【116カ月目の浪江町はいま】「校舎解体を延期し、お別れ会開いて!」 国主導に怒り、町立学校卒業生が署名集め 26日にも町長に提出、町議会に請願へ
- 2020/11/02
- 07:20
2011年3月の原発事故・全町避難で閉校が決まった福島県双葉郡浪江町の町立小中学校を巡り、卒業生たちが閉校式の開催を求める署名運動を展開している。7月に行われた校舎解体前〝最後の見学会〟はコロナ禍で多くの卒業生が参加出来なかったが、国は「今年度中に校舎を解体しなければ費用は負担しない」と町に迫り、町も「やむを得ない」と屈した。このままでは年内にもさら地になってしまう見通しで、呼びかけ人の5人は「卒業生の想いを汲んで欲しい」「各学校の歴史を簡単に閉じて欲しくない」と〝お別れ会〟の開催を求めて町議会に請願する予定だ。

【堀川さん「許しがたい暴挙」】
立ち上がったのは、今野寿美雄さん(1979年津島中学校卒業)、堀川文夫さん(1970年浪江中学校卒業)、三原由起子さん(1995年浪江中学校卒業)、門馬昌子さん(夫と娘が浪江中学校卒業)、吉田正勝さん(1970年浪江中学校卒業)の5人。インターネット上のサイト「Change.org」で「どうか、出来る限り多くの町民に各小、中学校とのお別れ会の機会が持てるように、解体を延期するよう国に要請して下さい。各学校の歴史を閉じるに相応しい『閉校式』を開いて下さい」と、賛同の署名を呼びかけている。賛同者は開始1週間で700人を超えている。
5人は署名サイトに、「約150年にわたる浪江町の各小学校、中学校の歴史が原発事故で強制的に幕引きされ、さらに各学校を卒業された多くの方々のやりきれない思いをよそに、国の決めた日程で解体されようとしています。コロナ禍の中で先日行われた僅か3日間の見学会に参加できたのは全町民の1割にすぎません」と想いを綴った。原発事故でふるさとを奪われ、今度は母校までも奪われようとしている。卒業生たちの怒りは当然だ。
「先日行われた僅か3日間の見学会」とは、今年7月23日から25日に行われた〝最後の校舎見学会〟を指す。署名の呼びかけ人の1人、堀川さん(静岡県在住)は当時、自身のフェイスブックに次のように書き込んでいる。
「ふるさと浪江の小学校、中学校が(請戸小学校を除いて)すべて解体されることが決まった。最後の見学会がこの7月23日~25日に開かれるそうだが、コロナ禍真っ只中にお別れをしたくても行けないではないか。約150年の歴史ある学校をそんな簡単に解体されては浪江町の先人たちに申し訳なく思うばかりでなく、卒業生の私には許しがたい暴挙と思える。せめてすべての小学校中学校でそれぞれお別れの会をコロナが落ち着いた頃を見計らって計画するのが町の役割ではないのか。各小学校・中学校の卒業生の皆さん、声を上げて町を動かしませんか」

インターネット上で展開されている署名集め。26日にも浪江町長や町議会議長に提出する予定だ
【強気の国、弱腰の町】
なぜ卒業生たちがここまで怒りの声をあげているのか。そこには、当事者の想いを無視した国のやり方と、それに抗議しない町の姿勢がある(鹿砦社刊「NO NUKES voice vol.25」参照)。
取材に対し、環境省福島地方環境事務所の広報担当者は「環境省は今年度、浪江町から申請のあった町の公共施設を解体する事としております。その中に町立五校の校舎も含まれています。浪江町の公共施設の解体申請の受け付けはもう締め切られているので、来年度以降の解体予定は無いです。今年はコロナ禍があって住民さんのお気持ちもあるとは思いますが、今年度中に終わらせるというのがわれわれの使命です。年度内にきちんと仕上げるというスケジュールで粛々と進めます」と語った。
浪江町の吉田数博町長も「本当は校舎を残したいんですけど後々の事を考えるとね。環境省で解体をやっていただけるということですから…。やむを得ないんだろうなと。時間があればね…」と答えるにとどまった。町役場にはコロナ禍で移動を控えている全国の卒業生から見学会の延期を求める電話などが寄せられたが、町教委は「大変申し訳ないが、こちらとしてはこのタイミングしか無い。校舎内を見られるのはこれが最後」と一蹴した。
期限を一方的に決めて「ここまでに申請しないと解体費用を出してやらないぞ」と迫る国。それに抗議をするでも無く「やむを得ない」と応じる町。そこには卒業生たちの想いなど全く無い。解体工事を請け負っている安藤ハザマの工事関係者が「年明けにはさら地になっているイメージで良いと思います。まあ、年度内に解体しないと環境省が金を出さないですから…」と申し訳なさそうに話したが、原発事故の加害当事者が常に主導権を握って来た9年半を象徴する構図と言えよう。

家屋解体が進む浪江町。環境省は、町立学校の校舎も今年度中に解体しないと費用を負担しないと町に迫り、町も「やむを得ない」と応じた。そこに卒業生たちの想いは無い
【「各校の歴史、簡単に閉じるな」】
「卒業生など関係者の意向を十分に汲み取った上での決定なら、署名運動の必要はありませんでした」
署名運動に至った理由について、堀川さんは語る。
「『校舎見学会』が行われたのはコロナ禍の真っ只中。国から県をまたぐような移動を自粛するよう呼びかけられている時期でした。しかも、.わずか3日間で終了してしまいました。閉校や校舎解体についてどう進めるべきか、アンケートなどで卒業生の意向を確認する事もされませんでした。各学校の150年にもおよぶ歴史を閉じるには余りにも拙速で、歴史への尊厳が無さすぎまず。そこに疑問を抱き、卒業生の声を町に伝えたいと署名集めを始めたのです」
集まった署名は今月26日にも吉田町長や町議会の佐々木恵寿議長に提出される。紹介議員を通じて町議会に請願する予定で、堀川さんたちは「この署名のような声があがっていることを町議会が受け止め、閉校式開催に向けて再度、審議して欲しい」と望んでいる。
堀川さんは言う。
「この署名活動は、震災・原発事故前に浪江町で生きていた私たちの町への誇りでもあるのです」
もちろん、原発事故への憤りはある。子どもの数が減っていたとはいえ、原発事故が無ければこのタイミングで閉校・校舎解体は無かった。町への不満も大いにある。「町の復興への向き合い方が『経済』に偏り過ぎています。国主導に流されていて浪江町としての主体性や自主性が不足しています。町民の声を汲み取ろうとする姿勢が町にあるかどうか。浪江町の未来は、そこににかかっていると思います。町にはそこを再認識してもらいたいという想いがあります」。
しかし、主眼は批判では無く想い。
5人は「浪江町の各学校の歴史を簡単に閉じて欲しくない」の一心で署名を呼び掛けている。署名サイトはこちら。
(了)

【堀川さん「許しがたい暴挙」】
立ち上がったのは、今野寿美雄さん(1979年津島中学校卒業)、堀川文夫さん(1970年浪江中学校卒業)、三原由起子さん(1995年浪江中学校卒業)、門馬昌子さん(夫と娘が浪江中学校卒業)、吉田正勝さん(1970年浪江中学校卒業)の5人。インターネット上のサイト「Change.org」で「どうか、出来る限り多くの町民に各小、中学校とのお別れ会の機会が持てるように、解体を延期するよう国に要請して下さい。各学校の歴史を閉じるに相応しい『閉校式』を開いて下さい」と、賛同の署名を呼びかけている。賛同者は開始1週間で700人を超えている。
5人は署名サイトに、「約150年にわたる浪江町の各小学校、中学校の歴史が原発事故で強制的に幕引きされ、さらに各学校を卒業された多くの方々のやりきれない思いをよそに、国の決めた日程で解体されようとしています。コロナ禍の中で先日行われた僅か3日間の見学会に参加できたのは全町民の1割にすぎません」と想いを綴った。原発事故でふるさとを奪われ、今度は母校までも奪われようとしている。卒業生たちの怒りは当然だ。
「先日行われた僅か3日間の見学会」とは、今年7月23日から25日に行われた〝最後の校舎見学会〟を指す。署名の呼びかけ人の1人、堀川さん(静岡県在住)は当時、自身のフェイスブックに次のように書き込んでいる。
「ふるさと浪江の小学校、中学校が(請戸小学校を除いて)すべて解体されることが決まった。最後の見学会がこの7月23日~25日に開かれるそうだが、コロナ禍真っ只中にお別れをしたくても行けないではないか。約150年の歴史ある学校をそんな簡単に解体されては浪江町の先人たちに申し訳なく思うばかりでなく、卒業生の私には許しがたい暴挙と思える。せめてすべての小学校中学校でそれぞれお別れの会をコロナが落ち着いた頃を見計らって計画するのが町の役割ではないのか。各小学校・中学校の卒業生の皆さん、声を上げて町を動かしませんか」

インターネット上で展開されている署名集め。26日にも浪江町長や町議会議長に提出する予定だ
【強気の国、弱腰の町】
なぜ卒業生たちがここまで怒りの声をあげているのか。そこには、当事者の想いを無視した国のやり方と、それに抗議しない町の姿勢がある(鹿砦社刊「NO NUKES voice vol.25」参照)。
取材に対し、環境省福島地方環境事務所の広報担当者は「環境省は今年度、浪江町から申請のあった町の公共施設を解体する事としております。その中に町立五校の校舎も含まれています。浪江町の公共施設の解体申請の受け付けはもう締め切られているので、来年度以降の解体予定は無いです。今年はコロナ禍があって住民さんのお気持ちもあるとは思いますが、今年度中に終わらせるというのがわれわれの使命です。年度内にきちんと仕上げるというスケジュールで粛々と進めます」と語った。
浪江町の吉田数博町長も「本当は校舎を残したいんですけど後々の事を考えるとね。環境省で解体をやっていただけるということですから…。やむを得ないんだろうなと。時間があればね…」と答えるにとどまった。町役場にはコロナ禍で移動を控えている全国の卒業生から見学会の延期を求める電話などが寄せられたが、町教委は「大変申し訳ないが、こちらとしてはこのタイミングしか無い。校舎内を見られるのはこれが最後」と一蹴した。
期限を一方的に決めて「ここまでに申請しないと解体費用を出してやらないぞ」と迫る国。それに抗議をするでも無く「やむを得ない」と応じる町。そこには卒業生たちの想いなど全く無い。解体工事を請け負っている安藤ハザマの工事関係者が「年明けにはさら地になっているイメージで良いと思います。まあ、年度内に解体しないと環境省が金を出さないですから…」と申し訳なさそうに話したが、原発事故の加害当事者が常に主導権を握って来た9年半を象徴する構図と言えよう。

家屋解体が進む浪江町。環境省は、町立学校の校舎も今年度中に解体しないと費用を負担しないと町に迫り、町も「やむを得ない」と応じた。そこに卒業生たちの想いは無い
【「各校の歴史、簡単に閉じるな」】
「卒業生など関係者の意向を十分に汲み取った上での決定なら、署名運動の必要はありませんでした」
署名運動に至った理由について、堀川さんは語る。
「『校舎見学会』が行われたのはコロナ禍の真っ只中。国から県をまたぐような移動を自粛するよう呼びかけられている時期でした。しかも、.わずか3日間で終了してしまいました。閉校や校舎解体についてどう進めるべきか、アンケートなどで卒業生の意向を確認する事もされませんでした。各学校の150年にもおよぶ歴史を閉じるには余りにも拙速で、歴史への尊厳が無さすぎまず。そこに疑問を抱き、卒業生の声を町に伝えたいと署名集めを始めたのです」
集まった署名は今月26日にも吉田町長や町議会の佐々木恵寿議長に提出される。紹介議員を通じて町議会に請願する予定で、堀川さんたちは「この署名のような声があがっていることを町議会が受け止め、閉校式開催に向けて再度、審議して欲しい」と望んでいる。
堀川さんは言う。
「この署名活動は、震災・原発事故前に浪江町で生きていた私たちの町への誇りでもあるのです」
もちろん、原発事故への憤りはある。子どもの数が減っていたとはいえ、原発事故が無ければこのタイミングで閉校・校舎解体は無かった。町への不満も大いにある。「町の復興への向き合い方が『経済』に偏り過ぎています。国主導に流されていて浪江町としての主体性や自主性が不足しています。町民の声を汲み取ろうとする姿勢が町にあるかどうか。浪江町の未来は、そこににかかっていると思います。町にはそこを再認識してもらいたいという想いがあります」。
しかし、主眼は批判では無く想い。
5人は「浪江町の各学校の歴史を簡単に閉じて欲しくない」の一心で署名を呼び掛けている。署名サイトはこちら。
(了)
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