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【原子力の平和利用】原爆投下から10年後に「原子力研究所」を誘致していた横須賀。署名10万筆超も茨城県・東海村に敗れる。裏で故・中曽根元首相が暗躍?

小泉進次郎環境大臣のお膝元として知られる神奈川県横須賀市。今から60年以上前、「原子力の平和利用」の名の下に、市をあげて原子力研究所を誘致していた事をご存知だろうか。米陸軍キャンプ跡地への建設を目指して10万筆の署名を集めるなど大誘致運動を展開。地元紙も連載を組むなどして〝後押し〟したが、防衛庁の横やりもあって、国は茨城県東海村に建設すると決定。「原子力時代は横須賀から」の夢は消えた。原爆投下と敗戦からわずか10年後、新産業としての「原子力」に沸き、落胆した横須賀。先日亡くなった中曽根康弘元首相の影も見え隠れする当時の〝熱狂ぶり〟を振り返りたい。
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【市議会も全会一致で誘致】
 「そんな事があったんですね。私も問い合わせを受けるまで知りませんでした」
 横須賀市議会事務局の男性職員が、そう言いながら1956年(昭和31年)当時の「横須賀市議会報」(現在の議事録に相当する)をめくった。
 「!全会一致実現へ! 原子力研究所の誘致 全員協議会開く」
 2月2日午前に開かれた市議会全員協議会。その場で梅津芳三市長が「武山に原子力研究所を誘致することは、市にとってマイナスにはならない。むしろ積極的に良い面をもたらすと思う」などと発言。全会一致で誘致を正式決定し、4日には田村亀雄議長、坂倉等市政特別対策委員長が国や神奈川県を訪れ、陳情書や請願書を提出している。陳情先には、同年1月に発足したばかりの原子力委員会初代委員長で、後に読売新聞社主となりプロ野球・巨人をつくった正力松太郎氏も含まれていた。
 「本市といたしましても交通その他あらゆる点に於て原子力研究所設置の最適な候補地であると確信し、その誘致については全市を挙げて賛成するところでありまして…」
 しかし、その時点では候補地となった武山地区(現在の長坂、御幸浜)は米陸軍が143万平方メートルにわたって広く接収しており、「キャンプ・マクギル」として使っていた。原子力研究所の建設にはアメリカからの返還が必須条件となる。そのため、請願書では次のように求めていた。
 「建設地武山地区の軍使用解除が早急に実現せられ、速かに設置できます様、特別の御措置賜りますことをここ御請願いたします」
 実はこの年の1月、①東京に近い海岸地帯である②1日約600トンの水が使える─などの理由から横須賀市武山地区が原子力研究所の建設候補地の1つに挙げられ、原子力委員による現地調査も始まっていた。武山地区の候補地入りにあたっては、神奈川県三浦市出身の志村茂治代議士(社会党)が動いていた。志村氏は1955年(昭和30年)8月、スイスのジュネーブで開催された第1回原子力平和利用国際会議に中曽根康弘代議士(当時は日本民主党)らと共に出席している。今となっては考えられないが、右派も左派も「原子力の平和利用」へまい進していた時代だった。

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(上)横須賀市議会が全会一致で原子力研究所の誘致にゴーサインを出した様子が、当時の議事録に記録されていた
(中)(下)地元紙・神奈川新聞も誘致問題を連日報道。「アトミックタケヤマ」と題した連載まで組んで誘致を〝後押し〟した

【「漁民の頭には死の灰」】
 市議会全員協議会を境に、横須賀の誘致運動は急加速。横須賀市議会報には「連日市内各地で原子力平和利用の講演会、映画界を開き、また市及び経済界代表などが中央に対し陳情を行うなど拍車をかけている」と書かれている。2月22日には、横須賀市や市議会のほか商工会議所、婦人会、赤十字会、青年会議所、地区労などの代表者が市役所に集まり「日本原子力研究所設置促進連盟」を結成。原子力研究所の武山設置と米軍による接収解除を求める署名運動も展開し、その数は10万5000筆を上回った。これは、当時の横須賀市の人口の実に38%に達する。「原子力時代は横須賀から」と横断幕を貼ったバスを連ねて国に陳情をした事もあった。まさに政財界あげての誘致運動だった。
 米陸軍の駐留が誘致の妨げになっているとして、横須賀市の梅津市長はついに、アイゼンハワー米大統領に対し「研究所誘致の目的を果たすため、ぜひ武山を返してもらいたい」などとする親書を送った。「日本人は平和利用というと広島や長崎の原爆、ビキニの死の灰などを連想する」として、わざわざ原子力の平和利用の重要さを説くほどの力の入れようだった。
 地元紙・神奈川新聞も「原子力研究所誘致問題」を連日、1面で報道。「アトミック・タケヤマ」と題した連載を組み、「エネルギー源のホープさん」、「恐ろしい放射能もハサミと同様使いようによって切れる」、「食糧難追放も夢ではない」などと〝後押し〟した。一方で、1956年2月4日付には武山地区の写真グラフを掲載し、住民たちの複雑な感情を伝えている。
 「地元農漁民の考えはそう簡単に割切ってはいない。とくに素ぼくな漁民の頭にはビキニの死の灰のことがこびりついていて、数回にわたる講演会や映画会などで、原子力の平和利用は原水爆とは異なったものだと説かれても、すぐには納得できないといった表情」
 当時の紙面にはまた、武山選出の市議が「海水が汚染されて評判だけで魚が売れなくなりはせぬかと(地元漁民は)心配している。市長は地元に強い反対がないと言ったが、こうした漁民の漠然とした不安を取除く努力をしてもらいたい」と発言した様子も掲載されている。〝風評被害〟も含めて誘致に不安を抱く市民も少なくなかった事が分かる。

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(上)東海村との誘致合戦に敗れ、当時の神奈川新聞は梅津市長らの怒りの声を報じた。梅津市長は誘致失敗の責任を問われ、失脚した
(下)横須賀市が原子力研究所を誘致した土地は現在、六畳自衛隊武山駐屯地や海上自衛隊横須賀教育隊などが使っている

【雇用創出か国防利用か】
 「『正力委員長その他の専門家にもいろいろつっこんで意見を聴いたが、心配はない』と確信に満ちた答弁を行った」などと神奈川新聞が報じていたように、梅津市長は原子力に対する市民の不安を一蹴。誘致運動の先頭に立ち続けた。当時の横須賀政財界の盛り上がりぶりは、議会で市議から「横須賀全市民が挙げていま放射能ノイローゼといいましょうか、原子力ブームといいましょうか…」と揶揄されるほどだった。しかし、その背景には「脱軍需」を模索する〝海軍さんの街〟ならではの苦悩もあったようだ。「横須賀市史」が次のように解説している。
 「戦後の米軍依存による特需景気も朝鮮戦争の終結により終わり、本市の労働界は重大な危機に直面した。米海軍横須賀基地や追浜の富士自動車株式会社米軍武山キャンプ・マクギルで働く従業員の大量解雇…そこで、市民の総意によって原子力研究所誘致促進連盟を結成…」
 アメリカがキャンプ・マクギルに前向きな姿勢を示し、市民の署名も10万筆を超えた。原子力委員会も最適地としてお墨付きを与えている─。横須賀招致は時間の問題とされたがしかし、政府は1956年4月3日の閣議で「武山は適当でない」と決定した。これを受け、「設置促進連盟」は改めて永田町への陳情を展開したが、原子力委員会は4月6日、原子力研究所を茨城県那珂郡東海村に設置する事を決めた。東海村・防災原子力安全課の職員によると、同村も当時「日立市や水戸市に挟まれて遅れをとらないうよう新しい産業を模索していた」。この結果、東海村は原子力産業の一大拠点となり「村の雇用や財政に大きく貢献した」(村役場職員)。
 横須賀敗北の裏には、防衛族議員たちの思惑もあった。神奈川新聞が当時、「誘致運動も、地元選出の小泉純也代議士(自民党、小泉進次郎環境大臣の祖父)らは『武山は防衛上からかけがえのない土地だ』と原子力研究所設置に反対し、賛成の志村代議士と鋭く対立するなど複雑な様相を呈していた」と述懐している。船田中・防衛庁長官も「武山は数年前から自衛隊の訓練地として(米側に)返還を要求していた。こういう問題は単なる原子力問題だけでなく、広く国家的立場から考慮すべきである」と反対意見を国会で述べていた。また、梅津市長は「設置促進連盟」の解散にあたって「背後に中曽根(康弘)代議士の力が相当強く動いていたようだ。結局横須賀の自民党の政治力が中曽根氏1人に負けたようなものだ」と述べたという。「設置促進連盟」は4月9日付で発表した声明の中で、次のような表現で中曽根康弘氏にの存在を匂わせた。
 「或る者は政治取引だと云う。候補地武山と(群馬県)高崎が引合いとなって、東海村に決定されたと云う感じは、まことに割切れないものが感じられ、武山をもって平和利用より防衛優先ということも納得し難いものがある」
 1958年9月に返還されたキャンプ・マクギル跡地はその後、陸上自衛隊武山駐屯地など多くが防衛施設として活用されている。「原子力時代」は横須賀からではなく、東海村から始まった。あれから60年余。当時の人々は8年前の大震災や原発事故をどのように見ているのだろうか。
 「震災を経験した今となっては、原子力研究所が横須賀に来なかったのが良かったのか悪かったのか…。気持ちは複雑ですし、評価は難しいですね」
 横須賀市職員はそう言った。



(了)
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鈴木博喜

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