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【台風19号水害】「人に優しい社会であって欲しい」。郡山市の被災男性が語る「10・12水害」「原発事故」。避難所訪れたはるな愛さんには感謝

大震災と原発事故から間もなく9年になる福島県。今年は台風19号に伴う大水害で甚大な被害が出た。発災から3カ月になろうとしているが、避難所で年を越す人も少なくない。福島県郡山市の中でも死者が出るなど被害の大きかった地域で被災。自宅に戻った男性(54)が今月中旬、2時間超にわたってインタビューに応じた。「8・5水害」後に自宅を増築してくれた父への感謝、水害避難所を慰問したはるな愛さん。そして原発事故や〝弱者に冷たい政治〟について語った。間もなく2019年が終わろうとしている。男性は言った。「人が人にやさしい社会であって欲しい」。
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【「見渡す限り水に浸かった」】
 あの日、男性は1階で過ごしていた。一夜明けて日曜日(10月13日)の朝、午前5時頃目を覚ました。まだその時点では浸水は始まっていなかったという。「でも、届いているはずの新聞が無かったんです。おかしいなと思いました」。そこからは、あっという間だった。午前6時すぎ、物音がするからと玄関を開けたら一気に水が入り込んできた。「これはまずい、と慌てて物置きのようになっていた2階に逃げたのです」
 外階段で2階に駆け上がった。住み慣れた街はもはや、完全に水没していた。自衛隊の救命ボートが見えた。
 「力いっぱい両手を振ったんです。『助けてくれ』って。午前9時頃でしたでしょうか。他にも救助を求めている人がいたので、自衛隊員が皆をボートに乗せてくれました。あの時はもう、見渡す限り水に浸かっていて、自分が沼か池の中にでも居るかのようでした。阿武隈川にかかる橋のたもとでボートを降りたように記憶しています。そこから徒歩で小学校に向かいました。所持品はガラケー1つ。財布などを持って逃げている余裕などありませんでした。どんどん水位が上がって行くんですから。玄関にあった靴が浮き上がり、やがて室内が水浸し。あっという間でしたから」
 避難所では今後の事を考えたら眠れなかった。3日ほど経った後、自宅にいったん戻った。そこには想像をはるかに上回る惨状が広がっていた。玄関の呼び鈴は鳴りっ放し、室内は泥だらけ。ようやく財布を見つけた。災害ボランティアの力を借り、泥や畳などを屋外に搬出した。自衛隊も片付けに加わった。「おかげさまで順調に片付きました」。ボランティアが父親のレコードを手に「これはどうしますか?」と尋ねて来た。「捨ててください」と答えた。いちいち考えていると進まない。手伝ってくれている災害ボランティアに迷惑をかけたくなかった。
 「私の部屋にあった物も全て捨てました。捨てざるを得なかったのです。『8・5水害』の時には分別する余裕がありましたが、今回はそんな場合ではありませんでした。母の仏壇も同じです。あんなに泥だらけになってしまったら捨てざるを得なかったです。魂抜き供養をしなければならない事は分かっています。でも、そんな事をやっている余裕はありませんでした」
 多額の費用がかかるため、壊滅状態の1階は修繕をあきらめた。今後は2階を生活の拠点とするという。

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泥水は男性の自宅1階天井まで達し、照明や浴室などありとあらゆる物を茶色く染めた=福島県郡山市

【33年前の父の英断と増築】
 男性は、父親の大工道具は処分しなかった。なぜか。「今回、父親に助けられたんですよ」。実は男性の自宅は1986年の「8・5水害」でも浸水被害を受けた。当時の父親の判断と行動が、33年後に息子を救う事になるのだった。
 「父が『8・5水害』後に2階部分を増築したんです。新たに鉄骨で基礎を造ったのです。しかも、再び川が氾濫した場合に備えて、阿武隈川の堤防を上回る高さにしたんです。当時は『生きている間は水害なんか起きないだろう。増築するだけ損だなあ』なんて言ってたんですけどね。ところが33年後に、あの時の父の判断が役に立ったのです」
 男性の父親は86歳。現在は認知症を患い施設に入所している。「10・12水害」の発生も、33年前に自身が手掛けた増築が息子を助けた事も理解出来ていないという。「自宅があんな惨状になっているという事を知らないのは幸いだったと言えると思います。ショックを受けるでしょうから。先日、施設に行って会ってきましたが、元気にしていました」。
 1986年と2019年。33年の歳月を経て、男性の住む地域は再び甚大な水害に見舞われた。気候変動が指摘される中、来年また巨大台風がやって来ないとも限らない。それが5年後なのか10年後なのか。それは誰にも分からない。しかし、ひとたび記録的な大雨が降れば、再び同じような被害が広がる事は間違いないだろう。それでも多くの人がこの地で再び、生活を始める。
 「私、とある市議にこう言ったんです。ここにはもう誰も住んではいけないというように規則を作ったらどうですか』って。水害が起こるたびに馬鹿を見るのはここの住人ですからね。そしたら『居住制限なんかしたら地価が下がってしまいますから出来ません』とあっさり言われました。そういう問題かと思いましたけど、日本は資本主義社会ですから仕方ないですね…」
 部屋の片隅に、はるな愛さんのサインが飾られていた。「一緒に歩いていきましょう」と添えられている。
 「実は、避難所にいらしたんです。日用品を持って来てくれました。彼女は子ども食堂にも取り組んでいるようですね。人格者ですよ。お願いしたらサインを書いてくれました」。
 はるな愛さんは震災・原発事故後の福島に何度か足を運んでおり、2年前のブログにも、富岡町民が暮らす仮設住宅を訪れた様子を綴っている。

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小学校の体育館では、段ボールで仕切られた空間で過ごした。自衛隊のボートで救助されたのも比較的早い段階で自宅に戻れたのも、33年前の「8・5水害」後に父親が2階を増築してくれたおかげだった

【理解出来た原発避難者の心情】
 水害の取材で、こんな事を言う自治体職員がいた。
 「通常、持ち家のある方は保険に加入しているものでしょう。私有財産ですから。基本的にはそれで生活を再建し、国や行政の支援金はあくまで再出発の一部に充ててもらうという考え方です」
 しかし、日本損害保険協会東北支部(宮城県仙台市)の担当者は「もちろん契約内容によりますが、基本的に満額支払われる事はありません」と語る。避難所では「保険に加入していない人もいる」という声も複数あった。「共助」から「自助」へ。「自己責任社会」へ。今回の水害では、国の行政の冷たさを指摘する声を多く耳にした。
 「『自分の力で何とかしてください』というのが自治体の本音でしょう。私は何とか貯蓄を再建に充てますが、それは、あくまでも1階の修繕はあきらめて、2階を少しだけリフォームする程度だからです。それでも400万円ほどかかる。もし1階も元のように直すとしたら、とてもそんな額では済みません。1000万円は必要でしょうね。国や行政の支援を利用しても、とてもとても足りません。保険に加入していたって、満額なんか払われませんよ。日本はいつしか自助社会になってしまいましたから結局、自力で再建しなければならないんです」
 8年前の原発事故で郡山市にも放射性物質が降り注いだ。水害で放射性物質の拡散を懸念する声もある。
 「市街地に流入した汚泥に放射性物質が含まれている可能性はあるでしょう。でも、それを気にしていたらここでは生活出来ません。放射能汚染自体は許し難いですよ。今でも中通りに被曝リスクは存在すると思います。TOKIOが『福島の農産物は美味しい』と言っていますが、『美味しい』と『汚染されている』は別問題です。ですが、ここで生きていく以上は汚染を受け入れざるを得ないです。国は『あなたたちにはただちに危険は及ばない』と言いますが、要は棄てられたんです。病気になっても放射線由来か否かなんて証明出来ないですしね」
 そう語る男性はしかし、原発事故後に浜通りから中通りに避難して来た人々を見ながら、どこかで他人事だったという。
 「大変だなあと遠くから眺めていたような気がします。でも、こうやって自分が渦中に置かれ被災者になると、原発避難者の心情も分かってきます。他人事でなくなりました」
 男性は別れ際、こう言って筆者を見送ってくれた。
 「人が人にやさしい社会であったら良いなと思います。次にお会いする時には『こんなに復旧出来ました』と言いたいですね」



(了)
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プロフィール

鈴木博喜

Author:鈴木博喜
(メールは hirokix39@gmail.com まで)
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