【106カ月目の福島はいま】「逃げろと言われても…」〝もうひとつの成人式〟で見えた、進まぬ「災害避難のバリアフリー」
- 2020/01/14
- 19:35
2011年の東日本大震災に伴う大津波や原発事故から再来月で9年。昨秋には、台風19号に伴う水害で福島県内は甚大な被害が出た。今なお避難所での生活を余儀なくされている人々がいるが、果たして心身に障害のある人々の「災害避難バリアフリー」は進んだのだろうか。12日午前に福島県福島市内のホテルで開かれた成人式には、様々な障害を抱えた41人の新成人が集まった。保護者たちは異口同音に「9年前とあまり変わっていない」と語る。真の〝共生社会〟に向け、まずは理解を深める事から始めたい。

【「自宅でじっとしているしか無い」】
12日午前、JR福島駅近くのホテルで開かれた成人式。出席した41人の新成人は皆、心身に何らかの障害を持っている。「福島市手をつなぐ親の会」と福島市の共催で開かれた〝もうひとつの成人式〟は今年で31回目。スーツや晴れ着に身を包んだ新成人が木幡浩市長から成人証書を受け取った。式典と懇親会の合い間に取材に応じた父親は、娘の晴れ姿に目を細めながら本音を口にした。その言葉はそのまま、筆者を含めた私たちに鋭く突きつけられている。
「家族や親戚に障害のある子どもがいないと俺らの気持ちなんて分からないよね。俺だって娘が生まれて初めて、障害のある人の事を考えられるようになったもんな。それまでは全然、考えた事も無かった」
福島県は2011年の大震災・大津波・原発事故を経験した。1986年には「8・5水害」があった。では、昨秋の「10・12水害」ではそれらの教訓は生かされたのだろうか。成人式に出席した保護者たちは異口同音に「NO」と言った。車いすを利用している息子とともに式典に出席した母親(福島市)は次のように語った。
「災害時にどこかの避難所に行きなさいと言われても、ちょっと難しいと家族で話しています。やっぱり自宅でじっとしているしか無いですよね。息子は、いつもと違う場所、慣れない場所が駄目なんです。ストレスが高まって周囲に迷惑をかけてしまう事も避難所に行かれない理由になりますね。肢体不自由もてんかんの発作もあるし、結局は自分たち家族の力で何とかする事になるでしょうね。2011年もそうでしたから。原発事故が起きたからといって逃げる事も出来ませんでした。自宅でじっとしているしか無かったんです」
取材に対し「周囲への迷惑」を挙げた保護者は少なくなかった。成人式に参加した人の中には、一見しただけでは障害を抱えていると分からない人もいる。ある母親は「ここまでなるのには長い長い時間がかかっているんです。でも、今日は同級生や先生など知った顔が多いのでこうして笑顔で話していますが、知らない場所だとずっと黙り込んでいますからね」と話した。私たちが学び、理解すべき事は多い。



福島市の木幡浩市長は手話を交えた祝辞で「障害を持つ人も持たない人も生き生きと暮らせる社会を目指した取り組みを今、積極的に進めています」と述べたが歩みは遅い。成人式同様、災害避難にも様々な合理的配慮や理解が求められている=ホテル福島グリーンパレス
【「9年前と何も変わらない」】
福島市の木幡市長は式典で、手話を交えながら次のように祝辞を述べた。
「今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。障害を持った人たちも障害に負けないでこれまでの自分のベストを切り開いて来られました。ぜひ、パラリンピックで障害を持つ方々の頑張る姿を見て、応援して欲しいと思います。オリンピック・パラリンピックは、障害のある人も無い人も生き生きと生きていける〝共生社会〟という理念を持っています。福島市でも、障害を持つ人も持たない人も生き生きと暮らせる社会を目指した取り組みを今、積極的に進めています。『ヘルプマーク』と言って、ちょっと助けて欲しいんですと伝える事で皆から応援をもらえるという取り組みも始めていますし、街の中も、皆さんが廻りやすい街を目指しています」
では、現実の社会はどれだけ〝共生〟に近づいているのか。耳が不自由な息子と出席した母親(福島市)は「逃げろと言われても、なかなか本人に伝わらないですよね。例えば自宅には光で知らせる火災報知器がありますが、視覚が頼りなんです。職場でも筆談です。ですから、緊急時には無理矢理腕を引っ張ってでも逃がして欲しいと職場の方にはお願いしています」と話す。
「避難所に行ったとしてもコミュニケーションをとるのが難しい。無口になってしまいます。支援学校の先生は『とても明るいお子さんですよ』とおっしゃるんです。周囲の声が聴こえず、何が行われているのか分からないから黙っているしか無いんです。今日は木幡市長は手話を使ってくれたので良かったですけど、他の方の挨拶も音楽の演奏も何も聴こえません。ただ時間が過ぎるのを待っているだけのようになってしまう。それは避難所でも同じ事ですよね。自分の意思をどう伝えるかも心配です」
目の不自由なわが子と出席した母親は言葉少なにこう言った。
「あれから9年経って、視覚障害者を取り巻く災害避難の状況は進歩したか?何も変わっていないように感じますね」



「健常者と同じ成人式への出席は現実的に難しい」、「こういう式典を開いてくれるのは本当にありがたい」との声も聞かれた成人式。障害の種類も程度も様々で、マイクを握って想いを口に出来る人もいれば出来ない人もいる。まずは理解を深めるところから〝共生社会〟を目指したい
【「社会の成熟度をはかるカナリア」】
福島県点字図書館長の中村雅彦さんは2012年2月に発行した著書「あと少しの支援があれば」(ジアース教育新社)の中で「障がいに応じた避難」を提言している。
①目や耳が不自由な人:蓄電池を利用して音や光や臭いで危険を知らせ避難出来るようにするシステム、通話が集中しても優先的な通話やメールの送受信が可能な携帯電話のシステムが必要
②知的障がいの人:自ら判断して行動する事が難しいため、手を引いてやったり動作で示す事によって避難しやすくなる。誰が指示を出すかが鍵
③車いす利用や歩行困難な人:移動が不便なだけでなく食事やトイレ、入浴、終身などの不便さも加わる。困ったように見えないのは我慢しているから。そこへの理解が必要
④発達障がいの人:不安やストレスから逃げ出そうとしたり奇声を発したりする事が予想され、周囲の理解が無いと避難所では過ごせない。情報を伝える時は文字や写真、イラストなどを組み合わせると効果がある
「でも、現実には避難所を利用するのは難しいです」と娘の晴れ舞台を見守った母親(福島市)は話した。
「2011年当時からあまり変わっていないと思います。うちは車いすを利用していますから避難所までの移動が大変。避難所に入るにも段差があります。自閉症も抱えているので環境の変化に対応するのが難しいです。耳も不自由だからなおさらです。言葉も何も分からない外国にいきなり連れて行かれるのと同じ感覚でしょう。身体障害に比べて知的障害に対する世間の理解はまだまだです」
成人式を共催した「福島市手をつなぐ親の会」の河野由美子会長は主催者挨拶の中で「大人になって必要なのは、『自分1人で頑張る力』だけではありません。困った時は相談をし、1人で出来ない時はお手伝いをお願いする。そんな人や場所を上手につくっていく事も大切な『力』です」と新成人に呼びかけた。
私たちは相談され、手伝いをお願いされる人になれているだろうか。
車いす利用者で、原発事故後に福島県田村市から京都府に避難した鈴木絹江さん。2015年12月に出した著書「放射能に追われたカナリア」に綴られた言葉をかみしめたい。
「障がいを持つ人は、社会の成熟度をはかるカナリアのようなものだと、私は考えている。カナリアが生きられない社会は、一般の人たちにとっても生きられない社会である事を深く考えて欲しい」
(了)

【「自宅でじっとしているしか無い」】
12日午前、JR福島駅近くのホテルで開かれた成人式。出席した41人の新成人は皆、心身に何らかの障害を持っている。「福島市手をつなぐ親の会」と福島市の共催で開かれた〝もうひとつの成人式〟は今年で31回目。スーツや晴れ着に身を包んだ新成人が木幡浩市長から成人証書を受け取った。式典と懇親会の合い間に取材に応じた父親は、娘の晴れ姿に目を細めながら本音を口にした。その言葉はそのまま、筆者を含めた私たちに鋭く突きつけられている。
「家族や親戚に障害のある子どもがいないと俺らの気持ちなんて分からないよね。俺だって娘が生まれて初めて、障害のある人の事を考えられるようになったもんな。それまでは全然、考えた事も無かった」
福島県は2011年の大震災・大津波・原発事故を経験した。1986年には「8・5水害」があった。では、昨秋の「10・12水害」ではそれらの教訓は生かされたのだろうか。成人式に出席した保護者たちは異口同音に「NO」と言った。車いすを利用している息子とともに式典に出席した母親(福島市)は次のように語った。
「災害時にどこかの避難所に行きなさいと言われても、ちょっと難しいと家族で話しています。やっぱり自宅でじっとしているしか無いですよね。息子は、いつもと違う場所、慣れない場所が駄目なんです。ストレスが高まって周囲に迷惑をかけてしまう事も避難所に行かれない理由になりますね。肢体不自由もてんかんの発作もあるし、結局は自分たち家族の力で何とかする事になるでしょうね。2011年もそうでしたから。原発事故が起きたからといって逃げる事も出来ませんでした。自宅でじっとしているしか無かったんです」
取材に対し「周囲への迷惑」を挙げた保護者は少なくなかった。成人式に参加した人の中には、一見しただけでは障害を抱えていると分からない人もいる。ある母親は「ここまでなるのには長い長い時間がかかっているんです。でも、今日は同級生や先生など知った顔が多いのでこうして笑顔で話していますが、知らない場所だとずっと黙り込んでいますからね」と話した。私たちが学び、理解すべき事は多い。



福島市の木幡浩市長は手話を交えた祝辞で「障害を持つ人も持たない人も生き生きと暮らせる社会を目指した取り組みを今、積極的に進めています」と述べたが歩みは遅い。成人式同様、災害避難にも様々な合理的配慮や理解が求められている=ホテル福島グリーンパレス
【「9年前と何も変わらない」】
福島市の木幡市長は式典で、手話を交えながら次のように祝辞を述べた。
「今年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。障害を持った人たちも障害に負けないでこれまでの自分のベストを切り開いて来られました。ぜひ、パラリンピックで障害を持つ方々の頑張る姿を見て、応援して欲しいと思います。オリンピック・パラリンピックは、障害のある人も無い人も生き生きと生きていける〝共生社会〟という理念を持っています。福島市でも、障害を持つ人も持たない人も生き生きと暮らせる社会を目指した取り組みを今、積極的に進めています。『ヘルプマーク』と言って、ちょっと助けて欲しいんですと伝える事で皆から応援をもらえるという取り組みも始めていますし、街の中も、皆さんが廻りやすい街を目指しています」
では、現実の社会はどれだけ〝共生〟に近づいているのか。耳が不自由な息子と出席した母親(福島市)は「逃げろと言われても、なかなか本人に伝わらないですよね。例えば自宅には光で知らせる火災報知器がありますが、視覚が頼りなんです。職場でも筆談です。ですから、緊急時には無理矢理腕を引っ張ってでも逃がして欲しいと職場の方にはお願いしています」と話す。
「避難所に行ったとしてもコミュニケーションをとるのが難しい。無口になってしまいます。支援学校の先生は『とても明るいお子さんですよ』とおっしゃるんです。周囲の声が聴こえず、何が行われているのか分からないから黙っているしか無いんです。今日は木幡市長は手話を使ってくれたので良かったですけど、他の方の挨拶も音楽の演奏も何も聴こえません。ただ時間が過ぎるのを待っているだけのようになってしまう。それは避難所でも同じ事ですよね。自分の意思をどう伝えるかも心配です」
目の不自由なわが子と出席した母親は言葉少なにこう言った。
「あれから9年経って、視覚障害者を取り巻く災害避難の状況は進歩したか?何も変わっていないように感じますね」



「健常者と同じ成人式への出席は現実的に難しい」、「こういう式典を開いてくれるのは本当にありがたい」との声も聞かれた成人式。障害の種類も程度も様々で、マイクを握って想いを口に出来る人もいれば出来ない人もいる。まずは理解を深めるところから〝共生社会〟を目指したい
【「社会の成熟度をはかるカナリア」】
福島県点字図書館長の中村雅彦さんは2012年2月に発行した著書「あと少しの支援があれば」(ジアース教育新社)の中で「障がいに応じた避難」を提言している。
①目や耳が不自由な人:蓄電池を利用して音や光や臭いで危険を知らせ避難出来るようにするシステム、通話が集中しても優先的な通話やメールの送受信が可能な携帯電話のシステムが必要
②知的障がいの人:自ら判断して行動する事が難しいため、手を引いてやったり動作で示す事によって避難しやすくなる。誰が指示を出すかが鍵
③車いす利用や歩行困難な人:移動が不便なだけでなく食事やトイレ、入浴、終身などの不便さも加わる。困ったように見えないのは我慢しているから。そこへの理解が必要
④発達障がいの人:不安やストレスから逃げ出そうとしたり奇声を発したりする事が予想され、周囲の理解が無いと避難所では過ごせない。情報を伝える時は文字や写真、イラストなどを組み合わせると効果がある
「でも、現実には避難所を利用するのは難しいです」と娘の晴れ舞台を見守った母親(福島市)は話した。
「2011年当時からあまり変わっていないと思います。うちは車いすを利用していますから避難所までの移動が大変。避難所に入るにも段差があります。自閉症も抱えているので環境の変化に対応するのが難しいです。耳も不自由だからなおさらです。言葉も何も分からない外国にいきなり連れて行かれるのと同じ感覚でしょう。身体障害に比べて知的障害に対する世間の理解はまだまだです」
成人式を共催した「福島市手をつなぐ親の会」の河野由美子会長は主催者挨拶の中で「大人になって必要なのは、『自分1人で頑張る力』だけではありません。困った時は相談をし、1人で出来ない時はお手伝いをお願いする。そんな人や場所を上手につくっていく事も大切な『力』です」と新成人に呼びかけた。
私たちは相談され、手伝いをお願いされる人になれているだろうか。
車いす利用者で、原発事故後に福島県田村市から京都府に避難した鈴木絹江さん。2015年12月に出した著書「放射能に追われたカナリア」に綴られた言葉をかみしめたい。
「障がいを持つ人は、社会の成熟度をはかるカナリアのようなものだと、私は考えている。カナリアが生きられない社会は、一般の人たちにとっても生きられない社会である事を深く考えて欲しい」
(了)
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