な物だから認めない』などと言ってくるんです」。
 借家に転居した際、福島県に家賃補助を請求していなかったため家賃負担が月12万円と重く東電に請求したが、半額しか認められなかった。「これじゃどっちが加害者か分からない」。あまりの悔しさに提訴を検討し始めた。
 「裁判で争ってる、なんて言うとイメージが悪いわけですよね。日本の場合は。特に田舎では『裁判なんかやってるの?』と言われてしまう。僕自身にもそういう想いはあったけれど、このまま被害者が黙っていたら棄民され、原発も再稼働されてしまうとだんだん〝目覚めて〟来ました」
 提訴日は2013年9月11日。既に2年半の月日が流れていた。「ようやく日々の生活を落ち着いて送れるようになるまでに2、3年かかりました。そのくらい混乱していたんです。僕は比較的恵まれていたけれど、本当にしんどかったのは、避難指示が出されなかった区域から幼い子どもを連れて避難した人たちです」
 「かながわ訴訟」は責任論と損害論の2本立てで争ってきた。地震や津波への対策を講じなかった、講じさせなかった東電や国の過失責任。そして、生活や地域が壊され、ふるさとが奪われた被害に見合った賠償。他の集団訴訟の地裁判決でも国の過失責任を認める流れは確立されつつあるが、特に〝自主避難者〟への賠償命令は決して十分とは言えない。「来年2月の判決では、被害者が再び立ち上がるに足るだけの賠償を勝ち取りたい」と村田さんは語った。




(上)学習会には、真山勇一参院議員(立憲民主党)も出席。「とても福島に帰れる状況に無い。国が避難者をバックアップしなければならない」と挨拶した
(下)5万筆を目標にしている署名活動。集まった署名は、完全賠償を求めて横浜地裁に提出される

【避難元の畑は今も12万Bq/㎡】
 避難元の南相馬市小高区は、「年間積算線量が20mSvを下回る事が確実になった」などとして2016年7月12日に避難指示が解除された。しかし、村田さんが苦労して土づくりをした畑は、今も1平方メートルあたり12万ベクレルもの汚染が続いている。
 「12万ベクレルの畑でもう一度作物を作ろうとは思えません。除染で生じた汚染土壌の仮置き場が小高区内だけで5カ所もあり、東京ドーム10個分と言われるフレコンバッグを見ただけで嫌な気分になる。病院や店舗も無く日常生活は送れません。隣組は13軒ありましたが、戻ったのは4軒だけ。バラバラになってしまいました。賠償を打ち切るからもう帰れ、と言われても帰れません」
 裁判では、原告全世帯の避難元の空間線量だけでなく、土壌汚染も測って証拠として提出した。ほぼ全ての避難元自宅で放射線管理区域の基準値(1平方メートルあたり4万ベクレル)をはるかに上回る土壌汚染が確認された。しかし、現実には再来年の東京五輪を軸に「風評払拭」ばかりが叫ばれ、福島県の内堀雅雄知事は8月、避難指示区域の住民への住宅提供打ち切りも表明した。「富岡町及び浪江町の全域、並びに葛尾村及び飯舘村の帰還困難区域から避難」している住民も2020年3月末で住宅提供が打ち切られ、ついに避難指示の有無にかかわらず、原発事故避難者への住宅無償提供が終わる。原発事故被害者は、東京五輪の開幕とともに完全に切り捨てられる。
 「こんな人権無視があるか」と村田さん。「やれる事は何でもやろう」と毎週木曜日の夕方にJR横浜駅西口の高島屋前でマイクを握っている。横浜地裁に提出する署名集めも続けている。「リスクコミュニケーションの名の下に原発安全神話から放射能安全神話という新たな〝神話〟が作られている。原発事故はまだ終わっていません」。棄民にされてたまるか、という闘いはまだ続く。
 「つどい」は「平和と民主主義をともにつくる会・かながわ」が主催する水曜ミーティングの一環として開かれた。横浜市内外から10数人が参加。真山勇一参院議員(立憲民主党)も参加し、冒頭で「福島に帰れる状況に無い。避難者のバックアップは国がやらなきゃいけない」と挨拶した。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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