【110カ月目の福島市はいま】原発事故から10年目の「小鳥の森」。3密無いが散策すれば被曝リスク…依然として放射能汚染続く〝オアシス〟
- 2020/05/14
- 08:29
野鳥の鳴き声がこだまする森に「密」は無かった。しかし、放射線は今なお飛び交っている─。「愛鳥週間」にあわせて、今年も「小鳥の森」(福島県福島市山口)を歩いた。原発事故で汚染させられた野鳥のオアシスは、生態系保護のため除染作業を最小限にとどめ、自然減衰に任せているが、依然として高い所で0・4μSv/hを上回った。原発事故前の空間線量と比べると10倍だが、地元住民からは「この程度で『被曝リスクがある』なんて言わないで欲しい」との声も。原発事故から10年目のオアシス。放射能汚染の現実がそこにはあった。

【高い所で0・4μSv/h超】
静まり返った森。ウグイスなど野鳥の鳴き声がこだまする。木々の葉は濃い緑色になった。そのすき間から真夏のような強い陽射しが照り付ける。入り口に立つだけで、森の素晴らしさを毎回、実感させられる。しかし、残念ながら空間線量は最高で0・4μSv/hを上回る。原発事故による汚染が今なお続いている。
車が通れるようなアスファルト舗装の道路は0・2μSv/h前後だった。原発事故の翌年、2012年5月に初めて訪れた際には手元の線量計は1・3μSv/hを上回っていたから、除染の効果があったとはいえる。だが、原発事故が起こる前の福島市は0・04μSv/h前後だった事を考えると、依然として事故前の5倍の空間線量であるのもまた、事実だ。
散策用に整備された小径に入って行くと、手元の線量計は0・3μSv/hを上回り、場所によっては0・4μSv/hを超えた。黒い蝶が花の蜜を吸っている。都会の喧騒も新型コロナウイルスの感染リスクも忘れさせてくれる〝オアシス〟だが、ここを散策する時には被曝リスクが付きまとう。
7年前、2013年5月に訪れた際には高い所で2μSv/h前後あった場所が今は0・4μSv/h前後だから大幅に下がったと言えなくも無い。原発事故直後の2ケタを軽々と上回る空間線量を知っている住民からすれば「0・4μSv/hを気にしていたらここで生活出来ないよ」と言うだろう。だが、汚染は続いている。森は「鳥獣保護区」に指定されているが、動物たちは「保護」されているどころか、ずっと被曝リスクにさらされているのだ。



1μSv/hを上回るような地点は無かったが、依然として「小鳥の森」の空間線量は場所によって0・4μSv/hを超える。測定結果はホームページでも定期的に公開されている=2020年05月12日撮影
【本格除染できぬジレンマ】
小鳥の森を管理する「レンジャー」(「日本野鳥の会ふくしま」のスタッフで自然解説員)の一人が、里山除染の難しさについて2016年秋、次のように語っている。
「2年かけて除染を行いました。ただ、除染と言っても、学校の校庭のように表土を剥いでしまったら森の生態系が壊れてしまいます。大雨の際に土砂崩れが起きる危険性も増してしまいます。ですから市役所の方たちと何度も話し合い、落ち葉や腐葉土、朽ち木の撤去程度にとどめました。生き物は一度離れてしまったら、もう戻って来ないですから」
除染作業は、レンジャーたちの拠点で訪れた人も自由に出入り出来る「ネイチャーセンター」周辺など人の利用の多い場所に限って行われた。「作業は最小限にとどめましたが、それでも昆虫がかなり減ってしまいました。動植物たちの環境は大きく変わってしまったと思います」とレンジャー。もし、放射線量低減を優先して大規模除染を行えば、木を伐採して表土を削り取る事になる。それでは森でなくなってしまう。かといって何もしないわけにもいかない。
福島市農林整備課の担当者も2012年当時、取材に対し「森の除染は究極のところ、はげ山のようにしてしまうしか無いのではないかと思うんです。しかし、そんな事をしてしまったら、長年かけて野鳥などと一緒に築いてきた環境を壊してしまう。がけ崩れも起きやすくなる…。山林の有効な除染方法が無く、手をつけられずにいるんです」と頭を抱えていた。
森の中にはウグイスの鳴き声が響いていた。森の空間線量が0・04μSv/hにまで下がるのに、あと何年かかるだろう。



「小鳥の森」では多くの野鳥を観察する事が出来るが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のためイベントは中止されている。森の一角には原発事故後に設置された注意喚起の看板が今もあるが、被曝リスクを意識する人は少なくなった
【「この程度で『被曝リスク』?」】
福島市内に住む60代女性が一眼レフカメラを手に野鳥を探していた。「ここなら〝3密〟なんか無いだろうなあと思ってね」と楽しそうにファインダーをのぞいていた。
「原発事故後に双葉郡の親類が、着の身着のままでわが家に避難して来たんです。避難指示が出された区域の人々は全国のあちらこちらに避難していくと聞いて、何とも言えない気持ちになりました。じゃあ、中通りに住んでいる私たちはどうなるんだと。私たちはどこに行けば良いのだろうと考えてしまいました」
女性は木々に目をやりながら振り返った。「中通りにも避難指示が出されるべきだったのではないか。いったん全員、県外に出て、それから少しずつ戻るのが良かったのではないか」と伝えると、女性は「えー、そんな事をされたら、いったいどこに行けば良かったのでしょうね。何が正しかったのか分からないけれど、避難指示はちょっと…」と驚いていた。
「0・4μSv/h程度で『被曝リスクがある』なんて言われちゃったら、福島市に住む私たちは困ってしまいますよ」
気分を害してしまったようだ。
汚染や被曝リスクの話をするのは本当に難しい。
低線量被曝による健康被害は、感染症と違って急性症状が生じるわけでは無い。しかも、感染症のように症状の原因を特定しにくい。原発事故から10年目の森が、放射能汚染とリスクへの温度差という2つの現実を教えてくれているようだった。
(了)

【高い所で0・4μSv/h超】
静まり返った森。ウグイスなど野鳥の鳴き声がこだまする。木々の葉は濃い緑色になった。そのすき間から真夏のような強い陽射しが照り付ける。入り口に立つだけで、森の素晴らしさを毎回、実感させられる。しかし、残念ながら空間線量は最高で0・4μSv/hを上回る。原発事故による汚染が今なお続いている。
車が通れるようなアスファルト舗装の道路は0・2μSv/h前後だった。原発事故の翌年、2012年5月に初めて訪れた際には手元の線量計は1・3μSv/hを上回っていたから、除染の効果があったとはいえる。だが、原発事故が起こる前の福島市は0・04μSv/h前後だった事を考えると、依然として事故前の5倍の空間線量であるのもまた、事実だ。
散策用に整備された小径に入って行くと、手元の線量計は0・3μSv/hを上回り、場所によっては0・4μSv/hを超えた。黒い蝶が花の蜜を吸っている。都会の喧騒も新型コロナウイルスの感染リスクも忘れさせてくれる〝オアシス〟だが、ここを散策する時には被曝リスクが付きまとう。
7年前、2013年5月に訪れた際には高い所で2μSv/h前後あった場所が今は0・4μSv/h前後だから大幅に下がったと言えなくも無い。原発事故直後の2ケタを軽々と上回る空間線量を知っている住民からすれば「0・4μSv/hを気にしていたらここで生活出来ないよ」と言うだろう。だが、汚染は続いている。森は「鳥獣保護区」に指定されているが、動物たちは「保護」されているどころか、ずっと被曝リスクにさらされているのだ。



1μSv/hを上回るような地点は無かったが、依然として「小鳥の森」の空間線量は場所によって0・4μSv/hを超える。測定結果はホームページでも定期的に公開されている=2020年05月12日撮影
【本格除染できぬジレンマ】
小鳥の森を管理する「レンジャー」(「日本野鳥の会ふくしま」のスタッフで自然解説員)の一人が、里山除染の難しさについて2016年秋、次のように語っている。
「2年かけて除染を行いました。ただ、除染と言っても、学校の校庭のように表土を剥いでしまったら森の生態系が壊れてしまいます。大雨の際に土砂崩れが起きる危険性も増してしまいます。ですから市役所の方たちと何度も話し合い、落ち葉や腐葉土、朽ち木の撤去程度にとどめました。生き物は一度離れてしまったら、もう戻って来ないですから」
除染作業は、レンジャーたちの拠点で訪れた人も自由に出入り出来る「ネイチャーセンター」周辺など人の利用の多い場所に限って行われた。「作業は最小限にとどめましたが、それでも昆虫がかなり減ってしまいました。動植物たちの環境は大きく変わってしまったと思います」とレンジャー。もし、放射線量低減を優先して大規模除染を行えば、木を伐採して表土を削り取る事になる。それでは森でなくなってしまう。かといって何もしないわけにもいかない。
福島市農林整備課の担当者も2012年当時、取材に対し「森の除染は究極のところ、はげ山のようにしてしまうしか無いのではないかと思うんです。しかし、そんな事をしてしまったら、長年かけて野鳥などと一緒に築いてきた環境を壊してしまう。がけ崩れも起きやすくなる…。山林の有効な除染方法が無く、手をつけられずにいるんです」と頭を抱えていた。
森の中にはウグイスの鳴き声が響いていた。森の空間線量が0・04μSv/hにまで下がるのに、あと何年かかるだろう。



「小鳥の森」では多くの野鳥を観察する事が出来るが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のためイベントは中止されている。森の一角には原発事故後に設置された注意喚起の看板が今もあるが、被曝リスクを意識する人は少なくなった
【「この程度で『被曝リスク』?」】
福島市内に住む60代女性が一眼レフカメラを手に野鳥を探していた。「ここなら〝3密〟なんか無いだろうなあと思ってね」と楽しそうにファインダーをのぞいていた。
「原発事故後に双葉郡の親類が、着の身着のままでわが家に避難して来たんです。避難指示が出された区域の人々は全国のあちらこちらに避難していくと聞いて、何とも言えない気持ちになりました。じゃあ、中通りに住んでいる私たちはどうなるんだと。私たちはどこに行けば良いのだろうと考えてしまいました」
女性は木々に目をやりながら振り返った。「中通りにも避難指示が出されるべきだったのではないか。いったん全員、県外に出て、それから少しずつ戻るのが良かったのではないか」と伝えると、女性は「えー、そんな事をされたら、いったいどこに行けば良かったのでしょうね。何が正しかったのか分からないけれど、避難指示はちょっと…」と驚いていた。
「0・4μSv/h程度で『被曝リスクがある』なんて言われちゃったら、福島市に住む私たちは困ってしまいますよ」
気分を害してしまったようだ。
汚染や被曝リスクの話をするのは本当に難しい。
低線量被曝による健康被害は、感染症と違って急性症状が生じるわけでは無い。しかも、感染症のように症状の原因を特定しにくい。原発事故から10年目の森が、放射能汚染とリスクへの温度差という2つの現実を教えてくれているようだった。
(了)
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