【112カ月目の浪江町はいま】新型コロナウイルスが阻んだ母校との別れ 「解体前にお別れ会くらい開いて!」一蹴された卒業生たちの願い 背景に環境省の意向
- 2020/07/28
- 17:17
2011年3月の原発事故・全町避難で閉校が決まった福島県双葉郡浪江町の町立5校が年内にも解体される事になり、最後の校舎見学会が23~25の3日間、大堀、苅野、幾世橋、浪江の4小学校と浪江中学校で行われた。しかし、コロナ禍で移動をためらう県外避難者から、日を改めてお別れ会を行うよう望む声が噴出。町役場にもそれらの声は届いているが一蹴され、5校は予定通り、年内にも解体されてさら地になる。そこには「今年度中に解体しないと費用負担しない」という環境省の意向があった。原発事故で故郷を追われた町民たちは、今度は母校までも奪われる。

【「許しがたい暴挙」】
「ふるさと浪江の小学校、中学校が(請戸小学校を除いて)すべて解体されることが決まった。最後の見学会がこの7月23日~25日に開かれるそうだが、コロナ禍真っ只中にお別れをしたくても行けないではないか。約150年の歴史ある学校をそんな簡単に解体されては浪江町の先人たちに申し訳なく思うばかりでなく、卒業生の私には許しがたい暴挙と思える。せめてすべての小学校中学校でそれぞれお別れの会をコロナが落ち着いた頃を見計らって計画するのが町の役割ではないのか。各小学校・中学校の卒業生の皆さん、声を上げて町を動かしませんか」
7月20日、こんな投稿がフェイスブックに掲載された。書き込んだのは浪江小、浪江中の卒業生で、現在は静岡県在住の堀川文夫さん。
別の卒業生も「今日から始まっている浪江町小学校見学会に東京都知事から外出自粛要請がコロナ感染拡大予防の為に、出されているので、浪江町へ行くことができません………せめて浪江小学校で、校歌を歌ってお別れしたいと思い投稿しました」と書き込んだ。しかし、浪江町教育委員会の担当者は取材に対し「大変申し訳ないが、こちらとしてはこのタイミングしか無い。校舎内を見られるのはこれが最後です」と明言した。
県外の避難先から駆け付けた母親は「ずいぶん冷たいですよね。3日間というのも短い。せめて1カ月間くらい続けたら、もっと多くの人が来られるのに…。だいたい、福島県も校舎を残す事に消極的らしいですしね」と表情を曇らせた。2011年3月当時、浪江小学校3年生だった娘と一緒に、動画や写真を撮影した。娘が通い慣れた校舎に入るのは、原発事故後これが最初で最後。母親は、静かな口調ながらきっぱりと言った。
「保存に金がかかるのなら事故を起こした東電に負担させれば良いのに」




①これまでに何度か引き渡しの機会はあったが、教室には当時の私物が数多く残されていた。この3日間で引き取られなかった物は処分されるという
②解体が決まった5校の校舎には、PTA役員が考えたという言葉が掲示されていた
③浪江小学校では、以前の古い校舎をチョークで描いた「黒板アート」も披露された。看板業を営む卒業生が3日間かけて仕上げたという
④各学校で綴られた寄せ書きはデータ化して保存。町のホームページで公開されるという
【「保存にも金かかる」】
町役場には、見学会の延期を求める声が電話などで寄せられたという。それなのになぜ、町教委は「このタイミングしか無い」と卒業生の想いを一蹴するのか。そこには解体費用負担を巡る環境省との〝綱引き〟がある。町内に新たに開校した「なみえ創成小学校・中学校」の関係者が明かした。
「子どもたちが避難先から戻って来るという状況に無いので、やむなく閉校が決まりました。しかし、校舎を震災遺構として残すにしてもお金がかかります。じゃあ、解体する時期を先延ばしすれば良いかと言えば、今年度中に解体しないと環境省が費用負担してくれません。来年度に持ち越せば町が解体費用を負担しなければならない。来られない方々の気持ちはよく分かりますが、校舎を壊す段取りを考えると、仕方ないと思います」
当時1年生だった娘とともに浪江中学校を訪れた男性も「私も卒業生だから、解体前に『お別れ会』を開いて欲しいとは思うけど、やれる時にやるしか無いじゃない。じゃあ、2カ月後、3カ月後なら感染症の問題が収まっているのか。全員が納得するなんてあり得ないからね。この3日で区切るのは仕方ないと思うよ」と話した。この言葉は奇しくも、町教委職員の言葉と同じだった。
言うまでもないが、5校は人口の自然減による統廃合では無い。浪江小学校では、震災当時のPTA役員が「あの頃だって500人を超える子どもたちが通っていたんですから当然、閉校や廃校なんて話は全くありませんでした。原発事故が無ければ閉校する事も無かったんです」と話したが、これは卒業生に共通する想いだ。
原発事故で故郷を奪われ、母校も奪われる。しかも、解体のスケジュールは費用負担をする環境省主導。こんな理不尽がまかり通ってしまうのもまた、原発事故の現実だった。




①浪江中学校ではまさに、3月11日午前に卒業生を送り出した直後の震災。黒板が卒業式当日の様子を生々しく伝えていた
②浪江町立小学校は3月23日に卒業式を行う予定だったが、震災・津波・原発事故で中止。子どもたちは2011年7月、二本松市内で卒業証書を受け取った。大堀小に最後の卒業アルバムが展示されていた
③震災当時の担任教師たちも校舎を訪れ、思い思いのメッセージを黒板に書き残した
④町内では環境省による家屋解体が急ピッチで進められている。さら地が増える浪江。5校も年内にはさら地になる
【「本当は残したいが…」】
浪江町内で被災建物の解体撤去工事を手広く請け負っている安藤ハザマの工事関係者は「まだ具体的なスケジュールは決まっていませんが、校舎解体は年内いっぱいはかかるのではないでしょうか。年明けにはさら地になっているイメージで良いと思います。まあ、年度内に解体しないと環境省が金を出さないですから…」と話した。
卒業生の間では校舎保存を求めて署名運動を始める動きもあるが、このままでは解体工事が始まってしまう。町教委によると、校舎内の片付けが終わり次第、解体工事が始まるという。
自宅で取材に応じた吉田数博町長は、コロナ禍などで最後の見学会に来られない卒業生の想いに理解は示したものの「本当は校舎を残したいんですけどね…。後々の事を考えるとね。環境省で解体をやっていただけるということですから…。やむを得ないんだろうなと。時間があればね…」と校舎の保存や今後の「お別れ会」開催に否定的だった。「時間があれば」という言葉の向こう側には、環境省の決めたタイムリミットがあるのだ。
町は閉校後の校舎の利活用をしてくれる企業が無いか公募したが、不調に終わった。
「2社の応募があったのですが、うち1社が感染症の問題で資金繰りがつかなくなってしまい、あきらめたという経緯があります。ちょっとタイミングが悪かったですね。さら地になった後の校庭の一部に消防屯所(消防団の詰所)や避難所的なものをつくりたいと考えていますが、具体的な事はこれからです」
初日に5校を訪れたという吉田町長。「下駄箱に自分の靴が9年前のまま入っていて、その前で涙ぐんでいる女の子がいてね。つらいですね」と語った。しかし、校舎は粛々と壊される。
苅野小学校の校長室前には、若かりし頃の吉田町長の写真が飾られていた。1983年4月から1985年3月まで同行のPTA会長を務めた吉田町長。卒業生の想いを汲んで、とことん環境省と闘ったのだろうか。
(了)

【「許しがたい暴挙」】
「ふるさと浪江の小学校、中学校が(請戸小学校を除いて)すべて解体されることが決まった。最後の見学会がこの7月23日~25日に開かれるそうだが、コロナ禍真っ只中にお別れをしたくても行けないではないか。約150年の歴史ある学校をそんな簡単に解体されては浪江町の先人たちに申し訳なく思うばかりでなく、卒業生の私には許しがたい暴挙と思える。せめてすべての小学校中学校でそれぞれお別れの会をコロナが落ち着いた頃を見計らって計画するのが町の役割ではないのか。各小学校・中学校の卒業生の皆さん、声を上げて町を動かしませんか」
7月20日、こんな投稿がフェイスブックに掲載された。書き込んだのは浪江小、浪江中の卒業生で、現在は静岡県在住の堀川文夫さん。
別の卒業生も「今日から始まっている浪江町小学校見学会に東京都知事から外出自粛要請がコロナ感染拡大予防の為に、出されているので、浪江町へ行くことができません………せめて浪江小学校で、校歌を歌ってお別れしたいと思い投稿しました」と書き込んだ。しかし、浪江町教育委員会の担当者は取材に対し「大変申し訳ないが、こちらとしてはこのタイミングしか無い。校舎内を見られるのはこれが最後です」と明言した。
県外の避難先から駆け付けた母親は「ずいぶん冷たいですよね。3日間というのも短い。せめて1カ月間くらい続けたら、もっと多くの人が来られるのに…。だいたい、福島県も校舎を残す事に消極的らしいですしね」と表情を曇らせた。2011年3月当時、浪江小学校3年生だった娘と一緒に、動画や写真を撮影した。娘が通い慣れた校舎に入るのは、原発事故後これが最初で最後。母親は、静かな口調ながらきっぱりと言った。
「保存に金がかかるのなら事故を起こした東電に負担させれば良いのに」




①これまでに何度か引き渡しの機会はあったが、教室には当時の私物が数多く残されていた。この3日間で引き取られなかった物は処分されるという
②解体が決まった5校の校舎には、PTA役員が考えたという言葉が掲示されていた
③浪江小学校では、以前の古い校舎をチョークで描いた「黒板アート」も披露された。看板業を営む卒業生が3日間かけて仕上げたという
④各学校で綴られた寄せ書きはデータ化して保存。町のホームページで公開されるという
【「保存にも金かかる」】
町役場には、見学会の延期を求める声が電話などで寄せられたという。それなのになぜ、町教委は「このタイミングしか無い」と卒業生の想いを一蹴するのか。そこには解体費用負担を巡る環境省との〝綱引き〟がある。町内に新たに開校した「なみえ創成小学校・中学校」の関係者が明かした。
「子どもたちが避難先から戻って来るという状況に無いので、やむなく閉校が決まりました。しかし、校舎を震災遺構として残すにしてもお金がかかります。じゃあ、解体する時期を先延ばしすれば良いかと言えば、今年度中に解体しないと環境省が費用負担してくれません。来年度に持ち越せば町が解体費用を負担しなければならない。来られない方々の気持ちはよく分かりますが、校舎を壊す段取りを考えると、仕方ないと思います」
当時1年生だった娘とともに浪江中学校を訪れた男性も「私も卒業生だから、解体前に『お別れ会』を開いて欲しいとは思うけど、やれる時にやるしか無いじゃない。じゃあ、2カ月後、3カ月後なら感染症の問題が収まっているのか。全員が納得するなんてあり得ないからね。この3日で区切るのは仕方ないと思うよ」と話した。この言葉は奇しくも、町教委職員の言葉と同じだった。
言うまでもないが、5校は人口の自然減による統廃合では無い。浪江小学校では、震災当時のPTA役員が「あの頃だって500人を超える子どもたちが通っていたんですから当然、閉校や廃校なんて話は全くありませんでした。原発事故が無ければ閉校する事も無かったんです」と話したが、これは卒業生に共通する想いだ。
原発事故で故郷を奪われ、母校も奪われる。しかも、解体のスケジュールは費用負担をする環境省主導。こんな理不尽がまかり通ってしまうのもまた、原発事故の現実だった。




①浪江中学校ではまさに、3月11日午前に卒業生を送り出した直後の震災。黒板が卒業式当日の様子を生々しく伝えていた
②浪江町立小学校は3月23日に卒業式を行う予定だったが、震災・津波・原発事故で中止。子どもたちは2011年7月、二本松市内で卒業証書を受け取った。大堀小に最後の卒業アルバムが展示されていた
③震災当時の担任教師たちも校舎を訪れ、思い思いのメッセージを黒板に書き残した
④町内では環境省による家屋解体が急ピッチで進められている。さら地が増える浪江。5校も年内にはさら地になる
【「本当は残したいが…」】
浪江町内で被災建物の解体撤去工事を手広く請け負っている安藤ハザマの工事関係者は「まだ具体的なスケジュールは決まっていませんが、校舎解体は年内いっぱいはかかるのではないでしょうか。年明けにはさら地になっているイメージで良いと思います。まあ、年度内に解体しないと環境省が金を出さないですから…」と話した。
卒業生の間では校舎保存を求めて署名運動を始める動きもあるが、このままでは解体工事が始まってしまう。町教委によると、校舎内の片付けが終わり次第、解体工事が始まるという。
自宅で取材に応じた吉田数博町長は、コロナ禍などで最後の見学会に来られない卒業生の想いに理解は示したものの「本当は校舎を残したいんですけどね…。後々の事を考えるとね。環境省で解体をやっていただけるということですから…。やむを得ないんだろうなと。時間があればね…」と校舎の保存や今後の「お別れ会」開催に否定的だった。「時間があれば」という言葉の向こう側には、環境省の決めたタイムリミットがあるのだ。
町は閉校後の校舎の利活用をしてくれる企業が無いか公募したが、不調に終わった。
「2社の応募があったのですが、うち1社が感染症の問題で資金繰りがつかなくなってしまい、あきらめたという経緯があります。ちょっとタイミングが悪かったですね。さら地になった後の校庭の一部に消防屯所(消防団の詰所)や避難所的なものをつくりたいと考えていますが、具体的な事はこれからです」
初日に5校を訪れたという吉田町長。「下駄箱に自分の靴が9年前のまま入っていて、その前で涙ぐんでいる女の子がいてね。つらいですね」と語った。しかし、校舎は粛々と壊される。
苅野小学校の校長室前には、若かりし頃の吉田町長の写真が飾られていた。1983年4月から1985年3月まで同行のPTA会長を務めた吉田町長。卒業生の想いを汲んで、とことん環境省と闘ったのだろうか。
(了)
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