【安倍首相辞意】選挙のたびに利用された「被災地・福島」。ハコモノ訪れ、食べて〝復興〟アピール。最後まで原発事故の〝本当の被害〟見ないまま
- 2020/08/28
- 18:42
体調悪化が取りざたされてきた安倍晋三首相が28日夕、辞意を表明した。原発事故後の福島は、国政選挙のたびに安倍首相が大威勢の地に選び、様々な演出で〝復興〟アピールに利用されてきた。また、避難指示区域にハコモノが完成すれば足を運び、こちらでも焼きそばやうどんを食べて〝復興〟が着実に進んでいると強調。悲願である2020年東京五輪に向けて被害者を切り捨てながら地ならしを続けて来た。為政者は福島で何を語り、何から目を逸らしてきたのか。きちんと振り返っておきたい。

【「福島の米を毎日、食べてる」】
安倍政権と福島と言えば、国政選挙だろう。選挙のたびに「被災地・福島」は演出に利用されてきた。
2016年6月の参院選。公示日に駆け付けた安倍首相は、地元のお菓子「薄皮まんじゅう」や「ままどおる」に触れながら、次のように強調した。
「思い出していただきたい。あの時、本当に福島のために働いたのは誰か」
「常磐道を約束通り、全面開通させました」
「中通りのお米を官邸で毎日、食べています」
「福島のお米を毎日、食べているから、こうして元気なんです」
2017年10月の総選挙では、福島駅前では無く駅から遠く離れた田んぼの真ん中で第一声を行った。稲刈りの時期だったが、演説代の周辺だけ黄金色の稲穂を残す演出ぶりだった。
「今回の選挙は福島からスタートする。2012年の政権奪還の選挙もそうだったし、翌年の参院選、その次の衆院選、昨年の参院選、みんなそうだった」
「民主党政権では復興が進まなかった。誰が福島の復興をさらに進める事が出来るのか。誰に託す事が出来るのか。誰がやって来たのか。どうかこの事を考えていただきたい」
「この近くの県営あづま球場には、2020年の東京五輪で世界中から(野球やソフトボールの)一流選手がやって来ますよ」
2019年7月の参院選は、今度は福島市内の果樹園で第一声。差し出された早生桃やサクランボを頬張ってみせた。
「残念ながら民主党政権の下、遅々として復興は進まなかった」
「首相に就任して40回、被災地を訪問しました。『風評被害なんとかしてください』。何度この声を聞いたことでしょうか」
「来年の東京オリンピック・パラリンピックでは、聖火リレーはこの福島県のJビレッジからスタートします。初めての競技も福島県から始まる。まさに世界の真ん中で福島県が輝くんですよ。復興は次のステージに入っていく」
演説会場は常に動員でいっぱいになった。民主党政権批判や〝復興〟アピールも決まり文句となった。一方で、まるで批判の声から逃げるように年々、主要駅から遠ざかった。




①②③国政選挙のたびに福島で第一声を行った安倍首相。様々な演出で福島の〝復興〟をアピールした。首相の寵愛を受ける森まさ子参院議員は法務大臣として2度目の入閣を果たしたが、首相の辞意表明で大臣の椅子も揺らぐ
④国道6号線沿いにある「二ツ沼総合公園」(広野町)の近くには、安倍晋三首相の桜が植えられている
【「線量計手に山を歩け」】
安倍首相は最後まで、とうとう帰還困難区域など原発事故の被害の実相に向き合う事は無かった。
2017年4月には、避難指示が部分解除されたばかりの浪江町を訪問した。だが、足を運んだのは仮設商業共同店舗施設「まち・なみ・まるしぇ」のみ。しかもたった20分ほど滞在しただけで、「なみえ焼そば」や小女子の加工品、ホッキ飯のおにぎりを食べて〝復興〟をアピールしたにすぎなかった。
これには町民から「パフォーマンスに過ぎないよ。そんなに安全で〝復興〟が始まっているのなら、1カ月でも2カ月でも浪江に住んでみたら良い」、「丈六公園から少し行けば帰還困難区域の酒井行政区があります。車であればあっという間に着きます。精度の良いガイガーカウンターを持参して警報音の鳴る場所を歩きなさいよ、と言いたいです。帰れない場所も同時に見ないとフェアじゃ無い」、「東京五輪までに原発事故など無かった事にしたいんでしょ」などと批判の声もあがった。
同じ年の7月には、飯舘村を訪問。分刻みのスケジュールで特別養護老人ホームやうどん店を巡った。
村民からは「線量計を持って山を歩いてみれば良いんだ」との声もあったが、安倍首相が原発事故による汚染の実態など知るはずも無い。うどんを食べて何が分かるのか。菅野典雄村長がうれしそうな笑顔を見せていたのとは対照的に、村民からは冷めた声が多く聞かれた。
「もうパフォーマンスは要らないです。村民の想いなど分かろうともしないのが一番の罪ですね。国民より経済優先、対外的アピールばかりで根本的問題は置き去りのままじゃないですか」
「荒れ果てた山や田んぼの中で、お年寄りだけが村に戻って暮らしてるのが復興なのでしょうか。私は違うと思います。子どもも高齢者も一緒に、当たり前の生活が出来て初めて復興だと言えるのではないでしょうか。学校だけ立派に作っても、通う子どもが居なくては意味がありません。それに、日用品を遠くまで買いに行かなければならないのが復興ですか?」
2018年3月には、伊達市で行われた「相馬福島道路」の部分開通式にも出席。「この相馬福島道路の全線開通を目指す2020年度には東京オリンピック・パラリンピックがここ福島でも開催されます。世界中の方々にこの道路を使ってもらい、復興した福島の姿を体感してもらいたいと思います」と述べた。全てが「東京五輪」を軸に進められた〝復興〟だった。




①伊達市で行われた「相馬福島道路」の部分開通式では「世界中の方々にこの道路を使ってもらい、復興した福島の姿を体感してもらいたい」と述べた
②今村雅弘復興大臣(当時)と浪江町の「」を訪れた際には、「なみえ焼きそば」や小女子の加工品を食べて〝復興〟をアピール
③④飯舘村ではうどん店に立ち寄り、菅野村長や経営者らと談笑した。店内には「桃李自芳」(徳望のある人の元には人が自然に集まること)と書かれた安倍首相の色紙が飾られている
【課題山積の原発事故】
予定通りに東京五輪が開催されていたら、今年3月には聖火リレーが「Jヴィレッジ」を出発。福島県内を巡るはずだった。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期されたが、「開催は難しいだろう。年内にも開催中止が決まるのではないか」と語る地元メディアの記者もいる。事態は決して「アンダーコントロール」ではない。
原発事故以降溜まりに溜まった汚染水の海洋放出案に対し、「コロナのどさくさに紛れて決めるな」、「海を汚すな」などと反対運動が起きている。除染で生じた汚染土壌を減らすための再利用計画が着々と進行し、実証事業が行われている飯舘村では、汚染されていない土で覆わずに食物を栽培する計画が浮上。帰還困難区域に出されている避難指示を除染せずに解除する動きまである。
モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の撤去計画は完全に消えたわけでは無い。昨秋の台風水害では、放射性物質を含む土砂の流出が問題となった。道の駅などハコモノは次々と完成するが、「生活環境が整った」と言うには程遠く、避難指示区域住民の帰還は進んでいない。原発事故被害者の訴訟も各地で係争中だ。
国道6号線沿いにある「二ツ沼総合公園」(広野町)の近くには、安倍晋三首相の桜が植えられている。NPO法人ハッピーロードネットの「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」の趣旨に賛同し、2014年3月に植えられた。プレートには「桜の成長が楽しみです。桜よ福島から世界に向かって咲き誇れ」と刻まれている。同NPOの西本由美子理事長によると「ポケットマネーから『オーナー基金』(一口1万円から)に出してくださった」のだという。
原発事故対応でも感染症対応でも弱者を切り捨ててきた安倍首相。最後は弱弱しく為政者の座を降りる。浜通りに植えた自身の桜を再び目にする事はあるのだろうか。
(了)

【「福島の米を毎日、食べてる」】
安倍政権と福島と言えば、国政選挙だろう。選挙のたびに「被災地・福島」は演出に利用されてきた。
2016年6月の参院選。公示日に駆け付けた安倍首相は、地元のお菓子「薄皮まんじゅう」や「ままどおる」に触れながら、次のように強調した。
「思い出していただきたい。あの時、本当に福島のために働いたのは誰か」
「常磐道を約束通り、全面開通させました」
「中通りのお米を官邸で毎日、食べています」
「福島のお米を毎日、食べているから、こうして元気なんです」
2017年10月の総選挙では、福島駅前では無く駅から遠く離れた田んぼの真ん中で第一声を行った。稲刈りの時期だったが、演説代の周辺だけ黄金色の稲穂を残す演出ぶりだった。
「今回の選挙は福島からスタートする。2012年の政権奪還の選挙もそうだったし、翌年の参院選、その次の衆院選、昨年の参院選、みんなそうだった」
「民主党政権では復興が進まなかった。誰が福島の復興をさらに進める事が出来るのか。誰に託す事が出来るのか。誰がやって来たのか。どうかこの事を考えていただきたい」
「この近くの県営あづま球場には、2020年の東京五輪で世界中から(野球やソフトボールの)一流選手がやって来ますよ」
2019年7月の参院選は、今度は福島市内の果樹園で第一声。差し出された早生桃やサクランボを頬張ってみせた。
「残念ながら民主党政権の下、遅々として復興は進まなかった」
「首相に就任して40回、被災地を訪問しました。『風評被害なんとかしてください』。何度この声を聞いたことでしょうか」
「来年の東京オリンピック・パラリンピックでは、聖火リレーはこの福島県のJビレッジからスタートします。初めての競技も福島県から始まる。まさに世界の真ん中で福島県が輝くんですよ。復興は次のステージに入っていく」
演説会場は常に動員でいっぱいになった。民主党政権批判や〝復興〟アピールも決まり文句となった。一方で、まるで批判の声から逃げるように年々、主要駅から遠ざかった。




①②③国政選挙のたびに福島で第一声を行った安倍首相。様々な演出で福島の〝復興〟をアピールした。首相の寵愛を受ける森まさ子参院議員は法務大臣として2度目の入閣を果たしたが、首相の辞意表明で大臣の椅子も揺らぐ
④国道6号線沿いにある「二ツ沼総合公園」(広野町)の近くには、安倍晋三首相の桜が植えられている
【「線量計手に山を歩け」】
安倍首相は最後まで、とうとう帰還困難区域など原発事故の被害の実相に向き合う事は無かった。
2017年4月には、避難指示が部分解除されたばかりの浪江町を訪問した。だが、足を運んだのは仮設商業共同店舗施設「まち・なみ・まるしぇ」のみ。しかもたった20分ほど滞在しただけで、「なみえ焼そば」や小女子の加工品、ホッキ飯のおにぎりを食べて〝復興〟をアピールしたにすぎなかった。
これには町民から「パフォーマンスに過ぎないよ。そんなに安全で〝復興〟が始まっているのなら、1カ月でも2カ月でも浪江に住んでみたら良い」、「丈六公園から少し行けば帰還困難区域の酒井行政区があります。車であればあっという間に着きます。精度の良いガイガーカウンターを持参して警報音の鳴る場所を歩きなさいよ、と言いたいです。帰れない場所も同時に見ないとフェアじゃ無い」、「東京五輪までに原発事故など無かった事にしたいんでしょ」などと批判の声もあがった。
同じ年の7月には、飯舘村を訪問。分刻みのスケジュールで特別養護老人ホームやうどん店を巡った。
村民からは「線量計を持って山を歩いてみれば良いんだ」との声もあったが、安倍首相が原発事故による汚染の実態など知るはずも無い。うどんを食べて何が分かるのか。菅野典雄村長がうれしそうな笑顔を見せていたのとは対照的に、村民からは冷めた声が多く聞かれた。
「もうパフォーマンスは要らないです。村民の想いなど分かろうともしないのが一番の罪ですね。国民より経済優先、対外的アピールばかりで根本的問題は置き去りのままじゃないですか」
「荒れ果てた山や田んぼの中で、お年寄りだけが村に戻って暮らしてるのが復興なのでしょうか。私は違うと思います。子どもも高齢者も一緒に、当たり前の生活が出来て初めて復興だと言えるのではないでしょうか。学校だけ立派に作っても、通う子どもが居なくては意味がありません。それに、日用品を遠くまで買いに行かなければならないのが復興ですか?」
2018年3月には、伊達市で行われた「相馬福島道路」の部分開通式にも出席。「この相馬福島道路の全線開通を目指す2020年度には東京オリンピック・パラリンピックがここ福島でも開催されます。世界中の方々にこの道路を使ってもらい、復興した福島の姿を体感してもらいたいと思います」と述べた。全てが「東京五輪」を軸に進められた〝復興〟だった。




①伊達市で行われた「相馬福島道路」の部分開通式では「世界中の方々にこの道路を使ってもらい、復興した福島の姿を体感してもらいたい」と述べた
②今村雅弘復興大臣(当時)と浪江町の「」を訪れた際には、「なみえ焼きそば」や小女子の加工品を食べて〝復興〟をアピール
③④飯舘村ではうどん店に立ち寄り、菅野村長や経営者らと談笑した。店内には「桃李自芳」(徳望のある人の元には人が自然に集まること)と書かれた安倍首相の色紙が飾られている
【課題山積の原発事故】
予定通りに東京五輪が開催されていたら、今年3月には聖火リレーが「Jヴィレッジ」を出発。福島県内を巡るはずだった。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期されたが、「開催は難しいだろう。年内にも開催中止が決まるのではないか」と語る地元メディアの記者もいる。事態は決して「アンダーコントロール」ではない。
原発事故以降溜まりに溜まった汚染水の海洋放出案に対し、「コロナのどさくさに紛れて決めるな」、「海を汚すな」などと反対運動が起きている。除染で生じた汚染土壌を減らすための再利用計画が着々と進行し、実証事業が行われている飯舘村では、汚染されていない土で覆わずに食物を栽培する計画が浮上。帰還困難区域に出されている避難指示を除染せずに解除する動きまである。
モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の撤去計画は完全に消えたわけでは無い。昨秋の台風水害では、放射性物質を含む土砂の流出が問題となった。道の駅などハコモノは次々と完成するが、「生活環境が整った」と言うには程遠く、避難指示区域住民の帰還は進んでいない。原発事故被害者の訴訟も各地で係争中だ。
国道6号線沿いにある「二ツ沼総合公園」(広野町)の近くには、安倍晋三首相の桜が植えられている。NPO法人ハッピーロードネットの「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」の趣旨に賛同し、2014年3月に植えられた。プレートには「桜の成長が楽しみです。桜よ福島から世界に向かって咲き誇れ」と刻まれている。同NPOの西本由美子理事長によると「ポケットマネーから『オーナー基金』(一口1万円から)に出してくださった」のだという。
原発事故対応でも感染症対応でも弱者を切り捨ててきた安倍首相。最後は弱弱しく為政者の座を降りる。浜通りに植えた自身の桜を再び目にする事はあるのだろうか。
(了)
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