【福島原発かながわ訴訟】原発事故から8年9カ月、東京高裁での控訴審始まる。原告団長・村田さんが意見陳述「人間としての尊厳回復する判決を」
- 2019/12/21
- 06:43
2011年3月の原発事故で神奈川県内に避難した人々が国と東電を相手取って起こした「福島原発かながわ訴訟」(村田弘原告団長)の控訴審が12月20日午後、東京高裁101号法廷(白石哲裁判長)で行われた。被告東電も国も全面的に争う構え。原告団長の村田弘さんが意見陳述したほか、原告側代理人弁護士が大津波の予見可能性や横浜地裁判決の不十分な点、低線量被曝のリスクについて陳述。被告国の代理人は責任論について「国の規制権限不行使は合理的」などと陳述した。次回期日は2020年3月13日14時。

【「かさぶた剥がす非情な政策」】
「59家族172原告に共通する想いの一端を述べさせていただきます」
原告団長の村田弘さん(77)=福島県南相馬市小高区から神奈川県横浜市への避難を継続中=は、法廷の真ん中で静かに語り始めた。同い年の妻と、原発事故当時1歳だった猫との避難生活は8年9カ月になった。
「時折、恐る恐る開くホームページがあります。厚生労働省の『東日本大震災に関連する自殺者数』です。今年に入って福島県は12人です。原発事故が起きた2011年以降では115人に達しています。止まって欲しいと祈るような気持ちです」
村田さんが気にかけているのは「自死」だけでは無い。福島県災害対策本部の集計では、今月5日までに確認された「震災関連死」は2279人に達した。また、福島県の「県民健康調査」で、これまでに甲状腺検査で231人が「悪性ないし悪性疑い」と判定されている。
「原発事故から8年9カ月。未だ自らの命を絶たなければならない人々、避難生活の中で病に倒れる人々の墓標の列、健康被害に苦しむ子供とその親や親族…。身体・生命にかかわるだけでもこれだけの被害が続いています。私たち原告は、このような現実の中で避難生活を続けているのです」
原発事故の被害者や避難者が置かれている現状について、村田さんはさらに続けた。
「国は、原発事故後10年にあたる2020年の東京五輪までに『原発事故を克服し、福島の復興を成し遂げた』と世界に宣言するという目標を掲げました。内部被曝につながる土壌線量は無視され、『年間20ミリシーベルト』という基準によって避難指示は次々と解除され、賠償も打ち切られました。避難指示が出されなかった地域については、大人1人8万円、子ども・妊婦40万円という原子力損害賠償紛争審査会の『中間指針』に依拠した賠償のみで良しとされてきました。唯一、避難生活の支えになっていた住宅の無償提供も2017年3月末で打ち切られました」
福島県は、住宅の無償提供終了の激変緩和措置として始めた民間賃貸住宅入居者に対する家賃補助制度などを今年3月末で打ち切った。避難指示解除区域からの避難者に対する住宅供与も同様に打ち切り、帰還困難区域からの避難者への住宅供与も2020年3月末で終わらせる(双葉町、大熊町を除く)。
村田さんは怒りを込めて述べた。
「原発事故の被害者や避難者は、原発事故による癒えない傷を抱えたまま、そのかさぶたを引き剥がし塩を塗り込むような非情な政策によって、二重三重の被害を強いられ続けているのです」

原告を代表して意見陳述した村田弘さん。「裁判所が被害の実相に見合う賠償を命じる事によって、ズタズタに切り裂かれた人間としての尊厳を回復して欲しい」と訴えた=衆議院第二議員会館
【「将来世代に悔い残したくない」】
そして、村田さんの陳述は今年2月に横浜地裁で言い渡された一審判決に及んだ。
「具体的に示された損害賠償額は最高1485万円、最低2万5000円でした。人間としての基本的な権利が侵害され、今も侵害され続け、侵害が止む見通しも持てない被害の実相との落差は、膨大な判決文をいくら読んでも納得出来ませんでした」
「放射線医学や疫学研究上の専門的知見は賠償を判断する直接的な基準とはならない、とあっさりと退けたのは、とても納得出来るものではありません。数々の科学的知見による放射線被害の蓋然性から目を逸らし、避難の権利を明確に認めるのを避けた事が、国による避難指示区域を事実上認め、避難指示区域外からの原告に対する賠償額を原則30万円という信じられない低額にとどめる結論につながった事は明らかです」
村田さんは時折、涙声になっていた。自らを奮い立たせるように、被告席に目を遣りながら、こんな想いも口にした。
「5年余の一審審理中に7人の原告が亡くなりました。正直申し上げて、私たち原告は疲れ果てています。にもかかわらず、ほとんどの原告が控訴審での審理を求めて立ち上がったのは、一言で言えば、裁判所が被害の実相に見合う賠償を命じる事によって、ズタズタに切り裂かれた人間としての尊厳を回復して欲しいという事に尽きます。それが無ければ、私たちと同じような苦しみを味わう事態が必ず繰り返されるという世代間倫理による想いからです」
福島第一原発の爆発で降り注いだ放射性物質でふるさとを汚染され、今度は「年20ミリシーベルト」を下回ったから帰れと突きつけられる。一方で深刻な土壌汚染は続いている。国も福島県も来春の聖火リレーや来夏の東京五輪で「原発事故から立ち直った福島」を世界にアピールする考えでいる。地元紙もそれを後押しするように、聖火リレーのルート決定を1面全部を使って大きく報じた。次の世代のためにも切り捨てられてなるものか、という強い決意が「尊厳の回復」という言葉に凝縮されていた。
「司法の良心にすがる以外に無いという被害者・避難者の心情を汲み取り、将来世代に悔いを残さない結論につながる判断をいただけますよう、心からお願いします」
原告席に戻った村田さんは、ハンカチで涙を拭った。

第1回口頭弁論には東京や群馬、京都で同じように集団訴訟を起こしている避難者や多くの支援者が駆け付けた
【「押しつぶされそうになる」】
この日の弁論では、原告の代理人弁護士3人も意見陳述。敷地高を超える大津波を国が予見し得た可能性について改めて主張したほか、損害の認容について「避難指示の有無にかかわらず『ふるさと喪失・生活破壊慰謝料』や『避難慰謝料』が認められるべきだ」と求めた。また、低線量被曝の健康影響についても改めて主張した上で「原告が自ら避難を選択した事、年20ミリシーベルトを下回ったという事で避難指示が解除されても戻る事が出来ないという判断は単なる不安や心配、まして杞憂では無い事は明らか」などと訴えた。
被告国の代理人も40分間にわたって「一審被告国の責任論の主張について」と題して意見陳述した。
原告たちは経済産業大臣が規制権限を行使しなかった事に対する責任を主張しているが、「いわゆる『長期評価』の見解に客観的かつ合理的根拠があるとは認められなかった」、「『長期評価』を『決定論的安全評価』には採用しなかったが、さらなる安全性の向上のため無視せずに『確率論的安全評価』(不確かさを定量化する)には取り入れて安全対策を行ってきた」、「国の規制権限不行使は合理的であり違法性は無かった」などと反論。裁判所に「正確な理解の下で判断が下される事を望む」と求めた。
これに対し、原告の代理人弁護士が「一審判決が認定した事実について端的に反論するのが筋だと思うが、正直、われわれは何を聞かされているのか」などと質す場面があった。これに対し、国側の代理人は「『長期評価』の信頼性が争点になっているのは明らかなので、必要な点を申し上げたという事だ」と答えた。白石裁判長は「いずれにしても論点はたくさんありますので次回以降、われわれの理解を深めていきたいと思う」と述べた。
閉廷後、衆議院第二議員会館で開かれた報告集会で、村田さんは「原発事故の後に続いている被害、さらに今後も続く健康被害も含めて、原発事故全体を裁いてもらいたい」と語った。傍聴席には、山崎誠代議士(立憲民主党、神奈川県第5区)の姿もあった。
別の女性原告は「つらくて、原発事故当時の事も思い出したくないし、裁判の事も忘れてしまいたくなってしまう。そんな事を思ってはいけないのかもしれないが、どうしても苦しくなる。押しつぶされそうになる。でも、これだけ大勢の方たちが集まってくれたのを目の当たりにして、これじゃいけないなと思った。あきらめないで頑張って、皆さんと一緒に歩んでいきたい」と涙ながらに話した。
次回期日は3カ月後の3月13日14時。原告側は今後、一審同様に現地検証を求めていく方針。
(了)

【「かさぶた剥がす非情な政策」】
「59家族172原告に共通する想いの一端を述べさせていただきます」
原告団長の村田弘さん(77)=福島県南相馬市小高区から神奈川県横浜市への避難を継続中=は、法廷の真ん中で静かに語り始めた。同い年の妻と、原発事故当時1歳だった猫との避難生活は8年9カ月になった。
「時折、恐る恐る開くホームページがあります。厚生労働省の『東日本大震災に関連する自殺者数』です。今年に入って福島県は12人です。原発事故が起きた2011年以降では115人に達しています。止まって欲しいと祈るような気持ちです」
村田さんが気にかけているのは「自死」だけでは無い。福島県災害対策本部の集計では、今月5日までに確認された「震災関連死」は2279人に達した。また、福島県の「県民健康調査」で、これまでに甲状腺検査で231人が「悪性ないし悪性疑い」と判定されている。
「原発事故から8年9カ月。未だ自らの命を絶たなければならない人々、避難生活の中で病に倒れる人々の墓標の列、健康被害に苦しむ子供とその親や親族…。身体・生命にかかわるだけでもこれだけの被害が続いています。私たち原告は、このような現実の中で避難生活を続けているのです」
原発事故の被害者や避難者が置かれている現状について、村田さんはさらに続けた。
「国は、原発事故後10年にあたる2020年の東京五輪までに『原発事故を克服し、福島の復興を成し遂げた』と世界に宣言するという目標を掲げました。内部被曝につながる土壌線量は無視され、『年間20ミリシーベルト』という基準によって避難指示は次々と解除され、賠償も打ち切られました。避難指示が出されなかった地域については、大人1人8万円、子ども・妊婦40万円という原子力損害賠償紛争審査会の『中間指針』に依拠した賠償のみで良しとされてきました。唯一、避難生活の支えになっていた住宅の無償提供も2017年3月末で打ち切られました」
福島県は、住宅の無償提供終了の激変緩和措置として始めた民間賃貸住宅入居者に対する家賃補助制度などを今年3月末で打ち切った。避難指示解除区域からの避難者に対する住宅供与も同様に打ち切り、帰還困難区域からの避難者への住宅供与も2020年3月末で終わらせる(双葉町、大熊町を除く)。
村田さんは怒りを込めて述べた。
「原発事故の被害者や避難者は、原発事故による癒えない傷を抱えたまま、そのかさぶたを引き剥がし塩を塗り込むような非情な政策によって、二重三重の被害を強いられ続けているのです」

原告を代表して意見陳述した村田弘さん。「裁判所が被害の実相に見合う賠償を命じる事によって、ズタズタに切り裂かれた人間としての尊厳を回復して欲しい」と訴えた=衆議院第二議員会館
【「将来世代に悔い残したくない」】
そして、村田さんの陳述は今年2月に横浜地裁で言い渡された一審判決に及んだ。
「具体的に示された損害賠償額は最高1485万円、最低2万5000円でした。人間としての基本的な権利が侵害され、今も侵害され続け、侵害が止む見通しも持てない被害の実相との落差は、膨大な判決文をいくら読んでも納得出来ませんでした」
「放射線医学や疫学研究上の専門的知見は賠償を判断する直接的な基準とはならない、とあっさりと退けたのは、とても納得出来るものではありません。数々の科学的知見による放射線被害の蓋然性から目を逸らし、避難の権利を明確に認めるのを避けた事が、国による避難指示区域を事実上認め、避難指示区域外からの原告に対する賠償額を原則30万円という信じられない低額にとどめる結論につながった事は明らかです」
村田さんは時折、涙声になっていた。自らを奮い立たせるように、被告席に目を遣りながら、こんな想いも口にした。
「5年余の一審審理中に7人の原告が亡くなりました。正直申し上げて、私たち原告は疲れ果てています。にもかかわらず、ほとんどの原告が控訴審での審理を求めて立ち上がったのは、一言で言えば、裁判所が被害の実相に見合う賠償を命じる事によって、ズタズタに切り裂かれた人間としての尊厳を回復して欲しいという事に尽きます。それが無ければ、私たちと同じような苦しみを味わう事態が必ず繰り返されるという世代間倫理による想いからです」
福島第一原発の爆発で降り注いだ放射性物質でふるさとを汚染され、今度は「年20ミリシーベルト」を下回ったから帰れと突きつけられる。一方で深刻な土壌汚染は続いている。国も福島県も来春の聖火リレーや来夏の東京五輪で「原発事故から立ち直った福島」を世界にアピールする考えでいる。地元紙もそれを後押しするように、聖火リレーのルート決定を1面全部を使って大きく報じた。次の世代のためにも切り捨てられてなるものか、という強い決意が「尊厳の回復」という言葉に凝縮されていた。
「司法の良心にすがる以外に無いという被害者・避難者の心情を汲み取り、将来世代に悔いを残さない結論につながる判断をいただけますよう、心からお願いします」
原告席に戻った村田さんは、ハンカチで涙を拭った。

第1回口頭弁論には東京や群馬、京都で同じように集団訴訟を起こしている避難者や多くの支援者が駆け付けた
【「押しつぶされそうになる」】
この日の弁論では、原告の代理人弁護士3人も意見陳述。敷地高を超える大津波を国が予見し得た可能性について改めて主張したほか、損害の認容について「避難指示の有無にかかわらず『ふるさと喪失・生活破壊慰謝料』や『避難慰謝料』が認められるべきだ」と求めた。また、低線量被曝の健康影響についても改めて主張した上で「原告が自ら避難を選択した事、年20ミリシーベルトを下回ったという事で避難指示が解除されても戻る事が出来ないという判断は単なる不安や心配、まして杞憂では無い事は明らか」などと訴えた。
被告国の代理人も40分間にわたって「一審被告国の責任論の主張について」と題して意見陳述した。
原告たちは経済産業大臣が規制権限を行使しなかった事に対する責任を主張しているが、「いわゆる『長期評価』の見解に客観的かつ合理的根拠があるとは認められなかった」、「『長期評価』を『決定論的安全評価』には採用しなかったが、さらなる安全性の向上のため無視せずに『確率論的安全評価』(不確かさを定量化する)には取り入れて安全対策を行ってきた」、「国の規制権限不行使は合理的であり違法性は無かった」などと反論。裁判所に「正確な理解の下で判断が下される事を望む」と求めた。
これに対し、原告の代理人弁護士が「一審判決が認定した事実について端的に反論するのが筋だと思うが、正直、われわれは何を聞かされているのか」などと質す場面があった。これに対し、国側の代理人は「『長期評価』の信頼性が争点になっているのは明らかなので、必要な点を申し上げたという事だ」と答えた。白石裁判長は「いずれにしても論点はたくさんありますので次回以降、われわれの理解を深めていきたいと思う」と述べた。
閉廷後、衆議院第二議員会館で開かれた報告集会で、村田さんは「原発事故の後に続いている被害、さらに今後も続く健康被害も含めて、原発事故全体を裁いてもらいたい」と語った。傍聴席には、山崎誠代議士(立憲民主党、神奈川県第5区)の姿もあった。
別の女性原告は「つらくて、原発事故当時の事も思い出したくないし、裁判の事も忘れてしまいたくなってしまう。そんな事を思ってはいけないのかもしれないが、どうしても苦しくなる。押しつぶされそうになる。でも、これだけ大勢の方たちが集まってくれたのを目の当たりにして、これじゃいけないなと思った。あきらめないで頑張って、皆さんと一緒に歩んでいきたい」と涙ながらに話した。
次回期日は3カ月後の3月13日14時。原告側は今後、一審同様に現地検証を求めていく方針。
(了)
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