【105カ月目の浪江町はいま】大都会で叫んだ「3・11を忘れるな!」。浪江町「希望の牧場」の吉沢さんが渋谷109前で演説「五輪など俺達には関係ない!」
- 2019/12/23
- 11:49
牛飼いが大都会のど真ん中で叫んだ。眼前にはスクランブル交差点。背後には渋谷109。師走の渋谷駅前に「希望の牧場・ふくしま」代表理事の吉沢正巳さん(65)の言葉がこだました。めまいがするほどの人の波。節電ムードなどとっくの昔に忘れたと言わんばかりのライトアップ。福島第一原発は誰のための発電所だったのか。今日も電気を消費し尽くす大東京。五輪開催を来夏に控え、お祭りムードすら漂う渋谷で吉沢さんは何を訴えたかったのか。

【福島が支える豊かな大都会】
競馬の「有馬記念」を2日後に控えた今月20日夜。吉沢さんは、スクランブル交差点を行き交う人の波に向かって語りかけた。初めは穏やかだった口調は徐々に激しくなり、叫ぶように言葉を発した。きらびやかな師走の大都会に怒りをぶつけるかのような姿だった。
「御通行中の皆さん。福島県双葉郡浪江町の『希望の牧場』です。私たちの福島県は『東北』です。『関東』ではありません。東北の福島県がこの東京の電力を支えているにもかかわらず、私たちは放射能差別の眼を向けられています。福島県の農産物が売れない。そういう差別は今なお根深く続いております。私たちは、東京オリンピックを心から喜べる状態ではありません。東京五輪を応援する気分にはなりません。オリンピックなんか勝手にやってください。オリンピックなんか東京の、大都会のエゴの極限の姿ではないだろうか。私たちには関係ない!」
そもそも、福島第一原発は誰が使う電力を生産していたのか。東京電力が首都圏で使う電力を作っていたのではないのか。福島県民が契約をしているのは東北電力。福島第一原発でつくられた電力は一切、使わなかった。しかし、原発事故で町を追われ、ふるさともコミュニティも奪われた。大都会で暮らす人々にその自覚はあるのだろうか。吉沢さんの怒りは頂点に達した。
「私たちの浪江町は、あの8年前の大震災によって地震で壊され、津波で流され、東京電力福島第一原発の大事故による放射能によって町中追い出され、もう戻る場所では無い。町の存続意義さえも今、崩れ落ちようとしております。子どもたちは戻って来ない。もはや町ではなく村のようです。私たちの無念さを今後もぜひ、この東京で話し続けていきたい。この渋谷は今日も、福島県の電力供給によって灯りがついています。福島県をいじめないでください。福島県を差別しないでください。福島県からの電力供給が無ければ、渋谷の街など成り立ちません。渋谷駅周辺の高層ビルを動かしているのも、全て電気ではありませんか。エレベーター、照明、暖房…。全部電気で動いています。その電気を今日も福島県が支えているという事を、どうか忘れないでください」
「原発が生み出した電気を使って来た皆の連帯責任だろ!原発が生み出した電力で便利な暮らしを送ってきたんじゃないか!この豊かな大都会は、福島県の電力供給によって今も成り立っているという事を忘れないでいただきたい!」
最後は怒鳴っていた。聖火リレーだオリンピックだと浮かれる陰で泣かされている人々の存在を忘れないで欲しいと訴え続けた。宣伝カーの脇にある喫煙所では、多くの人々が何も聞こえないという表情でタバコを吸っていた。

スクランブル交差点を行き交う人々に向かって怒鳴るように訴え続けた吉沢さん。きらびやかな大都会を支えているのは誰なのか。福島第一原発の電力を使っていたのは誰なのか。忘れないで欲しい、と叫んだ
【「260頭の『被曝牛』とともに闘う」】
「福島県双葉郡浪江町の『希望の牧場』です。私の牧場では、原発の放射能によって売れなくなった牛を今なお、飼い続けております。その数は若干、減りましたけれど260頭を超えております。国にとっては非常に邪魔な『放射能の被曝牛』。早く殺して全部片付けて終わりにしろと国の指示が出ておりますが、私は絶対に国の言いなりにはなりません。売れなくなった牛の世話を最後まで続け、放射能に被曝した牛とともに『原発の時代』を乗り越える。日本の未来のために残りの人生を賭けて闘っていこうと決意しました。この牛たちの寿命が尽きるまで世話を続けて参ります。この牛たちとともに日本が原発を乗り越える。未来社会のために」
今も牧場には国内外からの見学者が後を絶たない。渋谷での街頭演説も150回に達した。吉沢さんは「原発に頼らない社会」を目指して見学者を受け入れ、語り続ける。
「私は浪江町の原発事故被害の話をしながら、全国を駆け巡っております。北海道から九州・沖縄。全国を巡りながら、学校に行って原発事故後の浪江町の話をしております。フランスにも行きました。インドにも話をしに行きました。来年2月には、中東ヨルダンに行って未来を担う高校生に浪江町の話をしてきたいと思います。日本で造る事が出来ない原発を世界に売り込む。とんでもない話です。福島第一原発事故の反省をしっかりするならば、日本における原発の建設や再稼働、ましてや輸出などとんでもない話ではないでしょうか。『原発』に頼らなくてもやっていける日本の未来のエネルギーとして、多くの国民の参加による再生可能エネルギーに変えていく事は可能だと思います。ドイツを見てください。チェルノブイリ原発事故を機に反対運動が続き、とうとう原発政策をやめるという展開を成し遂げました。皆さん、やれば出来ます。スイスでイタリアでドイツで。原発をやめる。それが世界の流れです。隣の韓国でも原発反対運動が盛り上がっています。日本のエネルギー政策のあり方を原発に頼らなくてもやって行かれるように、来年は皆で変えて行こうではないですか」

吉沢さんが切り盛りする牧場の一角には「取り返しのつかないものとわかった原発とサヨナラする」と書かれている。浪江町は原発立地地では無いため何ら〝恩恵〟も無く、放射能汚染による「町の破壊」だけが降りかかった。そしてそれは、東京も他人事では無いのだ=2019年8月撮影
【「東京も『明日は我が身』だ」】
「皆さん、『3・11』は終わってはいません。『3・11』はまだ続いております。日本の抱えた根本的な大問題として、あの『3・11』は忘れてはならないと思います。ああいった大地震や大津波、火山の噴火、そして今回起きました台風によるあちらこちらの大洪水、氾濫。もう、私たちの街に『絶対安全』そんな場所など無いんだ、そういう風に強く思わなければいけないと思います。『明日は我が身』です。明日は自分たちがそういう大災害に見舞われ、避難民となるかもしれない。そういう中に日本はいます」
実際、今秋は台風19号が福島県をも襲い、郡山市や本宮市、いわき市など「10・12水害」によって今なお避難所生活を余儀なくされている人々がいる。形こそ違えど、これまで他人事だった自宅の損壊や避難所生活が我が事となった。福島県中通りでは「震災後、心のどこかで『浜通りの人々は原発避難で大変だなあ』と他人事のように感じていたが、今度は自分の番だった」という声を多く耳にする。それは日々、あふれんばかりの豊かさを食いつくしている東京も同じだ。スクランブル交差点を楽しそうに歩く人々を目覚めさせるかのように、吉沢さんは大声をはり続けた。
「他所事、他人事ではなく、もう日本全国至る所、震度7クラスの地震など珍しい事ではありません。熊本、大阪の大地震、北海道におけるブラックアウトの大地震。この東京だって、直下型の地震が目前に迫っているという風に言えると思います。皆さん、先日のNHKの番組を観たと思います。本当に、あの内容は衝撃的でした。日本の破滅、日本の破局。それが東京の直下型大地震で起こるんだという事を、NHKがドラマで伝えたんだと思います。考えなければなりません。『明日は我が身』。あの台風19号の大洪水、大氾濫を見れば、東京だって『絶対安全』なんて事にはならないと思います。もし富士山が噴火すれば、この東京だって行き詰ってしまうでしょう。あの時の15メートルの津波。あんなものはもう二度と来ないのか、そんな事はありません」
吉沢さんが浪江町から運転して来た宣伝カーには「棄畜、棄民忘れんぞ」、「原発一揆」と書かれている。そして「カウ・ゴジラ」の文字も。
「皆さん、映画『シン・ゴジラ』を観ましたか?あれは『3・11』の事を色濃く表しているのです。皆さん、ゴジラは核実験によって生まれました。私は浪江町で、原発事故によって拡散された放射能を浴びながら『カウ・ゴジラ』になったと考えています」
(了)

【福島が支える豊かな大都会】
競馬の「有馬記念」を2日後に控えた今月20日夜。吉沢さんは、スクランブル交差点を行き交う人の波に向かって語りかけた。初めは穏やかだった口調は徐々に激しくなり、叫ぶように言葉を発した。きらびやかな師走の大都会に怒りをぶつけるかのような姿だった。
「御通行中の皆さん。福島県双葉郡浪江町の『希望の牧場』です。私たちの福島県は『東北』です。『関東』ではありません。東北の福島県がこの東京の電力を支えているにもかかわらず、私たちは放射能差別の眼を向けられています。福島県の農産物が売れない。そういう差別は今なお根深く続いております。私たちは、東京オリンピックを心から喜べる状態ではありません。東京五輪を応援する気分にはなりません。オリンピックなんか勝手にやってください。オリンピックなんか東京の、大都会のエゴの極限の姿ではないだろうか。私たちには関係ない!」
そもそも、福島第一原発は誰が使う電力を生産していたのか。東京電力が首都圏で使う電力を作っていたのではないのか。福島県民が契約をしているのは東北電力。福島第一原発でつくられた電力は一切、使わなかった。しかし、原発事故で町を追われ、ふるさともコミュニティも奪われた。大都会で暮らす人々にその自覚はあるのだろうか。吉沢さんの怒りは頂点に達した。
「私たちの浪江町は、あの8年前の大震災によって地震で壊され、津波で流され、東京電力福島第一原発の大事故による放射能によって町中追い出され、もう戻る場所では無い。町の存続意義さえも今、崩れ落ちようとしております。子どもたちは戻って来ない。もはや町ではなく村のようです。私たちの無念さを今後もぜひ、この東京で話し続けていきたい。この渋谷は今日も、福島県の電力供給によって灯りがついています。福島県をいじめないでください。福島県を差別しないでください。福島県からの電力供給が無ければ、渋谷の街など成り立ちません。渋谷駅周辺の高層ビルを動かしているのも、全て電気ではありませんか。エレベーター、照明、暖房…。全部電気で動いています。その電気を今日も福島県が支えているという事を、どうか忘れないでください」
「原発が生み出した電気を使って来た皆の連帯責任だろ!原発が生み出した電力で便利な暮らしを送ってきたんじゃないか!この豊かな大都会は、福島県の電力供給によって今も成り立っているという事を忘れないでいただきたい!」
最後は怒鳴っていた。聖火リレーだオリンピックだと浮かれる陰で泣かされている人々の存在を忘れないで欲しいと訴え続けた。宣伝カーの脇にある喫煙所では、多くの人々が何も聞こえないという表情でタバコを吸っていた。

スクランブル交差点を行き交う人々に向かって怒鳴るように訴え続けた吉沢さん。きらびやかな大都会を支えているのは誰なのか。福島第一原発の電力を使っていたのは誰なのか。忘れないで欲しい、と叫んだ
【「260頭の『被曝牛』とともに闘う」】
「福島県双葉郡浪江町の『希望の牧場』です。私の牧場では、原発の放射能によって売れなくなった牛を今なお、飼い続けております。その数は若干、減りましたけれど260頭を超えております。国にとっては非常に邪魔な『放射能の被曝牛』。早く殺して全部片付けて終わりにしろと国の指示が出ておりますが、私は絶対に国の言いなりにはなりません。売れなくなった牛の世話を最後まで続け、放射能に被曝した牛とともに『原発の時代』を乗り越える。日本の未来のために残りの人生を賭けて闘っていこうと決意しました。この牛たちの寿命が尽きるまで世話を続けて参ります。この牛たちとともに日本が原発を乗り越える。未来社会のために」
今も牧場には国内外からの見学者が後を絶たない。渋谷での街頭演説も150回に達した。吉沢さんは「原発に頼らない社会」を目指して見学者を受け入れ、語り続ける。
「私は浪江町の原発事故被害の話をしながら、全国を駆け巡っております。北海道から九州・沖縄。全国を巡りながら、学校に行って原発事故後の浪江町の話をしております。フランスにも行きました。インドにも話をしに行きました。来年2月には、中東ヨルダンに行って未来を担う高校生に浪江町の話をしてきたいと思います。日本で造る事が出来ない原発を世界に売り込む。とんでもない話です。福島第一原発事故の反省をしっかりするならば、日本における原発の建設や再稼働、ましてや輸出などとんでもない話ではないでしょうか。『原発』に頼らなくてもやっていける日本の未来のエネルギーとして、多くの国民の参加による再生可能エネルギーに変えていく事は可能だと思います。ドイツを見てください。チェルノブイリ原発事故を機に反対運動が続き、とうとう原発政策をやめるという展開を成し遂げました。皆さん、やれば出来ます。スイスでイタリアでドイツで。原発をやめる。それが世界の流れです。隣の韓国でも原発反対運動が盛り上がっています。日本のエネルギー政策のあり方を原発に頼らなくてもやって行かれるように、来年は皆で変えて行こうではないですか」

吉沢さんが切り盛りする牧場の一角には「取り返しのつかないものとわかった原発とサヨナラする」と書かれている。浪江町は原発立地地では無いため何ら〝恩恵〟も無く、放射能汚染による「町の破壊」だけが降りかかった。そしてそれは、東京も他人事では無いのだ=2019年8月撮影
【「東京も『明日は我が身』だ」】
「皆さん、『3・11』は終わってはいません。『3・11』はまだ続いております。日本の抱えた根本的な大問題として、あの『3・11』は忘れてはならないと思います。ああいった大地震や大津波、火山の噴火、そして今回起きました台風によるあちらこちらの大洪水、氾濫。もう、私たちの街に『絶対安全』そんな場所など無いんだ、そういう風に強く思わなければいけないと思います。『明日は我が身』です。明日は自分たちがそういう大災害に見舞われ、避難民となるかもしれない。そういう中に日本はいます」
実際、今秋は台風19号が福島県をも襲い、郡山市や本宮市、いわき市など「10・12水害」によって今なお避難所生活を余儀なくされている人々がいる。形こそ違えど、これまで他人事だった自宅の損壊や避難所生活が我が事となった。福島県中通りでは「震災後、心のどこかで『浜通りの人々は原発避難で大変だなあ』と他人事のように感じていたが、今度は自分の番だった」という声を多く耳にする。それは日々、あふれんばかりの豊かさを食いつくしている東京も同じだ。スクランブル交差点を楽しそうに歩く人々を目覚めさせるかのように、吉沢さんは大声をはり続けた。
「他所事、他人事ではなく、もう日本全国至る所、震度7クラスの地震など珍しい事ではありません。熊本、大阪の大地震、北海道におけるブラックアウトの大地震。この東京だって、直下型の地震が目前に迫っているという風に言えると思います。皆さん、先日のNHKの番組を観たと思います。本当に、あの内容は衝撃的でした。日本の破滅、日本の破局。それが東京の直下型大地震で起こるんだという事を、NHKがドラマで伝えたんだと思います。考えなければなりません。『明日は我が身』。あの台風19号の大洪水、大氾濫を見れば、東京だって『絶対安全』なんて事にはならないと思います。もし富士山が噴火すれば、この東京だって行き詰ってしまうでしょう。あの時の15メートルの津波。あんなものはもう二度と来ないのか、そんな事はありません」
吉沢さんが浪江町から運転して来た宣伝カーには「棄畜、棄民忘れんぞ」、「原発一揆」と書かれている。そして「カウ・ゴジラ」の文字も。
「皆さん、映画『シン・ゴジラ』を観ましたか?あれは『3・11』の事を色濃く表しているのです。皆さん、ゴジラは核実験によって生まれました。私は浪江町で、原発事故によって拡散された放射能を浴びながら『カウ・ゴジラ』になったと考えています」
(了)
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