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【子ども脱被ばく裁判】「情報無く、被曝させられた。悔しい」。原告本人尋問がスタート。今野団長の怒り「酷い土壌汚染続く家に子どもと帰れるわけが無い」~第21回口頭弁論

福島県内の子どもたちが安全な地域で教育を受ける権利の確認を求め、原発の爆発事故後、国や福島県などの無策によって無用な被曝を強いられたことへの損害賠償を求める「子ども脱被ばく裁判」の第21回口頭弁論が1日、福島県福島市の福島地裁203号法廷で開かれた。原告団長の今野寿美雄さん(55)に対する本人尋問が行われたほか、2人の専門家証人に対する原告側の主尋問が行われた。次回期日は11月13日。原告1人に対する本人尋問と、郷地秀夫証人に対する反対尋問が予定されている。河野益近証人の反対尋問は12月19日の予定。
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【5歳の息子「パパ生きてた!」】
 パパは、きっと津波に飲まれて死んでしまったに違いない。5歳の息子(幼稚園の年中組)は幼心に父親との別れを覚悟していた。未曽有の揺れ。そして原発事故。〝上ノ原ヒルズ〟と称された浪江町川添の新興住宅街から、母親と一緒に転々と避難をして4日目。避難先のJR古河駅に現れたのは、お化けでもなんでもない。パパだった。
 「子どもと逢った時、『パパ足ついてる!』、『パパ生きてた!』って喜んでいました」。今野さんは法廷のど真ん中で涙声になっていた。
 原発作業員として、福島第一、第二をはじめ、全国の原子力発電所で自動制御の計測器を取り付けたり検査したりする仕事をしていた。高校を卒業後、その仕事を長く続けており、2011年3月当時は女川原発(宮城県牡鹿郡女川町)で働いていた。
 原発事故で放出された放射性物質の影響で女川原発周辺も空間線量が10μSv/hを大きく上回り、外出禁止になった。原発内に3000人近い作業員が〝缶詰め〟状態になった。辛うじてBS放送を観る事が出来、NHKのニュースを観ていた。「どこかの配管が破断して水漏れを起こしているんだろう」。誰ともなく、そんな話になった。「浪江は大変な事になっているだろうな」。今野さんは、連絡の取れぬ家族の身を案じていた。「子どもに被曝させるような事があれば、それは虐待と同じですから。避難させたいと思うのは親として当然です」。
 津波被害で通れなくなっていた道路が復旧しても、外出禁止は解けなかった。時間だけが過ぎていく。3月15日。我慢の限界だった。
 「自己責任で構わない。家族の元に行かせてくれ」
 7人の仲間と共に、計8人で1台の車で郡山駅を目指した。途中、石巻市付近で携帯電話がつながり、妻子が茨城県古河市の親類宅に身を寄せている事を知った。郡山駅で仲間と別れ、タクシーで古河駅に向かった。妻と息子の無事を確認した時、時計の針は20時を廻っていた。「原発避難」という名の親子3人での流浪が始まった。

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原告本人尋問のトップバッターとして、原発事故当時の混乱や今なお続く土壌汚染について法廷で述べた今野寿美雄さん。以前の口頭弁論期日に一人息子を連れて出席した事もあった。「土壌汚染を考えると、息子を連れて浪江に帰るなんて考えられない」と語る=福島市市民会館

【ベントもSPEEDIも隠され、津島へ】
 巨大地震の翌日、2011年3月12日に福島第一原発1号機では「ベント」と呼ばれる放射性物質を含む水蒸気を外部に放出する作業が実施されている。今野さんはこれを「知らなかった」と語り、「もし、その時点で家族と連絡が取れていたら、『とにかく遠くへ逃げろ』、『安定ヨウ素剤を飲ませてもらえ』と伝えていたでしょう。ベントをするのであれば、住民に安定ヨウ素剤を服用させ、避難をさせてから実施するべきでした。しかし、現実には住民を被曝させてしまった」と述べた。 
 家族3人で古河市内の親類宅に身を寄せていたが、原発事故関連の情報が全然入って来ない。業を煮やした今野さんは、町役場の機能が移転した二本松市東和地区(福島第一原発から西北西に約45キロメートル)に4日間、車で通った。片道5、6時間を要したが結局、放射線に関する情報はあまり得られなかった。東和地区では体育館で寝泊まりする事も出来たものの、あまりにごった返していたので遠慮して車中泊を続けたという。
 ちなみに、二本松市役所東和支所に設置されたモニタリングポストでは、2011年3月18日13時59分に4・93μSv/hが計測されている。3月25日は2・18μSv/h、3月31日は1・64μSv/hだった。「あの後2年間くらい、鼻血が出るようになりました。東和地区で車中泊をしていた時に吸い込んだのだろうと思います」。当時、今野さんは線量計を持っていなかったという。
 4月になり、家族で猪苗代町内の温泉宿に移動。9月には福島市内に住まいを確保した。その間、息子が茨城県東海村でホールボディカウンター(WBC)による内部被曝検査を受けたが、測定下限値が500Bq/kgで驚いたという。「500Bq/kgなんて、ありえない。そんな測定に意味が無いと思いました。もちろん、息子は『不検出』でした。500Bq/kgも検出されたら大変です」。
 「原発事故直後を思い返してみて、一番残念に思う事は何か」と代理人弁護士から尋ねられ、今野さんはこう言った。
 「浪江町民はベントを隠され、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報も隠され、後に帰還困難区域に指定された津島地区に避難するよう指示されました。私の妻子も津島に行きました。被曝させられたのです。悔しいです」

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河野益近さんが今野さんの避難元自宅周辺で行った土壌測定の結果、4万Bq/kgを超えている事が分かった。福島県外の国道上の土からは8000Bq/kgを超える汚染は確認されておらず、今野さん宅の汚染の酷さが良く分かる

【「4万Bq/kg超の場所には帰れない」】
 反対尋問では、国の代理人が「なぜ避難指示が解除されたのに戻らないのか」という点を、遠回しな表現ながら盛んに質した。
 「(今野さんの避難元は)2017年3月31日に避難指示(居住制限区域)が解除されています。当時の住まいに戻るとすれば、昨年4月に開校した『なみえ創成中学校』に通う事になると思います。なみえ創成中学校に設置されたモニタリングポストの測定結果は現在、約0・08μSv/hである事はご存じですか?」
 同校のある幾世橋地区は原発事故直後から空間線量が比較的低く、避難指示も最も低い「避難指示解除準備区域」。2013年12月31日時点の空間線量は0・24μSv/hだった(同じ日の「中上ノ原町営住宅」の空間線量は、約10倍の2・39μSv/hだった)。「居住制限区域」に指定された今野さんの避難元自宅とは4~5キロメートルほど離れており、歩けば1時間近くかかる。そのうえ、開校にあたっては旧浪江東中学校を大幅に改修。校庭に人工芝を敷くなどの工事が行われたため、空間線量が低いのは当然とも言える。
 しかも、今野さんには最も心配なデータがあるのだ。
 京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻の元教務職員・河野益近さんが昨年、避難元自宅周辺の土壌を調べたところ、放射性セシウムの合算で4万2520Bq/kgもの汚染が確認されたのだ。今野さんは法廷で「(1平方メートルあたり)250万ベクレル」と何度か口にしたが、それは換算値。河野さんは「単純換算は出来ないが、イメージとして、そのくらい酷い汚染なんだという意味で受け止めて欲しい」と語る。ちなみに、河野さんは福島県外の国道でも土を調べているが、8000Bq/kgすら超える結果は出なかった。それだけでも、4万Bq/kgを超える汚染の酷さが良く分かる。
 今野さんの避難元自宅は地震による損傷はほとんど無く、放射性物質による汚染以外は非常にきれいな状態だ。戻れるものなら戻りたい。しかし、戻れば放射性微粒子が待ち構えている。子どもがそれを吸い込んで内部被曝してしまうのではないかと考えたら、今野さんに「戻る」という選択肢は無かった。既に解体申請を済ませており、来月にも環境省の立ち会い調査が行われる。
 「除染しても自宅周辺にそれだけの汚染が存在するんです。子どもを病気にしてしまいます。だから帰れないのです」



(了)
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鈴木博喜

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