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【96カ月目の飯舘村はいま】〝測定の鬼〟が東京のど真ん中で語る「汚染続く村のリアル」。奪われた自然の恵み、帰還促進、学校再開への疑問~就労不能損害賠償請求訴訟では5月に本人尋問

原発事故後、福島県相馬郡飯舘村内を測り続け〝測定の鬼〟と呼ばれている伊藤延由さん(75)が6日午後、都内で講演し、大手メディアがほとんど伝えない「飯舘村の被曝リスク」について語った。IT企業が村に開設した農業研修施設「いいたてふぁーむ」の管理人として原発事故前に入村。自然の恵みを享受し始めた矢先に放射性物質の拡散に遭った伊藤さん。「土壌は何万ベクレルもあって、元に戻るには何百年もかかるのが実態。それを見極めていきたい」と話す伊藤さんは、東京のど真ん中でこう訴えた。「国からは『放射能は安全』という話しか出て来ない。子どもの被曝リスクを避けてあげられるのは大人だけです」


【「子どもの被曝を避けるのが大人」】
 「飯舘村は、24時間365日被曝し続けるんです。死ぬまで。これが、原発事故が飯舘村にもたらした災いのもとです」
 伊藤さんは自身で作成したパワーポイントの資料を示しながら、飯舘村のリアルな現状について静かな口調で語った。
 村では避難指示解除(2017年3月31日、長泥行政区を除く)から1年後の2018年4月1日、村民の反対を押し切る形で村内授業が再開された。コシノヒロコさんデザインの制服も給食もPTA会費も教科書など全てを無料にしたことが奏功し、避難指示解除地域の学校が軒並み児童・生徒集めに苦心する中、唯一、105人の子どもたちが新たに整備された校舎に通っている。大半が福島市などの避難先で生活しているため、村はスクールバスを用意した。昨年5月には、二枚橋地区の水田で小学生が原発事故後初めて田植えをし、10月には稲刈りをした。
 「村内の学校に通わせている家庭には、家計など様々な事情があるのでしょう。でも、子どもの被曝を避けてあげられるのは大人だけだよな、と思います。田植えにしても、村の教育委員会は『測っていますから』と言うばかり。だから水田の周辺も含めて実際に測ってみたら、空間線量で0・14μSv/hから0・53μSv/h、土壌は472Bq/kgから3591Bq/kgもありました。土手や畔は高いんです。それなのに裸足で田植えをさせるんです。直ちに健康に害があるとは言わないけれど、でも、被曝リスクを避けてあげるのが学校教育なのに、あたかも飯舘村の放射性物質は無害だと思わせるような事をしているのです」
 採取したふきのとうの測定と同時に採取地点の空間線量や土壌汚染密度も測っているが、除染されたはずの野手神地区や沼平地区では軒並み1・0μSv/hを上回った(地上1メートル)。土壌は9800Bq/kgから2万8000Bq/kgに達した。菅野典雄村長の自宅のある佐須行政区だけは0・43μSv/h、843Bq/kgだった。
 「被曝の危険性のある場所で農業を再開させるのは納得出来ない。農作業による外部被曝をどうとらえるか。私は国の言う0・23μSv/hは正しくないと考えています。1mSvを24時間365日で割れば0・114μSv/hが正しい数字だと私は今でも思っています」






(上)(中)飯舘村のリアルな汚染状況について講演した伊藤延由さん。「これからも汚染の実態を見極めていきたい」と話した=渋谷区役所勤労福祉会館
(下)伊藤さんが講演した会場近くの渋谷公園通りには、2016年12月に設置された石碑がある

【「汚染土壌再利用は『福島の問題』ではない】
 新潟県生まれの伊藤さんは2010年3月、IT企業が開設した農業研修所「いいたてふぁーむ」の管理人に就任。自ら2・2ヘクタールの水田と1・0ヘクタールの畑を耕作した。「決して所得水準は高くないが、村の人々の心も食卓も本当に豊かだなというのが実感だった。考えられる遊びは何でも出来た、本当に楽しかった」
 モリアオガエルが育つ豊かな自然の恵み。「2010年の話をすると本当に楽しくて時間を忘れる」という伊藤さん。当時の米作りの写真を披露しながら「米は約8トン、収穫出来ました。当然、全て新米です。美味しくて12月末までに完売しました。翌年に備えて水田を拡大した矢先の原発事故でした」
 始まったばかりの農作業も自然の恵みも全てを破壊しつくしたのが原発事故だった。
 2011年3月14日、村役場近くにそれまで無かったモニタリングポストが設置された。翌15日、44・7μSv/hを計測するが、村民には知らされなかった。21日には村の簡易水道から965Bq/kgの放射性ヨウ素が検出されるに至ったが「同じ日に、長崎大学の山下俊一さんは福島市で〝安全宣言〟をしています。22日の地元紙には「健康上心配ない」との見出しが立てられています。25日には、同僚である高村昇先生が飯舘村に来て、白衣姿で『大丈夫だ』と話しました。放射性ヨウ素が検出されたので村は急きょ、ミネラルウォーターを配りましたが、高村先生は『40歳以下が飲みなさい。年寄りには不要』と言いました。原発事故の矮小化がいち早く始まっていたのです」と伊藤さんは振り返る。
 2017年3月31日に避難指示が解除されたが、村役場の今月1日現在での発表では、帰還した村民や避難していない村民、転入した人などを合計した「村内居住者」は517世帯1034人にとどまっている(原発事故前は6000人を超えていた)。しかし、伊藤さんは「私が見る限りでは、実際に村内で生活しているのはこの半分だと思う」と話す。
 「まだ福島県外に3万人を超える人が避難しているのです(注:福島県庁が把握できていない〝自主避難者〟を含めるともっと多い)。これでオリンピックだ万博だと言われるのは本当に心外です。この人たちが少しでも安住の地を得られるように注力するべきなのに。オリンピックでは福島から聖火リレーが始めるようですが、とんでもない話だと思っています」
 除染で生じた汚染土壌の再利用計画にも言及した伊藤さん。「福島県外にも除染で生じた汚染土壌は存在します。上下水道の汚泥も山ほどたまっています。年20mSv帰還も汚染土壌の再利用も『福島の問題』ととらえないで欲しい。そのうち、自分たちの周りにまき散らされますよ」と呼びかけた。








伊藤さんが使用したパワーポイント資料のごく一部。2010年に始めた米作りは成功し、村の豊かな自然を享受した。しかし、翌年の原発事故で汚染されてしまった。伊藤さんは年20mSv/年での避難指示解除に異を唱え、村内での学校再開や田植えに疑問を投げかける

【「国は『安全』しか発信しない」】
 講演に先立ち伊藤さんは、東京地裁610号法廷(東亜由美裁判長)で午前10時20分から開かれた「就労不能損害賠償」の口頭弁論に原告として臨んだ。
 被告東電は、伊藤さん側が求めた証人尋問と原告本人尋問を了承。東裁判長が「陳述書も出してもらっているので、原告本人への主尋問が60分では長い。証人尋問と合計で60分ではどうか」と打診して原告側が受け入れた直後に、東電の代理人弁護士が「原告への反対尋問は80分か90分間は行いたい」と申し出て、東裁判長や原告側を驚かせる一幕もあった。東裁判長が「武器対等の原則で反対尋問同程度ということで、60分で収めませんか」と提案したが、最終的に証人への反対尋問と合わせて70分間になった。4月24日の期日を経て、5月29日13時半から、伊藤さんへの本人尋問が行われる。伊藤さんに管理人業務を委託していた会社の元役員が証人として出廷する予定。
 講演の終盤、伊藤さんは「東電は『3つの誓い』でADRの和解案を尊重するなどと言っているが、賠償する条件は加害者が決めているんです。賠償指針に触れられていないものは、どれだけ交渉しても一切、出ません。自分たちの決めたルール以外は一切、受け付けません。それでいて8兆円以上も交付金を受けている。加害者は救済されるが、被害者は救済されない。それが賠償の実態です」と語り、聴衆にこう訴えた。「被災者には負うべき責任は一切ありません。原発再稼働も絶対に許してはいけません」。
 「なぜ村に住んで測定し続けるのか?村内の放射線量や土壌汚染について国がきちんと情報発信してくれれば私が測る必要は無いんだけど、『放射能は安全だ』という話しか出て来ないんですよ。確かに空間線量はすごく下がりました。でも、土壌は何万ベクレルもあって、元に戻るには何百年もかかるのが実態なんです。それを見極めていきたいんです。75歳の私は子どもたちよりは放射線への感受性は低いでしょうから。今中哲二先生など、たまたま測定器の提供や指導をしてくれる方が周囲にいたことも大きいですね」
 「余暇の善用ですよ」と笑う伊藤さんの測定は、まだまだ続く。



(了)
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鈴木博喜

Author:鈴木博喜
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