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【中通りに生きる会・損害賠償請求訴訟】「被曝の心配は取り越し苦労では無い」「事故前の福島に戻して」~2018年の原告本人尋問で福島地裁の法廷に響いた原告の怒り、嗚咽、悲哀

「中通りに生きる会」(平井ふみ子代表)の男女52人(福島県福島市や郡山市、田村市などに在住)が原発事故で精神的損害を被ったとして、東電を相手に起こした損害賠償請求訴訟(福島地方裁判所)。今年は2月7日の口頭弁論期日から原告に対する本人尋問が開始。11月15日まで計5回、朝から夕方まで、主尋問に加えて東電側代理人弁護士による反対尋問が行われた。福島地裁の法廷に何度も響いた原告の怒りや嗚咽、悲哀には、中通りに暮らす人々の原発事故に対する想いが凝縮されている。年の瀬に原告たちの言葉をかみしめたい。2019年も原告本人尋問は続く。原発事故は終わっていない。


【「事故前と同じ環境とは到底思えない」】
 「逃げるのも地獄、逃げないのも地獄でした。そんな地獄の状況をつくったのは東電の原発事故。東電に私の避難を云々する資格は無い」
 会の代表を務める平井ふみ子さん(福島市在住)は、嗚咽を激しく漏らしながら語った。原発事故直後の2011年3月20日、独り、バスで12時間かけて埼玉県所沢市に住む娘の家に一時避難した。福島市には政府の避難指示も屋内退避指示も無かったが、事故の〝加害者〟に避難の必要性を否定されるのは我慢がならなかった。東電が「福島市の自然は奪われていない」と主張するのにも「私の町内の農家は耕作しなくなりました。大好きだった山菜やキノコも採れなくなりました。山々は除染されていません。自然は奪われていないでしょと軽くおっしゃるのは、私には耐え難いです」と反論した。
 「100mSv以下では健康影響が出ないという証拠はどこにもありません。毎日ビクビク、生きた心地がしなかった」と述べたのは植木律子さん(福島市在住)。
 何もお金が欲しくて訴訟に加わったわけではない。しかし、東電に償ってもらうには金銭に換算するしか無い。「(東電から既に支払われた)12万円だけでは、精神的損害の賠償としては足りません」
 別の女性原告(福島市在住)は原発事故後、大好きだった花見山や小鳥の森での散策をしなくなった。「山に入るなど考えられません。生活の潤いがなくなってしまいました」。放射性物質に色が付いていたら良いのに、と考えた事もある。
 息子家族の自宅を自主除染した後、目を患った女性原告もいる(福島市在住)。主治医も首をかしげるが原発事故が原因とも言い切れない。しかし「息子にしてあげられる精一杯の除染でした。原発事故が無ければそんな事をする必要も無かった」のは確かだ。別の女性原告は「放射能は目に見えません。五感で感じる事の出来ない〝サイレントキラー〟。被曝の心配は取り越し苦労ではありません」と述べた。放射性物質が降り注いだ街で暮らすとは、そういう事だ。
 閉廷後、こう語った原告もいた。
 「東電の代理人弁護士は現実的に福島に住んだ事も無い。1週間も生活した事の無い人たちが机上の資料ばかり提示して、ものすごく『ごせやげる』(腹が立つ、の意味)。聞いていられない」
 福島市在住の女性原告は「マンションの一室に子どもと閉じこもり、窓を閉め、換気扇をふさいで、息を止めて、じっと『これからどうなるんだろう』ととても怖くて怖くて…」と原発事故後を振り返った。「原発事故前と同じ環境とは到底思えません。少しでも安全な場所で、安全な環境の中でわが子を育てたいと思うのは(母親の)本能だと思います。避難指示や屋内退避指示の有無とか、そういうものと私の心配とは関係ありません。そもそも、原発事故さえ無ければ食品検査も県民健康調査も必要無かったんです。原発事故の無い、遠い遠い所へ逃げ出して、何も心配せずに暮らしてみたいと、いつも感じています」。
 双葉郡浪江町津島に生まれ育ち、その後長く福島市で生活している70代の女性原告は、原発事故によって故郷を奪われ、穏やかな日常も汚された。故郷にも福島市にも降り注いだ放射性物質。福島市に住み続けて大丈夫なのだろうかと思い悩んだ。
 「出征兵士を見送るようなな気持ちで長女と孫を避難させました。東京に生かせて大丈夫なのだろうか。避難生活はいつまで続くのだろうかと心配でした。でも今、避難させなければ娘や孫を守れません。確かに避難指示は出されなかったけれど、孫をこの地に住まわせる事は出来ませんでした。避難させた後は、胸に空洞が出来たような寂しさで、何も手につきませんでした」
 被告・東電の代理人弁護士に言わせれば、放射線を避けようとする原告たちの判断は「大げさ」。それどころか「平常通りに暮らしている人もいるというのはご存じでしょうか」とまで言う。それに対し、原告の女性はこう反論した。
 「平常通りに暮らしているように見えても、心までは見えませんから。皆さんがどういうお気持ちで暮らしているかは分かりません」




(上)原発事故さえ無ければ、法廷の真ん中で尋問を受ける事も無かった。緊張で手も足も声も震える。それでも原告たちは勇気を振り絞って怒りや哀しみを口にした
(下)福島市内の住宅で行われた汚染土壌の撤去作業。なぜ宅地除染で生じた汚染土壌を自宅敷地内に埋設しなければならないのか。せめてそれによる精神的損害を償うべきだ、とする原告たちの主張はもっともだ

【「正確な情報を提供してくれなかった」】
 家族とともに福島市内で果樹園を営んでいる女性原告は、「原発事故被害を無かった事にはされたくない。子や孫に記録を残したい」と訴訟に臨んだ。桃やリンゴ、サクランボを育て、美味しい果物を消費者に届けてきた。そこに降り注いだ放射性物質。無我夢中で山形県南陽市に避難したが、農作業の遅れを心配した家族の強い希望で帰還。しかも生産・出荷しなければ東電が営農損害を補償しない方針を打ち出したため、本意では無いが自身も農作業を再開した。畑に出たくない。しかし、作らなければ被害が無かった事にされてしまう。葛藤を抱えながら、マスクをして畑に出た。暑さのあまり、脚立から落ちそうになった事もあった。「泣く泣く農作業をしました」。
 別の女性原告も「日々、放射線量を気にしながらの生活。この苦悩はいつまで続くのでしょうか」と訴えた。「福島市が安全ならば、なぜ除染をしたのでしょうか。そもそも正しい知識とは何なのか。原発事故後、私たちに正確な情報を提供してくれなかった。原発の安全性を信じていた私は裏切られました。東電に対しては強い怒りがあります」。
 「出来る事なら今からでも避難した方が良いかなと迷いはある」と述べた女性原告もいた。そんな想いも被告・東電の代理人弁護士は「過剰な反応」と言わんばかりに一蹴した。
 「原発事故は私の人生を大きく変えた。ささやかな幸せを奪ったんです」
 福島市在住の60代女性は、息子夫婦や孫との楽しかった日々を涙ながらに振り返った。原発事故さえ無ければ、放射性物質の大量拡散さえ無ければバラバラにされることの無かった家族。「今の私は命があるからただ生存しているだけ。心の真ん中は空っぽです」。悔しさをぶつけるように語った。
 70代の男性(福島市在住)は、年金を受給しながら地元紙の新聞配達のアルバイトで生計を立てていた。阿武隈川沿いを配達しながら男性は考えた。「放射性物質を含んだ空気を吸いたくない」。新聞配達の仕事を辞めた。「そもそも、悲観的になる事自体が原発事故による損害なんです。わずか4万円の慰謝料では到底、納得出来ません」。
 中通りで娘と暮らす40代の女性。10代の娘はガンと闘っている。もちろん、主治医が「原発事故が原因」と判断したわけでは無い。断定は出来ないが、調べれば調べるほど考えられる原因は低線量被曝しか考えられない。県外避難が叶わず福島県内で生活して行かなければならない以上、出来る限り気を付けてきたつもりだった。娘は今後も、苦痛を伴う検査を3カ月から半年ごとに受けなければならない。「原発事故が起きずに娘がガンを発症していたら、こんな事を考えずに病気を受け入れられたと思います。原発事故さえ無ければガンにならなかったのではないか、と考える事自体が苦痛なんです。悔しくて仕方ないです」。
 愛犬を亡くした哀しみや食材を巡って家族といさかいが生じてしまったつらさを語ったのは、福島市の60代女性。「原発事故が無ければ娘たちと別れる事も愛犬が亡くなる事も無かった」。大切なものを奪われた悔しさは晴れないままだ。
 長年、看護師として働いた経験から、孫への健康影響を案じているのは福島市の70代女性。外遊びを禁じても屋外に出て石や土に触れようとする孫に「駄目」と叱ってばかり。「理想的な孫育てが出来なくなりつらかった」。別の70代女性は、いつ行われるか分からない行政の除染作業を待てず、里帰り出産をする娘のために自主的に自宅の除染を行った。「安全な環境を用意してあげるのは親として当然です。そんな必要無かったなんて言って欲しくない」。
 60代の女性も、泣く泣く福島市から避難先の山梨県へ孫を送り出した。「宝物であり財産。かわいくてしかたない」孫を、大地震直後の給水の列に並ばせてしまった事を女性は今でも悔いている。大好きな山菜は食べられなくなり、家庭菜園もあきらめた。原発事故さえ無ければ家族をバラバラにされる事も無かった。
 しかし、被告東電の代理人弁護士は反対尋問で「「専門家は、原発事故直後から『(福島市内で)洗濯物を屋外に干しても、子どもを屋外で遊ばせても問題無い』と言っていた」、「文科省は3・8μSv/h(年20mSv)以下であれば校庭を使っても良いとする通知を出していた」、「100mSv以下の放射線被曝による確率的影響を疫学的に検出することは困難、という知見を知っているか」などと原告たちが原発事故以降に抱き続けている不安や苦痛を全否定。食材を巡る家族間での言い争いも、県外避難に伴う家族の離散も、高圧洗浄機などを使っての〝自主除染〟もそもそもが必要無かったと繰り返した。




(上)被告東電の代理人弁護士が何度も示した「ふくしま市政だより2011年4月21日号」。山下俊一氏らの〝専門家〟が「原発事故後も安全だ」と言っているのにそれでも不安なのか、と東電側は原告を責め立てた
(下)「既に支払った賠償金で十分だ」と主張する被告東電側の準備書面。原告たちの不安や精神的損害を全否定している

【「私たち福島県民を全く理解していない」】
 50代の母親(福島市在住)は、原発事故前から埼玉県内で暮らす娘の甲状腺ガンについて述べた。もちろん、娘の甲状腺ガンが福島第一原発から放出された放射性物質に起因していると決めつけているわけでは無い。しかし、放射性物質が福島県内だけにとどまったわけでは無い事もまた、事実だ。
 「個人差があるので、原発事故当時18歳以上だったとか、福島に住んでいなかったとかは判断基準にならないと思います。娘は酒も飲まず、タバコもほとんど吸わない。近親者に甲状腺ガンになった者はいません。そう考えると、原発事故の影響ではないかと私は考えています」
 別の50代女性(福島市在住)は娘の結婚が破談になった。2011年春には結婚式を挙げる予定になっていた。しかし、交際相手の親から「福島に住んでいる娘さんは放射能の影響の心配がある。嫁にする事は出来ません。息子は長男。孫も含めてずっと被曝リスクへの不安をしなければならない結婚には賛成出来ない。反対します。嫁にはもらえません」と何度も繰り返された。
 60代女性(福島市在住)は、原発事故後に山形県内に避難すると、勤務先から「もう来なくて良いよ」と告げられ、退職を余儀なくされた。幼いころから大好きだった福島。「心の土台でした。でも、原発事故のせいで全て壊されてしまいました」。
 「原発事故さえ無ければ、避難を巡って家族間で確執が生じる事もありませんでした」。そう語ったのは40代女性(福島市在住)。低線量被曝への不安を抱きながらの7年間。子どもの通う学校の校長に除染を求めると「あなたのように不安を抱いていたら、子どもたちが不安になりますよ」と言われ傷ついた事もあった。
 50代女性(福島市在住)は「原発事故は人災です。穏やかな生活を奪った東電を許せません」と怒りを口にした。「食べ物がきちんと検査されて店頭に並んでいる事は知っています。でも、原発事故前は『汚染無し』でした。今でも子や孫には福島県外産の物を食べさせています」。
 勤務先の空間線量が40~60μSv/hにまで達していた事、子どもたちが福島に戻らなくなり、家族の団らんを奪われた事。60代女性(福島市)も、緊張感漂う法廷で様々な「被害」を訴えた。しかし、被告東電の代理人弁護士は意に介せず、これまでと同様の主張を反対尋問で繰り返した。
 「『ふくしま市政だより』や地元紙は当時から、健康に影響は無い、外遊びや洗濯物の室外干しも問題無い、という専門家の意見を掲載している」
 「自然放射線による被曝線量の世界平均が年間約1・5mSvである事とか、インドやブラジル、イラン、イタリアには自然放射線量が高い地域がある事を知っているか」
 「専門家は『現在の状況では、健康リスクが出ると言われる100mSvまで累積される可能性はありません』と言っている」
 原発事故の〝加害者〟からの上から目線の主張に、敢然と反論したのが40代女性(福島市)だった。
 「私たち福島県民を全く理解していないと感じます。私の自宅の庭で言えば、原発事故前の約5倍の放射線量。その中でずっと、普通の生活を心がけて我慢しつつ生きているんです。その事を全く理解してくれていない。誰がどんな〝安全基準〟を持って来ようとも、決して解消されない、つらくて苦しい毎日なんです。その事を分かってもらいたいと強く、強く思います」
 福島市に住む50代の夫婦は、妻が先に尋問に臨んだ。
 「3人の子どもは私にとって命のような存在です。自分よりも大切だと思える存在。その子どもたちが原発事故で被曝をさせられてしまった。原発事故さえ無ければ、将来の健康不安も、週末避難も必要ありませんでした。しかも、賠償額は加害者側が一方的に決めた。悔しくて、腹が立って『バカヤロー』と叫びたい気持ちで陳述書を書きました」
 被害者に寄り添わず、被曝リスクを全否定する東電の姿勢に、妻はこう言って反論した。
 「子どもたちを被曝させた東電が憎いです。原発事故前の身体に戻して欲しいです。親である以上、わが子の健康被害を心配し続けるのは当然です。それは理屈じゃ無い。母としての本能です。誰にも否定されたくありません」
 やはり福島市に住む60代夫婦は、夫が先に本人尋問に臨んだ。家庭菜園に接する雨どい直下の土壌は、2017年になっても4767Bq/kgに達している。数値を記録するだけでなく、短期保養を繰り返して、少しでも放射線から離れて体内の放射性物質を排出しようと努めた。「南相馬の人々が避難するのならば、さらに空間線量の高かった私たち福島市民が避難・保養をするのは当然です」。メガネを外し、あふれる涙をハンカチで拭いながら叫ぶように語った。
 被告東電の代理人弁護士は、猫なで声のような穏やかな口調ながら、妻を徹底して攻めた。放射線への不安を口にするのなら避難すれば良かったじゃないか。結局は心のどこかで「大丈夫」と考えていたからこそ、避難を選択しなかったのではないか。そういう論法だった。実はこれこそ、この訴訟の根幹部分であり、原発事故以来「避難指示区域外」と呼ばれる福島県中通りが抱える苦悩の核心部分なのだ。
 公的避難制度が確立されない中、避難したくても出来ない人々が相次いだ。この夫婦もそうだった。「いえ違います」。妻の答えは明快だった。本当に危険性を認識していなかったのであれば、夫と共に放射線量を測定などしなかった。
 70代の女性(福島市在住)は、県外への〝自主避難〟を継続している息子夫婦を「判断はもちろん正しかった」と評価した。宝のような孫と離れるのは寂しい。しかし、側溝の空間線量が8μSv/hに達する中で、孫を守るには避難しか無かった。今も洗濯物は屋外に干さないようにしている。食材は福島県産で無いものを選ぶようにしている。たとえ数値が低くなろうとも、残念ながら低線量被曝は続く。
 別の70代女性は、将来の健康被害が心配で自律神経失調症を患った。眠れない日々が続いた。生きがいだったガーデニングも楽しめなくなった。被告東電の代理人弁護士は、ふくしま市政だより(福島市役所の広報紙)や2011年当時の新聞報道などを挙げながら、原告たちの抱く不安が過剰であると盛んに繰り返す。しかし、女性は「今でも安心出来ません」と言い切った。国や専門家の言葉も信じられないでいる。
 福島市の60代女性は、穏やかな口調ながら、しかし時に強い口調できっぱりと言った。
 「東電は私たち被害者から何も聴く事無く査定し、4万円を支払った。放射線への恐怖は決して一時的なものではありません。今も、3・11の映像がテレビなどで流れると、当時の恐怖や苦しみが大きなかたまりとなってのど元まで上がってきます。泣きそうになります。どれだけ悩んだかを知ってもらいたいです。放射性物質と共に生きるという覚悟を決めたとは言え、不気味さには変わりありません。何も好んで決意したのではありません。ここで暮らしていくしか無い以上、自分をだますしか無いんです。福島が安全だと言い切る官僚やテレビのコメンテーターには、幼い子どもを連れて福島に住んでから言え、と言いたいです」



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
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