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【94カ月目の浪江町はいま】「復興五輪?聖火リレー?被災町民を二の次にするな」。〝笑顔で餅つき〟の裏にある怒り、報道への不満。「町の現実を知って欲しい」~二本松で交流会

原発事故で福島県双葉郡浪江町から避難し、二本松市内の復興公営住宅「福島県営石倉団地」に入居している人々と二本松市民とが新年を祝う「餅つき交流会」が6日、石倉団地で行われた。つきたての餅に笑顔が広がったが、一方で参加した町民からは「町は復興どころでは無い。現実も知って欲しい」との声も聞かれた。言葉ばかりの「復興五輪」への怒りも根強い。浪江町民は言う。「大手メディアの取材で散々、話して来たけど、こどごとくカットされて来た」。私たちは浪江の人々の笑顔の裏にある哀しみや怒りをどれだけ知っているだろうか。原発事故は終わっていない。


【「浪江のどこが『復興』してるんだ?」】
 全町避難で中通りに避難した浪江町民。避難指示は出されず避難民を受け入れた二本松市民。運動場に設けられた仮設住宅が撤去され、復興公営住宅「福島県営石倉団地」での生活が始まっている浪江町民と二本松市民による初めての餅つき。けんちん汁やつきたての餅に笑顔が広がった。NHKや福島放送のカメラマンが和気あいあいの様子を撮影する。しかし、原発事故から間もなく8年。浪江町民の想いは複雑だった。
 「今日だって『これだけ復興して皆さん元気になった』なんて報道されたんでは困っちゃうよ。みんな和気あいあいなのは事実だけどそれだけではね。それはほんの一部分だから」
 浪江町の幾世橋行政区から避難し、石倉団地に入居している男性は口にした。何も皆が楽しんでいる交流イベントに水を差したいわけでは無い。復興が進んでいる、町民は笑顔で元気、原発事故は終わった、などとばかり思われては困る、という想いがあるのだ。
 「もちろん我がふるさとは無くしたくない。だけど、環境がああだからさ。浪江はテレビや新聞で報じられているような状況では無いですよ。現実はもっと酷い。町民が戻っているのは役場周辺ばかり。家屋解体がどんどん進んでる。そもそも、避難指示って買い物が出来るようになって病院があって介護施設があって。そういうものが整って初めて解除されるものでしょ。車の運転が出来る人は南相馬に買い物に行ったり出来るかも知れないけど、高齢者とか身体の不自由な人は、帰ったって死ねと言わんばかりの状況だよ。一方で水素ステーションとか言ってて未来を考えれば良いかもしれないけどさ、その前にやるべき事がもっとあるんじゃないかな。そう思う。県外の人にはそういうところを見て欲しい。どこが『復興』してるんだって。現実をもっと見て欲しいよ」
 別の男性の避難元は、帰還困難区域に指定されている大堀行政区。「復興してるなんて事になってるけど町は死んでる。復興って言葉は使って欲しくねえんだ。復旧なんだ。役場周りとか、テレビで写す所しか『復旧』出来ていないんだから」と怒りを込めて話した。
 不満は国や行政だけでなく地元メディアにも向けられた。
 「本当の街の姿を放送しようとしたって上司にカットされるんだろう。だから何を言ったって駄目。泥臭い話になると耳を傾けねえんだから。震災直後からテレビや新聞の取材には応じているけど、どこの報道機関も出してくれない。政府も復興してるって事にしたいから、泥臭い話を出されると困るんだろうな。大手メディアは良い所しか使わないんだ。でも、一時帰宅してみると、あの日、地震で揺れた日のまんまだよ。避難指示が解除されたからって、すぐに帰って生活出来るっていうレベルでは無いよ。何百年も経たないと放射線量は下がらないって専門家は言っているのに、たった7年8年で帰れって言うのもおかしな話でね。役場周りは復旧してる、災害公営住宅が出来た、常磐線を開通させる、でも町民はバラバラで町は機能していないよ」






(上)餅つきの後で行われたお話会で、石倉団地の本田昇自治会長は「復興五輪になんか興味無い。そんな事より大事な事がある」と語った
(中)安達地方農民連などが中心となって行われた新春餅つき交流会。つきたての餅に笑顔が広がったが、浪江町民の胸中は複雑だ
(下)約160世帯が入居している復興公営住宅「福島県営石倉団地」。年の瀬に孤独死した男性もいたという=福島県二本松市油井

【「復興五輪なんて言われても…」】
 「オリンピックが最優先課題になっていて、われわれ町民の事は二の次になっている気がする。オリンピックにばかり力を入れて聖火リレーがどうのこうのって言ってるけど、だったら(帰還困難区域に指定されている)津島の山でも走ってもらいたいよ。そうすれば町の現状が分かるから。どうせ浪江駅周辺を走るんでしょ。それで『こんなに復興しました』なんてやられたんではね」
 「町に帰れなくて今も避難は続いているわけだけど、ここの団地に入居してる人っていうのは避難民じゃないんだ。統計上は避難民から削除されている。別に入りたくて入っているわけじゃないのにね。帰りたくても帰れない、行くところが無いから入居してるわけであって、位置づけは仮設住宅と何ら変わらないよ。それなのに国はもはや避難民として俺たちを見ていない。そんなに原発事故の被害を隠してえのか」
 もちろん、浪江町民にもさまざまな考え方はある。これらの声が全てでは無い。しかし、2017年3月末の避難指示解除(帰還困難区域を除く)から1年8カ月が経過した2018年11月末の段階でもなお、町内に暮らしている町民が573世帯870人にとどまっている(帰還率4・9%)のもまた、事実だ。
 昨夏の町長選挙に立候補し落選した吉沢正巳さんは「私たちの浪江町は東京電力の原発、放射能漏れ大事故によって、もう町の意味を失い、潰れようとしております。除染をしても放射能は残っています。避難指示を解除しても浪江町の皆さんは帰れません。2万1500人だった浪江町は、やがて10分の1の2000人ほどになっていこうとしています」と訴えたが、町民の多くは、これが避けて通れない現実だと分かっている。
 しかし、世間では「復興」の大合唱。来夏に迫った東京五輪は「復興五輪」と位置付けられ、福島市では野球とソフトボールの試合が開催される。聖火リレーのルート選定も本格化し、特に浜通りの自治体からはロビー活動も盛んだ。しかし、原発事故で避難を強いられた浪江町民たちは言葉ばかりの「復興五輪」など望んではいない。餅つき後に集会所内で行われたお話し会で、石倉団地の自治会長を務める本田昇さん(避難元は請戸地区)は静かにこう話した。
 「僕個人は関心が無いというか興味が無いというか。復興五輪と言われてもピンとこないんですよね。そんな事よりもっと大事なものがあるでしょ。われわれは帰るか帰らないかの選択を迫られているけど、帰りたいけど帰れない人がここの団地に居るんです。避難指示が解除された地区の人は〝自主避難〟ですよ。立場としては。帰ったって生活出来るような状況じゃ無いですからね。ふるさとがあって帰れない、自宅があるのに帰れないというのは本当にみじめです。私のように津波で流されてしまってはあきらめもつくけど、立派な家が一時帰宅するたびに朽ち果てて行くのを見るというのは本当に気の毒だなと思いますよ。みんな帰ろうかどうしようか悩んだ末にここに居るんです。そんな状況でオリンピックだなんて言われても、興味がわかないですよ」
 浪江町商工会の前会長・原田雄一さんも「オリンピックにみんなの目を向けさせて、原発事故を終わらせたいのでしょう。理解出来ません」と語った。
 「聖火リレーのルートに福島第一原発も加えて、野田佳彦元首相や猪瀬直樹元都知事、滝川クリステルさん、もちろん安倍首相にも走ってもらいたい。そのくらい、あの五輪は私たちをいじめてると思いますよ」






(上)町民の帰還が進まず閑散とする浪江町中心部。町民からは「復旧したのは町役場周辺ばかり」との声も聞かれた=2018年1月撮影
(中)町役場に隣接する「まち・なみ・まるしぇ」を視察した安倍晋三首相。しかし、きれいに整備された部分しか見ない為政者に町民の不満は根強い(左は2018年6月に亡くなった馬場有前町長)=2018年4月撮影
(下)福島県の内堀雅雄知事も東京五輪を機に世界に「福島の復興」をアピールしようと考えている。しかし、ふるさとを失ったままの浪江町民にとってはオリンピックどころでは無い=2018年3月撮影

【死後に届いた前町長からの〝詫び状〟】
 井手行政区(帰還困難区域)から避難し石倉団地に入居している男性は「落ち込むのが大嫌いなんで前を向いて頑張っていきたい」と前置きした上で「私もまだ帰れないんです。除染が始まるのは5年先と言われています。除染が始まらないと家屋解体も出来ません。除染が終わるのは10年先になるのではないか。国は避難者が早く亡くなって欲しいなと考えているのでしょう」と口にした。
 石倉団地は外観は立派な団地だ。しかし、入居している町民は口々に「交流が大きく減った」と話す。仮設住宅は壁が薄く、隣室のイビキがはっきりと聞こえるほどでストレスは大きかったが、一方で町民同士の交流もあった。住まいが団地に変わり、静かな自分の空間が得られた反面「隣に誰が住んでいるのかも知らない」と話す町民も。昨年末には、風呂場で倒れて亡くなった独り暮らしの男性が3日後に発見されるという〝孤独死〟もあったという。原田さんは「建物だけ立派にしても駄目なんです。原発事故が破壊したのは地域のコミュニティ。これに尽きます」と指摘する。
 自治会長の本田さんはお話会の中で、昨年6月に亡くなった馬場有(たもつ)前町長から届いた手紙について触れた。それは遺書のようでもあり、詫び状のようでもあったという。
 「亡くなって2カ月ちょっと過ぎた頃に届いたんです。家族か誰かに託していたんでしょう。『町外コミュニティの福島市内への設置に協力出来ず申し訳なかった』、『避難指示解除は時期尚早だったが国の締め付けがきつくて解除を受け入れざるを得なかった』という主旨の事が書かれていました」
 交流会では、福島県内の教師たちの歌声グループ「なごみーず」が「フクシマは終わっていない2018」を披露した。歌と歌の間に語られるセリフは、次のような文章だ。
 「原発事故関連死は震災で亡くなった方の数を超えた。しかし、自ら命を絶った方は関連死とは認められない。避難解除、もう戻れますと言うだけでライフラインの整備は進んでいない。生業を奪われた方の補償もしない東電。7年も経ってようやく福島原発の廃炉を口にした」
 「3・11」から間もなく8年。福島県の内堀知事は「復興は着実に進んでいる」と口にするが、本当にそうだろうか。そもそも「復興」とは何か。放射線に撚り健康リスクは無いと言えるのか。まずは関心を寄せて一人一人が考える事から始めたい。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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