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【原発避難者から住まいを奪うな】本紙記事に寄せられた「自主避難は自己責任」「いつまでも支援求めるな」「早く自立しろ」への反論~避難当事者、中通り在住者、支援者の想い

原発事故で政府の避難指示が出されなかった区域からの避難を継続している〝自主避難者〟。彼らに対する住宅支援策が3月末で打ち切られる問題を取り上げた1月3日号の記事はBLOGOSにも転載され、コメント欄には「支援に依存するな」、「自己責任」、「早く自立しろ」という厳しい意見が相次いだ。そこで、避難当事者、避難せず中通りで暮らしている人々、そして、避難者に寄り添い続けている支援者に、それぞれの立場から〝反論〟してもらった。原発事故さえ無ければ、そもそもする必要のなかった避難。自らの意思で動いた人々への公的支援は本当に不要なのか。改めて考えて欲しい。


【「除染しても土壌汚染続いている」】
 「そもそも『支援』と言う言葉を私達に対して使うのは適切ではありません。これだけの放射性物質を撒き散らした『公害』です。支援などと言われる筋合いは無いと思っています。私達は十分に自分達のお金で頑張って来ました。東電による賠償、国や福島県による支援策は一部に過ぎません。十分と思っていたら大間違いです」
 福島県郡山市から神奈川県に避難。2016年7月からは「避難の協同センター」代表世話人を務める松本徳子さんは怒りをあらわにした。
 「これまで、『なぜ今も避難を続けているのか』と鈴木記者から何度も問われました。そのたびに、次のように答えて来たと思います。除染後も我が家の周辺や娘が通学していた中学校の土壌汚染が改善されていない事、原子力緊急事態宣言はいまだに発令されたままである事、原発から60km離れた中通りにはホットスポットが点在していたにも関わらず事故後は何一つ真実を知らされず、娘は無用な被曝を強いられました。鼻血や下痢、吐き気など体調を崩し、避難せざるを得なかった事を親として許す事は出来ません。放射能で汚染され、夫婦で耕した畑も汚され、このまま娘を安心して福島に戻す事など出来ません」
 そして、こう話した。
 「私達の様な区域外避難者は、今回のような『早く自立しろ』、『いつまで支援を求めているのか』など、意味の分からない言葉を福島県内外から投げつけられて来ました。神奈川県川崎市の6畳一間から始まり娘と二人、夫と離れて二重生活を続けている私達の苦悩など知る筈も無い人たちに『ふざけるな』と言いたいです。子どもや障害者など、棄民された弱者に何の罪があると言うのでしょうか」
 一方、比較的冷静に受け止めているのは、やはり郡山市から静岡県富士宮市に避難・移住した長谷川克己さんだ。
 「実は、コメント欄に寄せられた意見はある意味、正論だと思っています。『いつまでも支援を求めるな』との意見は至極もっともだし、『早く自立しろ』との意見ももっとも。どこにあっても自立を目指すのがまともな大人の姿だからです」
 長谷川さんは「ただ」と続ける。
 「それでも、何らの事情で自立出来ない避難者がいれば、救済の手を考えるのが本来、政府のするべきことであり、ましてや今回は、加害責任者でもある『政府』が必ず果たすべき責任でもあります。さらに私に関して言わせていただければ、『そもそも、自主避難するときに、他人の金や力など全くあてにしなかった。その時の自分も、今の自分も、大人として他人の意見や行動に惑わされず、自力した考えのもとに行動している』との自負があります」
 「そもそも、避難指示が出されなかった中通りから避難する必要などあったのか?」。長谷川さんは、この言葉から始まる議論に反論しようとする時、とても重たい気分になってしまうという。結果として、大半の福島県民は避難を選択しなかった(もしくは避難先から戻った)。その人々まで敵に回している気持ちになるからだという。
 「それでもあえて意見をするとすれば、なぜ政府は『予防原則』に基づき、せめて子どもや妊婦だけでも、少なからず放射能汚染があった地域から一時的にでも避難させるとの処置を取らなかったのか、その判断に人権の尊重はあったのか、というところから議論を始める必要があるようにも思います」
 「結局、〝自主避難者〟は根なし草のような存在なのだろう」と話す長谷川さん。「一つだけ私にもはっきりと自覚している事があります。それは当時、5歳の息子と妊娠中の妻を抱えながら中通りから〝自主避難〟をした自分に、8年経とうとしている今でも後悔は無いという事です」




〝自主避難者〟への住宅支援に対して、インターネット上には厳しい言葉が並ぶ。1月3日付の記事にも「根本的に、自主避難は自己責任ですし、自立することがその人達の最低限の責任です」などのコメントが相次いだ

【「仕方なく低線量被曝を我慢して生活」】
 福島県中通りに暮らしている人々にも〝反論〟してもらった。
 「避難指示が出てないから安全、みたいなイメージを持っている人がいるみたいですが、それは違います。安全とは原発事故前の状態になる事だと思います。除染しても数値が上がってきている所はたくさんあるし、ホットスポットもまだたくさんあります。低線量被爆状態でもありますし、そんな環境に避難先から戻って来て住みたいと思わないのは当然だと思います」
 福島県福島市の50代主婦はそう語る。
 「中通りに避難指示を出さなかったのは、人の命や健康を優先に考えるより、政治や経済や行政運営など、そういう事を優先に考えたからだと思います。私達夫婦のように避難したかったけど色々な事情で出来なかった人は、避難した人達の勇気を称えます。年月は関係ないと思います。原発事故から8年経つけど、安心して住める環境に戻るにはまだまだ足りない年月です」
 「言いたい事を言っている人は、福島に来て線量計で至るところの数値を計って下さい。低線量被爆についてもっと勉強してください。東電のせいで被曝をさせられている私達の身になって考えてください。福島でたくさんの人が生活しているからと言って、その人達が『安心安全』と思って生活していると思ったら大間違いです。ここで生活するしかないから、仕方なく低線量被曝を我慢して生活している、将来の健康に不安を抱えながら生活している人達もたくさんいる事を分かって欲しいです」
 コメント主を「インターネット上でしかものを言えない人々は、何の事実も知らないで勝手な事ばかり言う卑怯物です」と厳しく批判したこの主婦は、こうも言った。
 「自主避難した方々は、今まで受けてきた家賃補助だけをあてに生活しているのではないと思います。ただ、生活するにはお金は必要だし、支援策を頼るのは当然です。東電の責任で起こした原発事故によって被害を被った国民を国や行政が助けてくれなかったら、被害者はどうすればいいのでしょう?国も福島県も互いに責任のなすり合いをしてるだけですね。内堀雅雄知事は知事で、オリンピックに向けて強引にでも元の状態に戻したい。原発事故はもう過去の事で今の福島はもう大丈夫、という流れを作りたいのでしょうね」
 2児の父親でもある福島市の40代男性は、次のように語った。
 「2011年3月11日は上の子どもが小学2年生、下の子どもがまだオムツがとれない乳児でした。断水が続く中、妻は2人の子どもを連れて長い給水の列に並んでいました。当初、空間線量で25μSv/h、外出の際は多くの人がマスクとフード付ジャンパーを着込みました。我が家はその後も避難をすることはありませんでした。しかし、二度とあの時のような体験をくり返したくないし、他の誰にも経験させたくありません」
 「避難をする選択も、しない選択も、どちらも正解です。それはつまり、いつ帰れるかということは一様では無いという事です。しかし賠償や支援の基準を決めるのも、加害者である国や東京電力なのです」
 そう語る男性は、次のように続けた。
 「量の多少にかかわらず、メリットを伴わない被曝のリスクをどう考えるか、物理科学としての議論は様々ですが社会科学的には定規で線を引けるようなものではありません。福島県に住んでいて違和感があるのは、『納税者として福島県のために税金を使う事は許せない』という論理です。もちろん大手ゼネコンばかりが儲かるとかは論外ですし、節約は大切です。しかし、国が推進し、チェックや許認可をしてきた原発の事故です。加害者が国の場合に限って現状回復をしなくてもよいという法律はありません。納税者として許してはならないのは、むしろ、このようなリスクを承知で原発再稼働に突き進む国の政治ではないでしょうか」
 事故を起こした原発の廃炉作業は緒についたばかり。万が一の事が起こらないなどと誰にも言い切れない。
 「あの思いを二度としたくない。あそこに原発を作ってくれなんて自分は一度だって求めていません。そう思ったら、福島第一、第二原発が絶対に重大事故をくり返さない保証が無いというだけでも避難先から帰れない理由としては十分ではないでしょうか。いわゆる〝自主避難〟をされている方の想いとはまた少し違うとは思いますが、現に福島市に住んでいても、避難支援の打ち切りはおかしいと感じています」




3月末で〝自主避難者〟への住宅支援策を完全終了させる福島県。県職員の言い分には「多くの県民が避難せずに普通に暮らしている」、「これ以上の支援は県民の理解を得にくい」があるが、避難せず福島市に住んでいる人々にも避難者への支援継続に理解を示す声はある

【忘られぬ母子避難先での自死】
 「避難の協同センター」は、設立後の2年間で150人を超える区域外避難者の住宅問題や生活問題の個別相談を受けて来た。事務局長の瀬戸大作さん(56)によると、避難先住宅からの退去を強要されてホームレスとなった人、山梨県の山奥で孤立していた母子世帯など、様々な困難事例に直面してきたという。「愛知の寄せ場(日雇い労働の求人業者と求職者が集まる場所)から、片道切符で原発作業員として福島に来たものの、精神疾患を抱えているとの理由で一方的に労働契約を打ち切られ、住居からも追い出されて郡山駅前でホームレス生活を続けていた男性もいました」。
 瀬戸さんにとって忘れる事が出来ないのは、母子避難の末に自死した女性の事だという。
 「私と同い年の彼女は夫からのハラスメントを受けながらも、2人の子どもを大学に進学させるために避難先でダブルワークを続け、大学入学決定後に疲れ果てて自死しました。彼女の遺品整理をしました。『テレビで大丈夫だと言っているのにお前は馬鹿だ。逃げる必要など無いと夫に言われ続けた』、『家族がバラバラになってしまった。原因をつくったのは私』、『夫が怒る気持ちも分かります。あゝ原発事故さえ無ければ…』、『私さえ放射能を気にしなければ、震災前のように暮らせたのかな』という言葉が遺されていました」
 これまで、避難当事者と共に何度も国や福島県と交渉を続けてきた。しかし、そのたびに国の官僚や福島県職員からは「原発事故から8年近くが経過している。そろそろ自立をお願いしたい」という言葉が発せられた。「原発事故の加害者である政府が、期限を決めた自立を強制しているような発言をしています。区域外避難者への住宅無償提供は2017年3月末で打ち切られましたが、生活困窮に直面しながらも今なお70%以上の世帯が避難を継続しています。避難したくても出来なかった、出来る事なら今からでも避難したい、と考えている人も潜在的にいるのです」と瀬戸さんは言う。
 「故郷から遠く離れた避難先は、自身を安定的に『自立』させるようなものではありませんでした。仕事は非正規労働しかなく、地域で孤立し、多くの子どもはいじめを受けました。避難先で孤立を強いられ、厳しい経済状況に置かれました。『自立』を目指せば目指すほど、非人間的な都会での暮らしへの順応が必要だったのです」と語る瀬戸さん。「原発事故被害で苦しみ、家族と自らをを守るために避難してきた皆さんの身体と心を少しずつ温める事もせずに、でもこの国は自立を強制し、身体をまた冷えさせています。私たちは『身体と心を温め合う』、『溜めのある社会』づくりに向けて、少しずつでも活動を続けたいと思います」
 〝自主避難者〟(区域外避難者)への住宅支援策完全終了まで2カ月余。



(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
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