【いわき市議選2020】「いわきの子どもを守りたい」放射能測定続けて来た主婦が立候補を決意 9月投開票「原発事故は終わっていない」
- 2020/06/11
- 20:03
2011年から続く原発事故問題に取り組んでいる主婦が、9月に行われるいわき市議選に立候補する。被曝リスクから子どもたちを守ろうと空間線量や土壌汚染密度の測定を続けており、命を守る母親たちの声を市政に反映させたいと初めての挑戦を決意した。原発事故問題は票にならないうえ、コロナ禍で思うような活動が出来ていないが、「いわきの全ての子どもたちが健康にすくすくと育って欲しい。そのために、今のうちに出来る事をやらなきゃいけないんです」と当選を目指す。投開票は9月13日。

【「汚染まだ続いている」】
立候補の準備を進めているのは、鈴木さおりさん(51)=いわき市平下平窪=。
大阪生まれ。2歳まで大阪で暮らし、父親の転勤で東京、埼玉に転居。結婚を機にいわき市で暮らすようになった。夫と大学2年生の娘、高校3年生の息子と4人暮らし。いわき市での生活は20年を超え「人生で一番長く住んでいる土地になった」。
転機はやはり、2011年3月の原発事故。それまでは子どもの通う学校でPTA会長を務めたくらいしか無かったが、子育て中の母親たちでつくる『いわきの初期被曝を追及するママの会』から派生した『TEAM ママベク子どもの環境守り隊』のメンバーとして活動。学習塾を経営する傍ら、学校や幼稚園などの空間線量や土壌汚染密度を測り続けている。
「当時、子どもは小学校4年生と2年生でした。学校を測れば場所によっては3μSv/hを超えることもありました。測定を続けて来て、原発事故はまだ終わっていない、汚染はまだ続いているという想いが強いです。自分の子どもだけでなく、いわき市の全ての子どもたちが健康にすくすくと育って欲しい。そのために、今のうちに出来る事をやらなきゃいけないと思っています。子どもたちが心身ともに健康に育つ事が社会の基本なのです。大人の都合で子どもたちを犠牲にしてはいけません」
駅前や学校などに設置されたモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の撤去計画が浮上した2018年4月には、市内の母親たちと一緒に清水敏男市長に要請書を提出した。要請書では、①MPが不要か否かの決定権は住民が持つものだという事②廃炉作業が完了するまで撤去しない事③今後予定されている住民説明会は撤去を前提として開催しない事─を国に訴えるよう清水市長に求めたが、最終的に原子力規制委員会が撤去計画を白紙撤回した。

モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の撤去計画に反対。他の母親たちと一緒に清水敏男市長に要請書を提出した鈴木さおりさん(中央)=2018年4月23日撮影
【反感買う「原発問題」】
原発事故から9年が経過した。国も福島県も「もはや空間線量は大幅に下がった」として、避難指示が出されなかった区域での被曝リスクなど語らない。
しかし、鈴木さんは測定を続けている経験から「空間線量と土壌汚染は違うんです。空間線量が低くても、その下の土壌は放射能に酷く汚染されている事も少なくないのです。空間線量が低いからと言って、それだけでは安心出来ません。原発事故前の状態に完全に戻す事は出来ませんが、それに近づける努力を大人はし続けなければいけないと思います」と反論する。
一方で、必ずしも正論が通らないという想いも何度も味わってきた。原発事故や被曝リスクの問題は「票にならない」と言われ、福島ではずっと選挙の争点となっていない。「汚染や被曝の問題を前面に出すと反感を買ってしまいます。考える事に疲れちゃったという側面もあるでしょうね。かといって、その問題は絶対に外したくありません」と、配布を始めたリーフレットには、三番目に「原発事故後の放射能問題」と書いた。
原発事故後、北海道産米を学校給食に使っていたいわき市が、いわき産米に切り替える方針を打ち出した時には反対運動に加わった。自民党系市議は「米の消費拡大と地産地消を推進する」、「風評を払拭し、地元の農家を救う」と歓迎したが、鈴木さんは子どもの内部被曝を心配する母親の声を署名として集めたり、要望書を市に提出したりした。やがて「復興の邪魔をするのか」という声が耳に入った。農家からも強く責められたという。
「農家がどうなっても良いのか、と言われました。ちゃんと補償についても語っていたのですが…。電話で直接、非難された事もありました。メールも届きました。『そんなに嫌なら、あなた達が出て行けば良い』と言われた事もあります」
インターネット上に個人情報が書き込まれた事もあった。それでも放射性物質から子どもを守る活動をやめなかった。やめる事は出来なかった。

空間線量は確かに大きく下がった。しかし、鈴木さんは「土壌汚染はまだ続いている」と指摘する
【「女性議員増えて」】
立憲民主党に入党。公認候補として立候補する。無所属での立候補も考えたが、前回2016年の市議選での当選ラインは2300票。組織を持たない無名の新人にはハードルが高い。「当選し、議会に加われないことには理想とする社会を追求出来ない」と鈴木さんは話す。
「人によっては意見が分かれると思いますが、経験も組織もありません。やはりバックアップは必要です。地元の人からは『自民党から立候補すれば簡単に当選するよ』と言われましたが、それでは私の声は消されてしまうでしょう。言いたい事が言えないのなら当選しても意味が無いですから」
女性議員が増えて欲しいという想いもある。「お父さんの目線とお母さんの目線は違います。母親は命を産んでいるんです。命に対する考え方が男性とは違うんです。これは、どちらが悪いという事では無くて仕方ない事だと思います。だから、男性と女性がお互いに足りないところを補い合うのが理想の社会だと思います。市議会も同じです。男性ばかりでも女性ばかりでも駄目なんです。バランスが取れて意見を出し合うのが一番良いと思います」。
昨年の「10・12水害」でも奔走した。「街全体が地獄のような状態でした」。浄化槽を使っている家庭も多く、泥水と一緒に下水も住宅に入り込んだ。呆然自失の住民たちのために動いた。幸い自宅は浸水を免れたため、浸水した公民館を高圧洗浄機などで掃除。そこを『支援ベース』として救援物資の配布などを始めた。
人手や物資が必要なのは当然だったが、実は被災者に必要なのはそれだけでは無かった。行政や社会福祉協議会とも連携し、愚痴でも何でも話せる〝お茶のみコーナー〟を支援ベースに設けた。「お茶飲んで一服するって大事なんですよね。それでまた頑張れるんです」。原発事故同様、水害被害もまだ終わっていない。
告示日まで3カ月を切った。コロナ禍で思うように動けず、焦りが募る。「新型コロナウイルスの問題が無ければ茶話会やミニ集会をたくさん開いているはずだったのですが…。7月には事務所を開く予定ですので、頑張って準備を進めます」。
原発事故から10年目のいわき市議会に新風を吹き込めるか。投開票は9月13日。
(了)

【「汚染まだ続いている」】
立候補の準備を進めているのは、鈴木さおりさん(51)=いわき市平下平窪=。
大阪生まれ。2歳まで大阪で暮らし、父親の転勤で東京、埼玉に転居。結婚を機にいわき市で暮らすようになった。夫と大学2年生の娘、高校3年生の息子と4人暮らし。いわき市での生活は20年を超え「人生で一番長く住んでいる土地になった」。
転機はやはり、2011年3月の原発事故。それまでは子どもの通う学校でPTA会長を務めたくらいしか無かったが、子育て中の母親たちでつくる『いわきの初期被曝を追及するママの会』から派生した『TEAM ママベク子どもの環境守り隊』のメンバーとして活動。学習塾を経営する傍ら、学校や幼稚園などの空間線量や土壌汚染密度を測り続けている。
「当時、子どもは小学校4年生と2年生でした。学校を測れば場所によっては3μSv/hを超えることもありました。測定を続けて来て、原発事故はまだ終わっていない、汚染はまだ続いているという想いが強いです。自分の子どもだけでなく、いわき市の全ての子どもたちが健康にすくすくと育って欲しい。そのために、今のうちに出来る事をやらなきゃいけないと思っています。子どもたちが心身ともに健康に育つ事が社会の基本なのです。大人の都合で子どもたちを犠牲にしてはいけません」
駅前や学校などに設置されたモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の撤去計画が浮上した2018年4月には、市内の母親たちと一緒に清水敏男市長に要請書を提出した。要請書では、①MPが不要か否かの決定権は住民が持つものだという事②廃炉作業が完了するまで撤去しない事③今後予定されている住民説明会は撤去を前提として開催しない事─を国に訴えるよう清水市長に求めたが、最終的に原子力規制委員会が撤去計画を白紙撤回した。

モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の撤去計画に反対。他の母親たちと一緒に清水敏男市長に要請書を提出した鈴木さおりさん(中央)=2018年4月23日撮影
【反感買う「原発問題」】
原発事故から9年が経過した。国も福島県も「もはや空間線量は大幅に下がった」として、避難指示が出されなかった区域での被曝リスクなど語らない。
しかし、鈴木さんは測定を続けている経験から「空間線量と土壌汚染は違うんです。空間線量が低くても、その下の土壌は放射能に酷く汚染されている事も少なくないのです。空間線量が低いからと言って、それだけでは安心出来ません。原発事故前の状態に完全に戻す事は出来ませんが、それに近づける努力を大人はし続けなければいけないと思います」と反論する。
一方で、必ずしも正論が通らないという想いも何度も味わってきた。原発事故や被曝リスクの問題は「票にならない」と言われ、福島ではずっと選挙の争点となっていない。「汚染や被曝の問題を前面に出すと反感を買ってしまいます。考える事に疲れちゃったという側面もあるでしょうね。かといって、その問題は絶対に外したくありません」と、配布を始めたリーフレットには、三番目に「原発事故後の放射能問題」と書いた。
原発事故後、北海道産米を学校給食に使っていたいわき市が、いわき産米に切り替える方針を打ち出した時には反対運動に加わった。自民党系市議は「米の消費拡大と地産地消を推進する」、「風評を払拭し、地元の農家を救う」と歓迎したが、鈴木さんは子どもの内部被曝を心配する母親の声を署名として集めたり、要望書を市に提出したりした。やがて「復興の邪魔をするのか」という声が耳に入った。農家からも強く責められたという。
「農家がどうなっても良いのか、と言われました。ちゃんと補償についても語っていたのですが…。電話で直接、非難された事もありました。メールも届きました。『そんなに嫌なら、あなた達が出て行けば良い』と言われた事もあります」
インターネット上に個人情報が書き込まれた事もあった。それでも放射性物質から子どもを守る活動をやめなかった。やめる事は出来なかった。

空間線量は確かに大きく下がった。しかし、鈴木さんは「土壌汚染はまだ続いている」と指摘する
【「女性議員増えて」】
立憲民主党に入党。公認候補として立候補する。無所属での立候補も考えたが、前回2016年の市議選での当選ラインは2300票。組織を持たない無名の新人にはハードルが高い。「当選し、議会に加われないことには理想とする社会を追求出来ない」と鈴木さんは話す。
「人によっては意見が分かれると思いますが、経験も組織もありません。やはりバックアップは必要です。地元の人からは『自民党から立候補すれば簡単に当選するよ』と言われましたが、それでは私の声は消されてしまうでしょう。言いたい事が言えないのなら当選しても意味が無いですから」
女性議員が増えて欲しいという想いもある。「お父さんの目線とお母さんの目線は違います。母親は命を産んでいるんです。命に対する考え方が男性とは違うんです。これは、どちらが悪いという事では無くて仕方ない事だと思います。だから、男性と女性がお互いに足りないところを補い合うのが理想の社会だと思います。市議会も同じです。男性ばかりでも女性ばかりでも駄目なんです。バランスが取れて意見を出し合うのが一番良いと思います」。
昨年の「10・12水害」でも奔走した。「街全体が地獄のような状態でした」。浄化槽を使っている家庭も多く、泥水と一緒に下水も住宅に入り込んだ。呆然自失の住民たちのために動いた。幸い自宅は浸水を免れたため、浸水した公民館を高圧洗浄機などで掃除。そこを『支援ベース』として救援物資の配布などを始めた。
人手や物資が必要なのは当然だったが、実は被災者に必要なのはそれだけでは無かった。行政や社会福祉協議会とも連携し、愚痴でも何でも話せる〝お茶のみコーナー〟を支援ベースに設けた。「お茶飲んで一服するって大事なんですよね。それでまた頑張れるんです」。原発事故同様、水害被害もまだ終わっていない。
告示日まで3カ月を切った。コロナ禍で思うように動けず、焦りが募る。「新型コロナウイルスの問題が無ければ茶話会やミニ集会をたくさん開いているはずだったのですが…。7月には事務所を開く予定ですので、頑張って準備を進めます」。
原発事故から10年目のいわき市議会に新風を吹き込めるか。投開票は9月13日。
(了)
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