【就労不能損害賠償】東京地裁の判決は「請求棄却」。主張退けられ「覚悟していたが…敗訴は悔しい」と飯舘村・伊藤延由さん。控訴検討するも断念
- 2019/11/20
- 05:30
原発事故による就労不能損害賠償を東電が一方的に4年で打ち切ったのは不当だとして、福島県相馬郡飯舘村の伊藤延由さん(75)=新潟県出身=が起こした訴訟で、東京地裁(東亜由美裁判長)は10月30日、「原発事故が発生しなければ、2015年3月以降も就労する事が出来たと直ちに認める事は困難」などとして、伊藤さんの請求を棄却した。伊藤さんは控訴も検討したが断念。敗訴が確定し、「負けは覚悟していたが、ようやく手にした職場を奪っておいて、就活しなかったとか就労の必要が無かったとか一方的に言われるのは納得いかない」と悔しさをにじませている。

【「事故無ければ死ぬまで働けた」】
裁判の争点は、飯舘村内にあった農業研修施設「いいたてふぁーむ」(コンピュータ・システム関係事業会社が2010年4月に開設)の管理人契約を2014年3月をもって打ち切られた事と原発事故との因果関係が認められるか否か。
伊藤さんが住み込みの管理人として働いていた「いいたてふぁーむ」は原発事故後の避難指示に伴い業務を停止した後、再開を断念。2014年3月、70歳の時に伊藤さんからの申し出で雇用契約が解除された。2014年4月から2015年2月までの11カ月間、就労不能損害賠償金として計220万円を東電から受け取ったが、原告の伊藤さんは「原発事故が無ければ平均余命まで管理人として働く事が出来たのに、なぜ加害者が一方的に事故発生から4年で賠償を打ち切るのか」として、約2370万円の支払いを求めていた。
2017年12月の意見陳述で、伊藤さんは「〝終活〟を考える年代での再就職活動は困難を極めました」、「被災者に負うべき責任はあるのでしょうか」などと主張。今年6月の本人尋問でも、「身体が元気なうちはあそこでやらせていただくと考えていました。何も無ければ自動的に雇用が継続されると考えていました」、「20数年間、会社の人たちと一生懸命に仕事をして信頼を得た結果、あの仕事(農業研修所の管理人業務)が私のところに来たと思っています」と語っていた。
被告東電は、①伊藤さんの雇用は1年契約で継続的な契約更新は予定されておらず、2015年3月以降も継続して働けたとは言えない②伊藤さんのキャリアから考えれば再就職が難しかったとは言えず、自ら職種を限定し任意の選択により再就労しなかったのだから、就労不能状態と原発事故の因果関係は無い③公共用地の取得に伴う損失補償や雇用保険法の失業給付の例をみても、伊藤さんに対しては、原発事故と相当因果関係のある就労不能損害を補うのに十分な金額を既に賠償している─などとして、全面的に争った。
伊藤さんへの反対尋問では「(雇用契約を)自動更新出来るというのは、あなたがそう思っていただけではないか」、「(雇用主との間で)具体的な合意があったわけでは無いのですね?」、「東電からの賠償金を得ている間は仕事をしなくても生活出来ていたという事か」、「結局、真剣な職探しというのはしていなかったという事でよろしいか」、「探そうと思えば農作業のアルバイト求人はありましたね?」などと質していた。

東京から研修に来た若者たちに飯舘村の自然環境を楽しんでもらいながら少しでも農業に勤しんでもらう。その内容を考えるのも楽しかった。今年6月の本人尋問では、伊藤さんは「夢が叶って幸せを実感していました」と振り返っていた。それを奪ったのが原発事故だった
【「再就職しないのは原告の意思」】
判決で東裁判長は、「原告は本件事故により就労不能に陥った」と認定。しかし、原発事故から3年後の2014年3月までは伊藤さんに月額20万円の報酬が会社から支払われていたことから、「就労不能に伴う減収分の損害が現実化するには至っていなかったと認めるのが相当」と判断した。
さらに、「事故等により就労不能に陥った者は、就労能力と就労意思を有する限り、再就職のために必要な活動を行うことが社会通念上、通常である」、「再就職のための必要な活動を経て、再就職をした上で生活に見通しを付けるまでに社会通念上通常必要と考えられる期間について、1年から長くとも3年程度と考えることには合理的な理由がある」などして、「原告は、本件事故により就労不能に陥ったものと認められるが、これによる損害は2014年3月までの間は現実化する事が無く、また2015年3月以降の期間については、なお原告に、本件事故による就労不能に伴う損害が発生し続けているということが、直ちに通常であるとは認められない」として、伊藤さんの主張を退けた。
判決文には、「(いいたてふぁーむ)開設に当たって、利益計画等が慎重に検討されたという気配はない」、「何年で採算がとれるようになるかの長期的な計画もなく」、「本件事故が発生しなかった場合に、2015年3月以降も確実に事業が継続されていたと認められるほどの経済的基盤を有するものとは認め難い」、「原告と本件会社との間で、期間を定めずに2015年3月以降も確実に継続するとの合意が存在していたと認めることは困難」などの厳しい表現が並んだ。
東裁判長は、「原告自身、ハローワークで職探しをしたのが農業のカテゴリーのみであり、その回数も2回のみである。本件施設での農業のようにやりたいと思えるものがなかったことから、真剣な職探しをしなかったことを自認しているものであり、このような再就職活動の結果、原告が再就労に至っていないとしても、その原因が年齢にあると断じることは、到底できない」、「原告の再就職活動は、就労意思があるにもかかわらず就労不能に陥った高齢者が通常行うであろう活動とはかけ離れたものというべき」、「年金の受給額の存在もうかがわれるなど、就労の必要性のない経済状態にあったとしても自然かつ合理的な事情がある」、「原告が2015年3月以降再就職に至っていないのは(中略)個人の意思で、本件施設におけると同様の農業に従事するのでなければ就労はしないとの選択をしていることによる可能性が極めて高いというべき」などの理由から、原発事故と因果関係のある就労不能に伴う経済的損害の発生を否定。
「原告の請求は理由がないから、これを棄却する」と結論付けた。

東京地裁の判決は「請求棄却」。「原告が2015年3月以降再就職に至っていないのは(中略)個人の意思で、本件施設におけると同様の農業に従事するのでなければ就労はしないとの選択をしていることによる可能性が極めて高い」などと、原発事故による就労不能を全否定した
【ようやく得た職を奪った原発事故】
敗訴が確定し、伊藤さんは「財政的に余裕が無い中であれだけやれたという自己満足はあるが、それにしても悔しい」と次のようなコメントを寄せた。
「ようやく手にした職場を原発事故で奪っておいて、就活しなかったとか就労の必要が無かったなどと一方的に言われるのは納得いきません。なぜ仕事を奪われた私が就職活動をしなければいけないのですか? 奪われた仕事と同等の職を求めるのはわがままですか?
人が仕事を決めるにあたって重要なのは報酬だけではありません。やりがいや満足感など自分が切望する職を得たにも関わらず、私は原発事故で奪われました。にもかかわらず、東電から一度たりとも謝罪を受けた覚えはそもそもありません。
私が失ったのは、人生を通して人間関係を構築し、信頼関係を築いて得た『職』であり、ハローワークの窓口で容易に得られる職ではありません。それを失わせしめておいて、職安に2回しか行っていないとか職を得る必要が無かったなどと言うのは加害者の態度として到底受け入れられません」
会社の名誉のためにも反論したい、として「会長は将来の食料不足を慮り、日頃から『米は自給しよう』と話していました。その実現の場所が『いいたてふぁーむ』であり、決して思い付きで杜撰な計画ではありません。判決では、2015年以降の事業継続を『経済基盤を有しない』と一方的に言っているが、被告の言い分のみを見ているもので全く承服出来ません」と改めて主張。
自身の年金に関する裁判所の判断にも「年金の受給はあるとしても、老後の蓄えなどを考えると健康な限り働いて収入を得ようとするのは当然です。『就労の必要のない経済状態にあったとしても自然かつ合理的な事情がある』なんて、一方的な言いがかりです」と反論した。また、弁護団に対しては「大河陽子弁護士はじめ8名の弁護団が3年間にわたって無償で活動して下さいました」と感謝の言葉を口にした。
東京地裁に提訴した2017年8月、伊藤さんは記者会見で次のように語っていた。
「一方的に加害者が決めた。こんな馬鹿な話がありますか。原発事故から4年で勝手に打ち切っておいて『伊藤さん、運が悪かったね。後は自分で就活しなさい』ですよ。でも、もう70を過ぎて、むしろ〝終活〟の年代。なのに一切、賠償請求を受け付けてくれない。なぜ就労補償を4年で打ち切るというのを勝手に加害者側が決めて、押し付けて、『ハイ分かりました』で済まされるのか。私に何か過失があれば別だが、失ったものを請求するのは当然です。こんな不条理を甘受しなければいけないのですか。被災者が負うべき責任は一切無いと私は確信しています」
しかし、伊藤さんの損失を裁判所は認めなかった。復興大臣だった今村雅弘衆院議員は、2017年4月4日の記者会見で「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない」と語っている。だが、現実には司法は原発事故被害者に厳しい判決を突きつける。なぜ被害者がここまで闘わないといけないのか。
(了)

【「事故無ければ死ぬまで働けた」】
裁判の争点は、飯舘村内にあった農業研修施設「いいたてふぁーむ」(コンピュータ・システム関係事業会社が2010年4月に開設)の管理人契約を2014年3月をもって打ち切られた事と原発事故との因果関係が認められるか否か。
伊藤さんが住み込みの管理人として働いていた「いいたてふぁーむ」は原発事故後の避難指示に伴い業務を停止した後、再開を断念。2014年3月、70歳の時に伊藤さんからの申し出で雇用契約が解除された。2014年4月から2015年2月までの11カ月間、就労不能損害賠償金として計220万円を東電から受け取ったが、原告の伊藤さんは「原発事故が無ければ平均余命まで管理人として働く事が出来たのに、なぜ加害者が一方的に事故発生から4年で賠償を打ち切るのか」として、約2370万円の支払いを求めていた。
2017年12月の意見陳述で、伊藤さんは「〝終活〟を考える年代での再就職活動は困難を極めました」、「被災者に負うべき責任はあるのでしょうか」などと主張。今年6月の本人尋問でも、「身体が元気なうちはあそこでやらせていただくと考えていました。何も無ければ自動的に雇用が継続されると考えていました」、「20数年間、会社の人たちと一生懸命に仕事をして信頼を得た結果、あの仕事(農業研修所の管理人業務)が私のところに来たと思っています」と語っていた。
被告東電は、①伊藤さんの雇用は1年契約で継続的な契約更新は予定されておらず、2015年3月以降も継続して働けたとは言えない②伊藤さんのキャリアから考えれば再就職が難しかったとは言えず、自ら職種を限定し任意の選択により再就労しなかったのだから、就労不能状態と原発事故の因果関係は無い③公共用地の取得に伴う損失補償や雇用保険法の失業給付の例をみても、伊藤さんに対しては、原発事故と相当因果関係のある就労不能損害を補うのに十分な金額を既に賠償している─などとして、全面的に争った。
伊藤さんへの反対尋問では「(雇用契約を)自動更新出来るというのは、あなたがそう思っていただけではないか」、「(雇用主との間で)具体的な合意があったわけでは無いのですね?」、「東電からの賠償金を得ている間は仕事をしなくても生活出来ていたという事か」、「結局、真剣な職探しというのはしていなかったという事でよろしいか」、「探そうと思えば農作業のアルバイト求人はありましたね?」などと質していた。

東京から研修に来た若者たちに飯舘村の自然環境を楽しんでもらいながら少しでも農業に勤しんでもらう。その内容を考えるのも楽しかった。今年6月の本人尋問では、伊藤さんは「夢が叶って幸せを実感していました」と振り返っていた。それを奪ったのが原発事故だった
【「再就職しないのは原告の意思」】
判決で東裁判長は、「原告は本件事故により就労不能に陥った」と認定。しかし、原発事故から3年後の2014年3月までは伊藤さんに月額20万円の報酬が会社から支払われていたことから、「就労不能に伴う減収分の損害が現実化するには至っていなかったと認めるのが相当」と判断した。
さらに、「事故等により就労不能に陥った者は、就労能力と就労意思を有する限り、再就職のために必要な活動を行うことが社会通念上、通常である」、「再就職のための必要な活動を経て、再就職をした上で生活に見通しを付けるまでに社会通念上通常必要と考えられる期間について、1年から長くとも3年程度と考えることには合理的な理由がある」などして、「原告は、本件事故により就労不能に陥ったものと認められるが、これによる損害は2014年3月までの間は現実化する事が無く、また2015年3月以降の期間については、なお原告に、本件事故による就労不能に伴う損害が発生し続けているということが、直ちに通常であるとは認められない」として、伊藤さんの主張を退けた。
判決文には、「(いいたてふぁーむ)開設に当たって、利益計画等が慎重に検討されたという気配はない」、「何年で採算がとれるようになるかの長期的な計画もなく」、「本件事故が発生しなかった場合に、2015年3月以降も確実に事業が継続されていたと認められるほどの経済的基盤を有するものとは認め難い」、「原告と本件会社との間で、期間を定めずに2015年3月以降も確実に継続するとの合意が存在していたと認めることは困難」などの厳しい表現が並んだ。
東裁判長は、「原告自身、ハローワークで職探しをしたのが農業のカテゴリーのみであり、その回数も2回のみである。本件施設での農業のようにやりたいと思えるものがなかったことから、真剣な職探しをしなかったことを自認しているものであり、このような再就職活動の結果、原告が再就労に至っていないとしても、その原因が年齢にあると断じることは、到底できない」、「原告の再就職活動は、就労意思があるにもかかわらず就労不能に陥った高齢者が通常行うであろう活動とはかけ離れたものというべき」、「年金の受給額の存在もうかがわれるなど、就労の必要性のない経済状態にあったとしても自然かつ合理的な事情がある」、「原告が2015年3月以降再就職に至っていないのは(中略)個人の意思で、本件施設におけると同様の農業に従事するのでなければ就労はしないとの選択をしていることによる可能性が極めて高いというべき」などの理由から、原発事故と因果関係のある就労不能に伴う経済的損害の発生を否定。
「原告の請求は理由がないから、これを棄却する」と結論付けた。

東京地裁の判決は「請求棄却」。「原告が2015年3月以降再就職に至っていないのは(中略)個人の意思で、本件施設におけると同様の農業に従事するのでなければ就労はしないとの選択をしていることによる可能性が極めて高い」などと、原発事故による就労不能を全否定した
【ようやく得た職を奪った原発事故】
敗訴が確定し、伊藤さんは「財政的に余裕が無い中であれだけやれたという自己満足はあるが、それにしても悔しい」と次のようなコメントを寄せた。
「ようやく手にした職場を原発事故で奪っておいて、就活しなかったとか就労の必要が無かったなどと一方的に言われるのは納得いきません。なぜ仕事を奪われた私が就職活動をしなければいけないのですか? 奪われた仕事と同等の職を求めるのはわがままですか?
人が仕事を決めるにあたって重要なのは報酬だけではありません。やりがいや満足感など自分が切望する職を得たにも関わらず、私は原発事故で奪われました。にもかかわらず、東電から一度たりとも謝罪を受けた覚えはそもそもありません。
私が失ったのは、人生を通して人間関係を構築し、信頼関係を築いて得た『職』であり、ハローワークの窓口で容易に得られる職ではありません。それを失わせしめておいて、職安に2回しか行っていないとか職を得る必要が無かったなどと言うのは加害者の態度として到底受け入れられません」
会社の名誉のためにも反論したい、として「会長は将来の食料不足を慮り、日頃から『米は自給しよう』と話していました。その実現の場所が『いいたてふぁーむ』であり、決して思い付きで杜撰な計画ではありません。判決では、2015年以降の事業継続を『経済基盤を有しない』と一方的に言っているが、被告の言い分のみを見ているもので全く承服出来ません」と改めて主張。
自身の年金に関する裁判所の判断にも「年金の受給はあるとしても、老後の蓄えなどを考えると健康な限り働いて収入を得ようとするのは当然です。『就労の必要のない経済状態にあったとしても自然かつ合理的な事情がある』なんて、一方的な言いがかりです」と反論した。また、弁護団に対しては「大河陽子弁護士はじめ8名の弁護団が3年間にわたって無償で活動して下さいました」と感謝の言葉を口にした。
東京地裁に提訴した2017年8月、伊藤さんは記者会見で次のように語っていた。
「一方的に加害者が決めた。こんな馬鹿な話がありますか。原発事故から4年で勝手に打ち切っておいて『伊藤さん、運が悪かったね。後は自分で就活しなさい』ですよ。でも、もう70を過ぎて、むしろ〝終活〟の年代。なのに一切、賠償請求を受け付けてくれない。なぜ就労補償を4年で打ち切るというのを勝手に加害者側が決めて、押し付けて、『ハイ分かりました』で済まされるのか。私に何か過失があれば別だが、失ったものを請求するのは当然です。こんな不条理を甘受しなければいけないのですか。被災者が負うべき責任は一切無いと私は確信しています」
しかし、伊藤さんの損失を裁判所は認めなかった。復興大臣だった今村雅弘衆院議員は、2017年4月4日の記者会見で「裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない」と語っている。だが、現実には司法は原発事故被害者に厳しい判決を突きつける。なぜ被害者がここまで闘わないといけないのか。
(了)
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