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【中通りに生きる会・損害賠償請求訴訟】5回目の原告本人尋問。「バカヤローと叫びたい気持ち」「放射性物質の不気味さ変わらぬ」。東電側は「危険で無いという想いもあったのでは?」と反対尋問

「中通りに生きる会」(平井ふみ子代表)の男女52人(福島県福島市や郡山市、田村市などに在住)が福島第一原発の事故で精神的損害を被ったとして、東電を相手に起こした損害賠償請求訴訟の第13回口頭弁論が15日、福島地方裁判所206号法廷(遠藤東路裁判長)で終日、行われた。前回期日同様、2組の夫婦を含む7人の原告に対する本人尋問。代理人を務める野村吉太郎弁護士による主尋問、被告東電の代理人弁護士による反対尋問を受けた。被曝リスクに晒されながら政府の避難指示は出されず、公的な避難制度も確立されなかった福島県中通り。そこで暮らしている人々の心の叫びを、2組の夫婦を軸に紹介したい。


【家族会議重ねた末の〝週末避難〟】
 福島市に住む50代の夫婦は、妻が先に尋問に臨んだ。
 「3人の子どもは私にとって命のような存在です。自分よりも大切だと思える存在。その子どもたちが原発事故で被曝をさせられてしまった。原発事故さえ無ければ、将来の健康不安も、週末避難も必要ありませんでした。しかも、賠償額は加害者側が一方的に決めた。悔しくて、腹が立って『バカヤロー』と叫びたい気持ちで陳述書を書きました」
 放射線被曝からわが子を少しでも守るにはどうすれば良いか。模索を続けた7年半だった。福島第一原発の爆発から5カ月後の2011年8月からは、山形県米沢市への〝週末避難〟をした。県外への避難も当然、考えた。しかし、子どもたちは転校に難色を示した。夫も仕事の関係で福島を離れるのは難しい。年老いた両親を残したまま逃げられるのか…。〝週末避難〟は、重苦しい家族会議を重ねた末の結論だった。平日は福島市の自宅で、週末は米沢で過ごす日々が続いた。子どもたちにはマスクを着用して登校させた。
 福島市産の米を使った学校給食へも不安が拭えず、毎日おにぎりを握って持参させた。それも子どもたちにはストレスとなった。ほとんどの子どもたちが出された給食をそのまま食べている中で1人だけおのぎりを食べていれば、クラスメートから心無い言葉を容赦なく浴びる。「僕は明日から学校の給食を食べるよ」。息子は決して母を責めなかった。家族みんなが疲弊していた。
 夫は原発事故前から進めていた自宅の建て替えで頭を悩ませていた。2011年夏の時点で、自宅敷地内の空間線量は1・5μSv/hから2・5μSv/hに達していた。特に父親が手入れをしていた庭園は汚染が酷かった。庭園を解体すれば放射線量は低減するだろう、と父親に何度も打診したが、首をたてに振らない。とうとう「もっと冷静になれ」と怒り出してしまった。原発事故さえ無ければ起きる事の無かった父親との〝対立〟に、夫はストレスから体調を崩した。
 建築関係の仕事上、普段から県外から働きに来ている作業員と接していた。原発事故を受けて、彼らが会社からの指示で福島から去っていく姿に心は乱れた。仕事は、残された夫たちがカバーした。
 「非常に虚しくなり、仕事をしているのが馬鹿らしくなりました。本当にここ福島は大丈夫なのだろうかとつくづく思いました」。一方で、作業員たちが去っていく土地に暮らしながら家族を守ろうと必死になっている自分がいる。新聞には当時、「通常の478倍の放射線量」という見出しが躍っていた。「あり得ない数値」と夫は言った。精神的なストレスは蓄積されていく一方だった。しかし、東電側から提示された賠償額は一律4万円。「ここに住んでいる私たちは何なんだ」。怒るのは当然だった。
 米沢への〝週末避難〟は2年間で終了した。それまで家賃の負担無く部屋を借りられていたが、米沢市役所の職員から「子どもたちが米沢以外の学校に在籍していると、今後は家賃補助が継続出来ない」と告げられた事がきっかけだった。「迷った末に仕方なく終えました」と妻。被害者に寄り添わず、被曝リスクを全否定する東電の姿勢に、こう言って反論した。
 「子どもたちを被曝させた東電が憎いです。原発事故前の身体に戻して欲しいです。親である以上、わが子の健康被害を心配し続けるのは当然です。それは理屈じゃ無い。母としての本能です。誰にも否定されたくありません」




法廷での本人尋問を終え、ようやく緊張から解放された原告たち。福島県外への避難・移住が叶わず、これまでもこれからも放射性物質と共に中通りに暮らしている事による苦悩や哀しみを、それぞれの言葉で訴えた=福島市市民会館

【東電「結局は避難しなかったじゃないか」】
 「東電は原発事故の真実を隠蔽した。私たちは無用な被曝をさせられました。その私たちに謝罪の言葉も無く、大人1人4万円の賠償金を支払って居直っています。ふるさと福島をメチャメチャにされました。生きる糧であった家庭菜園はいまだに再開出来ないでいます。子どもたちに同じような想いをさせてはならない、と訴えました」
 やはり福島市に住む60代夫婦は、夫が先に本人尋問に臨んだ。空間線量だけでなく、土壌の汚染濃度など、これまであらゆる数値を記録し、それらを4通の陳述書にしたためた。家庭菜園に接する雨どい直下の土壌は、2017年になっても4767Bq/kgに達している。数値を記録するだけでなく、短期保養を繰り返して、少しでも放射線から離れて体内の放射性物質を排出しようと努めた。「南相馬の人々が避難するのならば、さらに空間線量の高かった私たち福島市民が避難・保養をするのは当然です」。メガネを外し、あふれる涙をハンカチで拭いながら叫ぶように語った。
 かわいくてしかたなかった孫。原発事故さえ無ければわずか10分ほどで会いに行かれた孫は、新潟県へ〝自主避難〟して行った。その判断は正しかったと思いつつも、孫が遠く離れてしまって寂しい。生後8カ月から世話をした孫に、手さぐりでオムツを替え、ミルクを与えた。「初めはめんどくせえなぁとも思った」が、やがて孫は自分を「じいじ」と呼んだ。愛おしさが湧き上がった。しかし、今や可愛い孫に会うには往復4時間以上かけて車を走らせないとならない。
 娘への想いも吐露した。三女は短期避難を重ねた末に、関西に移り住んだ。放射線のリスクから逃れられるとホッとする反面、「寂しいです。県外に出したくないという想いと行ってくれという想いとで困っています」と苦しい胸の内を明かした。
 「新聞などで『健康に影響は無い』とする報道もあり、(福島市は)政府による避難指示も出ていない。周囲の人々も避難をしているわけでは無いという事も、避難をしなかった背景にあったのでしょうか。実際には避難をしなかったわけで、避難をする必要性は感じていなかったのではないでしょうか。本当に身体に危険があると思うのであれば、やはり避難するのかなあと思ったものですから」
 被告東電の代理人弁護士は、猫なで声のような穏やかな口調ながら、妻を徹底して攻めた。放射線への不安を口にするのなら避難すれば良かったじゃないか。結局は心のどこかで「大丈夫」と考えていたからこそ、避難を選択しなかったのではないか。そういう論法だった。実はこれこそ、この訴訟の根幹部分であり、原発事故以来「避難指示区域外」と呼ばれる福島県中通りが抱える苦悩の核心部分なのだ。
 公的避難制度が確立されない中、避難したくても出来ない人々が相次いだ。この夫婦もそうだった。「いえ違います」。妻の答えは明快だった。本当に危険性を認識していなかったのであれば、夫と共に放射線量を測定などしなかった。「食べて応援」、「風評払拭」の大きな波の中で、本心を押し殺して暮らしてなどいない。行政による除染が待ち切れずに行った〝自主除染〟などするはずが無い。




閉廷後の〝反省会〟で本人尋問を振り返る原告たちと野村吉太郎弁護士。本人尋問はあと2回、来年3月まで続く。原告たちは〝本番〟までに野村弁護士とリハーサルを重ねる。原告の1人は「本番を迎えるまでが命を削る日々」と表現した

【「なぜ加害者側が賠償額を決めるのか」】
 福島市の70代女性は、県外への〝自主避難〟を継続している息子夫婦を「判断はもちろん正しかった」と評価した。宝のような孫と離れるのは寂しい。しかし、側溝の空間線量が8μSv/hに達する中で、孫を守るには避難しか無かった。今も洗濯物は屋外に干さないようにしている。食材は福島県産で無いものを選ぶようにしている。たとえ数値が低くなろうとも、残念ながら低線量被曝は続く。視力も落ち、一昨年には白内障の手術を受けた。「あれほど視力は良かったのに…」。もちろん、白内障と原発事故の因果関係について、主治医から明確な言葉を得たわけでは無い。そんなもの、誰にも立証など出来ない。しかし、もしかしたら…。そう考えざるを得ない事自体が、原発事故のもたらした被害の1つだ。
 別の70代女性は、将来の健康被害が心配で自律神経失調症を患った。眠れない日々が続いた。生きがいだったガーデニングも楽しめなくなった。被告東電の代理人弁護士は、ふくしま市政だより(福島市役所の広報紙)や2011年当時の新聞報道などを挙げながら、原告たちの抱く不安が過剰であると盛んに繰り返す。しかし、女性は「今でも安心出来ません」と言い切った。国や専門家の言葉も信じられないでいる。
 最後に法廷に立った福島市の60代女性は、穏やかな口調ながら、しかし時に強い口調できっぱりと言った。
 「東電は私たち被害者から何も聴く事無く査定し、4万円を支払った。放射線への恐怖は決して一時的なものではありません。今も、3・11の映像がテレビなどで流れると、当時の恐怖や苦しみが大きなかたまりとなってのど元まで上がってきます。泣きそうになります。どれだけ悩んだかを知ってもらいたいです」
 警察官である夫から「娘を連れて逃げろ」と連絡が来た。しかし、郡山で暮らす年老いた両親や放射線におびえながら暮らす友人たちを置いて逃げる決心がどうしてもつかなかった。自分だけ逃げる事が出来なかった。それでも、気づけば東京行きの高速バスに娘と飛び乗っていた。座席についた瞬間、全身の力が抜けて行った。埼玉県内への避難は短期間だったが、今も放射線への不安は拭えていないという。
 「放射性物質と共に生きるという覚悟を決めたとは言え、不気味さには変わりありません。何も好んで決意したのではありません。ここで暮らしていくしか無い以上、自分をだますしか無いんです。福島が安全だと言い切る官僚やテレビのコメンテーターには、幼い子どもを連れて福島に住んでから言え、と言いたいです」
 そして、東電の姿勢をこう批判した。
 「加害者側である東電が賠償額を決めるのは理不尽です。被害者に何も聴かないで、どうして精神的損害の大きさが分かるのでしょうか。まるで、ご主人様が使用人に金を与えるようなやり方です」
 閉廷した時、裁判所の外はすっかり暗くなっていた。次回口頭弁論期日は2019年1月25日午前10時45分。次回も原告への本人尋問が行われる予定。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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